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ジャン・アレチボルトの冒険

ジャンルを問わず、思いついたことを、書いてみます。

16歳少女の「同意」という幻想、バナナマン日村のフライデー記事騒動で問われる社会の「質」 [26Sep18]

2018-09-26 01:00:00 | 芸能

週刊誌「FRIDAY」の10月5日号が報じた、日村勇紀が16年前、愛知県に住む当時16歳の少女と性的関係を持った疑いがあるとの記事は、バナナマンが毎日テレビに登場する超人気芸人ということもあり、発売直後から大きな反応を引き起こしています。

個人的にも『乃木坂って、どこ?』から始まり、現在放送中の『乃木坂工事中』まで7年間、番組MCとして、メンバーと共演する彼を観続けてきたので、すぐに週刊誌を買って、記事を読んでみました。

バナナマンはバラエティ面で長年に渡り乃木坂を育ててくれて、今は紅白ウラトークなど、冠番組以外でもコラボする仲間であり、乃木坂ファンにとっては、特別な思い入れのある、好感度の極めて高い二人です。


16年前のプライベート、しかも性的な事柄に関する話なので、個人的に、出来れば触れたくなかったけど、二つの理由から、ブログで取り上げることにしました。

一つは、大人との性的関係が未成年者に与える影響が、近年、とくに注目されるようになり、「淫行」に対する社会の目が、非常に厳しくなっていること。

そして、年月が経過し少女から大人になっても、心の負担として、長く苦しみ続けるケースがあり、16年前の出来事であっても、男性側の道義的責任は重いと感じたからです。


もちろん、女性が語った話の信憑性が低いと思ったなら、取り上げません。

しかし、彼女の証言は、当時の二人の関係を詳細に描写しており、ツーショット写真も掲載されている。

さらに、フライデーの直撃取材を受けた日村が、その時は「覚えていない」を連発したものの、後日、事務所宛ての質問状に自ら答えて、

自覚が足りない行動をとってしまったことに対し反省しております

と綴り、さらに

相手の方を深く傷つけてしまったことは大変申し訳なく思っております

とコメントしている。


本人がこういった発言をする以上、女性が語った内容は、細部はともかく、大筋では事実と考えるのが妥当です。

そして、事実であるなら、未成年者との性的関係に、より厳しい目が向けられる今、紅白ウラトークに4年連続で出演するほどの超売れっ子タレント、バナナマン日村の芸能活動に影響する可能性があり、単なるスキャンダルを超え、一つの社会的な問題になっていく。

これだけの社会性がある以上、16年前の性的なプライベートとはいえ、やはり取り上げるべきだと判断しました。

『乃木坂工事中』の今後についても、何らかの影響が出るかもしれず、とくに近年は、主要メンバーが大人になったこともあり、「下ネタ」系のやり取りも以前より増えていて、心配しています。


もう一つの理由は、記事発売の直後から始まった、ネットにおける、女性に対する激しいバッシングです。

いや、バッシングという言葉では足りず、人格攻撃と言っていい程の酷い罵詈雑言が飛び交っている。

16歳のとき、30歳芸能人との性的関係で苦しみ、16年経った今でも、相手男性をテレビで見るたび、過去を思い出して辛いとの告白があり、内容に一定の信憑性がある以上、それはどういうことか?とまず話を聞くのが先だと思いますが、いきなり女性へのバッシングが洪水のようにネットに溢れかえってしまった。


女性に対するバッシングを目にした人が、ではバナナマン日村を応援しよう!となる確率は低く、逆に、彼の好感度を一層下げてしまい、芸能活動へより厳しい影響が出る可能性の方が高い。

もちろん、記事に載った話が細部に至るまで本当かどうかは分からないし、超人気者への告発なのでバッシングをゼロにするのは無理ですが、さすがに、「被害者」かもしれない女性だけがここまで叩かれて、男性の責任を問う声が少ないのは、異様な光景じゃないでしょうか。

今は、双方の話をよく聞いて、冷静に議論を進めるときで、そういう雰囲気を少しでも作れればと、ブログを書いておこうと思いました。


まずは、記事の内容をざっと紹介しておきます。

女性の話によると、日村の大ファンだった当時16歳の彼女は、2002年、送ったファンレターに本人から返事が届いたことを切っ掛けに、頻繁にメールのやり取りをするようになる。

