シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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業界人の見た聞いたオケ逸話

2013年12月21日 | 音楽関係の本を読んで
写真は左から、ウィーン・フィル、「指揮者の役割―ヨーロッパ三大オーケストラ物語」(新潮選書)、小沢征爾。 
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本の著者 中野氏は超有名楽団関係者と親交があり、それらの裏話が色々と読めて面白かったですよ。 我々は、東洋の外れから欧州の演奏会まで足繁く超有名楽団演奏会にも行けませんから、こういう実際の話しは大いに参考になりますね。
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「指揮者の役割 ― ヨ-ロッパ三大オ-ケストラ物語」(新潮選書 著者/中野雄 2011年9月刊) __ トヨタ自動車のメセナ活動の1つがウィーン国立歌劇場への財政支援 (※追加1へ)。 内容紹介__「小沢征爾という指揮者をどう思うか?」(※追加2へ)。
「レヴァインはもう招びません」(※追加3へ)
「指揮者に牙を剥いた『カルメン』」(※追加4へ)

「そんな不潔な棒では …」(岩城宏之著『フィルハーモニーの風景』から) __ ※追加5へ
 「あのジイさんの棒の通りに …」(同上) __ ※追加6へ
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1. トヨタ自動車のウィーン国立歌劇場への財政支援 __ トヨタがブランドイメージ作りに、音楽の都ウィーンの力を借りようとしているのは今迄知りませんでした。 一般のトヨタ車とは別個の「レクサス」ブランドイメージを形成するため、ウィーン国立歌劇場とその選抜オケのウィーン・フィルのイメージを被せようというのは、ある意味 うまいやり方です。

中身がほぼ一緒でも トヨタ車よりは「レクサス車」が百万でも二百万でも高く売れれば、その効果があったということになるでしょう。 クラシック演奏家はなかなかコマーシャルには向かない。 あのカラヤンでさえ、企業の宣伝には殆ど使われませんでした。 逆に考えると 使いようがなかったかも。 にっこり笑ったカラヤンが、「ウン うまいコーヒーだ」とか、「おおっ ゴージャスな車だね〜」なんていっても、まるで “サマにならない” でしょう。

昔 1960年代だったか 指揮者の故 岩城宏之が某社カセットコンポデッキの横で、「ウン なかなかいい音がしてる」(だったかな?) 吹き出しを付けている広告ページを見たことがありますが、まるでギャグに見えて これじゃあんまり効果ないんじゃないかと思いました。 これほど クラシック演奏家は使い難いというか “使えません”。
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2. 小沢征爾という指揮者をどう思うか?__ 小澤のウィーン・オペラ音楽監督就任も快挙とは思いましたが、一方で 歌劇場音楽監督の経験なしに いきなり世界最高の歌劇場へ就任、というのは何か別の理由があるのでは?とも思ったものです。 小澤はボストン響の常任は四半世紀を越える長さでしたが、歌劇場での経験はどこも客演指揮ばかりでした。

客演指揮はいわゆる “一発屋” だから、常任の音楽監督に比べれば 気楽に指揮できるのではないかと想像します (もっとも 評判が良くなければ、二度目、三度目の招待の声がかからないのも当然ですが)。 私が想像するには、音楽監督となると 楽員や劇場スタッフとの安定した良好な関係を維持できる “手堅い管理能力” も求められるのではないかということです。 勿論 作品毎にムラがあったり、レパートリーが偏っていたりすれば、常任の音楽監督には向きません。

クライバーみたいに “気に入らないことがあるとキャンセル” してしまうなどの性格は、論外でしょう (ただし 指揮すればピカイチの公演になるのが保証されるのがクライバーだから、チケットを買う観客もドキドキのギャンブルものだったかも)。

小澤のウィーン・オペラ音楽監督時代の録音が、2002年ニューイヤーコンサート一枚だけというのも寂しい気もしますが、それが彼のウィーン・オペラとの実績を表しているようで残念です。 もっと多くのオペラ作品の録音を残して欲しかったですね。
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3. レヴァインはもう招びません __ そういえば、もうレヴァイン/ウィーン・フィルの組み合わせの録音も出てきませんね。 もっとも ボストン響の常任になってもその組み合わせの録音もないですから、レヴァイン自身の賞味期限が切れてしまったのでしょうか?

