Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

石鹸箱

2016-01-17 14:13:27 | 日記

 最近気になったのがこの石鹸箱です。

昔の旅行用の携帯だと思う石鹸箱です。携帯だけに小さな物。5㎝×3㎝ほどの、昔懐かしい小さな固形石鹸を収める箱です。材質は響きも懐かしいセルロイド製のようです。

何時頃から家にあったのか、かなり幼いころから目にしていたものでした。色合いも多色の淡いブルー、グレー、ピンク、ホワイトが混ざり合った、品の良いデザインとなっていました。昔から目にすると心地よい嗜好というものを感じたものです。

思い出としては、父が旅行や温泉などに行く時に、風呂用セットとしてけ携帯袋に入れていた記憶があります。時代と共に台所の隅のお風呂用道具、洗面器などに、置き忘れられたように収まっていたものです。銭湯用の石鹸箱も大きくなりましたから。

無造作に置かれていたというよりも、可愛らしくそこに貝のような光沢を放ち載せられていた、螺鈿作りのようにさえ思えるような小箱でした。

私は久しくその姿を見ていなかったので、全くこの小箱の事は忘れていた、頭の片隅にさえついぞ浮かんだことがなかった数十年でした。

それが、まだあったのだと、思いがけず手にしたのが2、3日前の事でした。

新しくなった家でありながら、やはり洗面所の片づけをした時に、用具としてのその置き場にあったものでした。

変わらぬ柔らかな美しい色合いに改めて魅せられて、汚れを落として再び洗面具の中に戻そうと洗い場へ、片付け物の多さに後から洗い上げようと水に浸しておきました。

さて、片付けが済んで他にもいくつか汚れを落とそうと浸して置いた品を洗い始めて、よくよく小箱を見てみると、角が磨れたように壊れていました。壊れた個所はもろく擦り切れたようなぽろぽろとした柔らかさ、薄さとなっていました。崩れた中心はぽかりと小穴が開き、石鹸を収める用をなさないものとなっていました。

「美しい箱だったのに」

寂しく思ったものです。愛着のある品との別れ、思い切りよく綺麗に洗い上げた小箱は不燃物の袋に、ナイロン袋や、ポリ袋、容器などの重ねてある上にポンと置き捨てられて、それでも私は未練なく不燃物の袋をそのままにしておきました。次の日には母が袋の口を閉めて、まさに捨てる準備が整った形の袋になっていました。

ふと、母は何も思わなかったのかな?気付かなかったのかしら?と思いました。ゴミの袋類の上に、ちょこんと載せられた小箱、箱と蓋に分けて並べてふっさりと置かれていたのが目についたであろうと、閉じられた不燃物の袋に母の心情を思いやったりしました。

その後母も私も何も言わないので、母の心情を推し量ることはできないのですが、多分私以上に見慣れてきたであろう母の、この石鹸箱への愛着の度合いについては、母とこの石鹸箱について話した記憶がない私には推量以前に無縁な物と感じるのです。

私にとって石鹸箱と結びつくのは父。捨てられずに、壊れて汚れた小箱を、無造作なように汚れた茶碗の中に、溜まり水の中蓋と身を分けて忘れられたように取ってあった、その姿を見つけた時私は、父のその石鹸箱に対する愛着を思ったものでした。

とても気に入って好きな小物であったのだろう、まだこの色合いを見ていたかったのだろうと。

そして、片付け整理をしていた私は、家から去った父と同様に、嗜好品から本来の道具としての用を成さなくなった品を、家から葬り去るという判断に躊躇は起こさなかった、起きなかったものでした。

 

 

 


成人式も過ぎて

2016-01-15 11:11:50 | 日記

 昔なら今日が成人式の日だったのですが、そんなことを思い浮かべる人も少なくなってきたことでしょう。

先日の事、母が姪の成人式はいつだったろう?今年かしら、などというので。長女の姪の方ではない名前を言うので、

もう一度名前を聞きなおしたところ、やはり次女の方でした。

そちらはまだ中学生という事で、まだまだ先でしょというと、そうだったかねぇという返事、ぼけているのか、ふざけているのか、長女の姪の名前と言い違い、きまり悪さにわざとぼけたふりをしているようにも思ったものでした。

