シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

"独断と偏見" で世相・経済からコミックまで 読んで楽しい 面白い内容を目指します。 

オナラの音はファゴット似?

2021年10月09日 | 音楽関係の本を読んで
クレンペラー。 「指揮者おもしろ雑学事典」(2006年刊 ヤマハミュージックメディア)。 左は「1930年のワルター トスカニーニ クライバー クレンペラー フルヴェン」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
指揮者オットー・クレンペラー Otto Klemperer は多くのエピソードを残していますが、傑作とも思えるものを紹介します。

「音楽的だった (?) 巨匠のオナラ __ 68年 80歳を超えていたクレンペラーは、ウィーン音学週間でウィーン・フィルを指揮して5つの公演を行った。 その初日 歩行困難になっていた老巨匠が、ようやく指揮台前の椅子に座った途端、ブーッと大きなオナラをしてしまった。 ところが 管楽器だけの曲だった事もあって、楽員は出だしのファゴットの音と間違えて、演奏を始めてしまったという。 幸いオナラは殆どの人に気付かれなかったようだ。 巨匠ともなると、 無意識のうちにオナラで出だしと同じ音を出せるのかも知れない」(冒頭の本 54p)

“オナラのブーッという音” と “ファゴットの音” を想像すると、そういわれれば そうかも、とも思えます。 いい得て妙ですね (例えば チャイコ交6『悲愴』出だし “ブブブ~ブ” がファゴットです)。

高齢ともなれば、身体の各機能が段々と衰えてきて、我慢しきれず 思わず漏らしてしまう事もあると思います。 あのカラヤンだって どこかの記事で、オケとリハーサル中 オナラ一発を出してしまったともありました。

クレンペラーは笑顔の写真がなく、いつもムスッとした顔しか見ないので、エピソードとのギャップが大きいのです。 後ろにウィキペディアに載っているエピソード集を転記しましたので、暇な方はお読み下さい。 14もあります。 5番目と似た話しは別のブログで紹介した事もありますが、完全には一致していませんから、別人かも。
………………………………………………
もう1つ、「バッハの《マタイ》や《ヨハネ受難曲》といったキリスト教音楽を指揮するためにユダヤ教からキリスト教に改宗し、その後再びユダヤ教に改宗」(54p) にも注目です。

我々 仏教徒にはよく解らない話しですが、そうなんですね。 でもレクイエムなどはどの指揮者も振っていますから、今はあまり厳密に考えてないと想像しますね。

今日はここまでです。


★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
1) 1958年9月に クレンペラーは寝室で寝タバコのまま寝込んでしまい、火をベッドに延焼させてしまう。 それを消そうとし水と間違えて樟脳 (カンフル) をばらまいてしまい大やけどを負ってしまった。 その後 一年近く治療に専念することになったが、翌1959年8月にフィルハーモニア管との終身のレコード契約を結ぶと、クレンペラーはたちまち回復して演奏活動に復帰した。

2) 作曲家パウル・ヒンデミットが「音楽の哲学的な側面」と題する講演を開いたときのこと。 質疑応答でクレンペラーが手を挙げた。 何を質問するかと思いきや「トイレはどこですか?」

3) アメリカ時代 病気が悪化したクレンペラーは色情狂を思わせる症状を示した。 友人たちの尽力でサナトリウムに入ることになったが、すぐさまそこを出てしまい、この一件は「ニューヨーク・タイムズ」の一面記事となった。 タイトルは「クレンペラー逃亡す、性犯罪に走る恐れあり!」。 クレンペラーは警察に逮捕され、精神病院に引き渡された。 医師の見立てにより入院は回避されたものの、これら一連のスキャンダルにより、アメリカにおけるクレンペラーの評判は完全に失墜した。

4) ある朝 クレンペラーの娘ロッテがホテルの父の部屋をノックした。 部屋は散らかり服は散乱し、ベッドには若い女性がいた。 クレンペラーはその女性に歩み寄りいった。「紹介しよう、私の娘ロッテだ。 ところで君の名前をもう一度教えてくれないか?」

