シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

"独断と偏見" で世相・経済からコミックまで 読んで楽しい 面白い内容を目指します。 

自殺でも疑惑は残る

2008年10月13日 | 事件事故の多い世
写真上左は、撲打事件で逮捕連行される三浦被告。 容疑は殺人未遂 (1985年9月11日)。 上右は、一美さん銃撃事件で三浦被告 (当時) の無期懲役の有罪判決を聞き、一美さんの遺影を手に記者会見に臨む母親の佐々木康子さん (東京・弁護士会館で1994年3月31日)。 下右は、米ラスベガスで3日、有罪の評決を聞くシンプソン被告 (AP)。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
またも逃げ延びたか、ロス疑惑の中心人物。 ロス郡地裁での共謀罪疑惑でこれから審理が始まろうというところで、表面上は戦う姿勢を見せていたが、内心は追い詰められていたのかも知れません。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「三浦元社長が自殺=ロス疑惑銃撃事件」(時事通信 10月12日) _ サイパンで逮捕され、ロサンゼルスに移送された元会社社長三浦和義容疑者 (61)=日本で無罪確定=が10日夜、ロス市警本部の留置施設で自殺した。
………………………………………………………
「三浦元社長自殺 一美さんの母コメント “遺族の思い消えず”」(産経新聞 10月12日) __ ※追加1へ
「”誰かに甘えて生きてきた” 20年前の担当刑事語る」(産経新聞 10月12日) __ ※追加2へ
「三浦元社長 面会12時間後 … 因縁の地ロスで最期」(毎日新聞 /ロサンゼルス 10月12日) __ ※追加3へ
………………………………………………………
「ロス疑惑」(時事通信 10月11日) _ 米ロサンゼルス市のホテルで1981年8月、三浦和義元社長の妻だった一美さん=当時 (28) =が殴られ負傷。 同11月に市内で夫妻が銃撃され、一美さんは一年後に死亡した。 元社長は殴打事件で懲役6年が確定し服役。 銃撃事件は東京地裁が無期懲役としたが、東京高裁で逆転無罪、最高裁で03年に確定した。
 
元社長は今年2月22日、米自治領サイパンに滞在中、ロス市警から連絡を受けた地元当局に殺人と共謀容疑で逮捕された。 ロス郡地裁は9月、元社長の逮捕状取り消し請求に対し、殺人罪を無効としたが、共謀罪は有効とした。 元社長はサイパンの裁判所でロスへの移送取り消しと即時釈放を求めていたが、一転して移送に同意。 今月10日、ロスに移送された。

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
日本での判決は元々、限りなく黒にちかい白というものでした。 銃撃犯人を特定できないなど、有罪とする「十分な証拠」がなかったわけです。 状況的には、保険金目当ての自作自演詐欺事件の様相が濃いものでしたが、日本の司法は状況証拠は取り上げません。

今回 ロス市警は共謀罪で自国内で逮捕、自信をもって裁判に望む姿勢だったのですから、日本での判決後、裁判審理に耐える新証拠が積み上がっていたのでしょう。

三浦自殺により元妻で銃撃事件の被害者、一美さんの無念は晴らされることはかないませんでした。 遺族のコメントにその無念さがにじみ出ています。 

三浦和義容疑者の人生とは一体なんだったのでしょうか。 殴打事件で懲役6年服役、銃撃事件で最高裁まで裁判の連続、そしてまた共謀罪で米国で逮捕。 1年前には、コンビニで万引きし、逮捕されています。

法律すれすれの、疑惑一色で、へたをすれば塀の中、うまくすれば塀の外という いわゆる塀の上を歩いてきた人生だったのではないでしょうか? 