その中で、最初のファンレターに書いた「21歳の女子大生」を訂正し、「実は16歳なんです」と打ち明けたところ、「歳は関係ない。10代でもかまわない」と言われたそうです。


そして、日村が仕事で名古屋に来たとき、初めて直接会い、手羽先屋で酒を飲み、その後ホテルへ行き、体の関係を持った。

それから彼が名古屋へ来るたびに逢瀬を重ねていたが、翌年、彼女が東京へ引っ越すと、二人はより頻繁に会うようになり、彼のマンションに入り浸るようになる。

しかし、恋人ではなく、セフレのような関係が続いていると感じ、辛くなって数ヶ月で名古屋に戻るが、精神のバランスを崩し、入退院を繰り返すことになった。


女性に対する批判の中で、割と多く見かけるのが、「同意」の上で関係を持ったのだから、それを問題にするのはおかしいというものです。

ただ、「淫行条例」は、判断力が未熟な未成年者を守るため、少女側の「同意」ではなく、大人である男性側の「責任」を問うのが主旨だと思います。

例えば、援助交際をしている女子高生は、完全な「同意」の元に相手と性的関係を持ったのだから、買春した男性に「責任」がないという理屈は通らない。

本来、未成年のそういった行為を止めるべき大人が、少女の「同意」に付け込んで、性的搾取を行ったと捉えるのが今の考え方でしょう。


バナナマン日村の場合も、16歳の少女が「同意」していたからといって、関係を持って良いという話にはならない。

例えば、相手を自分の親に紹介するような付き合いで、家族が公認する中、結婚を前提に付き合っていたのなら、話は違ってくる。

しかし、女性の話が正しければ、自分に強い好意を抱くファンの少女に、タレントが手を出したような流れで、「同意」した彼女ではなく、大人である男性の「責任」が厳しく問われるべきケースだと思います。

ところが、当時16歳だった少女の「同意」責任が厳しく指摘され、30歳の大人だった男性の「責任」は不問に付される論調がネットでは少なくない。


バナナマン日村はフライデーの質問状への回答の中で、相手が最初に21歳と名乗り、その後、16歳と訂正したことを「覚えていない」と述べています。

「自覚のない行動」だったと反省し、「傷つけてしまって申し訳ない」と謝罪しているので、彼女と過ごした記憶はあるのだと思いますが、年齢に関してのやり取りは記憶していないそうで、では当時、彼女を何歳だと思っていたかについても言及がない。

ただ、日村を直撃取材したとき、フライデーの記者が「メールのやり取りの中で、彼女は年齢を明かしているんですよ」と質しています。


この様子を見ていると、彼女が名古屋で初めて彼と会う前、すでに年齢を伝えていたことに、記者は自信を持っているようで、ひょっとすると、そのメールが残っているのかもしれない。

バナナマン日村が当時、彼女の年齢をどう認識していたかについては、これから何か情報が出て来るかもしれません。

しかし、いずれにせよ、若い女性が愛知から東京に引っ越し、数ヶ月間、自分の家に入り浸っていたのなら、年齢は?、学校は?、仕事は?、親御さんは?と、いろいろ尋ねるのが当たり前で、それをせずに関係を続けたのなら、大人としての責任を問われても仕方ないと思います。


告白した女性に対する激しいバッシングの背景には、未成年の少女であっても、相手の男性が好きで、「同意」の上で関係を持ったのだから、付き合いの中で、多少理不尽な面があったとしても大したことではなく、16年も経ってから告白するのは、おかしいという気持ちがあるのかもしれない。

彼女がなぜ今、当時のことを語ろうと思ったのか、記事には何も書かれていないので、本当の事情は分かりません。

ただ近年、過去の理不尽な性体験を、かなり時間が経ってから告白する女性が少なくなく、この手の精神的な傷は、長期間に渡ってダメージを与え続けることが、徐々に知られてきている。


