原発問題

原発事故によるさまざまな問題、ニュース

【フクシマ見聞録】ずいぶん見ない間に”テレビは、一党独裁国家のそれそのままになっていた” ※49回目の紹介

2016-12-14 22:00:19 | 【フクシマ見聞録】

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。49回目の紹介

【フクシマ見聞録】

ずいぶん見ない間に

”テレビは、一党独裁国家のそれそのままになっていた”

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2013年11月28日のツイートから


福島行-松江院長は言った。

「-それでわたしはね、今朝から腹がたってしょうがないんですが、
それで、あの今日新幹線で来たんですけれどね、で新幹線の中でね
こんなはなしをしたんですが、時間なくなっちゃうな、。
(会場から笑い)新幹線の中でいろいろ考えたのはですね、
この逆の発想をしたんです-

 

-「どういうことかっていうと、オリンピックのね、
2020年はオリンピックデーではなくて、ようするに反原発の年である、

ということに切りかえて、で全世界の人たちにですね、
日本がねこれだけ大変なことがあって、日本に来て皆さん方がね
日本に来て浮かれてないで、日本のね現状をね見なさい、-

 

-「という2020年は『原発反対の年』ということでね、
あのというふうにわたしは切りかえて、
そういう年にフィニッシュさせたい。

オリンピックどころじゃない、ということを言いたい。
(会場から拍手)ありがとうございます。
新幹線の中でそこまで切り替えるまでにね腹がたって-

 

-「イライラしてしょうがなかったんですが、頭切りかえたら、
そうだこれでいこう、ってことで今はまあスッキリしたんです。」

たしかに腹の立つことではあるが、松江医師もよっぽど腹に据えかねたようで、
五輪東京開催について再度、自分を落ち着けるための捉え方の切り替えを話した。-

 

-2020年というと松江医師は84歳になるのだが。

松江医師のはなしはそれから診療所についての説明になっていった。

映画の紹介映像を映していたスクリーンはそのままにあり、
以前書いた蜂の巣状の嚢胞のエコー画像をはじめ、
松江医師の準備したさまざまなデータが映し出されてゆくことになった。-

 

-前回の報告会のことを整理しておきたい。

2013年3月10日は診療所オープンから3ヶ月の段階で、患者数は150名だった。

「で、あの、わたしの診療所はですね、去年の12月1日にオープンしました。
で、ほぼ9ヶ月が経つんですが、9ヶ月の間に、(患者数のデータを出す)えと、-

 

-「12月からあの診療したんですが、残念ながらというかな、
それほど多くの患者さんが来たというわけではないんです。

で、ほぼあの大雑把に行ったら600人くらいの患者さん。

で一般にクリニックというのはオープンしてですね、すぐそのお客さん、
お客さんと言っちゃあ失礼ですけどね、-

 

-「すぐ来るわけではなくて、そこのクリニックがどういう保証があって、

どういう医者がいて、であの真剣にやってくれるかということが
だんだん分かってくるのにだいたい2、3年かかるんだそうです。

で、私はクリニックっていうのは今回がはじめて
あの担当したというか院長になったんですがー

 

ー「になったんですがそのへんの事情というのはよくわかりません。

だいたいそんなところのものなんだそうです。

なので、別におどろいてはいないんですが、
まあこれから色んな方が我々の診療所を訪れると思います。

で、まあ私のこの診療所では6人の医者がやってます。でその6人の、、、ー

 

-「だいたいこんなちっぽけな診療所に6人の医者がいるなんていうことはね、
まだいたい贅沢なんですね。ところがなんで贅沢かというとですね、
その6人は”全員無給”です。医療手当がない、タダ働きです。

なので、まあ成り立っているんですが、6人とも、
もうそれなりのベテランの医者ですから、-

 

-「もう相当の経験をもっています。で、それぞれの専門の分野もあって、
あの色々できる体制になっていますので、みなさんがたこれからあのぜひ、

この診療所を信用して頂いて、来て頂ければいいんじゃないかと思います。

で、まあ6人の医者がいると言ったって、全部解決できるわけじゃないですから、-

 