今、米国では、もう一人の疑惑の男 O.J. シンプソンが逮捕され、裁判が始まっています。 行方が注目されます。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「O.J. シンプソン被告、今度は有罪 監禁や盗み」(朝日新聞 /ロサンゼルス 10月4日) __ ※追加4へ
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
以上


※追加1_ 自殺した三浦和義元社長の元妻で、銃撃事件の被害者、一美さん=当時 (28) =の母、佐々木康子さん (75) が12日、報道各社にコメントを寄せた。 全文は以下の通り。

元ポルノ女優を使って殺人未遂をおかし、そのわずか3カ月後、また複数の知人に一美殺害を依頼して、三浦は巨額の保険金を詐取しました。

しかし 被害者の人権よりも犯罪者の人権を重んじる日本では、三浦が裁判に勝ち、正義は実現しませんでした。

少年時代にあらゆる犯罪をおかし、日本の警察の優秀であることを肌身で知った三浦は、犯罪場所をロスに移したが、そこには共謀罪という罪があることを見落としていた。 墓穴を掘ったのです。 死んだことで罪がすべて許されるのなら、この世に倫理道徳はなくなります。

以前 ハンストをしたように、狂言として自殺をはかり、誤って死んでしまったのか、死のうとして死んだのか、それはわからないが、三浦が死んでも、殺された一美、千鶴子さんの無念は変わることはありません。 悲しみ苦しんだ遺族の思いは消えることはありません。

三浦が死んで一件落着のような風潮がもう出はじめています。 こんな理不尽なことが許されてよいのでしょうか。

日本の法律を超えて三浦を逮捕し、三浦の犯罪を明らかにしようとしたロス捜査当局の方々には、心より御礼を申し上げます。

そして家族からの最後のお願いは、三浦を有罪にする確信の元になった捜査証拠資料を公開して、三浦の犯罪がどのような犯罪であったのか、明らかにしていただきたい。 そうでないと、一美、千鶴子さんの霊は永久に安らぐことがありません。

10月12日 一美の母、佐々木康子
………………………………………………………
※追加2_ 「甘やかされて育った気が小さいおぼっちゃまだった、ということだろう」

元警視庁捜査1課理事官の大峯泰広さん (60) は20年の時を埋めるかのように、三浦和義元社長の心を読み解いた。

大峯さんは1988年10月に、一美さん銃撃事件で捜査1課が殺人容疑で三浦元社長を逮捕した際に取り調べを担当。 取調室で完全黙秘を貫く三浦元社長と20日間対峙した。 雑談では冗舌に語ったが質問を浴びせると一転。「取調室にある電話をジッと見つめて、目を合わせようとしなかった」

週刊文春で「疑惑の銃弾」と報じられたのが84年1月。 殺人容疑での逮捕には5年近くかかった。「取り調べでは『しゃべらなければ絶対に大丈夫』と完全に余裕を持っていた。 だが、最初の報道のときには相当慌てていたとの近親者の証言があり、事件についておびえていたのは間違いない。 それは今も変わらなかったのだろう」と、刑事訴追への恐怖心は常に付きまとっていたと分析する。

ロスへの移送直後に自殺したのはなぜか。

「日本では一美さん殴打事件で実刑が確定している。 アメリカで共謀罪に問われるならば、日本での裁判記録や、捜査関係者の証言から『共謀』があったことは裏付けが容易にとれる。 共謀罪は終身刑もあり得るため『逃げられない』と観念し、死を選んだのではないか」

日本で無罪が確定すると、人権擁護の言論を強めていた三浦元社長。 支援者は「死をもっての抗議」とみる。 だが、大峯さんには「虚勢を張っているだけ」と映った。

大峯さんと三浦元社長は団塊の世代に分類される同学年。 取り調べでは、有名人の甥として生きてきたとされる三浦元社長に、「自分とは違う生き方をしてきた」と、同学年ながら違和感を覚えたという。

「(三浦元社長は) 常に誰かに甘えて生きてきた人生だった。 本当は弱い性格だったのでは」

心の弱さが自殺という形に結びついたとみている。
………………………………………………………
※追加3_ 日米両国の捜査と司法のはざまで無実を訴え続けた元輸入雑貨販売会社社長、三浦和義容疑者が、因縁の地のロサンゼルスで自殺したことは、日本の支援者や事件関係者に大きな衝撃を与えた。 85年に警視庁で最初に逮捕されてから約23年。 日本で無罪を勝ち取り、米国で再び逮捕されるという異例の経過をたどった事件に、三浦元社長は自ら終止符を打った。

