写真上左は、 1988年アフガニスタンから帰還するソ連軍。 下右は現在進行中のアフガニスタン内戦の様子で米軍か?
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米大統領は公約通り、アフガン増派に踏み切りました。 首都カブールしか掌握していない現地政権を援助するために、圧倒的物量を投入してアフガニスタン全土のテロリストを撲滅、世界をテロの恐怖から救おうという意気込みでしょう。
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「アフガン 1.7万人 増派了承=就任後初の大規模派遣」(2月18日 時事通信/ワシントン) _ オバマ米大統領は17日、アフガニスタンへの米軍増派を承認した。 ホワイトハウスによると、約1.7万人の増派となる見通し。 大統領はアフガンを対テロ戦の主戦場と位置付け、増派を重要公約にしていた。 戦地への大規模な米軍派遣が大統領就任後、初めて実施されることになる (※追加1へ続く)。
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「オバマ大統領、近く決断と アフガンの駐留米軍の増派で」(2月17日 CNN/ワシントン) _ 前略_ ゲーツ米国防長官は先週、大統領がアフガン駐留米軍の増強を「数日中」に決めると述べていた。 駐留米軍の兵力は現在、約3.5万人。 大統領はこれを6万人規模まで引き上げるとみられている (※追加2へ続く) 。
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「オバマのベトナムに出口はあるか」(2月12日 ジョン・バリー、エバン・トーマス/ニューズウィーク ワシントン支局) _ アフガニスタンでの対テロ戦争に、「あの戦争」と共通する泥沼化の不吉な兆候が増えてきた。 3万人といわれる米兵の増派も、有効な戦術を思いつくまでの「つなぎ」にしかみえない (※追加3へ続く)。
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しかし、テロリストは容易に山岳地帯伝いに隣国のパキスタンへ逃げ、スキを見ては舞い戻るなどのイタチゴッコを続けているのが現状でしょう。
完全な撲滅には至っていないのは、01年米同時テロの首謀者とされるビンラディン容疑者をいまだに捕捉できないことからも想像できます。 山岳地帯での戦闘は、昔も今も困難な状況は変わっていませんね。
これを通常兵器でなく、核爆弾などの圧倒的に大きな破壊力をもった兵器を使ってしまえば簡単ですが、それでは兵士だけでなく、一般住民 非戦闘員の生命までも奪ってしまい、現実的な解決にはなりません。 米国は通常兵器でテロリストを屈服させ、戦争を終わらせて、国民を早く平和なアフガニスタン建設に向かわせ、アフガニスタンから感謝されて帰国撤退したいのが山々ですね。
しかし、そんな幻想はこの中央アジアには通用しない、別の常識が幾千年の昔から存在しているのかも知れません。 元々アフガニスタンという国はなく、19世紀英露勢力の緩衝地帯として残された地であり、そこは地域の部族勢力が点在する、難攻不落の不毛の地といったほうが正確かも知れません。 部族同士の結束力は弱く、民族が違えば全く外国と同じようなものとされているものが多いですね。
米国流の解決を押し付けられて、アフガニスタンの現地人が喜んでいるかどうかは分かりません。
以上
※追加1_ 大統領は声明で、増派は「情勢が悪化しているアフガンの安定に寄与する」と強調。 ゲーツ国防長官の増派要請を承認したことを明らかにした。
ホワイトハウスによれば、海兵隊と陸軍の旅団を春から夏にかけて派遣する。 春には武装勢力との戦闘が一層激化することが予想され、治安悪化が著しいアフガン南部を中心に投入するとみられる。 増派は、治安を改善し、今夏のアフガン大統領選を成功させる狙いもある。
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※追加2_ アフガン駐留米軍の幹部は最近、治安改善などを目指すため今後18カ月間で約3万人の追加派遣を要請していた。
昨年の大統領選でオバマ氏は、アフガンをテロとの戦いの主戦場と位置付け、増派の方針を表明。 イラクの米軍を大統領就任後、16カ月内に撤収させ、アフガンに振り向けるとの考えを示していた。
アフガンの旧政権勢力、イスラム強硬派タリバーンは01年の米英軍事作戦で駆逐されたが、ここに来て自爆テロなど新たな手口とともに駐留外国軍へ攻勢を強めている。
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※追加3_ ジョージ.W.ブッシュ政権でアフガニスタン問題の顧問を務めていたダグラス・ルート米陸軍中将は1年ほど前、テレビの人気トーク番組でこんなことを言った。「われわれはアフガニスタンの戦場で、戦術的に敗れたことはない」
ベトナム戦争の歴史を少しでも勉強していれば、この言葉に不気味な響きを感じ取るはずだ。 あの戦争の意味を象徴する言葉に、これによく似たものがある。