5) ある劇場でモーツァルトのオペラ『魔笛』を上演したときのこと。 クレンペラーは三人の侍女・三人の少年を歌う女性歌手達といちゃつきたいと思った。 そしてそのうちの1人に対し行き過ぎた行為に出た。 歌手からの苦情を受けた劇場支配人は、クレンペラーに対し「このオペラハウスは売春宿ではございません」と注意しようとしたが、間違えて「この売春宿はオペラハウスではございません」といってしまった。 それを聞いたクレンペラーは、納得してその場を立ち去った。

6) ブダペストで、ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を指揮したときのこと。 オーケストラのコンサートミストレスは、当時19歳のワンダ・ウィウコミルスカ。 しかし3幕になると、ウィウコミルスカは退屈し ついうとうとしてしまう。 それを見たクレンペラーは思わず怒鳴った。「とっとと帰れ! ワーグナーはガキの音楽じゃねぇんだ!」 

7) 同じくブダペストで、クレンペラーはあるリハーサルのとき激怒してしまい「タクシーを呼べ!」と叫んだ。 劇場支配人はクレンペラーの激しやすい性格を知っていたので、タクシー運転手に対し 彼を乗せて劇場の周囲をグルッと一回りしたあとに戻ってくるよう指示した。 タクシーは本当に戻ってきて、クレンペラーは指揮台に戻り中断した箇所からリハーサルを再開した。

8) ワーグナー『さまよえるオランダ人』録音セッションのときのこと。 ある歌手がある部分をもう一度歌い直したいと申し出た。 クレンペラーは「なぜだ? もう一度やったって悪くなるだけだ」と答えた。 その歌手は「今度はもっとうまく歌ってみせます」と返したが、クレンペラーはこう言って拒否した。「そんなに長い時間、待てるものか!」

9) フィルハーモニア管の赤い髪の女性チェロ奏者を気に入ったクレンペラーは、自作のピアノ三重奏曲を試したいという名目でホテルの自室に誘った。 クレンペラーは別の男性ヴァイオリン奏者も同時に誘ったため、彼女は安心して誘いに応じた。 いざ三人で演奏するという際、ピアノの前のクレンペラーは男性ヴァイオリン奏者にぐちゃぐちゃの手書き譜面を渡していった。「ヴァイオリンのパートはまだできていないんだ。 君は帰っていいよ」

10) クレンペラー自作の交響曲第2番をリハーサルしているとき、第1トランペット奏者が、ある箇所の音を半音上げるか下げるかわからず、隣の奏者に尋ねていた。 それを見たクレンペラーは「疑問があれば私に聞いてくれ。 ここでは私が指揮者であり作曲者だ」といった。 それに対し そのトランペット奏者は「私が何かを尋ねても、今まであなたは一度も答えてくださらなかったではありませんか」と返した。 クレンペラーはコンサートマスターに向かい こう聞いた。「おい 今あいつはなんといったんだ?」

11) プーランクが、クレンペラーの指揮で自作のピアノ協奏曲を演奏した。 その際 クレンペラーはコンサートマスターにこう尋ねた。「“シャイセ” はフランス語でなんというのかね?」(“シャイセ” はドイツ語で、“くそったれ” の意味 __ ブロガー)

12) ワルターによるウィーン最後の演奏会の翌日、クレンペラーは偶然ワルターと出会った。 彼は前日の演奏会でのマーラー交響曲第4番について、皮肉たっぷりに「20年前と同じ演奏ではないかね」といった。 しかし ワルターにはその皮肉が通じず、善意に受け取られ 逆にお礼を返された。 

13) 歌手のフィッシャー=ディースカウが指揮者としてのデビュー公演にクレンペラーを招待した。 そこでクレンペラー、「あいにくその日はショルティ (指揮者。 しわがれ声で有名) が歌う『冬の旅』を聴きに行く約束があるので」

14) 同年代の指揮者と比較すると、彼の録音は膨大な数にのぼるが、彼自身はスタジオ録音に求められる完璧性を理解しようとしなかった。 クレンペラーはテープのツギハギ (編集) を「ペテン」と批判し、録音時の演奏ミスを修正する際は、小節単位での部分録音ではなく、前後の連続性を重視しその部分をそっくりやり直すことを要求した。 また、ステレオを「イカサマ師の発明」とこき下ろしていた。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
以上です。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。