さて、祖父がこの私の言葉で安心したかと言うと、そうではありませんでした。
座敷で祖父孫の会話があった2時間後には、祖父はしゃんと服に着替えて外出中でした。
2、3日寝たきりで外出せずに家に居たので、祖父はそろそろ寝たきりかなと家族に囁かれはじめていました。
私ももう祖父は歩けないのではないかと思っていたので、私との会話が終わって30分もしない内に、
如何発奮されたものか、てきぱきと着替えると、何処へ行くのと聞く間もあればこそ、いつの間にか家内から姿を消していました。
もしかしたら、と、私は思いました。
私の事を頼みに親戚知人の家に行ったのかしら?
何となくそうではないかと嬉しい気持ちになりました。
その後、やれやれという感じで祖父は帰宅して、私が顔色を見ているとやや安堵の色が伺えたので、
話は何かしらうまく行ったのだろうと、私もホッとしていました。
これで安心という感じで、祖父は満足げに夕日の当たる布団に座っていた物です。
が、2、3日すると、顔つきが険しくなり、これではいけないという感じで、また着替えをはじめ、急いで外出して行きました。
その後は2、3日続けて外出し、どうも話が捗々しく進まない様子でした。
老体に鞭打ってという感じで、2日目から3日目に入ると、流石に体を動かすのがきつい様で、
私が見ていても、最初のようにてきぱきとした動作はもう取れないようでした。
しゃんと背筋を伸ばしていた姿も、腰が曲がり、身を起こしているのが辛そうにさえ見えました。
父がお供に付き添うようにもなり、一人での外出も減って行きました。
その後、祖父は何度か出歩いていましたが、段々と服を着ることもなくなり、着物のまま外出するようになりました。
そして、その年の冬には寝たきりとなったように思います。
そんな祖父のうつろう過程の中で、ある日私がふと座敷に行くと、祖父と妹が話をしています。
祖父の布団の脇に妹は正座し、祖父が何やら話しています。
後姿の妹はしくしくと泣き出したようでした。手で涙を拭っている動作をしていました。
祖父は私に気が付くと口を閉じてしまったので、私には2人が何を話していたのか分かりませんでした。
ただ、私の分でさえ無いのだから、妹は尚更何もないだろう、
返ってせっせと働かなければ暮らしが立たない程にマイナスなのではないか、そう感じていました。
私が確りして妹の分まで見てやらなければ、そう思うのでした。
そして、2人を見た翌日であったか、私は祖父に
「お祖父ちゃん、私はいいから、私の分があれば妹にやってね。」
と、姉らしさを見せたのでした。
しかし、こう物分かりの良い私は祖父の癇に障ったらしく、
「あ、そう、お前は自分でやるんだね。」
と、急に冷たい態度になってしまいました。
多分、私って損なタイプなんでしょうね。
私自身もこの時には祖父の態度を見て、しまったなと思ったものです。
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