1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。45回目の紹介
【フクシマ見聞録】
彼女が網膜剥離になったことを聞いた。
彼女は室内の線量0.4マイクロの場所で生活していたという。
Akira Tsuboi@1876to1945さん 2013年11月24日のツイートから
-(なんだか面倒な力学がはたらいてるぞ-)それが初めだった。
自分には理解できないが、ある人間にとっては中核派というのは蛇蝎のようなものらしく、
現在の状況と現実はべつにとにかく遠ざけなければいけないもののようだった。
その女性に自分が診療所の医師を呼ぶと話すと、「だいじょうぶ?」-
-とたんに不安な表情を浮かべたのだった。
学芸員の方(美術館での展示を申し出てくださった)も、
岩が落ちてきたような重い顔になり、「ここは、壷井さんを信じましょう、。」と言った。
(あれあれ-)(なんだかみょうに警戒しているぞ。
まともな医療を提供しようとしてる所なのに-)-
-その警戒が不可解で、自分が直接知った福島の現状を話し、
その意味合いを話すと、「、、、わかった。でも壷井さん大丈夫?刺されないでね-」
彼女は真顔で言った。
で、その彼女が、中核派の人間ではないかと難詰されて辞職に追い込まれたという。
なんだこれは、という感慨しか湧かない。-
-そのイベントでは、福島市に住んでおられる一般のあるお母さんの話が白眉だった。
事故直後から放射能がやってくることを知った経緯、逃げることを決断した経緯、
そこで親御さんともめた経緯、こどもをなかば強引に車に押しこんで
泣きながら車を走らせた経緯、もどってきてからの学校、行政の狂気。-
-東京の生活と、福島の現状。福島の医療状況。
彼女の話を聞いたひとの感想としては、素直に福島の現状のひどさを知るとともに、
なにが必要なのか考えさせられる機会となったという声がほとんどだった。
その話に感じて、女性は美術館の発行物にその内容を書いた。
彼女の抱いていた警戒が、-
-実は現実を知る上で大きな遮蔽になっていたことを気づかされたのだろう。
中核派をめぐる拒絶反応、そこに関わった人間への熾烈な排撃が
あることも福島の母親は言った。なにが、必要なのか-。
彼女は刊行物に書いた。それが、問題になったという。
新宿で反原発のプラカードをぶらさげて立つことを-
-しているという女性が、「中核派は人殺し集団ですよ。
あなたはそこに協力するんですか」評議会の席で彼女の隣に座り、
難詰したという。
20人ほどの評議員の大勢はその論調で、彼女が中核派の構成員かどうかに話は進展し、
吊るし上げに合ったという。奇妙なことに、彼女を平生かる知る人間は-
-彼女が中核派を警戒する人間であったことを知りながら、
彼女を守らなかったという。
結果、彼女が刊行物に書いた内容について、詫び文を書け、
と言われただのという。
「なにをお詫びしなければいけないのかぜんぜんわからない。」
彼女は電話口で泣いて言った。「くやしい-」-
-「あの会であのお母さんの話聞いたら、涙なくては聞けない、
応援しようって気持ちになるじゃない。「人殺し」っていうけど、
もう時代は過ぎたんだよ。
昔はいろいろやった人達も、もう年取って、
今ではもうほそぼそと存在してるだけだと思うのね。
それで、昔はあったにしろ、今福島に必要なことを-
-「やってるわけじゃない。時代も状況も変わったのに、
あることないこと言われて」彼女に対するいわれのない噂が飛び交い
、それを迷彩としてこの一件が切り出されたという。
辞表を書くまで追い詰められてると、
彼女は顔からなにから出来物ができたのだという。
そこに腰痛が併発。-
-神経的な圧迫に胃が悲鳴を挙げた。
「-世の中、ひどくってね、自殺しちゃったほうがいいかも
と思うときあるよ。」以前、差し向かいになったとき
冗談を交えて話していたのだが、同じ言葉を言った。
「あの力、向ける方向がちがうでしょ。かなしくなるね」
同じ類型の話をいくつも見てきた。-
-福島で、診療所を建設する中心的な位置づけにあった女性は
