今日午前中、葉山小学校に妻とともに「メリーさん人形」を見、話を聴いてきました。
まず、写真3枚ご覧下さい、
写真①
写真②
写真③
以下、今日の集りを呼びかけられた逗子にお住いの長谷川静さんが書かれたものによります。
【昭和初期、日本で暮らしたことがあるシドニー・ギュリック牧師が、米国で日米の関係が悪化していくことを憂えて、平和と友情の精神を子どもたちから育てていこうと全米に人形交流を呼びかけた。子どもたちの募金で集められた人形は、「友情の人形」と呼ばれ、手作りの洋服を着せられ、パスポートを携え、日本の子どもたちへの手紙を持って1927年(昭和2年)横浜港に到着した。】
人形は12,739体あり日本中の小学校や幼稚園に贈られたのです、その一体が写真①です。【青い目の人形を迎えた時は(葉山小学校でも)盛大な歓迎会が催しされ、ひなまつりにも人形を飾ってこどもたちと祭りを楽しんだそうだ。戦時中は軍隊が入り学校も宿舎にされていたので人形は関係の文書類と共に倉庫にしまわれたらしい。】
1978年(昭和53)、資料室に長年放置されているのを教頭先生が取り出して青い目の人形とわかり大騒ぎになったそうです。妻が同校を卒業したのは1954年ですから今日はじめて「対面」したました。いや今日の参加者全員が(長谷川さんを除き)はじめてで、見たこともはじめてですがこういう話があることも知らなかったそうです。
参加は20名くらいで皆さん孫も大きいだろうと思われる年代でしたが、話としても知らなかったのは発見時の「大騒ぎ」が学校内だけだったということでしょうか。
さて、写真②はギュリック牧師の遺志を継いで人形交流の活動をしているお孫さんのギュリック三世が1987年「横浜人形の家」オープン記念に来日した時寄贈した10体のうちの1体です。
なお、アメリカから青い目の人形が贈られてきた時、日本からも人形を贈ろうと全国の小学校の女子児童から人形制作費用が集められ、当時の給料が40~50円の頃に1体350円の市松人形が58体贈られたのです。
写真③はその市松人形ではありませんが、長谷川さんが自分の集められた人形のなかから葉山小学校に寄贈されたものです。
そういう気持が排他的な気持になっていくことには現代でも十分気をつけなければいけないでしょう。
が異国
としてその文化の交流が難しい時代に
全国に先駆けての民間人の文化交流・・
そんな事実があったことすら知りませんでした
当時の12,730余がそのご・・どうなったのか
興味が深いですね・・そして市松人形の
58体が・・今米国でどうなったのか
それも興味深いですね・・
近く贈られてきて、日本から高級人形が60
体近く海を渡ってアメリカへ届いていた、
という事実の持つ意味は大きいと思います。
長谷川さんを通じてその後の事も追いか
てみます、両国も人形が両国で何を見たの
か、とりあえずいただいた資料の紹介から
はじめてみます、二三日後になると思いま
す。