東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

日本橋散歩・新大橋あたり

2017-02-27 | 散歩
  新大橋の最初の架橋は元禄6年(1694年)。隅田川3番目の橋で
  「大橋」と呼ばれた両国橋に続く橋として「新大橋」と名づけられた。
  西岸は中央区日本橋浜町、東岸は江東区のいわゆる深川。
  この深川には芭蕉が住んでいた芭蕉庵がある。


  

     荒汐部屋から10分くらいで新大橋に着いた、
     朝から目まぐるしく変わるお天気は分刻みで青空が出たり曇ったり。




  

     遊歩道わきにドッグランがあった、小さいけどワンコも飼い主さんもイイネ!。
     橋からここまで歩く間に空は変わる、晴れてくれ。




          

          口惜しいけど写真見ているより空模様見ている方が面白い !?。

          新大橋の構造形式は「 2径間連続斜張橋」。
          実にシンプルだ、これだけでこの橋を支えているんだね。




  

     主塔には2枚のレリーフが貼ってある、そのうちの一枚。
     左が橋にあるもの、
     中央は広重が描いた江戸百景の一つ、新大橋「大はしあたけの夕立」、
     右はそれをゴッホが模写したもの。




  

     隅田川はこの辺りで大きく湾曲している、向こうは清洲橋。
     昔この辺りは三また(三股)と呼ばれていた、神田川、隅田川、竪川の
     合流点のことで中州があり月見、花見、夕涼み、花火見物の名所であり、
     全盛期には江戸一番の繁盛を見せたといわれる場所である。
     この辺は「あたけ」と呼ばれ前述広重の「大はしあたけの夕立」となった、




  

     遊歩道へ下りてみた、
     隅田川の清掃船が航行している、前方からゴミをすくい取りながら川をきれいにする。
     バックの清洲橋はドイツのケルン市にあったヒンデンブルグ橋の大吊り橋をモデルにした。




  

     橋の基礎というのかな、取り付け部分。
     ダイナミックやなぁ。




  

     ここから10分くらいの所に芭蕉が住んでいた「芭蕉庵」がある、
     芭蕉はこの橋が出来上がるのを見ながらいろいろな句を詠んでいる。

     工事のの状況を見ながら
     「初雪や かけかゝりたる橋の上」
 
     橋が完成して渡り初めの際には次の句がある。
     「有りがたや いたゞひて踏むはしの雪」

     また、新大橋の完成を感謝して次のような句を詠んでいる
     「みな出て 橋を頂く霜路かな」」


     そんなわけで次回は芭蕉庵を訪ねてみましょう。
                                             2月22日 新大橋あたり
          

コメント (2)
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