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So-netのWebメールはどうなっているのか

2016年05月30日 18時19分23秒 | 俺のそれ
もう何年も使ってきたが、先日、不正な操作を受けたと見えて、メールボックスの表示を全部変えられてしまった。


新着だと、未読のマークになっているはずが、表示されない。

既読か未読かの判別が不可能な状態にされているのである。

また、添付ファイルの有無も、表示欄があったものが、全く表示されていない。どのメールに添付ファイルがあったものか、一覧では判別できないのである。


それと、メールタイトルとか、差出人のアドレスとか、枠の大きさを自由に変更できていたものが、全くできなくされてしまった。
送信相手のアドレスを一覧では読み取れないようにされてしまった。


元に戻せと要求したが、放置されたまま。

保存期間が過ぎるまでは、今の状態をずっと継続するつもりなのだろう。
こういう状態にされてしまっても、誰にもその異常の証拠を提示したり証明したりすることもできない。


どうせ、ウイルスに感染してますね、とか言って、こっちの責任にされておしまいなのさ。
捜査機関がこの実行者であると、一般人にはどうすることもできないのだ。

手も足も出ない。
ネット犯罪は、犯罪者が企むもの以上に、体制側の人間がやるものが圧倒的に多いということ。


一方的にやられっぱなし、ってことだ。

さっさと元に戻せ。


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日本国憲法と第9条に関する論点整理〜10

2016年05月27日 19時55分18秒 | 法関係
集団的自衛権について書いてみる。

前回の記事では、刑法上の正当防衛や緊急避難では、自己の防衛のみならず、他人の権利を防衛しても、処罰対象とはならない(ある限度内において)ということを述べた。


これは、自衛権にいう「自国防衛」=個別的自衛権、「他国防衛」=集団的自衛権、という考え方に近いのではないか、ということである。確かに、集団的自衛権の行使を言う側にとっては、他人の権利防衛も合法である場合が認められるべきだということになろう。


日本以外の国では、集団防衛条約に基づく行動とか、国連憲章42条に基づく行動などの場合には、これを違法とはしないことはあり得る。他国の防衛する権利は、法秩序や平和の維持という面において、必要とされる場合は考えられないわけではないということである。ここに反対する意見というのは、かなりの少数派ではないか。


では、日本がこれを実行することはできないのだろうか?


再度、憲法9条の考え方に立ち返ってみよう。
日本のとりうる態度なり行動というのは、どうなるのか。


・原則1:(第1項から)

軍事的紛争(戦争、武力衝突など)に際して(解決手段として)
武力の行使(武力攻撃、その他)はできない


・原則2:(第2項から)

国の交戦権(戦時法規適用の諸権利)がないので、武力の行使はできない、が、
例外的に不正な侵害に対しては保有する自衛力により防衛する、すなわち自己保存としての自衛権の発動は可能(この場合のみ武力の行使が許容される)



以上から、原則2に述べた、但書的な例外によって武力攻撃が可能、これが一般的にいう自衛権の行使であって、違法とはならないとされる状況である(従来の政府見解)。


「武力の行使」の条件面から見ると、実際に行使できるのは、自国へ攻撃を受けた時だけ、ということになる。


では、自国が攻撃を受けてない場面というのは、何なのか?
日本以外の何処かで軍事的紛争がある時、他国を防衛に行く、ということになるのであり、原則1で言う「武力の行使」ができない状態に当てはまってしまう。


軍事的紛争ではないのだ、その場合にのみ他国を防衛するんだ、ということはあり得るが、軍事的紛争でないなら、何から防衛するのかということになる。

これまでPKOやイラク派遣では、「軍事的紛争ではないこと」を立論することによって、海外派遣と活動を正当化してきたわけである。過去における海外活動は、

 〃鎧的紛争ではないこと(停戦合意、非戦闘地域、云々)
 ◆嵒靂呂旅垰函廚乏催しないこと(一体的運用、云々)

ということを毎回政府側が立論を繰り返してきたことにより、可能としてきたということである。


政府見解の集団的自衛権とは、
『自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利』
とされている。


「日本国は、集団的自衛権を有するか」と問われれば、国際法上の権利を有する立場にある、となろう。
では、「現実に行使可能か」と問われたら、集団的自衛権は行使できない、となろう。理由は、「武力の行使」は憲法により原則禁止されており、唯一例外となる(武力攻撃可能)のが自己防衛行動のみだから、である。


