シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

"独断と偏見" で世相・経済からコミックまで 読んで楽しい 面白い内容を目指します。 

くそをしろ … 最高に笑えるニルソン自伝

2021年09月09日 | 音楽関係の本を読んで
ニルソン自伝。  その中から「T. スチュアート、W. ヴィントガッセン、G. フリック、H. ホッターとカードゲーム “スカート” をしているところ」… 意外なのは、半世紀前 歌手が喫煙している風景です。 現代では喉を大事にする歌手は喫煙しないと思いますが。
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スウェーデン出身のニルソンは自伝の中でこう述べています __
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『ビルギット・ニルソン ~ オペラに捧げた生涯』(ニルソン著 春秋社 2008年刊 ⁂) __ 12章 レコード録音 から
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「HMV (EMI) との契約の2枚目で1958年 ドイツ・アリアを録音した。 クレンペラーが第九を録音したばかりで、そのレコードには余裕があるので、翌日に そこに私の歌でベートーヴェンの2曲の歌曲をクレンペラーと録音してくれとウォルター・レッグから頼まれた。

私はこの歌曲『太鼓は打ち鳴らされた』を歌った事はなかったが、翌朝までかけて歌えるよう練習した。 リハーサルは歌詞が『敵はもう退散している、あそこに大砲を打ち込もう』まではスムーズにいった。

ところが 私は “schiessen” (シーセン 打ち込もう) を “scheissen” (シャイセン くそをする) と歌ってしまい、楽員の間でどっと爆笑が起こった。 私は恥ずかしさで顔を赤らめながら、もう1度初めからやり直した」(412~413p)

__ 英語では “shoot” と “shit” ですから、こちらも似ていますね。 当時ニルソンはまだドイツ語が得意でなかったのでしょう。 

「その後で レッグが、なぜスウェーデンが200年も戦争に巻き込まれなかったのかが分かったといった。『そんな弾薬を装備している敵と誰が戦うだろうか?』 信じられないくらい繊細な聴覚を持っていたレッグは、とても貴重な助言や指示をしてくれた。

ホッターとは『ワルキューレ』第3幕終幕のヴォータンとブリュンヒルデ、『オランダ人』のゼンタとオランダ人の2重唱を歌って録音した。 これは好評で後に CD 化された」(413p)

__『ワルキューレ』は DECCA 録音 (1964) で聴けますが、ゼンタは録音してないでしょうから、CD を見つけたら聴いてみたいですね。
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「 DECCA との初仕事は、イゾルデの愛の死と、『トリスタン』第1幕から幾つかのシーンをグレース・ホフマン (ブランゲーネ) とクナッパーツブッシュの指揮で録音する事だった。 リハ嫌いだったクナは1回目の録音から全霊を傾けた。

録音の場合、同じシーンを何度もやり直す事があるが、クナの場合 できない相談だった。 彼に繰り返すよう頼むと、目に見えて不機嫌になった。 クナは録音には向かない指揮者といえよう」(415p)

「デッカ・ボーイズ (録音クルー) は、何かしらいたずらして驚かせた __『サロメ』録音のとき サロメが預言者ヨカナーンの切り取られた首に口付けする最後のシーンを歌い終えたその瞬間、目の前にお盆に載った大きな頭が出現した。 血まみれでゾッとするように見えた頭は、黄色と緑のマジパンでコーティングされた 美味しいケーキだった」(430p)

「デッカ・ボーイズは、それまでは不可能だった音響すべてを再現する事に熱中するあまり、録音中のオペラが、本来はオケ伴奏付きの歌であることを忘れてしまった。『サロメ』レコードジャケットに カルショーが『生のオケ演奏ではトライアングルの音色までは聞こえないが、このレコードでは初めてその音が聞こえます』と添えている。

後に DECCA が最新の録音装置を実験的に使っていた期間に収録されたレコードが CD 化され、それに際してバランスを変え オペラの原点に戻ったと聞いて嬉しかった。 だが あの録音手法は素晴らしく、今ではどの会社もウィーンでの7年間の『指輪』録音で費やしたような贅沢はできないだろう」(435~436p)

__ ショルティの『指輪』はカルショー無しでも、そして ニルソン無しでも実現できなかったでしょう。 ショルティを呼んだカルショーは、ニルソンが臍を曲げた時も注意深く対応して彼女の機嫌を何とか取り持ったことが自著『指輪』に詳しく書かれています。

ところで 冒頭写真でのメンバーは『指輪』録音中かと想像しますが、T. スチュアートの出番は何だったのか、これがさっぱりと解りません。
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「1959年 RCA 向けにラインスドルフ指揮サンタ・チェチリア音楽院とで『トゥーランドット』を録音した。 R. テバルディはリューを美しい声で歌った。 驚いたのは、彼女の歌は驚くほど頼りなかった事。 彼女は正しい音と拍子で歌えるように、教える2人の音楽指導者も付きっきりだったのに、よくミスをした」(416p)

「1962年『ワルキューレ』をラインスドルフ指揮、J. ヴィッカーズ (ジークムント)、G. ロンドン (ヴォータン) らで RCA に録音した。 ロンドンに着いて、いつもの G. ホフマンではなくリタ・ゴールがフリッカを歌うと知った私は、驚いてシュトゥットガルトのホフマンに電話したら、彼女は気が動転してしまった。

私がプロデューサー (⁂) に問いただすと、ホフマンは降ろされたのだという。 この明確な契約違反を彼女にどう償うのかと尋ねると、彼は肩をすくめただけだった。 そこで私はストライキを決心した。 G. ロンドンも味方になってくれて 私たちはホフマンにギャラが支払われる保証が得られるまで歌うのを拒否した。 録音時間が無駄になるとコストが膨大なものになるから大騒動になった。 最終的にホフマンにギャラが支払われた。

後で分かったのは、ラインスドルフがホフマンを降ろしたのだという。 彼女は以前の録音のとき、彼にもっと明瞭に振ってくれといって それがマエストロの頭にしっかり記憶されていたらしい」(431~432p)

__ このプロデューサー (⁂) は E. スミスでしょう。 経緯や契約内容がどうなのか不明ですが、指揮者の主張が通ったのですね。 ラインスドルフは60年前後 多くのオペラ録音を RCA に残しましたが、今はあまり市場に出回ってない印象です。

今日はここまでです。

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