*『死の淵を見た男』著者 門田隆将 を複数回に分け紹介します。23回目の紹介
『死の淵を見た男』著者 門田隆将
「その時、もう完全にダメだと思ったんですよ。椅子に座っていられなくてね。椅子をどけて、机の下で、座禅じゃないけど、胡坐をかいて机に背を向けて座ったんです。終わりだっていうか、あとはもう、それこそ神様、仏さまに任せるしかねぇっていうのがあってね」
それは、吉田にとって極限の場面だった。こいつならいっしょに死んでくれる、こいつも死んでくれるだろう、とそれぞれの顔を吉田は思い浮かべていた。「死」という言葉が何度も吉田の口から出た。それは、「日本」を守るために戦う男のぎりぎりの姿だった。(本文より)
吉田昌郎、菅直人、斑目春樹・・・当事者たちが赤裸々に語った「原子力事故」驚愕の真実。
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**『死の淵を見た男』著書の紹介
第4章 突入
覚悟を決めさせた”一文字ハンドル” P76~
(前回からの続き)
一行は、懐中電灯を持ちながら黙々と進んだ。やがて、目の前に、リアクタービル(原子炉建屋)が現れた。
「目的地に向かっていくという意識しか私にはなかったので、ほかのものは目に入らなかったですね」
と、大友。同行した副長の加藤もこう語る。
「入る時は、二重扉を開けて、閉めるんですけど、これが”一文字ハンドル”なんです。鉄の棒があって、黒い取っ手がついている。これを、横から縦にする。その時、ガチャーンと大きな音がするんですが、これが覚悟を決めさせたというか、なんというか、やらなければいけない、という気持ちを決めさせてくれたような気がします」
二重扉を入った場所は、およそ60メートルほどの高さがある原子炉建屋の一階だ。
目の前には、縦32メートル、横18メートルの大きな1号機の原子炉を収めた格納容器があった。音もない暗闇の中に、原子炉の格納容器が「壁」のように迫っている。
「格納容器は、コンクリ―トの壁です。でも、こっちは、バルブを開けるための作業に行っていますから、格納容器の壁を意識して目に留めたかというと、それはなかったと思います。むしろ、その壁の外にある機器の配置とか、そういう構造のほうが頭にありますので・・・」
彼らは、扉を入って右側にあった階段を黙って降りて行った。最初のバルブは2つだ。一つは架台にのぼって、もう一つは、窮屈な姿勢で手を伸ばして操作する形をとった。
電気があれば、中操でスイッチを入れて動かせる電動弁である。これを原子炉建屋まで運転員が言って、現場で直接、ハンドルをまわして開けていくのである。
それは、時間との勝負でもあり、放射線に対する恐怖との闘いでもあった。
「現場に入るときは(放射線を)意識しました。それなりの覚悟というか、勇気はいりますが、もう中に入ってしまえば、あとはやるしかないという気持ちでした」
大友はそう語る。加藤によると、
「バルブが開く度合を表す”バルブ開度”というのがありまして、これが指示盤に0パーセントから100パーセントまでついている。本当に開いているのかどうかを、この指示盤で確認できます。今回は、すべて手動ですから、開度計の保護カバーを開けて、いちいち確認をしながら作業をおこないました。丸ハンドルで、非常に重かったですね。それぞれのバルブが、配管の大きさやサイズによって違います。最初のものは、人間の顔ぐらいのものだったと思います」
果たしてそれが目的のバルブなのかどうか、番号を確認し、そしてまわす方向も確認しながらの作業である。
「弁番号365!」
「弁番号365、了解!」
お互い全面マスクである。大声を上げなければ、聞こえない。それぞれが、できるかぎりの声を出しながらの作業となった。
( 「覚悟を決めさせた”一文字ハンドル”」は次回に続く)
※続き『死の淵を見た男』~吉田昌郎と福島第一原発の500日~は、
2016/3/8(火)22:00に投稿予定です。
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