自衛隊の行動が憲法上許されるかどうか、という点は、大きく分けて2つの要件で考えられていたのである。
第一が、参入する対象(種類と場所)、第二が行為の内容、である。
行為の内容が「武力の行使」に該当するものについては、参入対象が軍事的紛争となり(他国より武力攻撃が発生しているから)、当然我が国への武力攻撃が発生する場所というのは自ずと限定的と考えられる。

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日本国憲法と第9条に関する論点整理〜9

2016年05月26日 12時08分43秒 | 法関係
集団的自衛権の話に行く前に、もう少し「自衛力」と「自衛権」について考えてみたい。


1 自衛隊の位置づけ

昨年の法改正以前までについて、述べる。


 1)「自衛力」として

戦力の定義を再掲すると、

’弾テロ防止条約4条にいう『Military forces of a State』に該当するもの
軍事的紛争の解決乃至介入手段として意図した、或いはそれらを目的とした組織
自衛力self-defense force(s)の限度を超越するもの

であった。
自衛隊は、,乏催する組織と見做されるが、△砲弔い討枠歡蠹(任務の種類等から)、は必要最小限度の範囲内にある、というのが政府見解であったのでこれも否定的ということであった(政府見解では、自衛隊はmilitaryではない、と言い続ける可能性はある)。

ただし、過剰な(攻撃的効果を持つ)装備として懸念される面が否めないのであり、本来なら防衛大綱や中期防或いは年度予算等の国会審議において「自衛力」としての節度を厳に点検・確認することを繰り返すべきである。


「その他戦力」について、『war potential』の語感通りに潜在的に戦争能力のあるもの全てという広義の解釈を主張する者もいるが、これは現実的ではない。
具体的に何が起こるかと言えば、民間船舶(武装の艤装を施せば戦力になるから)のみならず、航空機(ヘリ含む)、レーダー(気象レーダーも含まれる)、衛星関連の全て、通信機器関連(スマホやケータイのようなデジタル通信機器などもってのほか)、監視カメラ関連、GPS利用の関連製品や技術、トラックや建設機械類、等々、挙げればキリがない。

これらの生産能力保持が禁じられる、ということになってしまっては、経済活動そのものに支障を来す。原子力施設なんて、真っ先に完全アウトのものである(だからこそ、イランやリビアや北朝鮮などがそうした核施設を問題とされたわけである。自衛隊は憲法違反だ、と大声で叫ぶ人間は、原子力関連施設全てについても同じく憲法違反であると主張すべきである)。

技術の開発や保持に限らず、生産能力(設備)さえも潜在的な戦争遂行能力となるわけであるから(実際、第二次大戦中にはこの能力の優劣が勝敗に直結し、日米間で圧倒的に差があった)、結局はどの程度で線引きをするのか、という定義なり解釈の問題ということになる。


 2)自衛隊の設置が肯定される理由

これまで述べてきたことをまとめると、

・憲法の制定趣旨では、自衛権の保持は認めていたこと
・同じく憲法上、自衛力に限り許容されうること
・平和的生存権や憲法13条からの要請

となる。上2つは帝国議会議事録から、制定当初の趣旨から判明するものであった。第3の点は、登場時期は不明ではあるものの、憲法学の論者の中では知られてきたものであろう。1950年代の政府見解においても、自衛力を肯定し、戦力に至らない必要最小限度の実力は保持できる、とされた。


ベタなドラマなどでもよく描かれる、深夜に物音がするとか不審者の侵入が疑われる時、「長柄の箒を逆さに持つ」「ゴルフのクラブを手にする」「バットを手にする」などのシーンがあるであろう。
箒やゴルフクラブやバットが、まさしく「自衛力」ということである。



2 正当防衛から見た自衛力

自衛権の問題を検討するのに、正当防衛は似ているので、考え方を理解するのに役立つ。


 1)刑法の正当防衛

刑法36条に規定される。

(正当防衛)
第三十六条  急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。
2  防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。



関連として、緊急避難がある。

(緊急避難)
第三十七条  自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
2  前項の規定は、業務上特別の義務がある者には、適用しない。



