シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

"独断と偏見" で世相・経済からコミックまで 読んで楽しい 面白い内容を目指します。 

業界人の見た聞いた巨匠逸話

2013年12月19日 | カリスマは死せず
写真中央は、「指揮者の役割―ヨーロッパ三大オーケストラ物語」―(新潮選書)。 両脇は御大のベートーヴェン全集 1960年代盤と70年代盤 LP Box Set。 80年代盤は CD になった。
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本 (※) の著者は超有名楽団関係者と親交があり、それらの裏話が色々と読めて面白かったです。 私などは一介のクラシック音楽愛好家に過ぎませんから、とてもこういった業界内輪話しなど聞ける立場ではありません。

また 著者はそれら多くの演奏会にも通っているようですから、自腹を切って多くの経験もされているのには感服です。 我々は、東洋の外れから欧州の演奏会まで足繁く超有名楽団演奏会にも行けませんから、こういう実際の話しは大いに参考になりますね。
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BookWeb から__「指揮者の役割 ― ヨ-ロッパ三大オ-ケストラ物語」(新潮選書 著者/中野雄 2011年9月刊) __ オーケストラにとって指揮者は不可欠のカリスマか … (※追加1へ)

内容紹介__「カラヤンという指揮者の新譜が出ることがなくなってから、クラシック・レコード界からセンセーショナルな話題が消えた …」(※追加2へ)

「抱き合わせ販売事件」とは、ベルリン・フィル台湾ツアーに当たり オケには秘密に、付帯条件として『カラヤンの映像放送権を購入する義務』のテレックス (署名はピーター・ゲルブ総支配人) を先方に送ったことが報道されたこと。

「ウィーン・フィルとカラヤンの何度目かの喧嘩の最中の …」(岩城宏之著『フィルハーモニーの風景』から) __ ※追加3へ

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著者 中野氏はオーディオ・レコード事業にも加わったせいか、音楽産業についてもナルホドと感じる所も多くありました (※追加2部分)。 私は、ベルリン・フィル楽団員のベルリン市からの年収と録音収入を合計すると、ピーク時には年収の倍ほどだったと別記事で読んだ記憶があります。

それくらい 60〜70年代には毎月のように、カラヤン/ベルリン・フィルの新譜が発売され、人気がありました。 またピーク時には 専属レコード会社 DGG の売上の4割がカラヤン指揮のものともいわれましたから、その世界的人気度 (=レコードの売れ行き=楽員の録音収入) が知れるというものです。 私もせっせと購入したクチですよ。

70年代末、「ドイツでベルリン・フィルの団員だというと、市民は『ああ あの高給取りの …』という顔つきで私たちを見るが、オーストリアでウィーン・フィルの団員だというと、皆さんは『あなたがあのウィーン・フィルの …』と尊敬の眼差しを送る」とベルリン・フィル奏者が訴える、とあるのも面白いですね。 本場でもそう見られていたのですね。

極上な演奏録音の複製品 (レコードや CD) によって、”カラヤン/ベルリン・フィル” は世界中の大衆に行き渡り、その売上の分け前である印税は彼らのフトコロを大いに満たしました。 だが 80年代になると、さすがに (録音魔?といわれた) カラヤンもレパートリーを録音し尽くしてしまい、2度目、3度目の録音が多くなり、これは、と思うような目新しさは減っていったように思います。

中にはどう考えても 本人が録音したかったというよりは、”レコード会社の意向” で録音したのでは?と想像させるようなものもあったなぁ__シューマン交響曲全集・メンデルスゾーン交響曲全集・チャイコフスキー交響曲全集・ヘンデル合奏協奏曲集などだ。 なぜなら彼が演奏会で取り上げない曲目が多いからです __ だから それらは未購入です。
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先日もベルリン・フィル演奏の第五番「運命」CD を4人の指揮者 __ フルトヴェングラー、クリュイタンス (この本※では “モノラル盤” としているが間違いで本来はステレオ)、フリッチャイ、カラヤン (63年発売) __ で聴きましたが、やっぱり最も面白く、うん これこそベートーヴェンだと思ったのはカラヤン盤です。

なにしろ中学生当時から聴き続けている録音でもあり、”この演奏による快感はすっかり私の体に染み付いている” といってもいい演奏・好録音だからです。

本 (※) の著者は、63年5月にアムステルダムのコンセルトヘボウ (音楽堂) でカラヤン/ベルリン・フィルの第三番「英雄」実演を聴いたという記述があります __

「その折の光景は脳裏から消えない。 冷淡な拍手で彼等の登場を迎えたオランダの聴衆が、最後の和音が終わらないうちに全員総立ちとなり、ステージの下に駆け寄り、歓声と拍手を送った」__今でいう standing ovation です。 63年発売の全集の中の「英雄」もきりっとした緊張感が溢れる好演奏・好録音です。
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そして マエストロ落日 (?) の晩年も、書かれています。 ザビーネ・マイヤー事件 (1982年) と、ベルリン・フィル台湾演奏ツアーと映像もの「抱き合わせ販売事件」(1988年) です。 後者の件はこれまで、色々な記事を読んでもよく分かりませんでしたが、この本で9割くらいまで理解できました。

