神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

矢神神社(茨城県鉾田市)

2023-09-09 23:33:51 | 神社
矢神神社(やがみじんじゃ)。
場所:茨城県鉾田市箕輪3139。宿泊施設「いこいの村 涸沼」入口付近から茨城県道16号線(大洗友部線)を東へ約600mで右折(南へ)、道なりに約400m。交差点の東南の角。駐車場なし。
社伝によれば、日本武尊が東征の折、現・鹿嶋市角折から船に乗り、同・上釜付近に上陸した。そこから涸沼南岸の当地に至り、小憩した後、石弩を残していった。貞観元年(859年)、村人がその石弩を奉じて祠を立てたのを創祀とするという。旧村社。祭神は日本武尊。
日本武尊の東征ルートは「古事記」と「日本書紀」で異なっているが、「日本書紀」の記述によれば、上総(現・千葉県中部)から陸奥国(現・東北地方東部)に入った。そのとき、船に乗って、海路で向かったとされているので、現・香取市辺りから鹿島灘(太平洋)、あるいは北浦沿岸を北上したと考えられる。もちろん、日本武尊の実在性を疑問視する説もあるが、少なくとも、ヤマト政権軍が常陸国を通過して東北地方に進攻したということなのだろう。ということで、鹿行地域に日本武尊所縁という神社がいくつかあって、当神社もその一つとなっている。因みに、「常陸国風土記」香島郡の条に、「角折浜」という地名が出てくる。「昔、大蛇がいて、東の海(太平洋)に出たいと思い、浜を掘って穴を作ったが、角が折れてしまった。よって、その名をつけた。あるいは、別伝では、倭武天皇(日本武尊)がこの浜で宿泊することになったが、食事を差し上げるときに水が無かった。そこで、鹿の角で地面を掘り返したところ、角が折れてしまった。このことから名付けられたという。」(現代語訳)との記述があり、現・鹿嶋市角折が遺称地とされている。
蛇足:「石弩」(せきど、いしゆみ)は、西洋流にいえばクロスボウ(ボウガン)の類で、土台の上に弓を載せて弦を強く引けるようにして威力を増した武器を指し、中国では戦国時代(紀元前5世紀~紀元前221年)には既に使われていたらしい。古代日本でも使われており、律令制下の軍団に「弩手」という兵士がいたとされている。


写真1:「矢神神社」鳥居と社号標


写真2:拝殿


写真3:本殿(覆屋)


写真4:「昇格記念之碑」石碑(手前)。この碑に当神社創建の由緒が記されている。
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