鹿児島で受けたエネルギーを昨日は隣の逗子で一部発散させてきたのですが、その時地元葉山で発散と充電を共にする様になるとは予想のしようもありませんでした。
ことのはじまりはこの本です、
この本の入手そのものがまことに偶然でしたので、不思議な思いにとらわれています。昨日その古書店の前を通る時は、句会の会場を探しながら急いでいたので素通りしました。
帰り立ち寄り店頭の一冊500円を二冊買って店に入り、棚を見ると厚い本が目につきました『真珠湾への道』とあります。12月8日の遭遇ということで、お金さえあれば手元に置いておきたい目を通したい本ですが残念と棚に戻して下を見、平台の本の上の雑誌を持ち上げたら『三角兵舎の月』と読めました。仮に鹿児島行きの以前でしたら目にも止まらず気にもしなかったでしょう、三角兵舎が知覧とは結ぶつくとは知りませんでしたから。
現地鹿児島の知覧で写してきた三角兵舎です、
この三角兵舎に兵士ではない当時14歳の少年たちが作業宿舎として寝泊まりした体験記がこの本です。これだけでしたら「やはり鹿児島のエネルギーの流れかな」位で拾い読みで済ませていたでしょう。
ところが、その拾い読みの頁に、
《 私は現在、神奈川県の葉山町に住んでいる〜 》と書かれているのです。奥付の著者紹介を見ましたら確かに葉山町の住所が書かれています。
それだけではなくなお拾い読みを続けていくと、Nさんという短歌をたしなむ婦人その夫が俳句を、と紹介されていました。著者の前橋さんも俳句に造詣が深くNさんが町の広報誌の俳句欄の選者でもあったことから「私の尊敬する俳人」と書かれています。N夫妻はすでに亡くなっていますが、妻の縁で私にとってこの町では数少ない親類の方でした。
地の縁が人の縁に人の縁が地の縁へ、こんな風にして得難い縁が広がっていくものか、縁というものの不思議さに思いを深めています。まだお会いしていない前橋さんですが、年齢が6歳年上、今年亡くなった兄と同年で兄の名前の一文字が同じ、なにやら身近に良き先輩が居ると勝手に思っています。
人生という道が歩いてきた延長線上にあるとはいえ、終盤に入ると何かに背を押されているのか手を引かれているのか自ずから向うのか、それ等のことが一体になって向かう方向が見えてくる、そういう風に思える鹿児島の旅を挟んだ昨日今日であり、明日です。
さて今日の「てんがらもんラジオ」はChidoriさんのこのブログで、
http://blog.goo.ne.jp/chidori-t/e/f1848eda9528e7f98be01b9dfb5974c6
最後になりましたが、kaeruが応募した川柳が準特選になりました、その句と講評を記しておきます、題は「まさか」でした。
【 戦争がまさかと言えぬ昨日今日 カエル
評:現代の不安定な世相を、易しい言葉で詠んでいる。鋭い一句となった。】
抱いた時の重みは命の伝わる重みでし
た。親から子、子から孫へ、最近は孫か
ら曽孫へとも多くなりました。
我が家でもその時は義父も曽孫を抱いた
のです。義父にとって2人目の曽孫でした。
人間社会の最も自然な有り様はこの繋り
がりが安定して続くことでしょう。戦争
はそれを中断させるものです。
時代はその反人間的なものと対決する様
相を帯びてきました。気張らねばと思い
ます。
ああ、この方があの鋭い文章、時にめっぽう優しい文章、なるほどと唸らせる文章を書かれる
kaeruさんか、、、と感激しました!
