東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

神田・お玉が池の千葉周作道場へ

2016-08-27 | 散歩
  神田・お玉が池の千葉周作道場なんて知ってる人はかなり高齢だね。
  ソースは「赤胴鈴之助」、初出は1954年、「少年画報」。
  子供のころは一生懸命に読んだ、千葉道場で学び悪党と戦う赤胴鈴之助。
  時代小説にもよく登場するので一度は行ってみなくちゃ、お玉が池。
  なんといつも使っている小伝馬町駅から10分位のところにあった。


  

     小伝馬町で江戸通りと交差する大きな通りは水天宮通り、
     水天宮の手前までは人形町通りとも言われる。
     5車線全部が一方通行の道を神田方向へ歩く。




  

     岩本町三丁目交差点に「お玉ヶ池種痘所」の碑。

     蘭方医による種痘館。東京大学医学部の前身で
     安政5年(1858年)、蘭学者伊東玄朴ら82名たちが共同出資して創設したもの。
     半年で焼失、種痘所は神田和泉町に移ったが
     種痘所は名前を変えながら東京大学医学部へと発展した。




  

     記念碑からちょっとだけ小伝馬町の方へ戻って右折、すぐ「お玉稲荷」。

     江戸期の古地図では景勝地として現在の不忍池程度の面積を有していたらしいが
     江戸後期には埋立てによってその姿は無くなったという。
     池くらいは残っているだろうと行ったけど残念。




              

              お玉が池は、その昔は”桜が池”と称されていたが、
              お玉という娘が身投げをし、その霊を慰めるために
              玉池稲荷が建立されて以来、”お玉が池”と呼ばれるようになった。

              広大なお玉が池は江戸の人口の増加に伴い神田山を切り崩した土砂で埋められ
              宅地が造成されていった。
              神田山はその他日比谷・銀座の埋め立てにも使われ山は無くなった、
              今に残る「神田駿河台」の地名は山から駿河、富士山が見えたことからの地名。




              

              「江戸名所図会」によると、「人がらも品形(しなかたち)もおなじさまなる男二人」が
              彼女に心を通わせ、悩んだお玉は池に身を投じ、
              亡骸(なきがら)は池の畔(ほとり)に葬られた」とある。(wiki)

              二人の男に言い寄られて身投げ!。
              今ならねぇ、二股・三股何でもアリなのに・・・。^^;




              

              さて、すぐ裏にあるはずの千葉道場は、、、
              北辰一刀流を開いた千葉周作の道場「 玄武館 ( げんぶかん ) 」があった場所。
              坂本龍馬が修行したのは、千葉周作の弟である 千葉定吉の道場だったが、
              時折は玄武館のほうにも足を運んで稽古に励んだという。

              ここには学校がありその中に記念碑があって自由に見られるとあった。
              が、廃校となった学校跡地にはマンション建築中、、、がっかり。




  

     とりあえず周りをぐるっと回ってみたら、こんな張り紙が。

     「千葉周作道場 玄武館跡詳細地図
     2014年10月末日以降建設工事のため撤去いたします。
     新設置場所につきましては現在未定です。」・・・

     この前黒門町でもこんなことがありました、
     街は日々姿を変えているので仕方ありませんね。
     またチャンスがあったら訪れてみたいと思います。 
                                                               8月24日 日本橋散歩
         

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2 コメント

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Unknown (くぅ)
2016-08-28 13:16:09
小伝馬町・人形町・小伝馬町・・
なんだか捕物帖によく出てくる名前だね。
小伝馬町駅っていつも使ってる所なんだぁ~
と言っても、全然東京の地理がわかんないので┐('~`;)┌     

5車線全部が一方通行!
さすがトーキョー

東京大学医学部の前身が種痘所・・?!

お玉が池は・・怖い話。のっぺらぼうが。。。^^;
やっぱり怖い話のソースがちゃんとあるんだね。
でも、お玉さんつまんないことで身を投げて自殺。
昔はそんなもんだったのかなぁ~
わたしなら、イヒヒヒもんだけどなぁ~(*´艸`*)

江戸の昔は遠くなり・・・シカタナイね。
今は全く違う世の中だもんね。
ポケモン探しなんて、、、なんて平和。^^;
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くぅさん (jugemu)
2016-08-28 18:46:33
あそこの辺は日本橋の隣、家康が城のすぐ外側に商人を住まわせ
周辺の発展を目論んだ。武士以外の人間が初めて住んだ場所、
江戸で一番古くから発展したところですね。

小伝馬町からお堀端まで歩いて15分位、その途中に
小伝馬町の牢屋敷があります。これは留置場で、刑が決まるまで
留め置き、刑が決まれば島送りとか江戸払いとかが執行されます。

初めてのころ駅前の交差点で待ってるとあの広い道を5列の車が
同じ方向へ走っていく、へぇ~この広い道は一方通行なんだ!。
札幌の大通りには敵わないけど、かなり広い道です。

お玉さんもねぇ、なぜかああいう話はお玉さん。
なぜか池に飛び込むのはお玉さん、ちょっと作為を感じる。
それはともかく、奥手の、箱入り娘はそんなことがあったようです。
「私は男を惑わすいたずら(淫乱)な娘ではないだろうか?」と、
当時はいたずら=淫乱で、悪戯ではなかったみたい。
イヒヒなんて喜んでいる場合じゃないですよ!。(イヒヒ♪)

でも運命って面白いですね、今の会社で職を求めてなかったら
こんなに江戸に興味を持つこともなかったでしょう。
毎月強制的に江戸城の近くまで召集され、仕事の場は
浅草のすぐ近く、武士・商人・庶民のそれぞれの生活の場を
仕事を通して堪能しています。
一線をリタイアした身には最高の環境です。(^^♪
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