それは戦争が終わって数年後、米陸軍のハリー・サマーズ大佐と北ベトナムの軍大佐との間で行われたやりとりだ。「戦場で負けたことはなかった」とサマーズが言うと、相手は言った。「確かに。 だとしても、それが何だと言うのか」。戦場で負けていなくても、アメリカは「戦争」に負けたではないか、というのである。
「第二のベトナム」「○○にとってのベトナム」。 アメリカが他国に軍事介入すると、たいていベトナム戦争が引き合いに出される。 軍事介入に反対する左派は「泥沼化」のおそれをすぐに口にする。
手あかのついた言葉だが、この警告は時に現実のものになる。 現にアフガニスタンでの戦争が「いつか来た道」のようにみえてきた。
アフガニスタンとベトナムの戦いには、不気味な類似点が多い。 タフなところを見せたい大統領が「勝利」のために手段を選ばないと言っていること。 アメリカが救うはずの国は分裂していて、とても国家とは呼べないこと。 無能で腐敗した政府が大半の国民から政府とは認められていないこと。 敵は外国の侵略者と戦うことに慣れていて、国境を越えれば潜伏できる拠点があること。 その拠点をアメリカが自由に攻撃するわけにいかないこと。 そして、出口が簡単に見つかりそうにないこと。
アフガニスタンとベトナムの間には、確かに大きな違いもある。 たとえばタリバンには、南ベトナム解放民族戦線 (NLF) のような力もまとまりもない。
ベトナムはアメリカにとって直接の脅威にはならなかった。 共産化の波が広がることを恐れた人々も、NLF の兵士が米本土に乗り込んでくるとは予想しなかった。 だが、アフガニスタンは違う。 タリバンが米本土に侵入したことはないにせよ、アフガニスタンで訓練を受けたテロリストが01年に世界貿易センタービルを破壊した。
だからアフガニスタンの戦争は、正しく必要な戦争とみなされている。 多くの人はそこがイラク戦争との違いだと考えている。
イラク増派を成功させて米中央軍司令官に就任したデービッド・ペトレアスが、アフガニスタンでも奇跡を起こす可能性はあるかもしれない。 ペトレアスはベトナムとアフガニスタンの比較を好まないという。 アフガニスタンは複雑で理解できない国だ、だからベトナムと比較して語るしかないという言い訳に聞こえるらしい。
それでも、類似点は確実にある。 ベトナムと同じくアフガニスタンでも、アメリカはすべての「戦闘」に勝ちながら「戦争」に勝てないという状況に直面している。
公式の報告に非公式の情報。 アメリカと、アフガニスタンを含む外国の外交官や軍事関係者の話。 そんなおびただしい情報のなかに、一つ共通した見方がある。 アフガニスタンの情勢はひどく、さらに悪化しているという点だ。
■米軍への敵意が広がる
ベトナム戦争当時も、米大統領のもとには悲観的な報告が次々と寄せられた。 ジョン.F.ケネディは死の直前、地上戦の泥沼に陥る不安に怯えていた。 リンドン・ジョンソンは、ベトナム人が敬愛するホー・チ・ミン国家主席 (大統領) の影に悩まされ続けた。
当時と同じく、今も米軍内部には懐疑派が増えている。 しかし軍人は、司令官の命令には口をはさめない。 いまアフガニスタンに駐留する米兵は約3万人。 ブッシュ前政権は今後1年ほどで兵力を倍増させたいと考えていたが、バラク・オバマ大統領もこの点だけは前政権と変わらないようだ。
倍増させれば兵力は6万人。 ベトナム戦争のピーク時には現地に50万人の米兵がいたから、その数字はまだ大きく下回っている。 アフガニスタンでの米軍の死者も累計642人と、ベトナムでの5.8万人に比べれば確かに少ない。 ただ注意したいのは、今回はベトナム介入から9年間の死者数をすでに超えていることだ。
前政権、新政権のどちらにも、増派の目的を明確に語れる人間がいない。 増派は有効な戦術を思いつくまでの「つなぎ」にしかみえない。 しかも、有効な戦術というものがあるかどうかもわからない。
オバマがアフガニスタンで何をするのかも、正確にはまだわからない。 しかし目を凝らせば、少なくとも新政権の中枢に現実主義が台頭してきた兆しがうかがええる。
ブッシュ前政権の閣僚で唯一留任したロバート・ゲーツ国防長官は、アフガニスタンへの増派は現地の反感を強めるだけだと考えている。「アフガニスタンでの目標設定には慎重を期すべきだ。 現地の人々が米軍を『解決策』ではなく『問題』とみなす懸念がある」と、ゲーツは上院軍事委員会で語った。
欧米諸国にしてみれば、ベトナムは地球の裏側にあるエキゾチックな国だったかもしれない。 だとすればアフガニスタンは、月ほどに異質な場所だろう。
少なくともベトナムは、フランスの植民地だった。 だがアフガニスタンは植民地化に抵抗を続け、19世紀には英軍と、20世紀には旧ソ連軍と対等に渡り合った。
55年に南ベトナムに誕生したゴ・ジン・ジェム政権は、国民から政府とは認められなかった。 多くが仏教徒の国でジェムはカトリック教徒だったし、アメリカの後押しで成立した政権だったためだ。
アフガニスタンのハミド・カルザイ政権も同じだ。 アメリカの空軍力を後ろ盾にした現地軍閥が01年にタリバン政権を打倒した後、アメリカの肝入りで誕生した。
ジェム政権と同じく、アフガニスタン政府には腐敗が蔓延している。 カルザイ自身がこれを認め、「世界中の銀行に、アフガニスタンの政治家の金があふれている」と昨年11月に語っている。 前財務相のアシュラフ・ガーニは、アフガニスタン政府は「腐敗では世界のワースト5に入る」と言う。
