高浜神社(たかはまじんじゃ)。
場所:茨城県石岡市高浜865。茨城県道118号線(石岡田伏土浦線)「高浜中央三叉路」交差点の直ぐ西側。コンビニ「セブンイレブン石岡高浜」店の裏側(西側)。駐車スペース有り。
当神社の創建時期は不明だが、伝承によれば、国司が国内の官社を巡拝するにあたり、常陸国一宮「鹿島神宮」(2017年10月7日記事)に向かうには広大な内海であった霞ケ浦を渡って行ったが、海が荒れると渡れないので、国府の外港であった「高浜」にススキ、マコモ、ヨシ等の青草で仮殿(「青屋」と称する。)を造り、「鹿島神宮」を遥拝した。この「青屋」(遥拝所)の場所に後世、神殿が建てられたものが当神社とされる。平安時代末期になると、国内の有力神社を合祀して巡拝を省略することが一般に行われるようになり、常陸国にも「總社神社(常陸国総社宮)」(2018年1月13日記事)が創建された。従って、「青屋」が造られたのは律令制となってから比較的早い時期の可能性があり、社殿が建立されたのは平安時代末期頃かもしれない。なお、「常陸国風土記」にも「高浜」に関する記事があり、四六駢儷体という美文で景勝地であることを強調しているが、当神社のことは言及されていない。現在の祭神は武甕槌尊(「鹿島神宮」と同じ。)。
因みに、当神社の鍵を預かる「カギ元」は代々山口太郎左衛門氏が務めてきたとされ、そこから当神社を別名「太郎明神」とも称したという。そのため、地元の人々は子供が生まれても「太郎」という名前は遠慮して付けなかったという。
石岡市のHPから(高浜神社)
写真1:「高浜神社」境内入口
写真2:拝殿。立派な萱葺。当然、「青屋」を意識してのことだろう。
写真3:境内の池。中に石祠がある(祭神不明)。
写真4:本殿
写真5:社殿を背後から見る。社殿後ろ側にも立派な鳥居がある(コンビニ側につながっているせいか、中学生?数人が屯していたので写真撮影は遠慮した。)。
場所:茨城県石岡市高浜865。茨城県道118号線(石岡田伏土浦線)「高浜中央三叉路」交差点の直ぐ西側。コンビニ「セブンイレブン石岡高浜」店の裏側(西側)。駐車スペース有り。
当神社の創建時期は不明だが、伝承によれば、国司が国内の官社を巡拝するにあたり、常陸国一宮「鹿島神宮」(2017年10月7日記事)に向かうには広大な内海であった霞ケ浦を渡って行ったが、海が荒れると渡れないので、国府の外港であった「高浜」にススキ、マコモ、ヨシ等の青草で仮殿(「青屋」と称する。)を造り、「鹿島神宮」を遥拝した。この「青屋」(遥拝所)の場所に後世、神殿が建てられたものが当神社とされる。平安時代末期になると、国内の有力神社を合祀して巡拝を省略することが一般に行われるようになり、常陸国にも「總社神社(常陸国総社宮)」(2018年1月13日記事)が創建された。従って、「青屋」が造られたのは律令制となってから比較的早い時期の可能性があり、社殿が建立されたのは平安時代末期頃かもしれない。なお、「常陸国風土記」にも「高浜」に関する記事があり、四六駢儷体という美文で景勝地であることを強調しているが、当神社のことは言及されていない。現在の祭神は武甕槌尊(「鹿島神宮」と同じ。)。
因みに、当神社の鍵を預かる「カギ元」は代々山口太郎左衛門氏が務めてきたとされ、そこから当神社を別名「太郎明神」とも称したという。そのため、地元の人々は子供が生まれても「太郎」という名前は遠慮して付けなかったという。
石岡市のHPから(高浜神社)
写真1:「高浜神社」境内入口
写真2:拝殿。立派な萱葺。当然、「青屋」を意識してのことだろう。
写真3:境内の池。中に石祠がある(祭神不明)。
写真4:本殿
写真5:社殿を背後から見る。社殿後ろ側にも立派な鳥居がある(コンビニ側につながっているせいか、中学生?数人が屯していたので写真撮影は遠慮した。)。
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