 長女の方の姪は、昨年成人式でした。ちゃんと着物姿を見せに来てくれたものです。母にすると嬉しかったに違いないのに、忘れるはずがないという事は、次女の姪にも晴れ着をと考えて成人式の季節を感じていたのでしょう。

さすがに、2番目、3番目、と過ぎるにつれて思い入れは疎くなっていくのですが、母にすると、2番目が疎いのはもちろんなのですが、を通り越して、3番目に思い入れが深くなっているようです。

2番目はというと、父が存命ならきっと気にかけて、あと何年で成人式、スーツを作ってやらなくてはと口にしていた新年だったことでしょう。

 さて、私はというと、近年は甥についてあまり構わないで欲しいといわれているので、なるべくプレゼントなど控えていました。姪については特に何も言われていないので、適宜、臨機応変に、気が向いたらでよいのかなと思うのですが、現在は仕事に忙しくて、さっぱり気が向かないというのが事実です。

 それでも、今年の年間計画を立てると、それなりに親戚付き合いもある年かなと、早め早めの対応を心掛けてはいるのでした。


新年会

2016-01-13 15:38:58 | 日記

 今日は仕事の新年会のような感じで、顔合わせ、お食事、雑談などしてきました。

私は2度目になりますが、聞き役に徹した方がよいかなという感じでいました。

けれど、静まり返る座に少々発言したり、この仕事はまだまだかなという自分を思いながら聞き役でいたり。

やはり人付き合いはまだまだかな、人というよりも、大人慣れしていない自分を自覚したりするのでした。

 例えば、頼まれたことは嫌でも引き受けてしまう、人のためだと思うと善意で引き受けてしまう。

それで、一歩引いて、なるべく事は起こさないようにと思うのでした。

あまり何でもしたくないというと消極的で、マイナスイメージに思った若い頃。それで何でも参加型でいた物ですが、

人から重宝がられても、いざ自分が何か困った時に無理しても、結果がうまくないと文句や苦情の矛先になってしまう、

そんな経験から、何でも引き受けないのが自分のためと思う近年です。

 人慣れしたようで、やはり大人の付き合いというところまではいかないので、交際べただなと思うのです。

嫌な事は嫌といえるようになったのは、成長したかなと思うので、こんな点は幼いようで大人になったかなと思うのですが、

一般的な常識から考えると結構矛盾した考え方だなと思います。世慣れるというのはそういう物かもしれません。

倫理的な常識と反する世渡りの術。まだまだな私が、このくらいは分かってきたつもりです。

 さて、何を書こうと思って書き始めたのか、ここまで来て忘れてしまいました。新年会、顔合わせ、これから何を発想したのか。思いだしたら続きを書くかもしれません。今日は疲れたので、ここまでです。

 

 

 


お餅

2016-01-03 22:38:52 | 日記

近年思う事です。

お餅を食べながら、これは美味しいと感じるお餅があって、最近のお餅は美味しくなったと思っていたのですが、

今年別のお餅を買うと、さながら昔ながらの味わいでした。

それで、この2種類のお餅を比べてみました。

1つはもっちりとしてふっくら感のあるお餅。一方はさっぱり感があり、もちっとはしているものの水っぽさを感じるお餅。

好みの問題なのでしょうが、前者の方が好きな私です。

後者は、よく言えば都会的、前者は古風な和調です。スレンダーと馥郁な乙女、管楽器と弦楽器、オルガンとパイプオルガン

…例えが悪いのかもしれませんが、同じ種類のものでもこの違い、と思うのです。

何でも名前を出すと店先から無くなってしまうのが世の常というものでしょうか。

この事も近年思い知りました。買えなくなって困っています。

まだ暫く味わいたいこのお餅、この話は友人知人には決してしません。

そう、お正月の時期にだけ、一人楽しみに買ってきて味わう、そんな楽しみを満喫しているここ数年です。

 付け回さないでね


謹賀新年

2016-01-02 13:55:49 | 日記

昨年はお世話になりましてありがとうございました。

今年もよろしくお願いいたします。

 

皆さんは初夢を見ましたか。

一富士二鷹三茄子

見たいですねこの3個。人生に1回は見てみたいと思うのですが、いまだに見た覚えがありません。

私の昨晩の夢も、何か見たかもしれませんが覚えなしです。

ただ、可もなく不可もなくそれなりの夢であったような気がします。

初夢でうなされるというような経験がないのは、とても良いことなのかもしれません。