*『死の淵を見た男』著者 門田隆将 を複数回に分け紹介します。21回目の紹介
『死の淵を見た男』著者 門田隆将
「その時、もう完全にダメだと思ったんですよ。椅子に座っていられなくてね。椅子をどけて、机の下で、座禅じゃないけど、胡坐をかいて机に背を向けて座ったんです。終わりだっていうか、あとはもう、それこそ神様、仏さまに任せるしかねぇっていうのがあってね」
それは、吉田にとって極限の場面だった。こいつならいっしょに死んでくれる、こいつも死んでくれるだろう、とそれぞれの顔を吉田は思い浮かべていた。「死」という言葉が何度も吉田の口から出た。それは、「日本」を守るために戦う男のぎりぎりの姿だった。(本文より)
吉田昌郎、菅直人、斑目春樹・・・当事者たちが赤裸々に語った「原子力事故」驚愕の真実。
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**『死の淵を見た男』著書の紹介
第4章 突入
「ラインをつくれ」 P72~
伊沢は、平野を今度は2号機側に案内して、こう語った。
「2号機も津波の直前まではRCIC(原子炉隔離時冷却系)を回していたんだけども、今どうなってるかわかりません。電気が落ちてるので、その状況を確かめる術がありません」
平野には、とにかく「水を入れなくてはならない」ということだけはわかった。冷やすための電源がないー それが、すべて使えないとなれば、電源を必要としない消火用のポンプを流用して、水を「入れる」しかない。
「わたしは、もうそのことしか思い浮かばなかったですね。そのためには、消火ポンプで(原子炉に)水を入れるラインづくりをしなくちゃいけない。私が最初に思い浮かんだのは、”給水系”から消火ポンプで水を入れるラインです。それで、とりあえず、まず給水系のバルブを開けないと、水を入れられないという話をしたんです。その後、ほどなく、AM設備(アクシデントマネージメント設備)のラインもあるということに気がつきまして、そっちのラインナップにも夕方から入っていく。最初に、その消火ポンプが健全かどうか、それを確認していこう、と。もう、電源を使わないで水を入れるのはこういう方法しかないんで、これはどうか、と伊沢君に伝えました」
だが、専門家たちが考えることは同じだ。この時点で、伊沢たちは、平野が言うその水流を確保するラインづくりにすでに着手していた。
午後4時55分、すなわち大津波襲来から1時間15分後には、現場の状況を確認するために、最初の部隊が原子炉建屋に向かっている。この時点では、放射線用の防護マスクは、まだつけていない。しかし、第一陣は原子炉建屋に突入する前に引き返した。メンバーの一人によれば、
「この時、津波で水浸しになっていましたから適切なサーベイメータ(放射能測定器)がなかったんです。それで、人や物の表面の汚染状況を想定するGM管式サーベイメータを代用して持っていきました。原子炉建屋に入るところは、二重扉になっていて、外と遮断されています。ひとつを開けて中に入り、それを完全に閉めないともう一方の扉が開かない形になっている。でも、もうその扉の前に来た段階で、持っていったその検査器が”振り切れて”しまったんです」
すでに原子炉建屋には、放射能が漏れている可能性があった。一行は、この事実の報告と対処のために、一度、中操に戻っている。
すべての作業は、「津波」との睨み合いの中でおこなわれていた。サービス建屋の上に若い運転員を配置し、海を監視させるのである。大津波は、海の水位がぐっと下がったあとでやって来る。それを監視させ、もし、水位が下がったら、ただちに引き返すことになっていた。だが、水位が下がる前に、すでに放射線の検知によって、最初の突入は断念せざるを得なかったのである。
そして、2回目の部隊が向かったのは、午後5時19分である。この時、平野は自身がその作業に入っている。
「私も行きました。もう私服は脱いで、”B服”と呼ぶ青いつなぎの作業着に着替えていきました。この段階では、放射性物質が直接皮膚に付くのを防ぐためのタイベックはまだ来ていなかったです。3人で行きました」
この作業が、これからの注水作業に決定的な役割を果たすことになるのである。平野ら3人は、中操から階段を降り、まず地下に向かった。原子炉建屋とタービン建屋の間には、運転員たちが「松の廊下」と呼ぶ幅およそ4メートル、長さおよそ50メールに及ぶ通路がある。そのさらに下の階には、「竹の廊下」と呼ばれる通路もある。
その広さと長さが、播州赤穂藩主の浅野内匠頭が江戸城内で起こした刀傷沙汰の廊下を想起させることから付いた通称である。
松の廊下の手前から、地下に入っていった。その時、平野は、また魚の死骸を発見している。さっき外で見た魚よりも、ひとまわり大きなものだった。
「今度のは50センチぐらいありました。たぶんスズキだったと思います。1匹だけです。やはり白い腹を見せて死んでいました」
放射線管理区域の建屋の中で死んでいる魚は、いかにこの地が異常な状態になっているかを物語っている。その横を3人は無言で降りて行った。津波の泥水がまだ残っていた。あちこちに津波に押し流された瓦礫や砂、土なども残っている。
真っ暗な中で、頼りは懐中電灯だけである。言葉にこそ出さないが、いつ津波が来るかわからない。恐怖がなかったと言えば、嘘になるだろう。
「もうPHSが使えなくなっていました。だから、海がガーッと下がった時は、それを知らせるために、(誰かが)走って追いかけてくることになっていました。地下には、やはり津波の水があちこちにたまっていましたね」
やがて、3人は消火ポンプ室に辿り着いた。5メートル四方ほどの部屋である。この中に、コンクリートの架台に載ったエンジンとポンプがあった。エンジンを起動するセルモーターの電源は、ポンプの横にある小型バッテリーだ。外の電源はいらない。
「中に入って消火ポンプの操作盤にあるスイッチを入れました。動くことを確認して、そのあとで止めました。動かしつづけると、燃料を使っちゃいますからね。まだ炉に入れるラインができてないので、その時点で止めたんです。動くことは確認きたので、ラインができたら、まだ起動させることにしました」
こうして、およそ30分をかけて消火ポンプ室の確認作業は終わった。3人が中操に帰ってきた時は、午後6時近くになっていた。
( 次回は、「覚悟をきめさせた”一文字ハンドル”」)
※続き『死の淵を見た男』~吉田昌郎と福島第一原発の500日~は、
2016/3/3(木)22:00に投稿予定です。
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