*『死の淵を見た男』著者 門田隆将 を複数回に分け紹介します。29回目の紹介
『死の淵を見た男』著者 門田隆将
「その時、もう完全にダメだと思ったんですよ。椅子に座っていられなくてね。椅子をどけて、机の下で、座禅じゃないけど、胡坐をかいて机に背を向けて座ったんです。終わりだっていうか、あとはもう、それこそ神様、仏さまに任せるしかねぇっていうのがあってね」
それは、吉田にとって極限の場面だった。こいつならいっしょに死んでくれる、こいつも死んでくれるだろう、とそれぞれの顔を吉田は思い浮かべていた。「死」という言葉が何度も吉田の口から出た。それは、「日本」を守るために戦う男のぎりぎりの姿だった。(本文より)
吉田昌郎、菅直人、斑目春樹・・・当事者たちが赤裸々に語った「原子力事故」驚愕の真実。
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**『死の淵を見た男』著書の紹介
第5章 避難する地元民
地元記者が見た光景 P89~
(前回からの続き)
こういう場合は、まず警察に行くのが基本だ。双葉警察署は、富岡町中央2丁目にあり、支局から300メートルあまり東にある。
「避難してください! 危ないですから避難してください!」
だが、神野が署に着いた時、3階建ての茶色の建物の前で係官がそう叫んでいた。築40年以上が経過している双葉警察署の建物は余震がつづき、大津波警報が発令されている中、「危険だ」というのである。
「高台に逃げてください!」
顔見知りの署員がそう大声を上げている。小さな町の警察署である。神野にとっては、署員のほぼ全員が顔見知りといったもいいだろう。
緊迫した表情で叫ぶ署員の姿を見て、神野はただちに行き先を変更した。富岡町が、役場に隣接している「富岡町文化交流センター」に災害対策本部を置いたと聞いたからである。通称「学びの森」と呼ばれ、中には図書館や大ホール、歴史民俗資料館、生涯学習館などを備えた大きな複合施設だ。
「ここには、非常用のディーゼル発電機があり、停電中でも電気を確保できるのです。一回に図書館や事務室があり、2階はホールや会議室があり、相当、大きな建物です」
神野はそう述懐する。
双葉署から北に1キロもいけば、富岡町文化交流センターはある。新聞記者として、さまざまな情報が入手可能な場所だった。とにかく情報をきちんと入手して整理し、本社に伝えなければならなかった。
神野が車を運転してセンターに入った時は、地震からどれほど時間が経過していたあdろうか。2階建ての大きな施設の2階部分がすでに慌ただしく「災害対策本部」として動いていた。そこに入っていくと、すでに遠藤勝也町長以下、主だった幹部たちの姿が見えた。消防団や警察の人間もいた。
ここで神野は耳を疑うようなことを聞いた。
「曲田団地に”船”が上がっている」
曲田団地に船が? 富岡町の曲田団地とは、富岡町の仏浜海岸に近い住宅地である。仏浜海岸は、美しい海岸線がつづく浜通りでも、特にきれいな砂浜で、以前は海水浴場として地元の人々に親しまれてきた。いわきから常盤線で北上してくると富岡駅に着く直前に右手の海岸側に広がる地区だ。そこの船が「上がっている」というのである。
「まさか・・・」
神野は、この時まで大津波が襲ってきたことを知らない。焼却場から迂回を繰り返しながらやっと支局に戻り、双葉署に駆けつけ、そのあと災害対策本部にやってきている。しかも、地震からまだ1時間程度しかたっていないのである。
その間に巨大な津波が富岡町の海岸部を襲っていたというのだ。しかも、船が団地まで上がってきているとなれば、その被害の大きさは想像もできない。
のちに神野は曲田団地に近い富岡駅もプラットホームの屋根を残して、駅舎をはじめ、さまざまなものが根こそぎ津波に持っていかれたことを知る。町民は津波から無事避難できたのか、また家々どうなっていうのか。
愕然としながら、「津波の被害を調べなければ」という記者としての修正が神野にアクションを起こさせていた。
(「地元記者が見た光景」は、次回に続く)
※続き『死の淵を見た男』~吉田昌郎と福島第一原発の500日~は、
2016/3/17(木)22:00に投稿予定です。