Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

今日は寒い

2013-02-16 18:01:37 | 日記・エッセイ・コラム
 今日はとても寒いです。
名のみの春さながら、雪もちらついて、室内に居ても冷え込みを感じます。
昨日の事、仕事帰りに傘がなくなっていることに気付きました。誰かが急いでいて、間違えて持ち帰ったようです、持ち去ったかもしれません。帰りきる前に途中で気付いて、戻っているかもしれませんがそのまま帰って来ました。
盗難ではないと思うのは、古くて地味な傘、加えて持ち去りたくない点がある傘なので、欲しい人はないと思えるからです。
前の勤務場所などは、2日で傘が無くなりその後戻りませんでした。
さて、今月はぽかぽかと重なった日でした。お天気もぽかと春めいていたり、仕事も失敗のぽかがあり、辞めようかなぁとある程度思ったりしました。
実際、仕事内容は私に向いているという感じではありません。環境は向いている方です。
多くは望めません。年齢的なことや、体調、嗜好など、何をとるかというと健康です。
安全第一!
それなりに普通に勤務できるので、健康上はほっとしています。動き回れる職場は、合わない場所や環境に居続けなくてすむので助かります。
アレルギーにあっても、一時過ぎると大丈夫な状態になったり、別の場所に移動できるので問題なく勤務してきました。
只、これは何処に行ってもだと思いますが、風邪の時は酷いです。休むしかありません
動き回る仕事なので、アレルギーと重なって重症になりがちです。体調をみて休むしかありません。
以前、換気抜群のキャッチフレーズに勤務していた所は、事務で机で固定、勤務時間はそのまま居続けの状態でした。これは換気がよくても酷い健康状態になりました。
今の職場は天井も高く、換気もきいているので助かります。
それでも、咳き込む場所や商品回りがあり、あまり酷いとその場から離れるべきなのかもしれません。暫くすると私の方が作業を移動する形になるので、自然と咳もおさまります。
まだ丸1年経たないので、何でも慣れるという所まで行きません。
見たり、聞いたり、試したり、書いたり、行動したり。
分からないことも多いので、ふーっと、加重を感じたり、不可抗力を感じたりします。
年ですね、なかなか覚えられない事や忘れる事もままあります。対応にも汗ばんでしまいますね。
母も今週で勤務を辞めて、私が十分自由に勤務できる環境になりつつあるので、体調がよければ日中に勤務したり、時間数を増やしたりできそうです。
もちろん、職場に空きがあればの話です。
経済的には助かっています。もう少しコミュニケーションできるとよいのですが、私も回りも障害がある感じです。
確かに、喫煙者は多い職場のようです。
それでも、この体調維持なのですから、換気と広い空間、移動できる勤務のよさを大いに感じます。
ちょっと心配なのが夜回り。守衛さんがいても1人で回るのは不安です。グループで回ったり、防犯ブザーを持って回れるとよいのですが。
PTAの夜回りもグループで5、6人で回っていました。
せめて2人組は欲しいです。
さて、両親の部屋の光テレビ、チューナの追加が来る前に設置してしまいました。私の部屋のものを持っていきました。
何故そう急いだかというと、
…チューナーが届く前に、
さようなら
と、そう早くも無いかもしれませんが、
父がいってしまうかもしれないと、考えたからです。
見ているんでしょうか?
寝ているかもしれません。
昨日は、「0011ナポレオン・ソロ」
から点けておきました。
早く送ってね、チューナー。
いつ申し込みしたかしら。覚えていませんが前回の記事が9日。1週間過ぎて、2週間くらいかかるのでしょうか?
まさか、1ヶ月とか、
全然、全然
大丈夫です。もちろん、ですよね。お父さん。