-「いろいろな問題が起きると思いますが、まあだけれども、、、
6人もいりゃあねそれは6人でなんとかいろんなことが
解決出来るんじゃないかと思います。

でふつうのクリニックとちがって、6人も専門家がいるという
クリニックはちょっとないのでぜひぜひ皆さん方、信
用していただいてお出でになって-

 

-「いただければと思います。」診療所で働く医師は無給で診察にあたっている。
ここを繰り返したい。水と油がなじまぬように、
金と被曝診療もまったく縁がつながらない。

原発に反対すること、被曝防護そのものが金の回る世界と隔絶している。
金の回る世界では、陶酔したような顔をした人間が-

 

-自分にはずいぶん大時代としか思えぬオリンピックが来たと言って騒いでいる。
福島を切り離して-。チェルブイリに比肩しうるような
災害が起きていても、遮断している。

恋情のもつれからくる殺人にえんえんと時間は割くが、
国が暴走し始めたことについては、触れもしない。
陶酔というのは遮断の-

 

-別名なのだという思いを強くする。見たくもないテレビのついた職場で、
なんでも洒落た服の着こなしの人間に賞が与えられたと音が流れ、
見ると、件のフランス人の血の入ったアナウンサーの女が艶然と壇上にむかってゆき、
喝采を浴びていた。

その賞には、安倍晋三も受賞者として入っているという。-

 

-それを伝える女のアナウンサーの表情は硬く、
強烈な統制が女の感性にかかっていることがにじみ出ている。

ずいぶん見ない間に見たテレビは、一党独裁国家のそれそのままになっていた。

ひとのよさそうな若い娘のアナウンサーが九州奥地の温泉にはいって、
湯の花を顔に塗ってもらっている。-

 

-塗ってもらった結果として塗る前との顔が比較画像として二つ映る。
意思のない目だと思った。難癖をつけはじめると際限がないのでやめていたが、
どうしても奇妙なのは、新しく決まった米国人の大使の女が、
なぜか王侯貴族のごとく伝えられているのが疑問でしょうがない。-

 

-その徒花としか思えぬはなやかさの影で、使用済み燃料はひそかに移送されている。
整地された地面にクッションが置かれ、実際の行程の高さの半分の高さから
点呼とともに落とされた落下実験を、なにか安全を担保するものであるかのように
報道はなされる。もしそれが落下して壊れた場合の話は-

 

-いっさいされない。先月いわきの方に聞くと、その場合の対策は
何一つ準備されていないと言った。そのことも伝えられることはない。

事故があった場合の周囲への公表が隠されずにいるのか疑問の対象に
なってくるような法律を政治家が成立を急いでいることも、時間は割かれない。-

 

-それが、現実として金の回っている世界-。

被曝防護に金が回るサイクルを生み出すことにこそ想像力は
注ぎこまれるべきなのだが、そうはなっていない。

診療所の医師たちは、無給-。これが現実だった。
松江医師の話は甲状腺の話にむかう。-

 

夜勤明けで寝ていると、近年でもとびきりの悪夢を見て、
佳境に入る寸前で目が覚めた。(覚めてくれてよかった)と、
自分に夢を見させたはずのからだが呟くのが奇妙だ。

目が覚めて諸々確認してみると、ドイツフランクフルト大学から、
自分が制作した3.11を描いた絵本「無主物」の注文が入っていた。

 

この問題には、世界へと突き抜けてゆく鍵があると感じていた。
何時頃からか思いだせないが、その内へ内へとむかってゆくことが、
奇妙なことではあるが、実は同じ力で外へと同時に向かうことでもあると感じ取っていた。

音楽はビジョンをくれる。ひさしく音楽から離れていたことに気付く。

 

-今日も寒空のなかで悪法への抗議行動が行われた。

そこへ足を運ぶことにこころを寄せながらも、自分は以前聴いていた
音楽をむさぼるように聴いていた。悪夢は、具体的なものだった。

国に唾する言葉を自分が吐いたかどで、暴力団体がおしかけたのだった。

 

