kaeruのつぶやき

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資本主義は限界……。

2020-06-20 16:04:03 | コロナ禍

新型コロナが問う 日本と世界

写真・京都大学総長 山極 寿一さん(撮影・峯松進)

資本主義は限界 誰もが • • •

 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大が、世界や日本のどんな問題を明らかにしたのか。人類はコロナ禍から何を学ぶことができるのか。霊長類学・人類学者の山極寿一京都大学総長に聞きました。 (聞き手・若林明)

 新型コロナウイルスの感染拡大が明らかにしたことは、地球の環境破壊を抑えないと、気候変動の問題だけでなく、感染症のまん延をもたらし、経済、社会に大きな被害をもたらすということです。

人間に襲い掛かる

地球には、細菌やウイルスという人間の目に見えないものが存在しています。例えば、熱帯雨林のような最も生物多様性が高いところで、たくさんの動物がウイルスや細菌に感染してずっと共生していました。動物たちは保菌者だけど症状は出ない状態でした。ところが、人間がジャングルなどの開発を進めたことで、人間と接触が少なかった動物が人間や家畜と接触するようになった。そのことによって、ウイルスが突然変異し、姿を変えて人間に襲い掛かってくるということが近年頻繁におこっています。SARS、MERSや新型インフルエンザなどです。人間がこれまで安定していた生態系を開発によって破壊を進めたために起きています。
 問題は、利潤をあくまで追求し、利潤を将来の投資に向けるという資本主義の原則です。資本主義はそのための自然破壊をためらわないのです。資本主義は、自然が〝文句〟を言わないために、自然を「搾取」してもいいと考えます。国内産業の不振などでGDP (国内総生産)が上がらずに苦労している先進国の中に、発展途上国の手つかずの自然資源を利用して利潤を上げようとしている国があります。違うやり方を入れていかないと世界はもたないと思います。コロナ禍のもとで、誰もが資本主義は限界だと感じているのではないでしょうか。
 これからの社会を考えた時にコロナ危機が教えてくれることは、人間にとって何が大切かということです。

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 医療など「公共財」

 生産性と効率性を高め、未来に投資することを金科玉条として資本主義は発展してきました。しかし、生産性や効率性に結びつかないが、危機的な事態でも続けなければならない仕事があることが分かりました。例えば、医療、介護、子育て、教育などです。

 生産性を高めると言っても、何をもって利潤が上がったかわからない。そもそも、その一部は、サービス労働として家庭内に押し込められ、仕事とはみなされてきませんでした。しかし、それらの仕事は人々が生きる上でとても大切だと改めてわかってきました。人間にとって医療や介護、教育などは利潤のあるなしにかかわらずコモンズ、公共財と考え、重視する必要が出てきたと思います。


国際社会の連携・協力こそ

新型コロナが問う日本と世界  山極京大総長に聞く

 それらの公共財はすべての国民が権利をもって得ることができるべきです。国民皆保険、授業料無償化など、基本的に一人ひとりが生きていく条件を得られるための保障としてそういう制度を十分整えていく。お金がないと暮らしができないのではなく、生活に必要なものは得られることが必要だと思います。 
 他にもコロナ禍のもとで働き続けたのは、ライフラインを支えてくれた人たちです。食料を供給し、配る人は必要です。 
 ところが日本の食料自給率は37%です。今回の事態はそれを見直す機会になりました。ほんとに人間に必要なものは何か。あるいは、コロナが襲ってきたときになにが必要か。食料はライフラインとして必要です。コメ以外はどれだけストックがあるかわかりません。輸出規制による価格高騰で食料供給が危機的な状況になるかもしれません。そのことを考えながら自給体制を整えないといけません。
 人間とサルの大きな違いの一つは、人は、いろんなところに移動し、いろんなところで他者と交流しますが、サルは一定の範囲での移動であり、 交流は限られています。人間は、毎日、毎日動いていろんな集団を渡り歩き、さまざまな人と出会い交流する。例えば、ライブハウスやカラオケ喫茶で他者といっしょに音楽を聴いたり、歌ったりして、同調することで生きているという人間的な幸福感、命の輝きを感じるのです。家に閉じこもっていてはダメだということです。

 3密—密閉、密集、密接を避ける時代に、工夫をしながら人々が楽しめる機会を生活の中につくっていくことが必要です。ライブハウスやカラオケ喫茶、街の飲み屋も決していらないものではないのです。単に、お金を稼いで、将来に投資するということではなく、人間にとってなにが大切かということが見えてきました。

 9条持つ国として

 地域や地球全体で感染拡大を抑えていく必要がある中で、各国が国際社会で自国の利益を主張するだけでなく、連携し協力していくことが必要です。

 自国優先主義で他国を従わせるようなことで国が争うことになっていくことは避けなければいけません。特にこれからアフリカで爆発的に感染拡大が起こるかもしれません。そういうことを協力して止めていくということをやらないと、パンデミック (世界的流行)を抑え込むことはできません。

 各国は感染対策として国境を封鎖し、どこの国も行き来ができなくなってしまっています。今後、国境を開くにあたってどういう世界になっているかが重要です。
 新型コロナ感染拡大を抑える協力が呼び水となって気候変動を抑止するとか、SDGs(持続可能な開発目標)を達成するという動きにつながっていくと思います。

 日本はプラットフォーマー(基盤の提供者)としての役割を担うべきです。憲法9条で武力で制圧することをしないと約束したのですから、武力を持たない国として、それを示していくことが日本の国際貢献のあり方でしょう。力がないことが優位性です。


「しんぶん赤旗」記事と併せー河井議員夫妻の逮捕について

2020-06-19 10:55:49 | kaeruの「しんぶん赤旗」

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2020-06-19/2020061901_03_1.html

 

河井前法相・河井安里氏の逮捕について 2020.6.18

#小池晃書記局長が会見 大規模な買収が行われた容疑なので、両氏は直ちに辞職すべき。 安倍首相には、自民党総裁のとして責任、首相としての二重の...