とても大変

2013-02-09 11:48:45 | 日記・エッセイ・コラム
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 前回書いた光テレビを両親の部屋に引くには、コードレスが一番かと問い合わせてみました。
先日隼に変えたばかり。先ずそちらの窓口に電話しました。新しくなったルーターにどう接続したらよいか聞いてみました。
このままでよいか、何か機器をつけるのかという質問です。
「チューナーが必要です。」との事で、
聞きたかったルーターの方の説明が出来ない様子です。
「光テレビに詳しい方にお願いします。」
と言うと、紹介されたのがサポートセンター、もちろん光テレビです。
こちらはもう少し詳しくて、家のデーターを読まれたらしく、前から家に無線ルーターがあることを知り、そのルーターを使う事を勧めて、メーカーに聞くよう指示、その後、光テレビの追加契約を申し込むようアドバイスされました。
メーカに電話しました。商品解説書にあったサポート用電話です。
繋がらず留守番電話。しかも相手先の名前を言わない普通の留守電です。
「ただ今留守にしております。ピーっと鳴ったらお名前とご用件をどうぞ」
の簡略なもの。
こちらの名前を言うのには躊躇します。
何回かかけて。たぶんナンバーディスプレイになっているだろうと、「メーカーのサポートだと思いますが、こちらに電話してください。」というのがやっと。
その後も3回ほどかけて繋がらず。検索、メーカーのホームページから新しいサポート先へ電話しました。
話し中や、終了しましたの応対に、とうとう3回目にはFAX送信しました。この時、ルーターの購入先を書く欄がありました。
ありがたいことにお返事は来ました。ルーターが、(書いてよいかどうか、)光回線開通時のNTTからのプレゼント品(購入先ですね)だった事から、NTTのシールがついていました。NTTの文字が商品にあるものは、NTTの専用相談窓口があるからそちらに問い合わせです。とのことでした。相手先と電話番号がありました。
FAX返信ですから、きちんと文面にあります。
返信に書いてあった相談センターに電話しました。
今までの経緯を話して、どんな機器を用意したらよいか相談しました。
結果、今までの無線ルーターは使えないこと。別のルーターを子機として使用するよう紹介されました。
また、スティック状のUSBを子機として使用すれば、チューナーの方に差込口があればそれでOKとの事。
チューナーにUSBの差込があるかどうか確認してください。とのことでした。
それで光テレビのサポートセンターに再電話する事になりました。相談窓口の方は、光テレビのサポートセンターの返事を知りたいから後ほど電話しますとの事でした。
再びの電話のあと、結果はチューナーに無線受信用のUSBの差込口はなく。あるのは録画用のハードディスクへのUSB差込口とか。
ルーターを子機にして無線にしても、家の環境ではうまく映らないだろうとの返事でした。
これだけのやり取りの後、光テレビの追加申し込みに電話。有線にした経緯を話して、追加申し込みしました。
その後、先ほどの相談窓口の方から電話があったので、チューナーの方に差込は無く、録画専用差込のみとの返事を伝えておきました。
3日ほどかけて、漸く、ランケーブルを買出しに行くことになりました。
それなりに知識は増えましたが、1箇所できちんと返事が出来る個所が無いのは、客側にするととても不便で手間がかかります。時間もかかりとても大変だった、といわざる終えません。
皆さんどう思われましたか、
私がいいように使いまわされていた?馬鹿みたい?と思われますか?
そうでしょうね。
誰のために、と思うと、不仲だった私も馬鹿みたいと思いますね。

