数年前にこのタイヤのことを知ったが
正確な場所が分からなかった、
先日詳細な場所の地図を見つけたので
早速訪ねてみた、舎人(とねり)公園のちょっと向こうね。
この辺はまだ農作物を栽培している長閑なところ、
そんな畑の隅に半分埋もれたタイヤが。
終戦間近1945年5月26日、足立区内にB-29が墜落。
これがエンジントラブルなのか撃墜によるものかは
はっきりしないが、搭乗員は全員死亡したらしい、
破片は広範囲に散らばり、エンジンは2日間燃え続けた。
B-29は、アメリカのボーイングが開発した大型戦略爆撃機、空飛ぶ要塞と言われた。
B-29は最初から長距離戦略爆撃を想定した設計でありB-29による日本本土空襲は、
日本の継戦能力を喪失させる大きな要因となった。
B29のプロペラ1枚が土地の所有者によって掘り出され、
現在は足立区郷土博物館に保管されている。
人通りもほとんどない静かな佇まいを残しているところ、
78年間このタイヤは半分埋もれたまま戦争の名残をとどめている。
当時はおそらく人家もまばらで一面に水田が広がっていたのだろう、
30分くらいいたけど数人の人を見ただけだった。
今でも栽培ハウスやビニールハウスが広がっている、
近くに高射砲陣地があったというけどエンジントラブルで墜落したのだろう。
別の日、昭和20年4月13日空襲時に墜落したB29の搭乗員を慰霊する
墓の碑の部分で、北加平町に昭和21年12月25日に建立された。
(現在慰霊碑は道路となり撤去された)
B29の勇士たち
ここに眠り
平和の使徒として
自由と正義を
真実に展開せし
勇士たちよ
安らかに憩へ
鬼畜米英の時代、墜落死亡した兵士を悼んで慰霊碑を建てた、、、
亡くなってしまえば敵味方はない、
当時の人たちの人間性が表される慰霊碑です。
data:PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影 5月 17日 今に残るB-29のタイヤの姿