相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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忽然と消えた南海鯱之助

2017-06-12 21:08:02 | 日記
 あまり信頼のできる資料じゃぁないが、
『江戸時代 相撲名鑑』に拠れば、「南海」
と名乗った力士は往時2人しかいない。

 「紀州」頭書の南海鯱之助は、幕下の
“一桁”の地位がたったの4場所だった。
 天保六(1835)年春を最後に突如江戸の
土俵から姿を消してしまった。
 勝手に想像すれば、病気がちで、現役急逝
と思える。
 幕下附出しとされているが、誰かの“改名”
かも知れないのである。現代とちがって、番附
に必ずしも「何某改…」と記載しない場合も。

 もう1人は、「京都伏見」の…伊三郎で、
こちらは京阪相撲に終始して、江戸の土俵へ
上らなかったらしい。幕末の力士だった。
 だから、当方の調査・研究対象外なのだ。

 入幕できなかった力士のなかで、幕内取組に
登場回数が最も多かったのは誰なのか。
 機会があれば調べてみたい…。
明治中期以降は比較的少ないと思っている。
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全敗が消えた星 その236

2017-06-12 13:26:27 | 日記
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 昭和三十八年正月場所、初日から六
日目までの星取表を真っ黒に塗り潰し
たのは、地味な中堅力士の岡ノ山。
 翌七日目、初白星を得て連敗脱出━
幕内全敗が消えている。
 その醜名は、出身県の岡山のあいだに
「ノ」を入れた単純なもの。でも、最近の
2字音の本姓その侭なやつより、ずっと
プロの力士らしい。

 彼の初土俵は昭和三十年…。だから
全力士参加型の「大合併」のみならず、
所属の「時津風組合」巡業で新弟子時分
は鍛えられたであろう…。
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