-家族がそろっている。奇妙な話で、彼等は福島のある場所に
おしかけているという。(ほっておけばいい)

自分は思うのだが、律儀な昔読売新聞の記者だった
父が話したほうがいいと言い出す。家族皆で、むかう。
よせばいいのに。

 

福島へ向かう高速道路は、理由は不明だが許可制になっており、
あるところまでゆくと車はなく、人がそこここにいる。

身なりからして堅気の人間ではなかった。
面倒なことは早くすまそう、そう思ってサービスエリアを
目指して歩いてゆく。家族で。

 

-急いで歩いていると、たむろしていた男の一人にぶつかり、
動物的な威嚇をあらわにして凄まれた。だが、かまっている暇はない。
”悪いな、おまえにかまっている時間はないんだ”と言ってみると、
自分の子供の頃の同級だった。会津の中学生の頃の不良だった。

 

-顔を認めあって遇会を喜んで、しかし、事態はかわらない。
サービスエリアにつくと露天に机があり、堅気でない中年の男達が名簿を書き、
集められた人間達を分けていた。後は書かない。

パソコンで映像を回してゆく。
そこには国も人種もさまざまな人間達の音楽をやる様子が流れていた。

 

-みな、あがきながら声をだし、音を出していた。

”with power of soul:魂のちからがあれば
”"anything is possiblle:どんなことも可能だ"

リビングカラーというアメリカの黒人のバンドヴォーカルが歌っていた。

 ※次回に続く

 2016/12/15(木)22:00に投稿予定です。 


【告発!検察「裏ガネ作り」】私の身柄を拘束できればなんでもいい、そんななりふり構わぬ捜査だった ※41回目の紹介

2016-12-14 22:00:00 | 【告発!検察「裏ガネ作り」】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。41回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

----------------

**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

6 異常な取り調べ P95~

 5月10日に収賄容疑で再逮捕された後も、取り調べはほとんどなかった。夜間、1時間くらいか短い時は30分ほど申しわけ程度の調べがあるだけだった。取り調べというよりは雑談である。調活費問題を聞いてきたこともあった。

 増収側は、元暴力団組員の光武帝こと渡眞利忠光という男である。渡眞利と私の関係については、検察の謀略と事件の全体像を知るうえで極めて重要なことがらなので、後で詳しく説明させてもらうが、最初の逮捕容疑となった詐欺事件では私の”共犯者”ということになっている。

 その渡眞利が、こんどは私に賄賂を贈ったというのである。いったい何がどうなっているのか。なにしろ身に覚えがないことなので私にはまったくわからない。逮捕後の取り調べ段階では、渡眞利がどういう供述をしているのかさえ、さっぱりわからなかった。水沼検事からも、その点に関する質問はいっさいなかった。検察は初めから渡眞利のウソの供述のみで起訴するつもりなのは明らかだった。私もそのことがわかっているので、供述調書にはいっさい応じなかった。したがって、収賄事件に関する私の供述調書は1通もない。

 これで検面調書を作成されれば被疑者にとっては自殺行為だ。

 贈収賄事件では「贈」側の供述と「収」側の供述をすり合わせ、矛盾点を探り出し、真実を突き止めるのがもっとも重要な作業になる。それをしないで検面調書をつくるということは、最初から「増」側の渡眞利の供述だけを全面的に採用して、私を起訴するつもりだったということだ。初めから起訴ありきの捜査である。私が供述したとしても、それはただ渡眞利供述の真意を判定するのにつかわれるだけのことだった。

 この時点では、渡眞利の取り調べを誰が担当していようとも、渡眞利の供述が信用に値しないものだと、すぐに気が付くはずである。いや初めから信用できないとわかっていながら、私を逮捕するため目をつぶったと言ってもいいかもしれない。私の身柄を拘束できればなんでもいい、そんななりふり構わぬ捜査だったようである。

 ※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』(異常な取り調べ)は、

2016/12/15(木)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


12月13日(火)のつぶやき

2016-12-14 02:22:33 | つぶやき