kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

古池の蛙。

2014-02-27 22:11:21 | kaeruの「おくのほそ道」

熊 「隠居さんにちょっと聞きてぇことがあるんですがね」

隠居 「飲み過ぎた時、二日酔いを一日で済ませる方法かね」

熊 「いやー、そんな時は鉢巻してでもゲロ吐いてでもでかけますがね。

  そうじゃねえ、もっと高級な話で、このまえこのブログで古池に蛙が飛び

  込んだてぇいう話がでていましたね」

隠居 「あー、芭蕉の俳句かい、意外なことを聞くんだね、熱でもあるんかい」

熊 「いやね、あれから気になってしょうがねぇです」

隠居 「なにが」

熊 「飛び込んだ蛙はどうなったんでしょうかね、隠居さん知ってますか」

隠居 「え!?」

熊 「あんときの話だと、芭蕉という人は蛙を見ていなっかたということで、

 それじゃ芭蕉に聞いても分からない話で、隠居に聞けばわかるんじゃな

 いかと八公が言うんで聞きに来たんですがね」

隠居 「八ちゃんにも聞いたのかい」

熊 「八は、今忙しいから後にしてくれ、って。こういう話は暇な人間じゃなけ

 れば考えね、この辺で一番暇なのは隠居だ、隠居に聞けっていう訳で」

隠居 「そりゃな、人間に余裕があるから暇そうに見えるだけで、これでなか

 なか考えこともあって見かけほど暇じゃない」

熊 「八が言ってました、隠居は多分見かけほど暇じゃない、と言うだろう

 それは人間の器が大きいんで、もともと人間の器には限界というものが

 ない、隠居は人間としても器が無限だ、もう一杯のように見えるが幾らで

 も入れられることのできる人だ、ってなことを言えば隠居は喜んで話相手

 になるよ、そんなことを言ってました、がどうです、話相手になります」

隠居 「なんだい、手の内見せちゃいけないよ。まぁ八ちゃんも悪気があって

 言ってる事じゃないから、話相手になろうじゃないか」

熊 「はぁはぁー、乗ってきたな」

隠居 「なんだと」

熊 「いえね、八がね、こんな話に乗ってくるのは、単なる暇な人間じゃない、

 馬鹿なほど暇な奴だと、隠居、あんたは馬鹿だね」

隠居 「面とむかって馬鹿かと聞かれて、そうですと答えるほど人間が出来

 ている積りはないが、この野郎と怒るほど人間が不出来でもない、その

 ことは不問にしよう」

熊 「布団ですかい、布団にくるんじゃおうというわけで」

隠居 「そのことも不問にしょう、それで何だい、蛙が飛びこんだ後、どうなっ

 たか」

熊 「そーなんですよ、飛び込みましたよね、だから水の音でしょう、見てい

 なくても分かる、問題はその後です」

隠居 「それでいいんじゃないかい、後は静かな雰囲気を感じとっていれば

 いい」

熊 「隠居は自分で俳句かなんかひねっているから、それでいい、とか言って

 いられるけれで、芸のないわしらは頭をひねってしまうんで、頭ひねってみて

 これはこのあともう一句あったんじゃねえかと思ったんですがね」

隠居 「そういえばこういう句があるな、 古池や芭蕉飛びこむ水の音 

 仙和尚という江戸時代の坊さんが詠んだものだが」

熊 「芭蕉さんが飛びこみなっすたか」

隠居 「熊さんが詠むとすれば、 古池や熊が飛びこむ水の音 かな」

熊 「そうじゃねえです、 古池や蛙飛び出す水の音 」


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6 コメント

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現代落語 (屋根裏人です)
2014-02-28 09:50:44
いまどきの 落語に・・・話す落語もいいが
このように 読む落語もまた乙でいいですね
まだ落ちが来ないから 続きますか?
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てんがらもんでおしゃべりして (70歳ー旅の途中)
2014-02-28 10:49:38
聴く落語で、お話しに来てください。
いつかきっと。元気なうちにね。
まってまーす。
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インパクト。 (kaeru)
2014-02-28 19:54:35
 「落ち」としてはもう一つインパクトのない感じで、この先
どう続けようかと思いつつ、熊さんの「俳句」をもって一応
の「落ち」とします。

 近日中に「続 古池の蛙」が演じられるかも知れません。
なにせ蛙話は小生の持ちネタですので。
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効く落語。 (kaeru)
2014-02-28 20:02:05
 元気がでない?
 それなら「効く落語」がいいよ。

 えー一席、まいど馬鹿馬鹿しいお話で……。

 馬鹿という字ににゃ、勝てやせぬ、溶けて流れりゃ
みんな馬鹿、スチャラカチャン。
 
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ギョッ” (70歳ー旅の途中)
2014-02-28 20:32:06
えlなんて言うこと?
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評価。 (kaeru)
2014-02-28 21:51:50
 「賢さ」は往々にして人の評価を当てにします。「馬鹿さ」
にはそういう面が無いのです、すくなくても落語の世界で
の「馬鹿さ加減」の面白さはそういうことと思っています。
 
 実際の世間はそれではすまないから、せめて落語の世
界にそれを求めますが、実際の世界でも「馬鹿さの強み」
を発揮する場をつくりたいものです。
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