10日に自殺した三浦和義元社長は同日午前、収容先のロス市警本部の独房でロサンゼルス日本総領事館の担当領事と面会し、元気な様子を見せていた。「食物アレルギーなので、油で揚げたものは食べることができない。 そう警察に言ってほしい」と食事に注文し前向きな様子だったという。

三浦元社長は午前5時前ロサンゼルス国際空港へ到着。 その後、ロス市警の留置場へ収監された。 ロス市警は午前9時から会見。 捜査官の一人は「(元社長は)『とても疲れた』と話していたので、しばらく眠るだろう」と話していた。

しかし 三浦元社長はその約50分後、日本総領事館に電話し「留置場内で読書はできないといわれたが、確認してほしい」と領事との面会を要請した。 すぐ市警本部を訪れた領事に対し、元社長は「元気だ」と答えた。

拘置所へ移るまでの暫定的な施設のため読書ができないと説明され納得。「14日に裁判所に出廷するので、それまでに弁護士に会いたい」と話したほか、提供される食事の内容に注文をつけた。 面会した領事は「顔色も良く、(本人の) 言葉通り元気そうだった」と語った。 見回りの目をかいくぐり、自殺を図ったのは約12時間後の11日午後9時45分ごろだった。

◇遺族「なぜこのような事態に」
神奈川県平塚市の三浦元社長方は2階に明かりがついているが、反応がなく誰が在宅しているのかは分からない。 午後8時半ごろ、男性が出てきて「三浦和義 親族より」と書かれた文書を詰め掛けた報道陣に配った。

文書には「ロスでの拘束中に亡くなったとの知らせを、領事館より受けました。 現在も、米国政府からは、なんら具体的な説明がいただけないのが現状です。 拘束中、最低限守られるべきことが、なぜこのような事態になったのか、悲しみと共に、遺憾に感じております。 日本政府からも、早急な事実確認を早急にお願いしたいと思います」と書かれていた。

報道陣が「(妻の) 良枝さんのコメントですか」と問うと、男性は「親族です」と繰り返した。 建物には関係者とみられる男女が出入りしたが、報道陣の問いかけには答えなかった。

一方、ロス銃撃事件で亡くなった三浦元社長の当時の妻、一美さんの母佐々木康子さん方 (川崎市川崎区) には報道陣十数人が詰めかけた。 家の電気は消え、ひっそりしたまま。 向かいのアパートに住む女性によると、佐々木さんは1人暮らしで15日まで国内旅行に出掛けているという。

この女性は「ロス疑惑の後に引っ越してきたので、まさか (佐々木さんが) 関係者と知らなかった。 事件の話はほとんどしたことがない。 夕食時にテレビで自殺を知り、びっくりした」と話した。

◇ゲラゴス弁護士「ショックだ」
三浦元社長のロサンゼルスでの弁護人、マーク・ゲラゴス弁護士は11日、滞在先のイタリアから AP 通信の取材に答え、「ショックだ。 弁護団のうちの一人は昨日、彼 (元社長) と12時間一緒にいた。 彼は元気そうで、この裁判を闘うつもりだった」と述べた。
………………………………………………………
※追加4_ 米フットボールの黒人元スター選手、 O.J. シンプソン被告 (61) が、ラスベガスのホテルでスポーツ選手ゆかりの品を扱うディーラーを脅して商品を奪ったとして、監禁や盗みなど12の罪に問われた事件で米ラスベガスの地裁陪審員は3日、すべての罪状について有罪の評決を下した。 米メディアが伝えた。

シンプソン被告は「自分の持ち物を取り戻しただけ」と無罪を主張していた。 法定刑は最高で終身刑。 被告は評決後、ただちに収監された。

元妻が殺害された94年の事件では、黒人多数の陪審員がシンプソン被告に無罪評決を出し、「人種が結果に影響した」と大きな議論になった。

今回は、陪審員12人全員が白人。 再び人種問題が審理の行方を左右するかと注目されたが、事件の模様を被害者が隠し撮りしていたテープが物証として出されたほか、共犯者の一部が罪を認めて司法取引に応じるなど、シンプソン被告に不利な証拠が積み重なった。 陪審員はこの日、朝から13時間以上にわたって討議を行い、言い渡しは午後11時前だった。

以上

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。