正当防衛を簡略的に書けば、

・急迫不正の侵害   に対して
・自己又は他人の権利  の防衛のため
・やむを得ずした行為

は正当化される、というものである。しかし、
・防衛限度を超えた行為  はダメ


これは自衛力の行使と同様であり、自己防衛のため

・急迫
・不正
・やむを得ない限度内

という自衛権の発動条件と同じである。


緊急避難の場合だと、やむを得ずした行為による損害の大きさと、回避した損害との大小が問題となり、限度を超えるとダメ、というのは同じ。


ここで、正当防衛も緊急避難も、自己の防衛に留まらず、他人の防衛を行っても刑法上では同じである、というのが重要である。集団的自衛権の場合とよく似ているということである。


 2)正当防衛の行為に関する日米の違い

正当防衛は、法学上の考え方としては基本的部分において、日米間での大差はないだろう。判例は当然に違うものではあるけれども。

大雑把に示すと次のようになっている(実際には州法により相違ある)。


ア)正当防衛

◎法理論上の根拠:法確証の原理(日米共通)

◎行為

・米:自衛装備  拳銃、自動小銃 OK 
   
・日:自衛装備  拳銃、自動小銃 不可 


法学的に、正当防衛は認められる、としても、どの程度の自衛力が認められているのか、というのは、国内法により違いがある。全ての国が米国と同一ではないことは明らか。「正当防衛」の法学的な理屈が妥当であるということに合意していても、自衛の装備がどの程度まで国内法上合法とするのか、というのは、何らかの決定的基準があるわけではない、ということ。これは、その社会の置かれた政治社会・歴史・慣習等により異なる、ということだ。「正当防衛は認められるんだ、だから、日本も軍用自動小銃を自衛装備として合法とすべきだ」というのは、意見の一つではあるが、「米国で合法なのだから、日本でも合法だ」とは到底言うことができない。

自衛装備としての「拳銃」を社会が認めるかどうかは、その社会の選択による。
日本国内の判断としては、個人の「self-defense」として「銃一般」を許容するのは適当ではない、認めていない、合法化されない、ということだ。日本では、「銃撃」は正当防衛の行為としては「過剰と判断」する社会なのだ、ということ。いかに米国で「銃撃は過剰でなく正当行為だ」と判断するとしても、何らかの絶対基準があるわけではないので、日本国内法体系では正当防衛をいうことはできない。


イ)自衛権

◎法理論上の根拠:自己保存権、慣習国際法など

◎行為

・米:自衛装備  核ミサイル、原子力空母、戦略爆撃機 OK 
   
・日:自衛装備  核ミサイル、原子力空母、戦略爆撃機 不可(元の政府見解では)


必要最小限度の反撃に留まる装備なので、米国では認められてるものが何でもOKというわけではない。正当防衛で見たように、自動小銃が必要最小限度なのかどうか、である。日本では、箒やゴルフクラブ程度というのが社会の理解だろう。自衛隊の装備というのも、強力な兵器使用を無限定に認めるものではなく、その範囲は国内法上の制限が課せられているものと見るべきである。


刑法上において、正当防衛でも緊急避難でも、行為の結果、相手に与える損害が著しく大きい場合には正当化されておらず、「程度を超えた行為」は違法なものとして処罰対象となり得るのである。これは自衛権の行使においても大きな違いはなく、原則として「相当(均衡)性」を満たすことが違法の評価を回避する条件として必要であろう。


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日本国憲法と第9条に関する論点整理〜8

2016年05月23日 20時46分30秒 | 法関係
これまで、憲法9条について理解するべく、拙ブログとしての定義及び条文解釈を書いてきた。今度は、実際の議論の対象となっている点について、どういう説明ができるかということを考えてみたい。


1 自衛権と憲法前文(平和的生存権)或いは憲法13条

自衛権が日本国憲法下においても認められるべき理由を述べる。

 1)自己保存権または自存権

所謂教科書的説明である。国際法上でも、そのような主張が用いられてきたものである。
国家は、基本的に自己保存権が認められるというのが自然法的発想であって、自衛権は自己保存権に包含されているものだから、いかなる国家でも認められるべき、ということであろう。
実際、国連憲章においても自衛権が認められており、日本が平和条約締結の際にも5条(c)で改めて確認されているものである。


(c) The Allied Powers for their part recognize that Japan as a sovereign nation possesses the inherent right of individual or collective self-defense referred to in Article 51 of the Charter of the United Nations and that Japan may voluntarily enter into collective security arrangements.