とくに相手男性が同じ業界で働く有力者だったり、テレビなどのマスメディアに頻繁に出演している場合、自分の意思とは無関係に何度も顔を見てしまうので、忘れようと思っても忘れられず、心の負担に耐えられなくなるケースが多いように感じます。

バナナマン日村は、レギュラー番組を12本持っているそうで、ほぼ毎日、テレビを点けると画面に現れるような印象がある。

彼女は「テレビに出ている彼の顔を見るたび、辛い過去を思い出してしまう」と述べていますが、16歳で心の傷を負い、その後ずっと引きずっていたものが、相手男性のテレビ露出急増によって再燃し、公表することを決意したのかもしれない。


もちろん、あくまで可能性ですが、十分にあり得る可能性で、そういう可能性がある以上、16年後の告白だから不自然である、とは必ずしも言えません。

辛い気持ちを抱えていても、未成年の少女が「同意」した自分にも「責任」があると思ってしまうと、それを乗り越え、大人である相手男性の本当の「責任」に気づくには、自身が成長して大人となり、当時起こった出来事の全貌を理解するまで時間が掛かると思う。

「同意」の上であっても、後々長期に渡って、大きな精神的ダメージを受けることのある淫行という罪は、思っている以上に深刻な犯罪だという認識が、社会に足りないのかもしれない。

当時16歳だった少女の「同意」責任は厳しく指摘され、一方、30歳だった男性の大人としての「責任」は、16年前のことだから、淫行条例は時効だから、相手から近寄ってきたからと、非常に甘めに、本人に都合の良い形で解釈されてしまう。

バナナマンが超売れっ子だからと、ネットだけでなく、芸能界やマスメディアにも、こういった論調が蔓延するのであれば、それは我々の社会が、子供を守り育てることに対して、極めて無責任で無頓着であることを、世界に向かって露呈することになります。


女性が過去の理不尽な性体験を公表したとき、相手男性の法的責任を問えるケースは少なく、また「覚えていない」と返答されることも多い。

しかし、そういった告白に社会がどう反応するか、とくに相手男性が現在社会で活躍している人物である場合、その社会の「質」が見えてくる。

何を今更と切り捨て、バッシングに終始するのか、それとも話に耳を傾け、相手側の責任を問題にするのか。


前者の社会では、告発は少なくなり、その結果として、密室で発生する性的な問題が社会に十分アナウンスされず、同種の問題が延々と再生産されていく。

一方、後者は、告発によって社会が問題を認識し、それが強力な抑止力となり、より問題の少ない社会に変化できる。

告発のアナウンス効果が社会の「質」を高めることを考えると、なぜ公表したのかと理由を問うより、何が告白されたのかと内容を吟味する方が重要だと思います。


バナナマン日村は、記者会見を開くなど、場を設けて、今回の件について率直に話し、過去と向き合う姿勢を見せて欲しい。

フライデーに対して述べた「自覚が足りない行動」とはどういう行動なのか、「深く傷つけてしまった」のは何が原因だと思っているのか、自分の口で説明すべき点は少なくない。

過去は変えられないし、法的責任は追求されないけど、道義的責任は存在している。

自らの「責任」をきちんと語り、告白した女性だけが徹底的にネットで叩かれ、本来問われるべき、男性側の「責任」が不問に付されている現状を変えることが、今果たせる「責任」じゃないでしょうか。


かつて乃木坂の選抜発表において、文春騒動で長くバッシングされ苦しんだ松村沙友理に対して、バナナマン日村は、「もういいでしょう。もう十分でしょう」と声を掛けてくれたことがあり、彼女を応援してきた一人として、今でも感謝しています。

今度はこちらが、「日村、もういいでしょう。もう十分でしょう」と、声を掛けられる日を待っています。

しかし、そのためには、松村沙友理と同じように、やったことに対して真摯に向き合う必要があると思う。

安易な「禊」はかえって問題を長期化させ、次第に身動きが取れなくなる。

大変だと思うけど、最善の道を選んで、危機を乗り越えることを願っています。


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アレチボルト@sabakunonezumi のツイッターアカウント


# 記事中の青字部分は、テレビ番組、公式サイト、書籍、歌の歌詞などに、掲載されたものを、そのまま抜粋引用したことを表しています


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