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原発問題

原発事故によるさまざまな問題、ニュース

【フクシマ見聞録】『A2-B-C』映画 この監督の視点はごく単純だ。被曝問題があり、それを隠す国というものがある ※47回目の紹介

2016-12-12 22:18:05 | 【フクシマ見聞録】

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。47回目の紹介

【フクシマ見聞録】

『A2-B-C』映画

この監督の視点はごく単純だ。被曝問題があり、それを隠す国というものがある

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2013年11月26日のツイートから


福島行-「今日多くの方がご参加いただいておりまして、
空いている椅子が残りわずかなんで、できればこう、

後から入ってきた方がこちらにすわれるように、
若干センターに空き椅子がないように
つめていただくようおねがいいたします。」

事務の方が言った。-


-会場の人間がわずかに隙間を埋めてずれてゆく。

「それではプログラム二番目になりますが、
ふくしま共同診療所院長松江寛人より、昨年12月1日オープンより
約9ヶ月経過しまして、診療の状況、とりわけ甲状腺エコー検査から
見えてきたものと題しましてこれから約20分くらい、-

 

-「松江院長の報告を行ってゆきたいと思っております。

よろしくお願いいたします。それでは松江院長よろしくお願いいたします。」
そう促されて松江院長が脇から現れ壇上の席に座り言った。

「ええ、いま紹介あがりました診療所の院長の松江です。-

 

-「ええ、まずあの今の映画なんですが、これはあのドイツの方がですね
日本の原発事故の現状をそのね記録したい残したいということで撮られた映画なんです。

で、いま出たのは映画のほんの一部なんだそうです。

だから全部はまだわたしも観ていないが、
これからどこで上映されるかわかりませんけれども-

 

-「わたしもぜひ観たいとそういうふうに思っています。

それから、この、この映画はですね、あの正確じゃないんですが
なんかそういうドキュメントの会というか大会というかあるらしいんですが、

そこで賞を獲られたということなんですが、
それも正確にわたしも知らないので申し上げられないんですが-

 

-「まあみなさんもチャンスがあったらぜひ、観ていただきたいと思っています。」

福島の被曝問題とそこに苦闘するひとびと、ふくしま共同診療所を収めた『A2-B-C』は、
今調べてみた時点で、グアム国際映画祭の最高賞、スイスドキュメンタリー映画祭グランプリ、-

 

-ドイツで行われたイベントニッポンコネクションで、
「ニッポン・ビジョン賞」を受賞している。

海外で、すでにこの福島で人知れず行われていることが評価されている。

ひとしれず、というのは皮肉をこめている。
日本のメディア(ネットメディアもそうだ)の情報を検索しても-

 

-ふくしま共同診療所のことはほぼ出てこない。
それは、いわゆるリベラルな情報を提供しているはずのメディアが、
残念ながら左翼に属する人間に支えらていること、

そして彼らが中核派がからむ、ということでこの福島の被曝で
一つの最前線に立っているはずの場所を遠ざける力学が働くこと、-

 

-それがリベラルであるはずの情報を流す媒体の経営に直に
響いてしまうことに原因がある。目を覚ましたほうがいい。

この監督の視点はごく単純だ。被曝問題があり、それを隠す国というものがある。

そこに留め置かれた人間がおり、
そこにはこどもがいて、彼らを救おうとしている営みがある。-

 

-その営みは国というものからすればちっぽけなものだ。

だが、抗っている。その小さな抵抗を記録した、と言えるだろう。
それは、自分の見ているものと同一だ。

そして自分が感じているのと同じように、
この被曝問題当事国であるはずの日本人が理由はどうあれその最前線の営みを知ろうとせず、-

 

-それどころか知ることを忌避しているという事実をこの監督が知ったら、
やはり自分と同じく理解不能の感じを抱くにちがいない。

自分の次の絵の主題がある。それは手のひらにある鍵を手にしながら、
さまざまな理由でその鍵を無為にしてゆく人々の図。

彼らの前には、無数の鍵穴のある扉がある。-

 