連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。



従って、自衛権が存すること、現行憲法下でも保持が認められる理由としては、

・国家の自己保存権(自存権)としての自衛権(慣習国際法上も有)
・国連憲章51条
・日本国憲法制定時の帝国議会での制定趣旨(大臣答弁等)
・サンフランシスコ平和条約5条(c)

が挙げられる(古い順)。
ただ、権利が放棄されず存在する、ということと、これを現実に使えるかどうかという話はまた別となる。使えるとしても、範囲や限度の問題もある。
例えば完全な内陸国で海軍を有しないなら、海戦に関する国際法の諸規則は適用されず、その国にも他国家と同様の権利があるのは明白だが、現実には行使できない。
(集団的自衛権については、別の機会に書く)


 2)憲法前文の平和的生存権と13条の位置づけ

自衛権との関連において、時に乱暴な意見も見受けられたが、法学研究なり法学的議論なりに値するものは、安倍政権及び与党からも、昨年の法改正支持の法学関係者たちからさえも、見られていないようである。


ア)前文の法規範性

有力な説は、裁判規範性はないが法規範性は認められる、とするもの(論者・文献多数)である。最高裁判決文中にも、憲法前文から援用されたものがあり、有名なのは砂川事件判決である。近時においては、例えば田原睦夫最高裁判事による補足意見(H21年9月30日、H24年10月17日、いずれも最判大)でも憲法前文が取り入れられており、法規範性は認められるのが妥当であると考える。


イ)「平和的生存権」を肯定する見解

例えば、政府答弁書中でも述べられていることは明らかである。拙ブログでも取り上げている。

15年9月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/feda7c19ca58f9dbaea3d61e47d8298b

文中、平成15年7月15日の政府答弁書を引用した(これは当然に閣議決定を経ている)ものである。


他には、平成20年4月17日の名古屋高裁判決がある。イラク派遣が違憲であると判断された判決であり、当時記事に書いていた。

08年4月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/59e81c56baa9f00d9d3cc4367332ccb0

本判決文中では、次のように判示された。


平和的生存権は,現代において憲法の保障する基本的人権が平和の基盤なしには存立し得ないことからして,全ての基本的人権の基礎にあってその享有を可能ならしめる基底的権利であるということができ,単に憲法の基本的精神や理念を表明したに留まるものではない

憲法9条が国の行為の側から客観的制度として戦争放棄や戦力不保持を規定し,さらに,人格権を規定する憲法13条をはじめ,憲法第3章が個別的な基本的人権を規定していることからすれば,平和的生存権は,憲法上の法的な権利として認められるべきである

平和的生存権は,局面に応じて自由権的,社会権的又は参政権的な態様をもって表れる複合的な権利ということができ,裁判所に対してその保護・救済を求め法的強制措置の発動を請求し得るという意味における具体的権利性が肯定される場合があるということができる

憲法9条に違反する国の行為,すなわち戦争の遂行,武力の行使等や,戦争の準備行為等によって,個人の生命,自由が侵害され又は侵害の危機にさらされ,あるいは,現実的な戦争等による被害や恐怖にさらされるような場合,また,憲法9条に違反する戦争の遂行等への加担・協力を強制されるような場合には,平和的生存権の主として自由権的な態様の表れとして,裁判所に対し当該違憲行為の差止請求や損害賠償請求等の方法により救済を求めることができる場合があると解することができ,その限りでは平和的生存権に具体的権利性がある


平和的生存権は、現代において、平和の基盤がなければ基本的人権が存立しえない、ということを考慮した上で、憲法上認められるべき権利としている(これぞまさしく、存立の危機、である)。

シリアのような戦乱の状況に陥ったことを想定してみれば、いかに基本的人権を守ろうとしても、困難であることが分かるだろう。いつでも爆弾が降ってきて、一般市民であろうと無差別に殺害されてしまう状況下では、基本的人権など無視されているに等しい。
そして、そのような権利侵害から逃れる為に、諸外国へ難民として受け入れを求めるというのは、まさしく「平和的生存権」が侵害された状態だからこそ、基本的人権を擁護すべく安全な環境下へ保護を求める、という意味合いであろう。