アフガニスタンでは、外国からの援助は麻薬に次ぐ手っ取り早い収入源だ。 しかし盗みや管理の不行き届きのせいで、実際に各プロジェクトに渡るのは半分にも満たない。 人口の7割を占める農村部には、そのうち4分の1しか届いていないとみられる。
ベトナムでもアフガニスタンでも、政府は国民の保護者ではなく、むしろわがままな暴君だ。 南ベトナムの庶民は、有力者ににらまれたら最後、敵の同調者として米軍に引き渡されかねなかった。 こうした恐怖はアフガニスタンにも蔓延している。
9.11テロ直後に米軍がタリバンを壊滅させたときは、多くのアフガン人が歓迎した。 強いアメリカがアフガニスタンの町や学校や経済を変えてくれると期待した。 しかし今は、敵意が広がっている。「連合軍はアフガニスタンの人々に何をもたらしたというのだろう」と、ロシアのザミール・カブロフ駐アフガニスタン大使は言う。「今も彼らは非常に貧しい。ときおり誤爆されることもある」
アフガニスタンでの「国づくり」など、ないものねだりなのかもしれない。「アフガニスタンは国ではなく、部族の集合体だ」と、サウジアラビアの外交官は言う。
この土地では、中央集権的な支配の下で平和が続いた時期がほとんどない。 暴力も常態化していた。 18世紀のペルシャ王ナディル・シャーは反乱を鎮圧した際に、くじで選んだ部族民6500人の首をはねた。 それらをピラミッドのように積み重ね、反乱の扇動者を中に生き埋めにしたという。
とりわけ南部のパシュトゥン人地域では、現地の部族長が中央の権力者より大きな影響力をもっている。 タリバンはベトナムの NLF のように愛国主義を掲げているわけではないが、米主導の連合軍よりは確実に現地に根づいている。
■タリバンの支配は拡大
対ゲリラ戦の基本は「掃討、確保、構築」だ。 ゲリラを勢力地域から掃討し、ゲリラが戻れないように地域を確保し、行政機構を構築して政府への支持を獲得する。
連合軍はタリバンの「掃討」には成功しても、「確保」がおぼつかない。 南部では逆にタリバンのほうが「掃討、確保、構築」を実践している。
国際シンクタンク「治安と開発の国際審議会 (ICOS)」が昨年12月に発表した報告書によれば、タリバンが実効支配を確立した地域は国土の 72% に及び、前年の 54% から大幅に拡大した。 タリバンは首都カブールにも迫りつつあり、「カブールの幹線道路4本のうち3本がタリバンによる攻撃の脅威にさらされている」と、この報告書は書いている。
タリバンには NLF にはなかった強みもある。 ヘロイン取引による収入だ。 アフガニスタンのケシは世界のアヘン生産の約 93% を占める。 根絶が急がれるが、栽培量は04年から2倍以上に増えた。
ケシ農家をほかの作物に転換させたいが、農民はタリバンによる報復を怖がる。 しかも、ほかの作物に転換したとしても、今は市場に運ぶまともな道路がない。
アメリカは主に対テロ軍事行動によって、アフガニスタンに平和を取り戻したいと考えている。 そのため、米軍の精鋭である特殊部隊を無駄に使っている。
特殊部隊といえば、秘密の任務を与えられてヘリから降下するというイメージがある。 しかしブッシュ前大統領が世界規模の対テロ戦争を始めるまで、特殊部隊の日常任務は途上国での軍の育成だった。 ベトナムでも陸軍特殊部隊の当初の任務は、先住民をゲリラ兵士に育て上げることだった。
だが62年以降、特殊部隊は国境地帯の封鎖という退屈な任務を与えられた。 アフガニスタンの特殊部隊も現地軍の育成ではなく、アルカイダやタリバンを追跡したり、パキスタンから武装勢力の流入を防ぐことが任務となっている。
先ごろ戦略国際問題研究所 (ワシントン) のアナリスト、アンソニー・コーズマンは民主党議会幹部への報告の中で「アフガニスタン治安部隊の育成は運営がまずく、人員も資金も大幅に不足している」と語った。 アメリカは07年まで、アフガニスタン軍の訓練にまともに資金も出していなかった。
米軍と NATO (北大西洋条約機構) 軍が派遣している訓練要員は、必要数の半分にも満たず、技術も心もとない。 このためアフガニスタン軍は、武装勢力と単独で戦う兵力も実力もない。 米軍上層部はアフガニスタン軍の自立には、まだ5年はかかると考えている。
ベトナムと同じく、国境地帯の封鎖も成果をあげていない。 北ベトナム軍と同じくタリバンも、国境の向こうの供給路と拠点を頼りにしている。 北ベトナム軍がラオスとカンボジアを走るホーチミン・ルートを自由に行き来したように、タリバンも国境を越えてパキスタンの無法地帯に逃れている。
パキスタン国内の拠点はタリバンの訓練や補給に大きな意味をもつ。 家族も置いていけるし、自分がけがをした場合にも戻ってこられる。 パキスタン駐留のあるタリバン司令官は、兵士たちに5件の携帯電話の番号を渡し、アフガニスタンで米軍に撃たれたらすぐに救出して治療すると約束している。
アメリカはパキスタンでのタリバンの追跡を慎重に進めなくてはならない。 ベトナムでアメリカは、ソ連や中国を戦争に巻き込むことを恐れていた。 ハノイ周辺で爆撃を行えば、ハイフォン港に停泊するソ連の貨物船を沈めてしまう可能性もあった。
今パキスタンでアメリカが恐れているのは、強引な介入を行ってパキスタン政府を刺激することだ。 とりわけ相手は核保有国だから、危険な事態になりかねない。