少しずつの変化

2013-02-07 11:51:49 | 日記・エッセイ・コラム
 立春が過ぎて、少しずつ変化している我が家と世間。
また雪が降るようですが、今は雨、晴れ間もあってやや穏やかな日常です。
このブログも少々変化しました。
ファイル名も変えたいのですが、すでにアップロードされたファイルがうまく反映されなくなるとか、断念しました。
さて、父が認知症と診断されてから、時折ふいっと幼少の頃、父と散歩中、遊びに出ている風景が頭に浮かびます。連続した時間のものではなく、断片的な光景です。
公園の丘の上や、動物園の山での事。今は昔の球場、鹿の放し飼い、かじられた事、痛みや自然とのふれあい。
そのような事です。
思えば父は文化的なことが好きでした。私の映画好きや音楽(クラッシクや映画音楽など)好きも父の影響です。
それで、余命幾ばくも無い父に、何かするとしたらで思いついたのが光テレビを見せたり、音楽を聞かせたりする事でした。
昔の古いテレビ番組や映画を見ることが出来るし、父が好んでみていたテレビ番組や映画が放映されているのを私は知っているからです。
こうなる以前から、父の好みの番組を見るに付け、それを見せたい気分が確かにありました。
でも、そうせずに来たのは両親の部屋のテレビへの接続の煩雑さ、困難さはもとより、それ以前に不仲という関係がありました。特に父とは私の離婚以前からの長い不仲がありました。
今週になって、父の介護認定見直しの方が来られ、話をしていて、父の記憶力について問われた時
「どのくらい前のことを覚えておられないですか?」
の、質問に、
「何分くらい間隔が開くと覚えていられないか?」
というようなことです。
私は答えることが出来ませんでした。
親子でよくある世間話はもとより、長年、日常の会話をほとんどしたことがありませんでした。
認定の係りの方にその話をして、考えあぐね、それでも父の記憶力について話せる事で思いついたのが、昨年3月の伯父の法要でした。
伯父の一周忌の法要の席で、私と父は並んで座り、父は私に
「今日はどうした」
「これ何い(の集まりか)(の催しか)?」
と聞くので、
「伯父さんの法事よ」
と答えていたのですが、せいぜい5分経つと同じ質問を繰り返すという感じでした。
それで、その時で5分程度の記憶力だったと答えていました。
私は父の状態を把握していないこと。父も私には面倒を見てもらいたくないようだったので、私も見ないで来たこと。ただ、同居して家には常に居たこと。現在も日中は空けないで家にいること
そんなことを答え、そういった関係だった父が、今年なって私に介護を頼んだり、風邪から1月経っても食欲が戻らないので相当悪いのかと、総合病院へ行った経緯を説明したのでした。
診断結果も伝えました。担当のお医者様から係りの方に病状を伝えるようアドバイスされていました。
さて、父は、診察後熱も下がり、大きな病院へ行ったという安堵感からか落ち着いた雰囲気があります。
その後1日飲食しなかった日や、下痢をした日などもありましたが、概ねそれなりに元気なようです。
昨日、誤嚥を気にして冷たいジュースを与えたところ、結構飲みました。1回にストローで2、3口しか飲まなかったのが、グーッと飲んで、一気に250㏄程飲みました。パンなども5口ほど食べて、私が与えた場合では今までに無い食欲の多さでした。
一瞬、『○○水かな?』と、内心ひんやり
思いました。
読み逃してください。
お医者様も仰っていましたが、ある日ぐーっと悪くなって…なのかもしれません。先は読めません。
この話も読めない以前に、私が先を書くかどうか、書き物が好きなだけに書いていくだろうと思いますが、先は読めません。
少しずつの変化、ポツリポツリと。

立春

2013-02-04 14:53:28 | 日記・エッセイ・コラム
昨日は節分、今日は立春と、暦の上だけでなく刻々と春に近付いていますが、また雪の予報に寒さのぶり返しを感じます。
今日は、父の組織検査の結果を聞きに行ってきました。
やはり癌でした。末期になると痛みも出るのかなと思うのですが、今の所だるさを訴えるだけなので、現在の食欲の無さは仕方ないのかもしれないと思うのでした。
母としては入院させたいようですが、緊急患者の多い総合病院では、治る見込みが無く緊急を要しない父は、即入院とは行かないようです。
あまり長くない父のようですが、心の整理、気持ちの準備をしてその時に備えておく、というのが家族や親戚、知人の心得のようです。
準備と書くと父の死を待っているように受け取られそうで、私や家族、親戚知人も嫌な思いをしそうですが、現在はそれがベストなのかもしれません。
認知症があり、癌もある程度大きく食道にある。胃にも小さく丸い型で2箇所ほど癌がある。食堂の癌がリンパまで転移して6センチほどの腫れになっている。平均寿命を過ぎている。
抗がん剤や放射線療法はとれない、手術も出来ないのでこのままということでした。
何時まで持つかはっきりとは分かりませんが、春までもつかどうか、点滴も意味が無いそうです。段々弱りとか、その内寝付くことになるのでしょうか。
今はこのまま療養という事で、父の好きなように、食事も無理強いしないで過ごさせてあげるのがよいとのことでした。
今までと、特に変化は無い、そんな感じの毎日で日々が過ぎ、ある日訃報が届く、そう心得ておく父の終末なのでした。
ココに記事を書いてください。