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古今最軽量横綱力士、大正期の東京
大相撲で君臨した栃木山守也(後春日野
剛史取締)は、平幕3・小結1・関脇1・
大関2場所で横綱を免許されている。
その関脇のとき八日目から…新横綱の
七日目まで30連勝━1預りを挟む━
その預り相撲が所謂「陰星」と称して、
実質的には白星なる説もある。しかし、
公式記録は「預り」で星取表には「△」印
が記入されている。
その連勝を阻止したのが、大関8場所め
のⅡ朝潮だった。問題は、その決り手が
昭和55講談社刊『国技大相撲の100傑』や
同61読売新聞社刊『古今横綱大事典』━両
資料の星取表では「はたきこみ」とあり、
当時の『國民新聞』の相撲記事だって同様。
ところが、昭和50四季書館刊『國技遺芳』
明治・大正相撲名勝負画集━では「うっちゃり
打棄り」となっている。
打棄りと叩込みとでは全然別の決り方だ。
大相撲で君臨した栃木山守也(後春日野
剛史取締)は、平幕3・小結1・関脇1・
大関2場所で横綱を免許されている。
その関脇のとき八日目から…新横綱の
七日目まで30連勝━1預りを挟む━
その預り相撲が所謂「陰星」と称して、
実質的には白星なる説もある。しかし、
公式記録は「預り」で星取表には「△」印
が記入されている。
その連勝を阻止したのが、大関8場所め
のⅡ朝潮だった。問題は、その決り手が
昭和55講談社刊『国技大相撲の100傑』や
同61読売新聞社刊『古今横綱大事典』━両
資料の星取表では「はたきこみ」とあり、
当時の『國民新聞』の相撲記事だって同様。
ところが、昭和50四季書館刊『國技遺芳』
明治・大正相撲名勝負画集━では「うっちゃり
打棄り」となっている。
打棄りと叩込みとでは全然別の決り方だ。
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