一昨日の「つぶやき」の〆の部分です、
この本がこれです、下巻もあります。
2011年6月ですから東日本大地震のあと、何か思うところがあり数学の本を、とこの本を入手し読みだしたのでしょう、第2章まで読み終わっていたようで、こんな書き込みがあります。
ここには煉瓦の大きさについて書かれていて、シュメール人が貿易で活躍した時代に、大きさの違う容れ物を比較するために、共通の標準を認めることが社会的必要になった。ある立方体物が何個入るにかによって体積を計ったのであろうし、おそらくレンガで家を建てたシュメール人がつかいはじめたものであろう、と想定しています。
kaeru君はなるほどと思ったのでしょう、そのあと本の余白に「レンガの各国の大きさの規格」がメモしています。こういうことに気が移るので本筋から外れるのでしょうか、第3章以降に目が移っていった跡がありません。
『百万人の数学』に関連してこんな一文が目に入りました。
宜しければ一読して下さい、
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsmep/51/9/51_1/_pdf/-char/ja
「kaeruのつぶやき」も根なし草にようにならぬよう、11年前に中座した席に戻り一読二読に臨むべきでしょう。
役立てたことでしょうが・・残念ながら私はその百万人の
中には入れませんでした。
巻頭言 すら理解のできない本は、私には無理です
Mathematica in the Making の歴史的母体は、どんな意味に
おいても数学史への権威的案内ではない、それはただ
あらゆるレベルにおける学習への新たな人間的接近を
もたらそうとする未払いの熱望を意味するだけだ・・
たかがこの一節をとっても、それなりの教養と外国語の
理解力、その背景と日本語の理解力が無いととても
その一説にたどり着けない・・今の私にはそれを読むよりも
今引き受けている相続事案2件の多方面からの検討の方が
難しいが、やりがいがある。それは僅かであるがそこには
結果が伴うからです。
柴垣和三雄さんは素晴らしい数学者でしょうが、私には
雲の上の人でした。
なく手も出そうとして、まごついています。本来教室
で順を追って学んで頭に入ってくるものでしょうが、
それを無謀にも「つぶやき」つつ身につけたい、とい
う妄想にとらわれたようです。
難しいと思ったこと追っかけるのも長生きしたいと頭
に思わせる手かもしれません、もう少し追っかけてみ
ます。時々はコメント出お付き合いお願いします。