また、平和の基盤が侵されるような事態においては、裁判所が救済すべき具体的権利性が認められる、としている(故に、訴訟の対象となり得る、と)。


以上から、

・憲法前文の法規範性を肯定
・政府見解に採用されていること
・名古屋高裁判決

また法学上でも肯定的論説があることなどから、「平和的生存権」について法的権利としてこれを認めるべき、というのが拙ブログの立場である。


 ウ)憲法13条について

前記政府答弁書でも、同名古屋高裁判決でも述べられており、9条や平和的生存権に関連している条項であると考えられる。

では、13条の意味合いとは何か?単に理念的な条文なのか?
先の平和的生存権が権利性を有する、とするのであれば、13条はこれを裁判規範性のあるものとして具体化したもの、と見ることもできよう。が、諸説ある部分なので、決定的な解釈というのは確立されていない。


「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は、国政上「最大の尊重」を必要とする、とされるのであるから、平和的生存権の法益を保護すべき義務を国が負うものである、というのが、拙ブログでの見解である。

一般に、国家は自国民だけに留まらず、自領域内の外国人の安全と保護を確保する義務を負うものである。外交上の決まりとして、そうなっている。
すなわち、日本国憲法13条に言う国民の権利を最大限尊重するべく、政策が求められるのであり、「平和と安全」の確保が国家に対する国民(外国人にとっても)の要請である。


生命、自由、幸福追求の権利とは、平和的生存権と重なる権利であり、これを実現するべく政策としての「自衛力」を肯定する根拠と見ることは可能である。
例えば、どこの国の人間か分からない荒くれ暴漢集団が襲ってきたら、国民としてはこれを排除し安全にして欲しい、国民を守って欲しいと願うであろう、ということである。そのような要請できる権利が、13条にはあるのではないか。

発動されるのが、警察力か自衛力かは区別できないが、少なくとも、国民の平和と安全を守るというのは、保護法益として存在し、その根拠とは平和的生存権であり憲法13条にいう権利ではないか。
従って、平和的生存権や13条の権利が、日本の自衛権があることの論拠となるということではなく、「自衛力」の保持を肯定するのではないか、ということである。


自衛力と自衛権は別の文言かつ概念であり、自衛権は国際法から導き出される国家の権利である。日本が保有する(戦力ではない)自衛力は、あくまで国内法に基盤があるforceであり、その根底にあるのは憲法前文や13条である、と見るべき。これを実現する為の「政策」が、自衛力の保持、だからである。国民を保護するべき義務を13条によって負うから、だ。あくまで「国家の義務」なのである。

自衛権は原則として、政策ではない。国民から授権されたものではないし、行使可能な「国家の権利」として認識される。


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日本国憲法と第9条に関する論点整理〜7

2016年05月22日 18時07分18秒 | 法関係
1の定義に従って、拙ブログの解釈を書いてゆくこととする。


2 憲法9条の解釈

 1)1項について

「国際紛争(非軍事的・軍事的紛争)を解決する手段」としては、

a)国権の発動たる戦争
b)武力による威嚇
c)武力の行使

を放棄する、というのが条項の規定するところである。


a)は前記ア)の「戦争」の定義が順当に当てはまり、所謂「古典的な戦争」像というものであって、これは違法であるし国際平和への犯罪だから放棄すべきものとなる。b)も文言に示された通りで論争余地はほぼないだろう。
残りのc)であるが、帝国議会の議事録から分かる通り、制定趣旨は自衛権は放棄していないけれども、国際紛争の解決手段としての「武力の行使」(武力攻撃+その他)は放棄することになる。
従って、日本が許容される「武力の行使」とは、自衛力の行使の場合のみ、である。

日本の領域以外での、「イ)武力衝突」や「ウ)破壊活動を伴う敵対状態」では、武力の行使は原則として認められない。


 2)2項について

日本は戦力の保持が許されない。ただし、自衛力だけは保有できる。

平たく言えば”戦争の道具”となるものは、持つことが許されないのだから、専ら防御に徹するというものだけが許容されるのである。自衛隊は、専守防衛である限りにおいては、戦力と見做されない。


戦力は定義△ら、どのような任務なり機能が意図され目的とされているのか、が問題となる。軍事的紛争に対して、これに介入することを目的としている組織なら、それは戦力と解釈するべき、ということである。

