熊 「隠居さんにちょっと聞きてぇことがあるんですがね」
隠居 「飲み過ぎた時、二日酔いを一日で済ませる方法かね」
熊 「いやー、そんな時は鉢巻してでもゲロ吐いてでもでかけますがね。
そうじゃねえ、もっと高級な話で、このまえこのブログで古池に蛙が飛び
込んだてぇいう話がでていましたね」
隠居 「あー、芭蕉の俳句かい、意外なことを聞くんだね、熱でもあるんかい」
熊 「いやね、あれから気になってしょうがねぇです」
隠居 「なにが」
熊 「飛び込んだ蛙はどうなったんでしょうかね、隠居さん知ってますか」
隠居 「え!?」
熊 「あんときの話だと、芭蕉という人は蛙を見ていなっかたということで、
それじゃ芭蕉に聞いても分からない話で、隠居に聞けばわかるんじゃな
いかと八公が言うんで聞きに来たんですがね」
隠居 「八ちゃんにも聞いたのかい」
熊 「八は、今忙しいから後にしてくれ、って。こういう話は暇な人間じゃなけ
れば考えね、この辺で一番暇なのは隠居だ、隠居に聞けっていう訳で」
隠居 「そりゃな、人間に余裕があるから暇そうに見えるだけで、これでなか
なか考えこともあって見かけほど暇じゃない」
熊 「八が言ってました、隠居は多分見かけほど暇じゃない、と言うだろう
それは人間の器が大きいんで、もともと人間の器には限界というものが
ない、隠居は人間としても器が無限だ、もう一杯のように見えるが幾らで
も入れられることのできる人だ、ってなことを言えば隠居は喜んで話相手
になるよ、そんなことを言ってました、がどうです、話相手になります」
隠居 「なんだい、手の内見せちゃいけないよ。まぁ八ちゃんも悪気があって
言ってる事じゃないから、話相手になろうじゃないか」
熊 「はぁはぁー、乗ってきたな」
隠居 「なんだと」
熊 「いえね、八がね、こんな話に乗ってくるのは、単なる暇な人間じゃない、
馬鹿なほど暇な奴だと、隠居、あんたは馬鹿だね」
隠居 「面とむかって馬鹿かと聞かれて、そうですと答えるほど人間が出来
ている積りはないが、この野郎と怒るほど人間が不出来でもない、その
ことは不問にしよう」
熊 「布団ですかい、布団にくるんじゃおうというわけで」
隠居 「そのことも不問にしょう、それで何だい、蛙が飛びこんだ後、どうなっ
たか」
熊 「そーなんですよ、飛び込みましたよね、だから水の音でしょう、見てい
なくても分かる、問題はその後です」
隠居 「それでいいんじゃないかい、後は静かな雰囲気を感じとっていれば
いい」
熊 「隠居は自分で俳句かなんかひねっているから、それでいい、とか言って
いられるけれで、芸のないわしらは頭をひねってしまうんで、頭ひねってみて
これはこのあともう一句あったんじゃねえかと思ったんですがね」
隠居 「そういえばこういう句があるな、 古池や芭蕉飛びこむ水の音
仙和尚という江戸時代の坊さんが詠んだものだが」
熊 「芭蕉さんが飛びこみなっすたか」
隠居 「熊さんが詠むとすれば、 古池や熊が飛びこむ水の音 かな」
熊 「そうじゃねえです、 古池や蛙飛び出す水の音 」
にはそういう面が無いのです、すくなくても落語の世界で
の「馬鹿さ加減」の面白さはそういうことと思っています。
実際の世間はそれではすまないから、せめて落語の世
界にそれを求めますが、実際の世界でも「馬鹿さの強み」
を発揮する場をつくりたいものです。
それなら「効く落語」がいいよ。
えー一席、まいど馬鹿馬鹿しいお話で……。
馬鹿という字ににゃ、勝てやせぬ、溶けて流れりゃ
みんな馬鹿、スチャラカチャン。
どう続けようかと思いつつ、熊さんの「俳句」をもって一応
の「落ち」とします。
近日中に「続 古池の蛙」が演じられるかも知れません。
なにせ蛙話は小生の持ちネタですので。
いつかきっと。元気なうちにね。
まってまーす。
このように 読む落語もまた乙でいいですね
まだ落ちが来ないから 続きますか?