天声人語を書かれる人みたいだ、、、と前にも言ったし、お会いした時も言いましたね。
この日の文章を読んでもそう思います。
なんと的確なんでしょう。
三角兵舎は私も知覧に行って初めて知りました。哀しみに沈む佇まいでした。
そんな本がkaeruさんに呼びかけたのですね。そういうことがありますよね。向こうからやってくる、、、。椋先生の本とかがそうでした。
私もきょうは古本屋さんに行きました。私の古本屋さんはbookoff。kaeruさんの行かれる古書店とは違いましょう。実家の本を引き取ってもらいました。わずかなお金でしたが片付きました。
自分用には「かえでがおか農場のなかまたち」(アリスとマーテイン・プロベンセン作・絵)
というのを買いました。絵がとても素敵でしたので、、、(600円は売れたお金より高かったですが、、、)今日の縁でした。
明日は娘が赤ちゃんと帰ってきます。
今夜は昼の疲れを忘れて、、下手の長ぶみ、、でした。おやすみなさい。
要素です、これだから生きているのは面白
いといえますね。
コメントブログにも紹介させてもらいます。
ブックにもらったコメントです。
《 人は思わぬつながり方をするものですね。繋がりの力で良い方向に向かいますように。》
会っているって…(何処で)…此処で。
そうなると、見える糸です。
見えない範囲から見える所へ、そして
よく見える場所に。
昔は縁側が近隣者を結んでいました。
縁側のようなブログ縁でお茶飲み話の
ようなコメントのやり取り、そして
仲間となって「あがって行きなさいよ」
と中の間に招く、そんな繋がりでしょう。
りました。あれは布を重ねて縫い合わせ
する、何枚かで厚みをつくります。普通
は一枚と一枚を繋げる広がりをつくりま
す。
厚みでも広がりでもそれを縫う人の思い
が表れています。糸は意図といえるで
しょう。ブログを糸に例えれば針はブロ
ガーの持つ方向性と言えるでしょう。
ワイコマさんの言うフィーリング私が
使った匂いというのがそんな意味を持つ
と思います。
そういう意味では偶然のようでも、未知
の段階から大きな可能性を持っていたと
も思えるのです。
ブログ旅も3回も重ねるとあって当然と
思うのですから。
いた」などと言うセリフは何時の時代で
も通じるものか?
それは前世の存在を前提にしていますし、
前世があるなら来世もあることでしょう
から、今世=此の世で添えぬものならば、
手に手をとってドブーンという話が身に
詰まさせられるわけです。
このドブーン物語に現代人がどれ程心を
寄せるか、それは前世赤い糸話への共感
度を計ることにも通ずるでしょう。
糸は布を縫い合わせに使います、赤い布
と赤い布を合わせる時、目立たぬように
赤い糸、白い布同士を合わせる時赤い糸
で縫えば二枚の布を合わせましたという
意思を示す印になります。
ブログも糸です、目立つか目立たぬかは
布と布、糸の色によりますが縫い合わせ
広がりを生み出しています。
ブログ旅は糸が縫上げた縫いぐるみの一
つといえるでしょう。
kaeruさんに出会ったのも 縁 です
見えない糸の 縁 でしょう
世界はひとつではありませんが・・
偶然とかまさかとは言い難い繋がりに
ひやりとさせられることがありますよね
こんな繋がりがあったとは・・偶然とは
思えませんね
読んでいて不思議を覚えました。
わたしも実のある人生を歩みたいなぁと
思いました。古本屋さんに立ち寄るのも
私も好きです。でも、前の章で書かれていたように ずいぶん古本屋は消えました。
梅田でも見つけたけれど「お高そぉ~」な店でした^^。
三角兵舎の記事貴重でした。感謝。
煙をあげている姿でした。この旅の間、
噴煙は一度も見られなかった、 ましてや
降灰もありませんでした。
最初知らない私はあがる水蒸気を噴煙?
かな、と。自分の知識の範囲で 物事を判
断するのが当たり前ですが、それが正確
でないのも当たり前です。
それは自分を自分で判断する場合も言え
と思うのです、自分のことは自分が一番
分かるともいいますが、どうしてどうし
て自分というものは難物です。
桜島が静かが時は次の活動へ向けて準備
をしている時なんですと案内板の説明の
通り、自分を何やら分からないごちゃご
ちゃしたマグマを抱えている時は、次の
活動期に向けてエネルギーを溜めている
時なんです。
今回桜島を360度見て、全体像が見えた、
勿論まことに隙間的な全体像ですが、や
はり物事を判断する前提は最小限でも表
だけでなく裏も見ることでしょう。
12年間の公の任務はかなり生活の中での
比重が大きかったでしょう。その重みが
取れるのですから生活の中での変化も大
きい筈です。
当然ゆるむ部分が出てきます、それは次
のバネになる部分です。
「落ち込むだけ落ち込みなさい」と陽子さんに言われて、まだ底をついてないのだと気が付き、表向きには解決策を見つけて解散でした。後しばらく時間がかかりそうです。
こんなたわごとを、次々と前に進んでいるカエルさんの部屋でつぶやく私の無神経さにもあきれますが、とってつけた言葉はむなしいのでお許しください。
それにしてもすごいですね。勉強したい意欲が次々に・・のカエルさん、とても80歳に手が届きそうには見えません。
私は今はいっぱいいっぱいで何も新しいものが入ってこない疲れ果てた脳みそです。心と体が疲れているからだと昨日言われました。
今日も回復に努めます。