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織田信長を「どうしても凡人にしたい人々」の間違い

2017年08月18日 | 日記
織田信長を「どうしても凡人にしたい」「どうしても普通の武将にしたい」という「奇妙な情熱」を持つ人々がいます。学者さんに多いですね。

庶民が「ドラマのイメージ」に引っぱられて、または司馬さんに引っ張られて、信長のカリスマ性に憧れることが「たまらなく嫌」「感情的に許せない」ようです。

さらに言えば、「なんか新しいことを言わないとTVに出られないから、信長のイメージを崩してやろう」とも考えてるみたいです。

そういう学者は馬鹿ですね。本人は「真実を言っているのだ」と言いたいのでしょうが、馬鹿な情熱です。

そういう学者が1万回ぐらい言うのが「天下とは近畿地方のことだ。天下布武とは近畿地方を掌握することだ」ってセリフです。

聞き飽きました。

「じゃあ、実際の行動として、日本全土を武力制圧しようとした武将がいますか」と「ブルゾンちえみ風」に聞いてみたいと思います。

答えは「35億でも35人でもなく、ただ1人、信長だけ、あと本能寺後の秀吉」

信玄の上洛なんてのも、それこそ「近畿の制圧目的」であって、日本全土なんて壮大な構想は全然頭になかったでしょう。ちまちま川中島で戦っていた人間です。

「事実として日本全土の武力制圧を考えたのは信長しかいない」のです。信玄も謙信も、浅井も、朝倉も、北条も、むろん毛利も、長曾我部も、そんな行動、みじんもとっていません。

「天下は近畿のこと」なんてのは「言葉遊び」で、信長の実際の行動を考えれば、彼のいう「天下」とは「日本全土」です。

こう言い換えてもいい。信長が「天下」という言葉を日本全土という意味にしたのだ、と。言葉の意味なんてあっという間に変わります。現代における「やばい」の用法のように。

さらに奇妙な情熱をもった学者は言います。

「3000丁の鉄砲の三段撃ちなんてなかった」

そりゃなかったでしょう。整然と1000丁ずつ撃つなんて無理です。だいたい3000丁も怪しく、1000丁ぐらいみたいです。

しかしながら、さはさりながら、

1000丁の火縄銃を各自が勝手に撃ったとします。そうなると大体200丁ぐらいの鉄砲玉が間断なく飛び交っていたでしょう。相手は進むことができません。

「騎馬軍団なんてなかった」を認めて、徒歩だとすると、余計に前に進めなくなります。

三段撃ちじゃなくても、そうなるはずです。しかも、火縄銃というのは、結構な威力で、射程も相当長いのです。

1000丁と仮定して、「玉ごめ時間を考えて稼働は5分の1ぐらい」と考えると200発。つまり200発の「実質5段撃ち状態」になります。各自がバラバラに撃ってもそうなるのです。

銃というのは一発でも怖いものです。今渋谷駅で一発の銃弾が発射されたとします。その音を聞けば、ほぼ全員が身をかがめるし、パニックが起きるでしょう。

銃弾というのは一発でも相当な心理的圧迫性があるのです。200発が間断なく発射されたら、もう乱射と同じです。竹の束で身を守って、おずおず進むのがやっとでしょう。

つまり三段撃ちを否定したぐらいで、学者さんに「したり顔」されても、困るしかありません。

というわけで、学者さんたちの奇妙な説明は、私にとっては何の意味もないというか、「はいはい、分かりました」という感じです。バッカだなーという感じすらします。

どうやら司馬さんが信長ブームを作ったと「勘違いしている」学者もいるようですが、実際は吉川英治の大河「太閤記」が昭和における信長ブームの始まりです。

実は司馬さんは信長についてはそれほど書いていないのです。「国盗り物語の後編」。最初これは書く気がなかったのですが、いろいろな事情で書くことにした。

最初は斉藤道三のみ書くつもりだったのです。信長はメインではなかったのです。確かに中世の破壊者としての信長は描きましたが、「本当に破壊者の側面を持っている」のだから、仕方ないことです。

ごりごりの合理主義者じゃないとしても、義昭追放だけでも、延暦寺焼き討ちだけでも、「破壊者」の名を与えられるのは当然だと思います。

信長は、「新史太閤記」でも登場します。でもメインは当然秀吉です。「尻喰らえ孫市」、メインは孫市ですね。あと小説の「功名が辻」には一切信長は登場しません。

司馬さんは、そんなに熱心に信長を描いてはいないのです。

一部の奇妙な学者さんはどうしても「信長を中世の破壊者にしたくない」ようですが、要するに「なんか目新しいことを言いたい」だけでしょう。

とにかく「どうしても信長を凡人に」したくてたまらないみたいです。それは「つまらない」し、なにより「間違い」です。




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