彦山光三が昭和三十八年に発表し
た「相撲技百七十五手絵とき」に採
りあげられてない“珍手”を発見〔❔〕
した。
113年前の明治四十四年春場所五日
目の西大関〇太刀山━東前頭二枚目
●八嶋山の決り手は「つきとばし」で
漢字表記ならば「突き飛ばし」である。
当初、「つきはなし」の誤謬かと思い
きや、複数の資料で「…とばし」と記
載されている。
昭和五五年、講談社刊『国技大相撲の
100傑』収載星取表。その6年後に出た
読売新聞社刊『古今横綱大事典』収載星
取表もまったく同様だった。
尚、彦山翁は大砲から栃ノ海までの
〔大阪系を除く〕横綱力士の手数入(でず
いり)をみてきた━と、書いているが、
太刀山の本場所における相撲は殆んど
みていなかったんじゃぁなかろうか。
た「相撲技百七十五手絵とき」に採
りあげられてない“珍手”を発見〔❔〕
した。
113年前の明治四十四年春場所五日
目の西大関〇太刀山━東前頭二枚目
●八嶋山の決り手は「つきとばし」で
漢字表記ならば「突き飛ばし」である。
当初、「つきはなし」の誤謬かと思い
きや、複数の資料で「…とばし」と記
載されている。
昭和五五年、講談社刊『国技大相撲の
100傑』収載星取表。その6年後に出た
読売新聞社刊『古今横綱大事典』収載星
取表もまったく同様だった。
尚、彦山翁は大砲から栃ノ海までの
〔大阪系を除く〕横綱力士の手数入(でず
いり)をみてきた━と、書いているが、
太刀山の本場所における相撲は殆んど
みていなかったんじゃぁなかろうか。