■パキスタンの二つの顔
パキスタンはアルカイダについてアメリカと情報を共有し、国内のタリバンへの攻撃も行ってきた。 しかし軍統合情報局 (ISI) は、アフガニスタンにいるタリバンの一派と裏で手を結んでいる。 宿敵インドと親密な関係をもつアフガニスタンの軍備を弱いままにしておけば、パキスタンには戦略上の利益になるからだ。 パキスタンの多くの指導者は、アメリカはいつか去っていくと考えており、アメリカとタリバンの両方にいい顔をしようとしている。
二つの顔を使い分けているのはパキスタンだけではないかもしれない。 シーア派が主流のイランはスンニ派のタリバンと敵対しているが、タリバンに高性能の簡易爆弾を提供している可能性がある。 自国との国境地帯で米兵が苦しむ姿を見たいとイランが思ったとしても、まったく不思議ではない。
だが、アフガニスタンの米軍にとって最大の敵は米軍自身なのかもしれない。 少ない兵力で広大な地域を監視しているため、米軍は空爆に頼りすぎている。 04年にアフガニスタンで実施した空爆は86回だったが、07年には2926回に増えた。
ベトナム戦争以降、米軍は民間人の犠牲を出さないよう実に慎重になった。 もう無差別発砲は許されないし、米兵がジッポーのライターで村に火をつけることもない。
しかし、どんなに慎重を期しても、民間人の犠牲は避けられないものだ。 とりわけ敵が民間人を盾のように使っているときは、その危険性がさらに増す。 かつて NLF はそれをやり、今はタリバンが同じ戦術を用いている。
これが中央軍司令官のぺトレアスが直面する現実だ。 イラク戦争で名を上げた彼は、アフガニスタンではまだ新戦略を打ち出していない。 アフガニスタンで勝つには莫大な費用と時間がかかることに、オバマが気づくのを待っているのかもしれない。
そのぺトレアスとともにアフガニスタン問題を任されるのが、ベテラン外交官のリチャード・ホルブルックだ。 特使として国務省から派遣されるホルブルックは、効果的な援助の実現や、政府と軍の意見調整に取り組むことになる。 実力派ではあるが、ベトナムで和平工作に取り組んだロバート・コーマーと同じような評価に終わる可能性もある。 確かに有能だが、登場するのが遅かったと。
武装勢力の掃討を成功させるためにやるべきことは、はっきりしているともいえる。 ぺトレアスが言うように、アメリカには武装勢力を壊滅させることはできない。 武装勢力を打ち負かせるのは、国民の支持を得た地元の軍だけだ。
おそらくぺトレアスは、現地の民兵を訓練してタリバンと戦わせようとするだろう。 だが、これはソ連軍が失敗した手法だ。
アフガニスタンには「われわれを『借りる』ことはできても『買う』ことはできない」ということわざがある。 それに血の復讐を招くと知りながら、タリバン兵士を殺そうとする者がいるだろうか。
アメリカ国民も勝利の可能性には懐疑的になっている。 最新の本誌世論調査によれば、オバマが景気を回復できると答えた人は 71% いたが、アフガニスタン情勢を改善できると答えた人は 48% にとどまった。
アフガニスタンの戦争はイスラム過激派との「長きにわたる戦いでも最長のもの」になると、ペトレアスは言い続けている。 アメリカ国民にそんな戦いをする用意があるとは思えない。
本誌調査によれば、景気回復に次ぐアメリカ人の関心事は医療保険改革だ。 アフガニスタン問題を最重要課題とする人は「イラク」という回答より少ない 10% にとどまった。 アフガニスタン情勢に進展がなければ、10年の中間選挙では「オバマの戦争」に非難の大合唱が巻き起こるかもしれない。
■撤退しても解決しない
では撤退すればいいのかといえば、事態はそれほど単純ではない。 米軍が撤退すれば、ただでさえ弱いアフガニスタン軍は崩壊しかねない。 南ベトナム軍兵士は米空軍の支援を失った後、戦いを拒むこともあった。
89年に旧ソ連軍が撤退した後のように、アフガニスタンが再び内戦に突入する可能性もある。 今でさえ南部のパシュトゥン人は、カルザイ政権の大半を占めるタジク人を敵視している。 内戦になれば、パキスタンの支援を受ける勢力が勝ち、最後にはタリバンが彼らを支配するかもしれない。 ちょうど前回の内戦と同じように。
見方によっては、タリバンによる支配も悪くないともいえる。 タリバンを買収したり説得したりして、アルカイダを国外に排除させることができるなら、それは一つの選択肢だ。 タリバン政権で副大臣も務めた幹部によれば、一部のパキスタン当局者がすでにこれに似たアプローチを試みている。
パキスタンは危険な賭けに出たのかもしれない。 聖戦に燃えるイスラム兵士を国境地帯にかかえるのは、パキスタンにとっても大きな不安要因だ。 アメリカにとっても、安全保障上の利益が大きくからむことは言うまでもない。
オバマの国家安全保障問題担当補佐官に就任したジェームズ・ジョーンズ元海兵隊大将らが昨年行った2件の調査は、アメリカはアフガニスタンで負けるわけにはいかないと結論づけた。 それはそうだろう。 イスラム兵士に「アメリカをたたきのめした」と言われたい大統領など、いるはずがない。
ここで再びよみがえるのが、ベトナムだ。 ベトナム戦争に関する機密報告書「ペンタゴン・ペーパーズ」をリークしたダニエル・エルズバーグは、こう言ったことがある。「ベトナムからの撤退に最適な年などなかった」
