kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

足の痛みに耐えながら……

2020-06-18 13:02:05 | 観る、聴く

右足のふくらはぎが痛む、階段を手すりを頼りにあがってきて部屋に入ったらギクリときました。三月の二週間の入院あと家に戻ったときもヨチヨチ歩きしかできなかったが、痛みはなかったからそれよりひどいです、そうしたら「胸の痛みに耐えかねて……」という歌が浮かんできました。

これです、

湖畔の宿

やま さび   みずうみ ひとり き      かな  こころ 1.山の淋しい 湖に 一人来たのも 悲しい心   むね いた    た ...

youtube#video

 

さらにネットで「湖畔の宿」とはどこの湖か? についてこんな記事がありました。

 そこで「湖畔の宿」であるが、これについては戦後間もなくからいろいろ取り沙汰されたが、作詞者の佐藤惣之助が昭和17年になくなっており、作曲の服部良一も詳しいことを聞いていなかったので、長い間<湖>がどこの湖か特定できなかった。<山の淋しい湖に>が大きなヒントであるが、昭和15年代に<宿のあった湖>も加わる。この中で一時、静岡県の浜名湖がそれだ、という話があったというから面白い。歌のイメージとは全く違うが、何か根拠となりそうなものを見つけたのだろう。それから諏訪湖。<山の>は良いが<淋しい>はどうか。今も昔も温泉宿が林立している。山梨県の富士五湖の一山中湖の説は。富士五湖の場合山中湖でも河口湖、精進湖、西湖、本栖湖でも何でも、全部<山の、淋しい、宿のある湖>なので返って特定困難。長野県の白樺湖、松原湖、丸池、木崎湖、野尻湖などのイメージぴったりの湖が山中にたくさんあるが、当時宿があったかどうかはっきりしていないものが多いし、いかんせん遠すぎる。群馬の赤城山と榛名山の山の上にある二つのカルデラ湖はイメージ的には合格。しかし、今でこそ結構な道が何条も走っているが、当時の傷心の令嬢にとっていかにも不便なところにある。というわけで、様々な思惑の中で高峰三枝子は、自分のイメージにぴったりした箱根の芦ノ湖を脳裏に描きながら「湖畔の宿」を歌っていたという。平成元年、彼女が古希のリサイタルを開いたとき、「わたしはこの歌を歌うとき、いつも芦ノ湖をイメージしながら歌っていました」といったものだから、前述の「わたしの城下町」で例を引いたように、芦ノ湖を湖畔の宿の湖としようとする機運が盛り上がった。
 その2年後の平成3年、佐藤惣之助が榛名湖畔の湖畔亭の仲居に送った手紙に<「湖畔の宿」の湖は榛名湖、主人公は架空の夢によるもの>などとと記述したものが発見され、手紙は佐藤惣之助のものに間違いないことから、湖畔の宿のモデル探しは終ったのである。

 
宍道湖畔の宿 榛名湖畔の「湖畔の宿碑」 

こちらから引用しました、

http://www13.big.or.jp/~sparrow/MIDI-kohannoyado-con.html

 


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2 コメント

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痛いところは・・警鐘 (屋根裏人のワイコマです)
2020-06-18 15:57:54
何の警鐘なのか・・自分でわかるとき
もあれば わからないときも・・
でも 痛みは辛い 何が警告をしているのか
治るものなら・・・治したい。
お大事になさって下さい。

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素人判断 (kaeru )
2020-06-18 16:40:34
普段特に気をつけていないのに、痛みを感じると「ふ
くらはぎ」って何? と気になりだします。
ネットでみると色々な症状と原因が書かれていて、素
人判断でこれは筋肉痛だからそのうち治る、と自分に
都合良く判断を下しています。

でも三月の入院騒ぎでも最初は風邪がひどくなった、
と素人判断で注射の一本も射ってもらって帰って来る
積もりでしたから……。
近く診療所に薬をもらいにいく時期ですのでそれまで
に痛みがあれば素人判断を抜け出すつもりです。

そちらも梅雨空の続く日々でしょう、健康第一でお過
ごし下さい。
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