一昨日は92歳の御婦人から声がかかって友人宅で食事会を、ということでした。買い物の荷物持ちを兼ねて同行して来ました。
夕方6時半ごろから、気付いたら11時をまわっていました。主に食べ飲むに集中してその合間におしゃべりという按配で、幾ら時間があっても足りないという感じでした。
私以外の3人の御婦人は各々一人暮らしで、92歳、85歳、それに若い御婦人と言っても70歳は越しています。まず感心するのは食欲の旺盛なこと、これはこの場に限ったことではありません。80歳を大きく越している御婦人たちと食事をする機会がある度に、その事に感心させられています。
夜の11時過ぎの帰り道、92歳の歩き方を見て気づいたことですが、行きの歩きよりしっかりしているように感じるのです。杖を2本スキーのストックのように持ち進む足どりは、未だ明かるい道を歩いていた時よりもしっかりとした歩行です。
考えるに、自分が関わり合ってきたことへの関心事を遠慮なく話し合える仲間との会食の時間が心身を活気づけるのでしょう。そういう機会をつくるとなると、夕方から動き出してその日のうちに帰宅するなど、身体のこともあってごく限られた範囲の動きになります。
同じ仲間のなかには身体に不自由から、施設入りを考えている人もいます。施設入り後も地域での仲間との交流が持てるような工夫が出来ないものか、己の問題でもあるので検討してみなければと思います。
さて、昨夜は帰宅したのは前日よりはかなり早かったし何より「町づくり」特にマンションなど大型建築物建設への規制についての打合せ会議でしたので当然飲食無し。地域住民を主体とした町づくりをどう進めて行くべきか、特にこの町の住民として暮らしてきた高齢者にとって住み易い地域をの期待にどう応えていくか、一昨夜の思いも含めて考えねばと思います。その意味でもこの資料は手掛かりになるものです、
内容については今後に、なります。
ということは言われるように昼と夜、それも明かりの
状態の関わりも含めて考えねばならないというこちで
すね。同時に自分と相手の関わりの内面もまた考慮の
なかに入れておかなければ、とも思います。
それらを含めて地域での自分と仲間の生活の方向の同
時性をつくって行ければと思います。
ように感じますが、夜の視野の狭い時に同じ速さ
で歩いている物は・・早く感じます。
夕方、我が家の前をのんびり家に帰る人・・
急ぎ足で帰る人・・それぞれ、せかせかと生きて
生きても一生、のんびりマイペースで生きても一生
自分の思うような生き方は‥出来ないのが、人生と・・
思います。