ベトナムをアフガニスタンに置き換えれば、この言葉はそのままあてはまる。
以上
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米大統領は公約通り、アフガン増派に踏み切りました。 首都カブールしか掌握していない現地政権を援助するために、圧倒的物量を投入してアフガニスタン全土のテロリストを撲滅、世界をテロの恐怖から救おうという意気込みでしょう。
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「アフガン 1.7万人 増派了承=就任後初の大規模派遣」(2月18日 時事通信/ワシントン) _ オバマ米大統領は17日、アフガニスタンへの米軍増派を承認した。 ホワイトハウスによると、約1.7万人の増派となる見通し。 大統領はアフガンを対テロ戦の主戦場と位置付け、増派を重要公約にしていた。 戦地への大規模な米軍派遣が大統領就任後、初めて実施されることになる (※追加1へ続く)。
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「オバマ大統領、近く決断と アフガンの駐留米軍の増派で」(2月17日 CNN/ワシントン) _ 前略_ ゲーツ米国防長官は先週、大統領がアフガン駐留米軍の増強を「数日中」に決めると述べていた。 駐留米軍の兵力は現在、約3.5万人。 大統領はこれを6万人規模まで引き上げるとみられている (※追加2へ続く) 。
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「オバマのベトナムに出口はあるか」(2月12日 ジョン・バリー、エバン・トーマス/ニューズウィーク ワシントン支局) _ アフガニスタンでの対テロ戦争に、「あの戦争」と共通する泥沼化の不吉な兆候が増えてきた。 3万人といわれる米兵の増派も、有効な戦術を思いつくまでの「つなぎ」にしかみえない (※追加3へ続く)。
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しかし、テロリストは容易に山岳地帯伝いに隣国のパキスタンへ逃げ、スキを見ては舞い戻るなどのイタチゴッコを続けているのが現状でしょう。
完全な撲滅には至っていないのは、01年米同時テロの首謀者とされるビンラディン容疑者をいまだに捕捉できないことからも想像できます。 山岳地帯での戦闘は、昔も今も困難な状況は変わっていませんね。
これを通常兵器でなく、核爆弾などの圧倒的に大きな破壊力をもった兵器を使ってしまえば簡単ですが、それでは兵士だけでなく、一般住民 非戦闘員の生命までも奪ってしまい、現実的な解決にはなりません。 米国は通常兵器でテロリストを屈服させ、戦争を終わらせて、国民を早く平和なアフガニスタン建設に向かわせ、アフガニスタンから感謝されて帰国撤退したいのが山々ですね。
しかし、そんな幻想はこの中央アジアには通用しない、別の常識が幾千年の昔から存在しているのかも知れません。 元々アフガニスタンという国はなく、19世紀英露勢力の緩衝地帯として残された地であり、そこは地域の部族勢力が点在する、難攻不落の不毛の地といったほうが正確かも知れません。 部族同士の結束力は弱く、民族が違えば全く外国と同じようなものとされているものが多いですね。
米国流の解決を押し付けられて、アフガニスタンの現地人が喜んでいるかどうかは分かりません。
以上
※追加1_ 大統領は声明で、増派は「情勢が悪化しているアフガンの安定に寄与する」と強調。 ゲーツ国防長官の増派要請を承認したことを明らかにした。
ホワイトハウスによれば、海兵隊と陸軍の旅団を春から夏にかけて派遣する。 春には武装勢力との戦闘が一層激化することが予想され、治安悪化が著しいアフガン南部を中心に投入するとみられる。 増派は、治安を改善し、今夏のアフガン大統領選を成功させる狙いもある。
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※追加2_ アフガン駐留米軍の幹部は最近、治安改善などを目指すため今後18カ月間で約3万人の追加派遣を要請していた。
昨年の大統領選でオバマ氏は、アフガンをテロとの戦いの主戦場と位置付け、増派の方針を表明。 イラクの米軍を大統領就任後、16カ月内に撤収させ、アフガンに振り向けるとの考えを示していた。
アフガンの旧政権勢力、イスラム強硬派タリバーンは01年の米英軍事作戦で駆逐されたが、ここに来て自爆テロなど新たな手口とともに駐留外国軍へ攻勢を強めている。
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※追加3_ ジョージ.W.ブッシュ政権でアフガニスタン問題の顧問を務めていたダグラス・ルート米陸軍中将は1年ほど前、テレビの人気トーク番組でこんなことを言った。「われわれはアフガニスタンの戦場で、戦術的に敗れたことはない」
ベトナム戦争の歴史を少しでも勉強していれば、この言葉に不気味な響きを感じ取るはずだ。 あの戦争の意味を象徴する言葉に、これによく似たものがある。
それは戦争が終わって数年後、米陸軍のハリー・サマーズ大佐と北ベトナムの軍大佐との間で行われたやりとりだ。「戦場で負けたことはなかった」とサマーズが言うと、相手は言った。「確かに。 だとしても、それが何だと言うのか」。戦場で負けていなくても、アメリカは「戦争」に負けたではないか、というのである。