やはり同じように、もっと熾烈な攻撃にあい、立場を逐われた。
ひとづてに、先月、彼女が網膜剥離になったことを聞いた。
彼女は室内の線量0.4マイクロの場所で生活していたという。
被曝防護を実際におこなう団体に賛同すると、-
-吊るし上げられることがある。
それも、最も直接的に吊るし上げを行うのが、
よりによって反原発を唱える人間だということ。
これは、悲劇だろう。
子どもの未来社さんより、『3・11を心に刻むブックガイド』が発行された。
文字通りの内容で、自分が制作した絵本が収録されている。
日本児童文学者協会の草谷佳子さんが執筆された。
どなたかから草谷さんの手に渡ったと思われる。
難しい内容を含むこの本を挙げてくださった勇気に感謝したい。
福島行-診療所報告会のチラシを持った青年二人と福島駅にむかった。
福島駅には東口西口があり、その二つは地下通路で結ばれている。
自分はチラシの束の半分ほどをもって、一人で東口へあがる場所へ行った。
二人は西口の階段あたりに立つことになった。
へんな話だが、チラシを配るのが好きだ。-
-関係のない人間と大手を振って接触できる。
自分は勇躍して人の流れと溜まり方を見て位置を定めて立った。
五輪についての意見も聞いてみたい。
女子高生、母親、おおくの人間たちがやって来、駅ビルの中から出てくる。
いざ配り始めると、硬く閉ざして足早に去る人間がおおい。必然的に、-
-多くのことは話せないことに気づく。逃げてゆく人間にも
終いまで言い切る言葉を投げなければいけない。
簡略に、要点を絞って。優先順位的に診療所についての文を組み立てた。
”国民健康保険で好きな時に甲状腺検査血液検査尿検査をやっている診療所です。
これから報告会やります。”-
-手当たり次第にこの言葉を投げてゆく。逃げてゆく人間も多いが、
受け取る人間もいて、受け取った人間に自分は五輪開催決定について
どう思うか付加的に聞いていった。
チラシを受け取りはするが返答しない人間も多く、数えると5人が言葉を返した。
なかには避難民の女性もいた。再度記録しておく。-
-「(40代女性)しらなかった。そうなんですね。よかったじゃないですか」
「(50代女性)ふざけてんでしょ。280キロ離れてるて、福島切り離してんだからね。
避難してきてる人もいるし地元へもう帰れないんだからね。
おかしいでしょ。ふざけんなと思うよ。」「(40代女性)うれしいです。」-
-「(60代後半とおぼしき女性)、、、あたし、実は避難民なんですよ。
家全部、流された、、、。南相馬から逃げてきた。仮設にいたんだけど、
もう出てかなきゃいけないの。(五輪について聞く)あー、、、。
(高い声。呆れたという声で)、オリンピックどころじゃないでしょう、-」
-「帰れねえひといっぱいいるんだよ。(長い間)、、、
もう決まちゃったんだろ。まあ、、、東京だっておなじ日本だから、、。
これきっかけに復興に向かうだろうと捉えてくしかないねえ。」
「(50代女性)うれしくない。福島ばかにしてるんじゃない?
250キロぐらい離れてるから大丈夫って言った-
-「んでしょ。失礼でしょ。」福島は東京から250キロ離れており、
危険性は東京にない-。この言葉にはっきりとした怒りを表す方が多かった。
郡山とはまったくちがう反応だった。
この発言をした日本オリンピック委員会会長竹田恒和は旧皇族竹田宮恒徳王の三男。-
-旅行会社エルティーケーライゼビューロージャパン株式会社の
代表取締役社長をしている。日本オリンピック協会としての国際大会への選手派遣は、
この旅行会社が請け負っていると言われる。いやはや、というしかない。
自分は最初に受け取ったチラシを全部配り終え、補充をもらいに行った。-
-ほどなくしてそれもなくなり、無くなってしまった、
と告げると眼鏡をかけた方の青年が「すごい、300枚全部配っちゃった。」と言った。
診療所の一般向け報告会の時間が迫っていた。
三人、またコラッセふくしまへもどった。-
※次回に続く
2016/12/8(木)22:00に投稿予定です。