4. 指揮者に牙を剥いた『カルメン』__ そして『カルメン』を振った “60年代のフランス人のある程度名のある指揮者” というと … ジョルジュ・プレートルかアラン・ロンバールかと想像しますが、その後プレートルはウィーン・フィルとのニューイヤーコンサートに登場し、ロンバールは消えてしまったことからロンバールなのでしょうか? それとも他の …

こういう世界一流のオケを振るのは、指揮者冥利に尽きるというか、スリルがあるでしょう。 うまく行けば、ウィーン・フィルを振って成功経験のある一流指揮者として世界中で扱ってもらえるのでしょうが、そうでなければ ウィーン・フィルを振ったがコケにされた指揮者と噂されるかもしれないですからねぇ。
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しかし 上記に挙げたのは、それもこれも ウィーン・フィルの人気が超一流だからこそ成り立つ話しで、来演指揮者を選べる立場にある楽団 (他 ベルリン・フィルやコンセルトヘボウ管など) でないと こうは行きません。 超一流オケは極端な話し 誰が指揮してもコンサートは満員でしょうが、一流でないオケは誰が指揮するかで客の入りは違ってくるでしょう。

いい方を変えると、楽団の集客力が上なのか 指揮者のそれが上なのかで力関係が決まります。 それはどの世界でも同じことがいえるでしょう。 浮上沈滞するオーケストラ界の中で 特にウィーン・フィル ベルリン・フィルが世界の人気楽団のトップを維持し続けているのは驚異的です。
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最後に この本からのトピック。「『1950〜60年代にかけてアメリカのオケで最も多く録音しているのは?』(米音楽評論家ヒューエル・タークイ) __ 西海岸 ロスアンジェルスとハリウッドに隣接した町グレンデイルに本拠地を置く “グレンデイル響” がその答えです。

“コロンビア交響楽団” の名称でワルター指揮の多くの LP を CBS コロンビアに録音、また “RCA 交響楽団”、”ハリウッド・ボウル交響楽団” と称することもあったらしい」。 確かに コロンビア響の録音は多いですね。 老齢で余生を送っていたカリフォルニアから離れることが出来なかったワルターに レコード会社が用意したのが、このコロンビア響 (つまり グレンデイル響) でした。

だが ワルター指揮/コロンビア響とされている第九『合唱』の第4楽章は NY フィルらしいですから、我々愛好家も楽団の違いに気づかなかったというか、録音編集エンジニアの腕が良かったというべきか (第4楽章だけはワルターが NY へ飛んだらしい)。

以上

※追加1_ 年間 70億円 を越えるオペラ座の赤字支援を長期間にわたって続けることは至難の業だ。 進退窮まりかけたところに、光は東方から射してきたというところであろうか。 トヨタは一体、年間いかほどの財政援助をしているのか。

この歌劇場の入場券とプログラムの見開きには「Sponsored by LEXUS」という3つの単語が印刷されている。「レクサス」ブランドの定着が社運を賭けた試みらしいのは、歌劇場ののチケットにも、プログラムにも「TOYOTA」の社名が見当たらないことで判る。

当面 ウィーン国立歌劇場の財政破綻は回避され、当時の総監督ホレンダーの辣腕は大いに評価されるところとなった。 小沢征爾の音楽監督就任も日本企業の資金提供の見返りという噂は巷で囁かれている。

ウィーン・フィルの現役や OB、関係者を糾合して総勢三十数名の「トヨタ・マスター・プレイヤーズ・ウィーン」室内オーケストラを結成、毎年春に来日して、スポンサーのトヨタ自動車の財政支援のもと、国内何カ所かの都市でコンサートを催す。
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※追加2_ 最も印象的な回答は、温厚で実力派のウィーン・フィル首席奏者の口から発せられた「小沢は優秀な指揮者だ。 しかも大変な勉強家だ。 しかし その勉強の成果を俺たちに披瀝してくれなくてもいい」だった。 悪意のいささかも感じられない語調だったが、微笑む眼の奥に宿る鋭利な光を私は見逃さなかった。

2002年のニューイヤーコンサートでの出来事について、『週刊新潮』の「実は今年のニューイヤーコンサートでも、小澤さんはワルツ独特の微妙なリズムのゆれがうまくできずに、テレビが入っていない日は1曲終わる毎にコンサートマスターが隅っこに呼んで指導。 険悪なムードで」の言葉は、少しばかり訂正を要するようだ。

あの年のコンマスはキュッヒルだった。 持ち前の性格からみて、「彼がそんなことをする訳が …」と一瞬疑念が脳裏をよぎった記憶があるが、「小澤の指揮ぶりに文句をつけたのは、第二ヴァイオリンのヴェヒターでしたと、当時の事情を語ってくれた国立歌劇場関係者がいた。