「第二のベトナム」「○○にとってのベトナム」。 アメリカが他国に軍事介入すると、たいていベトナム戦争が引き合いに出される。 軍事介入に反対する左派は「泥沼化」のおそれをすぐに口にする。
手あかのついた言葉だが、この警告は時に現実のものになる。 現にアフガニスタンでの戦争が「いつか来た道」のようにみえてきた。
アフガニスタンとベトナムの戦いには、不気味な類似点が多い。 タフなところを見せたい大統領が「勝利」のために手段を選ばないと言っていること。 アメリカが救うはずの国は分裂していて、とても国家とは呼べないこと。 無能で腐敗した政府が大半の国民から政府とは認められていないこと。 敵は外国の侵略者と戦うことに慣れていて、国境を越えれば潜伏できる拠点があること。 その拠点をアメリカが自由に攻撃するわけにいかないこと。 そして、出口が簡単に見つかりそうにないこと。
アフガニスタンとベトナムの間には、確かに大きな違いもある。 たとえばタリバンには、南ベトナム解放民族戦線 (NLF) のような力もまとまりもない。
ベトナムはアメリカにとって直接の脅威にはならなかった。 共産化の波が広がることを恐れた人々も、NLF の兵士が米本土に乗り込んでくるとは予想しなかった。 だが、アフガニスタンは違う。 タリバンが米本土に侵入したことはないにせよ、アフガニスタンで訓練を受けたテロリストが01年に世界貿易センタービルを破壊した。
だからアフガニスタンの戦争は、正しく必要な戦争とみなされている。 多くの人はそこがイラク戦争との違いだと考えている。
イラク増派を成功させて米中央軍司令官に就任したデービッド・ペトレアスが、アフガニスタンでも奇跡を起こす可能性はあるかもしれない。 ペトレアスはベトナムとアフガニスタンの比較を好まないという。 アフガニスタンは複雑で理解できない国だ、だからベトナムと比較して語るしかないという言い訳に聞こえるらしい。
それでも、類似点は確実にある。 ベトナムと同じくアフガニスタンでも、アメリカはすべての「戦闘」に勝ちながら「戦争」に勝てないという状況に直面している。
公式の報告に非公式の情報。 アメリカと、アフガニスタンを含む外国の外交官や軍事関係者の話。 そんなおびただしい情報のなかに、一つ共通した見方がある。 アフガニスタンの情勢はひどく、さらに悪化しているという点だ。
■米軍への敵意が広がる
ベトナム戦争当時も、米大統領のもとには悲観的な報告が次々と寄せられた。 ジョン.F.ケネディは死の直前、地上戦の泥沼に陥る不安に怯えていた。 リンドン・ジョンソンは、ベトナム人が敬愛するホー・チ・ミン国家主席 (大統領) の影に悩まされ続けた。
当時と同じく、今も米軍内部には懐疑派が増えている。 しかし軍人は、司令官の命令には口をはさめない。 いまアフガニスタンに駐留する米兵は約3万人。 ブッシュ前政権は今後1年ほどで兵力を倍増させたいと考えていたが、バラク・オバマ大統領もこの点だけは前政権と変わらないようだ。
倍増させれば兵力は6万人。 ベトナム戦争のピーク時には現地に50万人の米兵がいたから、その数字はまだ大きく下回っている。 アフガニスタンでの米軍の死者も累計642人と、ベトナムでの5.8万人に比べれば確かに少ない。 ただ注意したいのは、今回はベトナム介入から9年間の死者数をすでに超えていることだ。
前政権、新政権のどちらにも、増派の目的を明確に語れる人間がいない。 増派は有効な戦術を思いつくまでの「つなぎ」にしかみえない。 しかも、有効な戦術というものがあるかどうかもわからない。
オバマがアフガニスタンで何をするのかも、正確にはまだわからない。 しかし目を凝らせば、少なくとも新政権の中枢に現実主義が台頭してきた兆しがうかがええる。
ブッシュ前政権の閣僚で唯一留任したロバート・ゲーツ国防長官は、アフガニスタンへの増派は現地の反感を強めるだけだと考えている。「アフガニスタンでの目標設定には慎重を期すべきだ。 現地の人々が米軍を『解決策』ではなく『問題』とみなす懸念がある」と、ゲーツは上院軍事委員会で語った。
欧米諸国にしてみれば、ベトナムは地球の裏側にあるエキゾチックな国だったかもしれない。 だとすればアフガニスタンは、月ほどに異質な場所だろう。
少なくともベトナムは、フランスの植民地だった。 だがアフガニスタンは植民地化に抵抗を続け、19世紀には英軍と、20世紀には旧ソ連軍と対等に渡り合った。
55年に南ベトナムに誕生したゴ・ジン・ジェム政権は、国民から政府とは認められなかった。 多くが仏教徒の国でジェムはカトリック教徒だったし、アメリカの後押しで成立した政権だったためだ。
アフガニスタンのハミド・カルザイ政権も同じだ。 アメリカの空軍力を後ろ盾にした現地軍閥が01年にタリバン政権を打倒した後、アメリカの肝入りで誕生した。
ジェム政権と同じく、アフガニスタン政府には腐敗が蔓延している。 カルザイ自身がこれを認め、「世界中の銀行に、アフガニスタンの政治家の金があふれている」と昨年11月に語っている。 前財務相のアシュラフ・ガーニは、アフガニスタン政府は「腐敗では世界のワースト5に入る」と言う。