-その全ての鍵穴に鍵を差し入れてはじめて、
扉は開かれるのだが、人々はそうしない。

かつて描かれた宗教画のように、後世に伝えるべき人間の愚かしさとしての図が
まず自分の次の構想にあることは、やはり悲劇だろう。

こんなことすらも、日本人が外国の人間の認識に先んじられていることが、-

 

-まずもって情けなく、そして愚かしい。自分の手元にあることすらが見えない。

未開、の感じをつよくする。はっきり言おうか。

中核派、ということで感覚を遮断することは、3.11の現実の
かなり重要なところから目を閉ざすことになる。

日光の木彫りの猿のように、両手で目を覆って遮断する影に、-

 

-放射能災害の只中にある福島の実態が入ってくることに気づかなければ、
彼らが口にする原発を止めるということが成就するとは思えない。

現実が見えなければ、現実を変えることなどできない。
日本の社会には、その世代によって思考を停止させる言葉がいくつかある。-

 

-言霊、というような言葉がうかぶ。きわめて日本的な、
因習のにおいのする言葉の向こう側に現実は存在している。

その向こう側へ肉体を使って足を踏み出せるかどうか。

それができなければ、ふくしま共同診療所、被曝問題をめぐるさる向きの反応は、
日本的な不可解な人心のうごき、として片付けられるたぐいのものだろうと思う。

 

自らの固陋さと狭隘さに気づく日本人が増えることを切に祈りながら、
このつぶやきを続けている。-

 

 ※次回に続く

 2016/12/13(火)22:00に投稿予定です。 


【告発!検察「裏ガネ作り」】人を介して3月中旬ころから民主党の菅直人氏とも連絡をとり、衆院法務委員会に招致してもらえるよう手はずを整えた ※39回目の紹介

2016-12-12 22:00:10 | 【告発!検察「裏ガネ作り」】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。39回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

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**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

5 クロをシロにした検察の大罪 P91~

 この申請書提出が事実上の”解禁”となって、マスコミ取材が殺到するようになった。朝日、共同、産経、テレビ朝日、MBS、NHK、「週刊朝日」、「週刊新潮」、「噂の真相」などである。私は、実名でやるからには一撃必殺を狙いたかった。そこで人を介して3月中旬ころから民主党の菅直人氏とも連絡をとり、衆院法務委員会に招致してもらえるよう手はずを整えた。

 しかし、検察側も私も口封じ逮捕するための謀略を着々と進めていた。もちろん私は逮捕されるなどと思っていない。そんな気配すら感じてなかった。少しでも気配があれば、それらしい行動があってもおかしくないだろう。だが、そのころ私と接触した人たちに「何かありましたか?」と聞けば、おそらく答えは「ノー」であろう。なぜなら、私の逮捕がでっちあげ事件だからである。

 検察が主張する登録免許税の減免事件も、収賄事件も、そもそも犯罪性はないのである。犯罪性、事件性がないので逮捕されるとは夢にも考えなかったのだ。

 しかし確かに脇は甘かった。いや甘すぎたと言ってもいい。私は自らの行動と身辺の潔白さにおいては絶対の自信があった。だからマスコミの取材にも開放的に振舞った。公安部長室でも堂々と取材に応じた。何もやましいことをしているわけではない。でっちあげ逮捕があることなど、予想するほうが無理である。戦後半世紀以上たった民主国家の日本で、そんなことがあるはずはない。誰もがそう信じるだろう。だが実際にそれはあったのだ。現に私は謂れなき「口封じ」のために、逮捕権を濫用されたのだ。

 それについては、これからじっくりと書いていこうと思う。

 ※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』(異常な取り調べ)は、

2016/12/13(火)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


12月11日(日)のつぶやき

2016-12-12 02:23:15 | つぶやき