*『死の淵を見た男』著者 門田隆将 を複数回に分け紹介します。35回目の紹介
『死の淵を見た男』著者 門田隆将
「その時、もう完全にダメだと思ったんですよ。椅子に座っていられなくてね。椅子をどけて、机の下で、座禅じゃないけど、胡坐をかいて机に背を向けて座ったんです。終わりだっていうか、あとはもう、それこそ神様、仏さまに任せるしかねぇっていうのがあってね」
それは、吉田にとって極限の場面だった。こいつならいっしょに死んでくれる、こいつも死んでくれるだろう、とそれぞれの顔を吉田は思い浮かべていた。「死」という言葉が何度も吉田の口から出た。それは、「日本」を守るために戦う男のぎりぎりの姿だった。(本文より)
吉田昌郎、菅直人、斑目春樹・・・当事者たちが赤裸々に語った「原子力事故」驚愕の真実。
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**『死の淵を見た男』著書の紹介
第13章 1号機、爆発
海水注入への道 P215~
(前回からの続き)
なんとか無事のようだ。渡辺は胸を撫で下ろした。やがて、免震棟の玄関の外に彼らの姿が見えた。
渡辺が「大丈夫か?」という手信号を送ると、部下たちは指でOKマークを出してサインを送ってきた。
「怪我はないか!」
やっと免震棟の中に入った部下たちに渡辺が服を脱がせながら聞いた状況は、かなり危機的なものだった。
「みんな、汗をビタビタにかいていましたので、自分が上に行って、飲み水をもらってきた状況を聞いたんです。あまりに爆発がすごくて、震えて足が動かなかったと言っていました。現場で水を入れつづけている消防車は、ガラスが割れたり、上の梯子とかも吹っ飛んでる状態で、傷だらけになっていました。爆風で助手席のガラスが割れて、そっち側に乗っていた東電の人が怪我をしたんです。免震棟に戻るのは自衛隊が一番遅かった。みんな戻ってきているのになかなか姿が見えず、”自衛隊さん、まだか、まだか”と心配してもらっているときに、やっと帰ってきたんです。ほっとしました」
しかし、渡辺らは、爆発が起きたあとも、
「また(現場に)行きますよ。準備してください」
そう言われて、4時間後にふたたび注水活動に戻っている。だが、さすがに彼らも不安だった。
「班長、こういうところにいて大丈夫なんですか?」
「自分たちはどのくらい放射能を浴びているんですか?」
そんな質問をする部下もいた。だが、渡辺には、
「身体に害があるとか、そういう考えは持たないで、任務を遂行するように」
そう答えるほかなかった。
「今度は、3号機に海水を入れますので、海水のある場所に行きます。ついて来てください」
もともと渡辺たちは「どんなことでもやらせてもらいます。指示を出してください」と要求している。いかなる要請にも応じるつもりだった。
「福島の自衛隊と、私たち郡山の自衛隊が、3号機の前に前進して、津波で海水がたまってるところ(注=逆洗弁ピット)に、ホースを入れて、そこから海水を吸い上げていきました。真っ暗だったので、下が見えていませんから、隊員の中には直接、海から吸い上げているのだと思っていた者もいました。ホースを伸びるだけ伸ばして、吸い上げ口を下に投げ入れた時に、ジャボンという音が聞こえましたので、相当の量があったことは確かです」
十円盤を覆いつくした津波による膨大な海水は、海に引いていく時、縦9メートル、横66メートルという巨大な「逆洗弁ピット」に、大量の水を残していた。それは、いわば海水のプールである。そこにあった大量の水が、原子炉の冷却に投入されるのである。
だが、3号機だけでなく2号機への給水もまた差し迫った課題となっていた。RCICによる冷却から消防車による注水冷却へー1、3号機への給水で手一杯の中、限りある逆洗弁ピットにある海水をどうするか。
海から直接、給水ラインを引くよりほかに安定した給水が果たせないことだけは確かだった。いったん停止したら二度と起動できないRCICに頼りながら、現場の戦いは続いていた。
(次回は、「海水注入を中止しろ」)
※続き『死の淵を見た男』~吉田昌郎と福島第一原発の500日~は、
2016/3/31(木)22:00に投稿予定です。
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