宗像神社(むなかたじんじゃ)。
場所:静岡市清水区興津中町554。国道1号線の「興津中町」交差点の南西、約150mのところに参道入口がある。駐車場あり。
古代東海道「息津」駅家の遺称地「興津」に、その「おきつ」という名の由来となったとされる神社がある。それが、「宗像神社」で、第13代成務天皇2年(132年)に筑前国の式内社(名神大)「宗像大社」(現・福岡県宗像市)から勧請されたという。一説によれば、宗像の神は、「八木」に乗ってやってきた。興津川の少し上流に「八木間」という集落があるが、最初はそこに流れ着いたので、その地名がついたとされる。「八木」とは何かは不明だが、米のことかもかもしれないという。
「宗像大社」は、沖ノ島の沖津宮に田心姫神(タキリビメ)、筑前大島の中津宮に湍津姫神(タギツヒメ)、宗像市田島の辺津宮に市杵島姫神(イチキシマヒメ)を祀り、その3社の総称をいう。海上交通の神として信仰され、興津でも海上安全・漁民の守り神として勧請されたものと思われる。この宗像3女神のうち、田心姫神を沖津姫神とも呼び、その名の「おきつ」を採って地名としたとされる。なお、宗像3女神は、神仏混淆により水の神である弁才天と習合した。興津「宗像神社」でも、通称は「弁天様」であり、神社の森を「女体の森」といっている。境内にはいまでも立派なクスノキなどがあるが、かつては立派なクロマツがあり、海上の漁民からの目印になっていたという。
「宗像神社」は一般に海上交通の神だが、当神社の付近に古代から(流石に社伝の創建年代は古すぎるとしても)鎮座していたとすれば、「息津」駅家の守り神として勧請されたのかもしれない。
写真1:「宗像神社」参道入口。社号標に「女体の森 宗像神社」とある。
写真2:境内入口の鳥居。傍らのクスノキの枝が竜のように伸びている。
写真3:社殿
場所:静岡市清水区興津中町554。国道1号線の「興津中町」交差点の南西、約150mのところに参道入口がある。駐車場あり。
古代東海道「息津」駅家の遺称地「興津」に、その「おきつ」という名の由来となったとされる神社がある。それが、「宗像神社」で、第13代成務天皇2年(132年)に筑前国の式内社(名神大)「宗像大社」(現・福岡県宗像市)から勧請されたという。一説によれば、宗像の神は、「八木」に乗ってやってきた。興津川の少し上流に「八木間」という集落があるが、最初はそこに流れ着いたので、その地名がついたとされる。「八木」とは何かは不明だが、米のことかもかもしれないという。
「宗像大社」は、沖ノ島の沖津宮に田心姫神(タキリビメ)、筑前大島の中津宮に湍津姫神(タギツヒメ)、宗像市田島の辺津宮に市杵島姫神(イチキシマヒメ)を祀り、その3社の総称をいう。海上交通の神として信仰され、興津でも海上安全・漁民の守り神として勧請されたものと思われる。この宗像3女神のうち、田心姫神を沖津姫神とも呼び、その名の「おきつ」を採って地名としたとされる。なお、宗像3女神は、神仏混淆により水の神である弁才天と習合した。興津「宗像神社」でも、通称は「弁天様」であり、神社の森を「女体の森」といっている。境内にはいまでも立派なクスノキなどがあるが、かつては立派なクロマツがあり、海上の漁民からの目印になっていたという。
「宗像神社」は一般に海上交通の神だが、当神社の付近に古代から(流石に社伝の創建年代は古すぎるとしても)鎮座していたとすれば、「息津」駅家の守り神として勧請されたのかもしれない。
写真1:「宗像神社」参道入口。社号標に「女体の森 宗像神社」とある。
写真2:境内入口の鳥居。傍らのクスノキの枝が竜のように伸びている。
写真3:社殿