散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

昭和天皇の戦争責任

2017年08月16日 | 日記
昨日「インパール戦慄の記録」を見ながら考えました。

昭和天皇に戦争責任があるかないか、なんてのは分かり切ったことで、本人も「ある」と言っているし、開戦も終戦も「詔勅」だし、「ないわけがない」のです。

ただし「あるのは当然だが、ないことにしよう。ない感じにしてしまおう。」ということになりました。マッカーサーと日本政府がそう政治的にしたのです。

東京裁判の初期ではオーストラリアなどは天皇の死刑を当然のこととして要求していました。が、結局「なかったことにしよう」となったのです。

昭和天皇はロボットだったなんてのは「都市伝説」です。

東条英機は毎日のように参内して、作戦を説明し、いちいち天皇の許可を得ていました。

東条の権力の源泉は天皇であり、天皇の「許可」がなければ、東条など「ただの暗記上手の男」に過ぎません。(陸軍での教育の根本は過去の勝利の暗記でした。)

サイパンが落ちて、天皇は東条をこう見捨てます。

「サイパンは絶対大丈夫と言ったではないか。もうお前は信用できぬ。」

で、東条は総理を辞めるのです。その流れだけでも「天皇はロボットだった」などという論理が成り立たないのは自明です。

ちなみにこの時東条に対しては複数の「暗殺計画」がありました。辞任によって、実は2年ばかり東条の命は延びたのです。

東条は戦時中に天皇の意思に逆らって行動したことはなかったのですが、東京裁判では、人を通じて「さからったことにしろ」と言われ、

非常に苦しんだあげく、「逆らったことももしかしたらあったかもしれない」という言葉を絞り出すように語ります。ちゃんと録画されています。

天皇の戦争責任が「なかったことになった」ことで、日本の治安は守られました。しかし治安が守られから「良かった」とはならないのです。

昭和天皇は「戦争責任」には戦後一貫して敏感でした。靖国に東条らが分祀された後は、ぴたりと靖国参拝をやめます。

それ以来、日本の皇族は一切靖国には参拝していません。

参拝すれば、「なかったことになった」戦争責任論が再燃することは当然で、だから参拝しないのです。