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足の痛みに耐えながら……

2020-06-18 13:02:05 | 観る、聴く

右足のふくらはぎが痛む、階段を手すりを頼りにあがってきて部屋に入ったらギクリときました。三月の二週間の入院あと家に戻ったときもヨチヨチ歩きしかできなかったが、痛みはなかったからそれよりひどいです、そうしたら「胸の痛みに耐えかねて……」という歌が浮かんできました。

これです、

湖畔の宿

やま さび   みずうみ ひとり き      かな  こころ 1.山の淋しい 湖に 一人来たのも 悲しい心   むね いた    た ...

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さらにネットで「湖畔の宿」とはどこの湖か? についてこんな記事がありました。

 そこで「湖畔の宿」であるが、これについては戦後間もなくからいろいろ取り沙汰されたが、作詞者の佐藤惣之助が昭和17年になくなっており、作曲の服部良一も詳しいことを聞いていなかったので、長い間<湖>がどこの湖か特定できなかった。<山の淋しい湖に>が大きなヒントであるが、昭和15年代に<宿のあった湖>も加わる。この中で一時、静岡県の浜名湖がそれだ、という話があったというから面白い。歌のイメージとは全く違うが、何か根拠となりそうなものを見つけたのだろう。それから諏訪湖。<山の>は良いが<淋しい>はどうか。今も昔も温泉宿が林立している。山梨県の富士五湖の一山中湖の説は。富士五湖の場合山中湖でも河口湖、精進湖、西湖、本栖湖でも何でも、全部<山の、淋しい、宿のある湖>なので返って特定困難。長野県の白樺湖、松原湖、丸池、木崎湖、野尻湖などのイメージぴったりの湖が山中にたくさんあるが、当時宿があったかどうかはっきりしていないものが多いし、いかんせん遠すぎる。群馬の赤城山と榛名山の山の上にある二つのカルデラ湖はイメージ的には合格。しかし、今でこそ結構な道が何条も走っているが、当時の傷心の令嬢にとっていかにも不便なところにある。というわけで、様々な思惑の中で高峰三枝子は、自分のイメージにぴったりした箱根の芦ノ湖を脳裏に描きながら「湖畔の宿」を歌っていたという。平成元年、彼女が古希のリサイタルを開いたとき、「わたしはこの歌を歌うとき、いつも芦ノ湖をイメージしながら歌っていました」といったものだから、前述の「わたしの城下町」で例を引いたように、芦ノ湖を湖畔の宿の湖としようとする機運が盛り上がった。
 その2年後の平成3年、佐藤惣之助が榛名湖畔の湖畔亭の仲居に送った手紙に<「湖畔の宿」の湖は榛名湖、主人公は架空の夢によるもの>などとと記述したものが発見され、手紙は佐藤惣之助のものに間違いないことから、湖畔の宿のモデル探しは終ったのである。

 
宍道湖畔の宿 榛名湖畔の「湖畔の宿碑」 

こちらから引用しました、

http://www13.big.or.jp/~sparrow/MIDI-kohannoyado-con.html

 


足の痛みで……。

2020-06-17 20:48:25 | 葉山そして人

昨日、「ひとり一人の会員の日常の楽しみにつながるような話になったと報告できるといいのですが」と「つぶやき」ましたが、残念なことにその集まりに出られませんでした。

参加する予定で出かけはしたのですが、途中で足が痛くなりだし戻って来てしまったのです。5日ほど前、寝ようとした布団のうえで足が少しもつれ足首を痛めた感じが翌朝もとれず、その日夕方妻と出かける予定を取り止め様子見してきて、昨日は痛みもなく普通に歩いて買い物などに出回りました。

そんな調子が今日も続くと思っていたのですが……。

ということで「現地報告」の代わりにこの新聞記事を、

地元紙の「葉山新聞」が取り上げた「平野邸」です。

この企画を地元ですすめている高田明子さんが記事の冒頭に寄せた「願い」の一文です。

葉山新聞200610 平野邸 高田


明日集まる処

2020-06-16 21:32:48 | 葉山そして人

明日集まる、トコロを所にするか処にするか、もしもそのトコロが机を囲む会議室風な部屋でしたら「所」なのですが、この写真のような緑の間を抜け、

和風の平屋の中の、

こんな部屋のひとつでしたら、やはり「明日集まる処」でしょう。

二月以降町の関連施設は閉鎖されて、「葉山のぞみ会」の月例会も2、3ヶ月休会して、先月ここでの集まりをはじめて開き、続いて明日の集まりになりました。

ここは「みんなの実家」と銘打って、葉山にある古民家の活用を進めようという試みで、所有者の賛同を得て取り組まれています。

多分明日の集まりでも葉山らしさを次世代に渡していくこのような取り組みと、女性を中心とした高齢者の会活動をどう関わらせて行くかも話になるでしょう。ひとり一人の会員の日常の楽しみにつながるような話になったと報告できるといいのですが。