「小澤さんはとにかく勉強家ですから、ニューイヤーコンサート初登場ということで、それは大変な努力をされたことと思います。 ウィンナーワルツやポルカのリズムの特徴や歌い回し、間合いの取り方など、それこそ血の出るような苦労をされたんじゃないでしょうか。

ところが ニューイヤーコンサートでは それが裏目に出た。 某首席奏者の『勉強の成果を俺たちに披露してくれなくても』という気持ちが多くのプレイヤーに湧いてしまったんですね。 ヴェヒターさんはリハーサルの休憩時間に小澤さんの楽屋を訪ねて、『振らないでくれ。 点をつくるタタキは止めてくれ。 弾きにくいから』と頼んだみたいです。 小澤さんは『わかった』とその場では受け入れたみたいですが、本番ではやはりキチンと振ってしまいました。

興行的には大成功だったし、CD も史上空前の売上だったけれど、なぜか『二度目』という声がかかりません。 とても残念なことです」
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※追加3_ 1990年代初め ウィーン・フィル臨時公演「レヴァイン指揮 ブレンデル (P) のモーツァルト ハ短調協奏曲とストラヴィンスキー『春の祭典』」の結果は芳しくなかった。「『春祭』はシカゴ響かクリーヴランド管で聴いた方が面白いかも」と。

何日かのち、オーケストラ首脳部との会食の席で、「レヴァインとは昔、モーツァルトの録音をされた仲でしょう。 申し訳ないけれど、この間のコンサートは感心しませんでした」と述べたら、間髪入れずにその人は、「ご安心下さい。 もう招ばないことに決めましたから」と、私の眼を真っ直ぐに見詰めながら答えた。
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※追加4_ 指揮者 三石精一 (東京ユニヴァーサル・フィル常任・音楽監督) 若き日の回想。

「1960年代 ウィーン国立歌劇場で『カルメン』を観たときの話しです。 オーケストラ・ピット真横のボックス席 指揮者の一挙一動とオケの演奏ぶりが全部見える席を取って。

その夜は、フランス人のある程度名のある指揮者でした。 コンマスかオケと何かトラブルがあったんでしょうね。 力量不足で楽員に侮られるような指揮者ではなかったのに、楽員たちがとんでもない演奏をした。

驚いたのは、演奏途中でオケが突然二郡に分かれて、アンサンブルがズレ始めた。 指揮者の棒振りが乱れてオケがバラバラになったのではなく、楽員たちが楽句の終わりの終止形の和音を、全部正確にズラしていたんです。 だから終わりが『ジャン』でなくて、『ザザッ、ザザッ、ジャジャン』と聴こえる。

指揮棒なんて見てやしません。 とうとう指揮者は眼を押さえ始めました。 振りながら泣いてるんですね。 ピット内の出来事だから、普通の客席からは見えませんけれど、私の位置からは丸見えでした。

弾いているのはプロですから、さすがに舞台をガタガタにしない。 見事に伴奏を付けて、しかしエンディングの二度打ちだけは最後迄止めませんでした。 終演後のカーテンコールにも遂に指揮者はステージに姿を見せませんでした」
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※追加5_ フルトヴェングラーが初めてウィーン・フィルを指揮した時、彼のユラユラ、ブラブラの棒さばきを見て、メンバーの誰かが、「そんな不潔な棒では演奏できない」と野次った。 怒ったフルヴェンが即座に退場し、関係修復に数年かかったそう。 彼は既にベルリン・フィルの常任指揮者として、ドイツ音楽界に君臨していたのだ。
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※追加6_ カール・ベーム最晩年 (81年?) のウィーン・フィル日本演奏旅行のとき、シューベルト交響曲8番「未完成」・9番「グレート」を NHK ホールで聴いた。 美しさと緊張感が持続し、壮大なクライマックスでは涙がこぼれたほどの演奏だった。 終了後ウィーン・フィル楽員何人かとオーストリアワインの店へ行った。 1人がクールな感じでいった。

「あのジイさんの棒の通りに弾いたらエライコトになるんだぜ。 もうすっかりモウロクしているからテンポは伸び放題だし、手がブルブル震えっぱなしで、何がなんだか分からないんだ。 お客さんの期待と感動に水を差さないように、俺たちがカバーしてやってるのさ」 

以上

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