今夜のタイトルは昨夜の続きで、巴御前を演じた秋元才加さんのこの言葉を受けています、
是非この「特集 ムービー」を見て下さい。
さて、その巴御前の関係している場所が横須賀市内に2ヶ所あるのです。
その一つ、市内岩戸の石塔。
このニュースの終わりの一節。
『横須賀雑考』(昭和四十三年八月、横須賀文化協会発行)の中に「ともえ御前の遺跡」と題した文があり、次のようにあります。
「(前略)晩年になり、ともえは侍女の山吹とともに尼になって諸国を巡り歩いて後、三浦氏にゆかりの大矢部の里にたどりつき深谷の円通寺のほとりに草庵を結んで亡父をはじめ木曽や和田一門の冥福を祈って朝な夕な勤行をはげんでいた。時々は近郷近在に托鉢して浄財を集め、それで和田氏九十三騎の墓を建てたということである。(中略)ともえの墓と伝える五輪塔が二ヵ所にある。一つは市内岩戸の満願寺の東の方の小高い所にあり、傍らに侍女の墓と伝えるものと二基がある。他は森崎団地の森崎から登り口の左側にあり、里人たちは、これを『大仏』と呼んで、巴御前の塚だと伝えている。」とあります。
巴御前が和田義盛の妻だったのですから、和田の郷に関係した跡があって不思議ではないのですが、場所が飛んで我が故郷・長野県上田市に石塔ではなく「お歯黒池」が残っていました。
木曽義仲と共に各地で奮戦していた巴御前ですから、信州上田にその跡があって当たり前なのでしょう、でもこれ、初めて知りました。三浦半島にも上田市にも跡があるとなると、巴御前は歴史上の女傑にとどまらず、僅か800年前に過ぎないそれで現在のあの人この人と思えるご婦人に繋がるように思えてきました。
数百年経っても??数千年経っても変わらない・・
という事は、何も今更改めてジェンダーに拘ることも
無いのでは・・という疑問すら感じますが、世界には
男でしか出来ない事、女でしか出来ない事、強い弱い
右とか左とか上とか下とかあることも事実、知識のない
子供たちに、その微妙な社会の仕組みを教えることも
理解させることも難しい、いじめ問題もその根源は
愛の延長とか場面によって千差万別、人類永遠の課題
でしょう。
私の近くにでは木曽川の上流に「巴淵」という川の
一部分がありますが・・巴御前のゆかりと聞いています
歴史は ロマン ですね~
だと言えるでしょう。あり得ないようなことでもあり
得ることとして描き、描いたことであり得ると思い、
動きだす、そして実現してしまう。
ジェンダーの底流にはそんな歴史の積み重ねが、この
時代だからこそ、という感じがエネルギーになってい
ると受け止めています。