アフガニスタンでは、外国からの援助は麻薬に次ぐ手っ取り早い収入源だ。 しかし盗みや管理の不行き届きのせいで、実際に各プロジェクトに渡るのは半分にも満たない。 人口の7割を占める農村部には、そのうち4分の1しか届いていないとみられる。
ベトナムでもアフガニスタンでも、政府は国民の保護者ではなく、むしろわがままな暴君だ。 南ベトナムの庶民は、有力者ににらまれたら最後、敵の同調者として米軍に引き渡されかねなかった。 こうした恐怖はアフガニスタンにも蔓延している。
9.11テロ直後に米軍がタリバンを壊滅させたときは、多くのアフガン人が歓迎した。 強いアメリカがアフガニスタンの町や学校や経済を変えてくれると期待した。 しかし今は、敵意が広がっている。「連合軍はアフガニスタンの人々に何をもたらしたというのだろう」と、ロシアのザミール・カブロフ駐アフガニスタン大使は言う。「今も彼らは非常に貧しい。ときおり誤爆されることもある」
アフガニスタンでの「国づくり」など、ないものねだりなのかもしれない。「アフガニスタンは国ではなく、部族の集合体だ」と、サウジアラビアの外交官は言う。
この土地では、中央集権的な支配の下で平和が続いた時期がほとんどない。 暴力も常態化していた。 18世紀のペルシャ王ナディル・シャーは反乱を鎮圧した際に、くじで選んだ部族民6500人の首をはねた。 それらをピラミッドのように積み重ね、反乱の扇動者を中に生き埋めにしたという。
とりわけ南部のパシュトゥン人地域では、現地の部族長が中央の権力者より大きな影響力をもっている。 タリバンはベトナムの NLF のように愛国主義を掲げているわけではないが、米主導の連合軍よりは確実に現地に根づいている。
■タリバンの支配は拡大
対ゲリラ戦の基本は「掃討、確保、構築」だ。 ゲリラを勢力地域から掃討し、ゲリラが戻れないように地域を確保し、行政機構を構築して政府への支持を獲得する。
連合軍はタリバンの「掃討」には成功しても、「確保」がおぼつかない。 南部では逆にタリバンのほうが「掃討、確保、構築」を実践している。
国際シンクタンク「治安と開発の国際審議会 (ICOS)」が昨年12月に発表した報告書によれば、タリバンが実効支配を確立した地域は国土の 72% に及び、前年の 54% から大幅に拡大した。 タリバンは首都カブールにも迫りつつあり、「カブールの幹線道路4本のうち3本がタリバンによる攻撃の脅威にさらされている」と、この報告書は書いている。
タリバンには NLF にはなかった強みもある。 ヘロイン取引による収入だ。 アフガニスタンのケシは世界のアヘン生産の約 93% を占める。 根絶が急がれるが、栽培量は04年から2倍以上に増えた。
ケシ農家をほかの作物に転換させたいが、農民はタリバンによる報復を怖がる。 しかも、ほかの作物に転換したとしても、今は市場に運ぶまともな道路がない。
アメリカは主に対テロ軍事行動によって、アフガニスタンに平和を取り戻したいと考えている。 そのため、米軍の精鋭である特殊部隊を無駄に使っている。
特殊部隊といえば、秘密の任務を与えられてヘリから降下するというイメージがある。 しかしブッシュ前大統領が世界規模の対テロ戦争を始めるまで、特殊部隊の日常任務は途上国での軍の育成だった。 ベトナムでも陸軍特殊部隊の当初の任務は、先住民をゲリラ兵士に育て上げることだった。
だが62年以降、特殊部隊は国境地帯の封鎖という退屈な任務を与えられた。 アフガニスタンの特殊部隊も現地軍の育成ではなく、アルカイダやタリバンを追跡したり、パキスタンから武装勢力の流入を防ぐことが任務となっている。
先ごろ戦略国際問題研究所 (ワシントン) のアナリスト、アンソニー・コーズマンは民主党議会幹部への報告の中で「アフガニスタン治安部隊の育成は運営がまずく、人員も資金も大幅に不足している」と語った。 アメリカは07年まで、アフガニスタン軍の訓練にまともに資金も出していなかった。
米軍と NATO (北大西洋条約機構) 軍が派遣している訓練要員は、必要数の半分にも満たず、技術も心もとない。 このためアフガニスタン軍は、武装勢力と単独で戦う兵力も実力もない。 米軍上層部はアフガニスタン軍の自立には、まだ5年はかかると考えている。
ベトナムと同じく、国境地帯の封鎖も成果をあげていない。 北ベトナム軍と同じくタリバンも、国境の向こうの供給路と拠点を頼りにしている。 北ベトナム軍がラオスとカンボジアを走るホーチミン・ルートを自由に行き来したように、タリバンも国境を越えてパキスタンの無法地帯に逃れている。
パキスタン国内の拠点はタリバンの訓練や補給に大きな意味をもつ。 家族も置いていけるし、自分がけがをした場合にも戻ってこられる。 パキスタン駐留のあるタリバン司令官は、兵士たちに5件の携帯電話の番号を渡し、アフガニスタンで米軍に撃たれたらすぐに救出して治療すると約束している。
アメリカはパキスタンでのタリバンの追跡を慎重に進めなくてはならない。 ベトナムでアメリカは、ソ連や中国を戦争に巻き込むことを恐れていた。 ハノイ周辺で爆撃を行えば、ハイフォン港に停泊するソ連の貨物船を沈めてしまう可能性もあった。
今パキスタンでアメリカが恐れているのは、強引な介入を行ってパキスタン政府を刺激することだ。 とりわけ相手は核保有国だから、危険な事態になりかねない。
■パキスタンの二つの顔
