神が宿るところ

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倭文神社(駿河国式内社・その3)

2010-08-27 22:38:41 | 神社
倭文神社(しどりじんじゃ)。祭神:天羽雷命。
場所:静岡県富士宮市星山1。私立星陵高校の西、約500m。実質的には「大悟庵」(住所:富士宮市星山9)という曹洞宗寺院の境内にある。駐車場は多分「大悟庵」のものと思われる。
当神社の創建時期は不明。しかし、「倭文神社」という名の神社は全国にあり、式内社だけでも10社ある。大和国の式内社「葛木倭文坐天羽雷命神社」を根本として、他にも「倭神社」が2社、「静神社」も同系とされる(以上、合計14社)。このうち、伯耆国の「倭文神社」2社は同国の一宮と三宮で、常陸国の「静神社」は同じく二宮とされている。「倭文」というのは、倭(やまと)の文(あや:織物)であって、中国渡来の絹織物に対して、楮などの植物から作られた織物のことらしい。そして、この織物を生産する集団(倭文部)が祀ったのが「倭文神社」に共通する祖神、天羽雷命(タケハツチ。建葉槌命などとも書く。)であるという。
さて、当神社はかつて星山明神などとも呼ばれ、もとは星山(または明星山)山上に祀られていたという(写真のとおり、今も本殿は無く、かつて神体山か磐座を祀るという古い祭祀形態を残しているのではないか思われる。)が、後世著しく衰微したという。一方、「大悟庵」という寺は、かつて七堂伽藍を有した大寺であったようで、どうやら、寺の鎮守として境内に勧請したのではないかともいわれる。このため、今は寺の本堂と観音堂の間に挟まれて鎮座する形になっている。これを指して、「特選神名牒」では「式内の社の仏徒の為に狭められてかく成ぬる事いともうれたく悲しき事になむ」とするが、寺が鎮守として境内に勧請していなかったら、あるいは、「倭文神社」という由緒ある名の神社が消えていたかもしれない。
なお、当神社の祭祀は、中世末期以降、「富士山本宮浅間大社」の社人によって行われてきたとされ、明治10年(1877年)には「富知神社」等とともに「浅間大社」の境外摂社とされた(現在は独立。)。


「富士おさんぽ散歩」さんのブログから(星山 倭文神社):http://iiduna.blog49.fc2.com/blog-entry-273.html

同(明星山 大悟庵):http://iiduna.blog49.fc2.com/blog-entry-272.html


写真1:「倭文神社」正面


写真2:現在も本殿は無い。


写真3:本殿の代わりに玉石が敷き詰められ、榊が植えられている。
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