これはご覧の通り俳人・西東三鬼が書かれたものす。
紙面の写真は俳人・山口誓子です。これは奥付に昭和33年5月30日発行とある『現代俳句文学全集 山口誓子集』の月報のある頁です。
題になっている「魚を釣つてはゐられない」は次の頁にあるのでその部分を、
《 天狼創刊と時を同じくして、私(三鬼)は神戸を去って明石の先の別府という海村に居を定め、いわゆる専門俳人になったのだが、先生(誓子)と反対に、俳句の束縛の息苦しさに音を上げて、1日のうち、少なくとも二三時間は、俳句を忘れて過ごしたいと考え、名案として魚釣りを始めた。 〜
俳句のデェモンから時間を限って逃れるには釣りに如くはない。これだこれだといふわけで、私は早速家をとび出し、電車を乗換へ乗換へて伊勢湾に到り、先生もあまり根をつめては療養の実があがりませんから、今日只今、釣竿など買い求められて、伊勢湾の魚を釣って空白の時間を得られては如何ですーーーと、こちらは名案と思い込んでいるから得々として忠義づらで進言すると、先生即座に答えて曰く、
「その空白の時間に、生涯の絶唱が通り過ぎたらどうしましょう?」
この一言を聞くや否や、小生忽ち冷汗淋漓、雲を霞と遁走したのである。
まことに俳句は生命の一瞬一瞬のすがたを十七文字で定着するものであるから、俳句をある時間忘れようと努める俳人は、その時間中死んでいることになる。》
kaeruの12月の俳句は8句出して採られたのは2句、先月の半分でした。その場で詠む漢字一字詠みこみ句3句を別にすれば五句中四句は鎌倉駅から会場までの間に頭に浮かんだもの。そんな姿勢で良い句が出来るものではない、ということでした。
あの旅先でちらっと見ただけだから
ブログの凄さも知らずにいたわ
かえってくる言葉の一つひとつを
私はヒョイとつまみ上げ じっくり眺め
口へと運ぶが・・・これがなかなか
噛もうとすればスルリと逃げ出す
取り押さえて再び口の中・・・またもや
逃げるの繰り返しだった。
老いてからの読書は難儀なれども
ここで修行すればなんとやら~だといいな。 そんな気がしているのです。
やっぱりこれってご縁でしょうね。
ありがたいと思えて頑張ろうという気になりました。
chidoriさんの人脈の凄さに感謝ですね。
味覚は奥さんの管理下にあり、薄味に慣
らされています。そのうち犬のよだれで
はないが、この味でなければ美味しくな
いなどというようになるでしょう。
臭覚には少しは自信があったのでしたが、
鼻づまり金詰まりの続くなかですっかり
自信を失っています。
触覚、これはまぁまぁだと思っていまし
たが最近500円だと思って摘まみ出した
ら10円玉でした。
残るのは視覚、子供の頃近眼で眼鏡でし
たが年寄りになって老眼になるのが遅い
のでしょう。新聞も眼鏡なし、本はもち
ろんです、この頼るべき感覚に依存した
生活を送ることにしてます。
読書はその最大の恩恵です、いまのうち
に読めるものは読んでおきます。
読めなくなる日もそう遠くないでしょう。
いつしか うふふと笑みがこぼれた。
想像がふわぁ~りと膨らんできて
caeruさんの姿が見えてきましたよ。
たのしぃ~。でも今から明日の授業の予習しなきゃ・・・ハングルってむつかしいのだぁ
それでもあきらめないから私はすごいでしょ(笑)