パキスタンはアルカイダについてアメリカと情報を共有し、国内のタリバンへの攻撃も行ってきた。 しかし軍統合情報局 (ISI) は、アフガニスタンにいるタリバンの一派と裏で手を結んでいる。 宿敵インドと親密な関係をもつアフガニスタンの軍備を弱いままにしておけば、パキスタンには戦略上の利益になるからだ。 パキスタンの多くの指導者は、アメリカはいつか去っていくと考えており、アメリカとタリバンの両方にいい顔をしようとしている。
二つの顔を使い分けているのはパキスタンだけではないかもしれない。 シーア派が主流のイランはスンニ派のタリバンと敵対しているが、タリバンに高性能の簡易爆弾を提供している可能性がある。 自国との国境地帯で米兵が苦しむ姿を見たいとイランが思ったとしても、まったく不思議ではない。
だが、アフガニスタンの米軍にとって最大の敵は米軍自身なのかもしれない。 少ない兵力で広大な地域を監視しているため、米軍は空爆に頼りすぎている。 04年にアフガニスタンで実施した空爆は86回だったが、07年には2926回に増えた。
ベトナム戦争以降、米軍は民間人の犠牲を出さないよう実に慎重になった。 もう無差別発砲は許されないし、米兵がジッポーのライターで村に火をつけることもない。
しかし、どんなに慎重を期しても、民間人の犠牲は避けられないものだ。 とりわけ敵が民間人を盾のように使っているときは、その危険性がさらに増す。 かつて NLF はそれをやり、今はタリバンが同じ戦術を用いている。
これが中央軍司令官のぺトレアスが直面する現実だ。 イラク戦争で名を上げた彼は、アフガニスタンではまだ新戦略を打ち出していない。 アフガニスタンで勝つには莫大な費用と時間がかかることに、オバマが気づくのを待っているのかもしれない。
そのぺトレアスとともにアフガニスタン問題を任されるのが、ベテラン外交官のリチャード・ホルブルックだ。 特使として国務省から派遣されるホルブルックは、効果的な援助の実現や、政府と軍の意見調整に取り組むことになる。 実力派ではあるが、ベトナムで和平工作に取り組んだロバート・コーマーと同じような評価に終わる可能性もある。 確かに有能だが、登場するのが遅かったと。
武装勢力の掃討を成功させるためにやるべきことは、はっきりしているともいえる。 ぺトレアスが言うように、アメリカには武装勢力を壊滅させることはできない。 武装勢力を打ち負かせるのは、国民の支持を得た地元の軍だけだ。
おそらくぺトレアスは、現地の民兵を訓練してタリバンと戦わせようとするだろう。 だが、これはソ連軍が失敗した手法だ。
アフガニスタンには「われわれを『借りる』ことはできても『買う』ことはできない」ということわざがある。 それに血の復讐を招くと知りながら、タリバン兵士を殺そうとする者がいるだろうか。
アメリカ国民も勝利の可能性には懐疑的になっている。 最新の本誌世論調査によれば、オバマが景気を回復できると答えた人は 71% いたが、アフガニスタン情勢を改善できると答えた人は 48% にとどまった。
アフガニスタンの戦争はイスラム過激派との「長きにわたる戦いでも最長のもの」になると、ペトレアスは言い続けている。 アメリカ国民にそんな戦いをする用意があるとは思えない。
本誌調査によれば、景気回復に次ぐアメリカ人の関心事は医療保険改革だ。 アフガニスタン問題を最重要課題とする人は「イラク」という回答より少ない 10% にとどまった。 アフガニスタン情勢に進展がなければ、10年の中間選挙では「オバマの戦争」に非難の大合唱が巻き起こるかもしれない。
■撤退しても解決しない
では撤退すればいいのかといえば、事態はそれほど単純ではない。 米軍が撤退すれば、ただでさえ弱いアフガニスタン軍は崩壊しかねない。 南ベトナム軍兵士は米空軍の支援を失った後、戦いを拒むこともあった。
89年に旧ソ連軍が撤退した後のように、アフガニスタンが再び内戦に突入する可能性もある。 今でさえ南部のパシュトゥン人は、カルザイ政権の大半を占めるタジク人を敵視している。 内戦になれば、パキスタンの支援を受ける勢力が勝ち、最後にはタリバンが彼らを支配するかもしれない。 ちょうど前回の内戦と同じように。
見方によっては、タリバンによる支配も悪くないともいえる。 タリバンを買収したり説得したりして、アルカイダを国外に排除させることができるなら、それは一つの選択肢だ。 タリバン政権で副大臣も務めた幹部によれば、一部のパキスタン当局者がすでにこれに似たアプローチを試みている。
パキスタンは危険な賭けに出たのかもしれない。 聖戦に燃えるイスラム兵士を国境地帯にかかえるのは、パキスタンにとっても大きな不安要因だ。 アメリカにとっても、安全保障上の利益が大きくからむことは言うまでもない。
オバマの国家安全保障問題担当補佐官に就任したジェームズ・ジョーンズ元海兵隊大将らが昨年行った2件の調査は、アメリカはアフガニスタンで負けるわけにはいかないと結論づけた。 それはそうだろう。 イスラム兵士に「アメリカをたたきのめした」と言われたい大統領など、いるはずがない。
ここで再びよみがえるのが、ベトナムだ。 ベトナム戦争に関する機密報告書「ペンタゴン・ペーパーズ」をリークしたダニエル・エルズバーグは、こう言ったことがある。「ベトナムからの撤退に最適な年などなかった」
ベトナムをアフガニスタンに置き換えれば、この言葉はそのままあてはまる。
以上