四面楚歌か堀江社長。
報道されるところによると堀江さん、どこに出て行っても吊るされているようですね。一対他全員という構図の中での発言さぞストレスフルでしょう。彼にインタビューする記者の質問もすでにバイアスのかかったものが多いように感じます。
「フジテレビの社員は堀江さんを嫌がっているみたいですが・・・」
ほんとにそうなの?想像でしょ?
「いや大体の人が・・・」
ホントですか大丈夫ですかインタビューしている人?あなたの周りにはそんな人しかいないの?あなたの所属する会社大丈夫ですか?
他
各界の大物に求めているコメントも彼に否定的なものばかり、唯一民主党の岡田代表がまあまあ好意的のようです。
こういう図になったら私は、堀江さんの味方です。とりあえずね。
理詰めで押す堀江氏に対して、返す言葉のなくなってきたいわゆる大物が返す言葉
「お行儀があるでしょ・・・」フジテレビの社長
「ほんとに理念があってやってるのか、金儲けのためにやってるんじゃないの・・・」経団連奥田会長
さて、では経団連にはどんな理念があるのでしょうか。いくつか拾ってみましょう。
経団連
念頭の意見書の中で次のようなことを言っています。
1.国民や企業を脅かす危機
東西対立による冷戦の終焉により、巨大国家間の軍事紛争の懸念は低下したものの、宗教・民族に起因する紛争・内戦の頻発、ミサイル・大量破壊兵器の拡散など、脅威の内容は複雑で予測困難なものへと変化している。とりわけ、9.11に代表される非国家主体によるテロは、世界の平和に対する大きな脅威となっている。
このように世界は危険だといい、そして次に視点を国内に転じてこういいます。
国内においては、犯罪の増加、凶悪化、低年齢化の傾向が顕著であり、地震や台風などの自然災害も国民の安心・安全に対する大きな脅威である。
こうした内外の脅威から国民の生命や財産を守り、平和と独立・主権および繁栄を確保するという、最も基本的な国の機能に関し、わが国の制度や体制をより強固なものとしていく必要がある。
危険な世界の中にある日本、さらにその日本の中の危険ということを取り上げいま必要なのは新たな制度であるという。ここでいう強固なわが国の制度とはなんでしょうか。念頭に置かれているもののひとつは新たな憲法のようです。つまり改憲を進めろというのです。
現に次のように言っています。
3.現行の基本的枠組みの問題点
現行憲法や1960年改定の日米安全保障条約、省庁縦割り・官僚主導の統治システム、また、55年体制と呼ばれる国内政治体制は、右肩上がりの成長期において、わが国の繁栄の基礎を支えてきた。しかし、今日、わが国が直面する諸課題は、こうした歴史的枠組みの下では、十分な対応が困難となりつつある。
第一に、外交や安全保障に関する対応が不十分で弥縫策に終始しがちであり、国際社会における発言や主体性の発揮への制約となっている。今日、世界の平和を脅かすテロなどの共通の敵への対応や冷戦期の対立関係が残る東アジア地域でのわが国の主体的な取り組みが緊急性を増しているが、わが国が国際的にどのような役割を果たし、世界の平和・安定に協力していくべきかといった根本的な議論を十分に尽くしていくことが必要である。
ここでも危険をあおりながら話を進めています。ここで安全保障について不十分であるからといいます。しかし経団連はこの安全保障は何のために必要だといっているのか、国際社会の一員となるべくというようなものの他、様々な理由をつけていますが、そのトップにあるのは自分たちが経済において世界制覇していく過程において物理的に守ってもらうことのできる軍隊を必要としていることにすぎない。
際限ない自己利益の追求のために軍隊が欲しい、改憲してくれということなのです。
その身もふたもなさ、それをカモフラージュするためか経団連の主張では民主、自由、平和ということに言及します。
民主とは、自立した個人の意志が等しく政治に反映され、国民の付託を受けた政府が公正・透明に行政を執行することである。自由とは、自由放任ではなく、基本的人権の尊重を基本とした社会における責任を伴う自由である。平和とは、自らの平穏のみならず、隣人、国、国際社会の平和の実現である。
この内容も危ういものを含んでいます。
せきにんを伴う自由、自らの平穏だけではなく、この二つの議論は昨年頻繁にメディアに登った言葉であり、そのおおむねの主張者は与党保守やいわゆる右翼系の人々であったことは記憶に新しい。
経団連の主張は、民主や自由、平和、国際社会というようなものに飾られてはいるが、本質のところにおいては自分中心主義の現在のアメリカのようなものであることは疑いない。
このような思想を持つ経団連の会長がはたして、堀江社長を糾弾できるのか。その拝金主義的相貌という点では経団連もけして負けていないと考えられる。
本来の姿を虚飾の言葉で飾らない方に私は好感を持つ。
民主、自由、平和、という言葉を使うからにはその概念に対する深い理解がなければならない。その点を踏まえていれば、自己責任論や一国平和主義ということが簡単に議論の俎上に上ることはない。また日本国憲法の枠組みが現代に適さないものであるというようなこともいえないはずである。
それにもかかわらず主張の中には次のような章が設けられている。
第IV章.憲法について
1.綻びが目立つ現行憲法
ここではその文言のわかりにくさ、国際環境の変化があるのだから変えるべきという主張
2.憲法第9条について
(1) 自衛隊の役割の明確化(憲法第9条第2項)
ここで言われることはやはりテロといった言葉で危険をあおったうえで改憲という主張を展開する。また次のようにも言っている。
現行憲法第9条第1項で規定されている国際平和の希求、侵略戦争の放棄が、わが国の基本理念である「平和」に根ざすものであることは言うまでもない。従って、第1項は引き続き存置されるべきである。
しかし、戦力の不保持を謳う第9条第2項は、明らかに現状から乖離しているとともに、その解釈や種々の特別措置法も含め、わが国が今後果たすべき国際貢献・協力活動を進める上での大きな制約にもなっている。
この点は前述したように、ほぼ飾りに近い。世界において自らの権益を確保するために必要だからが本音なのである。
もう一つ注意しておきたい点としては憲法改正要件についても言及していることである。
ここでは詳しくは触れないが、主張の中では。日本国憲法の改正に関するその厳格な要件が問題であり、議論の硬直化を招き民主的なものとなっていないといっている。
この点にも賛同できない。96条において改正手続きが明記されているにもかかわらず、その形にまったくといって近づいていかなかったことには意味があると考えられる。具体的な議論が巻き起こってこなかったことには民主的な背景があったのであろうと考えるのが妥当であろう。現行のままで行くことが民意であり、それにもとづく保守派も含めた代議員の意見という図式があったのだ。
この形に積極的に異論を唱え始めたのが経団連であり、その発言はそもそものルール変更まですべきだというようなものである。
もしルール変更が可能ならばこの社会は誰かの(多くは権力だが)思うがままになってしまう。
数々の主張を受け止めていく中でもこの憲法改正要件の変更ということについてまで言及するのは度を越している。
ここで私は堀江社長を思い浮かべる。
既存のルールの中でできることをやっているに過ぎないにもかかわらず、バッシングを受けるということ。彼はその意味がわからないと思う。
私もわからない。
推測するならば、既存のルールの中で勝てないと認識したものたちは、その基盤を変更するという荒業にでようとする。自己に都合の悪い結果をもたらすものに対してはルールを適用しないわけである。おもうに堀江社長を攻撃しようとする人たちには民主的であるということが理解できていない、もしくは意図的に民主主義を破壊しようとするもの達である。
これらのことから私は堀江社長を応援します、とりあえず。
JOHNY