あと1割は、この “抱き合わせ販売” を誰が主導したのか不明ということ (88年当時はインターネットが始まっていないので、今 検索してもよく分からない)。 ゲルブかそれとも …

「暴挙を諌める真の忠臣はいなかった。 マイヤー事件の折も諌言を呈しうる人物はいなかった」という内容と似た記述、『彼には友人がいなかった』(楽員) を他の本でも読んだことを思い出した。 30数年も世界の頂点に位置するオケの常任指揮を続けていても、マエストロは一緒に食事したり 歓談する楽員はいなかったらしい。

そう考えると、ベートーヴェン全集のジャケット写真も どこか “孤高の芸術家” の近寄り難い表情にも見えます __ 実際はスピーカーを前に 録音機材卓に肘をついて自分の指揮した演奏録音で演奏ミスがないかどうかをチェックしている “真剣な顔” です。
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ウィーン・フィルとカラヤンの逸話も、練習・本番に立会った指揮者 岩城宏之ならではですね。 それと 本 (※) の内容とは無関係ですが、オペラの世界のここ四半世紀の傾向についてヒトコト。 といっても 私は始終オペラを見に聴きに劇場へ行ってないのですが、音楽雑誌などを読んでいて気づいたことがあります。

それは、カラヤンやベーム、ショルティなどオペラの世界での重鎮 巨匠たちが世を去った80〜90年代以降ですが、”指揮者のオペラの時代” から “演出家のオペラの時代” に移り変わってきているらしいのです (因に その前は “歌手のオペラの時代” ともいいます)。

つまり 聴衆たちは “誰が指揮をするオペラなのか”、よりも “どんな演出のオペラなのか” を見に聴きに劇場へ来るらしいのです。 それだけ、指揮者の重みがなくなりつつあるのかも知れません。 それは ベルリン・フィルのカラヤンの後任がアバド、ラットルになっても、様々な意味で前任者カラヤンよりも重みや話題性が薄くなっているのと同じことかも __

以上


※追加1_ それとも単なる裸の王様か? どんな能力と資質が必要とされるのか? ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、そしてアムステルダムのコンセルトヘボー管弦楽団を舞台に、フルトヴェングラーからカラヤン・小澤をへてゲルギエフまで―巨匠たちの仕事と人間性の秘密に迫る。 指揮者は音を出さない。 では一体、何をするのか。 どんな資質の持ち主か。 フルトヴェングラーからゲルギエフまで、巨匠たちの仕事と人間性の秘密に迫る。

序章 指揮者の四つの条件
第1章 指揮者なんて要らない?―ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(絶美・陶酔のアンサンブル体験;ウィーン・フィルの恐るべき力量 ほか)
第2章 カラヤンという時代―ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(凄腕揃いのチェロとコントラバス;カラヤンの残像 ほか)
第3章 オーケストラが担う一国の文化―ロイヤル・コンセルトヘボー管弦楽団・アムステルダム(伝説の奏者ヘルマン・クレッバース;ピーツ・ランバーツの回想 ほか)
終章 良い指揮者はどんな指示を出すのか?

著者/中野雄[ナカノタケシ]_ 1931年 長野県松本市生まれ。 音楽プロデューサー。 東京大学法学部を卒業後、日本開発銀行をへて、オーディオ・メーカー「ケンウッド」の代表取締役 CFO、昭和音楽大学・津田塾大学講師を歴任。 LP・CD の制作でウィーン・モーツァルト協会賞など受賞多数。
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※追加2_「話題提供者を失ったマーケットは、いつしか活力を喪失し、売上は縮小傾向に転ずる。 カラヤンにとって幸いだったのは、磁気録音、LP、CD、そして VTR と LD という視聴覚の最新情報機器が、彼の音楽界における権力と名声の把握を軌を一にして開発され、世の中に普及していったことである。 レコードの売上増と、新しく始まった映像ビジネスの販売収益を楽団員に還元し、メンバーの所得を劇的に増加させた。 『カラヤン就任後、数年を経ずして我々の収入は 30% 上がった』(1960年代末 ベルリン・フィル チェロ奏者の話し)。 他の指揮者とオーケストラで、同一曲目をタイトルにした LP・CD が、カラヤン盤を凌駕する売れ行きを記録した例は少ないのでは …」
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※追加3_ 1961~62年 ウィーン・フィルとカラヤンの何度目かの仕事の最中の喧嘩に、居合わせたことがある。 定期演奏会の練習だった。 ベートーヴェンの交響曲第7番である。 第2楽章のテンポを、カラヤンはかなり遅くしたい様子だった。 伝統的なテンポより、相当にゆっくりなのでオケは抵抗した。 何度もやり直し、やっと彼の思い通りのテンポになった。

本番の最中 僕は客席でアッと驚き、飛び上がりそうになった。 彼が最初の2小節をはっきり1・2、1・2と振った時には、思わずニヤリとしてしまった。 メトロノーム 68 ぐらいのテンポで押し切る積りだったのだろう。

ところが 第3小節からの弦楽器群のテーマ演奏に、びっくり仰天した。 カラヤンの棒とは全く関係なく、もっと早いテンポ約 90 で、整然と音楽が流れ出したのだ。 彼もさるもので、その瞬間まるで自分が望んだかのように、オケに合わせて優雅に指揮していた。 完全にカラヤンの負けだった。

以上

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