武力衝突を解決しようとか介入しようというのは、例えばシリアやイラク領内で活動するイスラム国勢力を武力攻撃によって排除する、といった事態である。現実に米軍はその任務を遂行している。これに対して、兵站、基地業務、航空機及び兵器整備その他支援をするということになると、「武力の行使」の定義の範疇に含まれる行為となるので、憲法違反となる。


つまり、自衛力以外の「武力の行使」を実行することを意図した組織は、そもそも「戦力」に該当してしまい保持が許されないし、実行しようとする行為が自衛力の行使以外の「武力の行使」に該当するものはやはり憲法違反として許されない。


自衛隊が交戦しても違法性が阻却されるのは、5)の定義の自衛力行使に伴うものであって、国連憲章(例えば2条4項)にも反しない場合であり、あくまで暫定的に防御するような状況である。いわゆる自衛権の行使、である。

その際、侵害者(国)に対して、自衛隊ばかりではなく、米軍やその他外国軍隊が共同して対処するのは、日本の領域内では許される(日本が援助を要請している場合)。日本の領域内にいる侵害者を攻撃する為に、地方空港を外国軍の戦闘部隊に使用を許可することは自衛権行使に他ならないので許容される。


しかし、ベトナム戦争のような場合、米軍がベトナムを空爆しに行く為に日本の区域(米軍基地含む)を使用するような場合においては、日本への武力攻撃がない状況下では、違法であり、憲法違反かつ国連憲章の自衛権発動要件にも反している。当時の沖縄が日本施政下になかったから可能だったものであり、現在同じことを行えば違憲である。また、米軍への各種支援(例えば航空部品提供や整備)を行うのも、「武力の行使」に該当する可能性があるので、違法となる。


例)「空戦ニ関スル規則」案 44条
Art. 44. It is forbidden to a neutral government to supply a belligerent Power, whether directly or indirectly, with aircraft, component parts thereof or material or ammunition for aircraft.


これから分かることは、直接間接を問わず、航空機とその部品や軍需材料を提供することは許容されない、というのが戦時法規的な考え方である、ということである。



因みに、インド洋での給油活動はどうだったのか、というのを考えてみようとしたが、不明点が多くてできなかった。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/B-S38-P2-759_2.pdf

p782〜783がないので、ここの部分だけ条文が不明である。何故?
何かを隠す必要があったのでしょうか?
インド洋上の給油活動が、国際法上でどういう評価をされるか、というのが問題になるからなのでしょうか?
19条の

『交戦国軍艦は平時に於ける軍需品の通常の搭載量を補充する場合に限り中立の港又は泊地に於いて其の積入を為すことを得
右軍艦は又最近本国港に達する為に必要なる量に限燃料を積入るることを得中立国か供給すへき燃料額を定むるに付軍艦の燃料艙の全容量を補充するを許すの制
(以下不明)』

あたりが関連しているようなのですが、条文が読めないので分かりません。


もし、洋上給油が中立国義務に反しない行為であれば、「武力の行使」の定義からは外れるので、不可能ではないのかもしれない。
紛争当事国(米国とアフガニスタン及びイラク)への関与が、国際法上で中立義務に反しないことや被害国(米国)の協力・援助要請があるなら(武力の行使の定義◆↓の適用が外れる)、行為自体が違憲ではないという評価は可能という意味である。


結局、自衛隊が日本の領域外に行き、国際紛争に際して、「武力の行使」に該当する行為を行うことは許されない、ということである。

本来、自衛隊は「自衛力の行使」の場合にのみ、武力攻撃その他の「武力の行使」ができる存在だから、である。自衛力の範囲とは、行使の地理的な限度と害敵効果の甚大性が問題となろう。


前記定義からすると、「戦力」を否定しつつ「自衛力」保有は現行憲法上可能である。平和条約や日米安保条約での記述に矛盾せず、自衛権の否定にもならない。国連加盟と憲章にも反しない。交戦権は例外的に存在できる。
自衛力の行使については制限が課せられており、「武力の行使」該当性からの制限と、「国の交戦権」からの制限が及ぶ。


いずれにせよ、自衛力の保有が肯定できるのは、「通常の軍隊」とは違うものだから、であり、普通の軍隊と同じ権能を有することになってしまえば、それはすなわち「戦力」としかならないので違憲である。
通常の軍隊と同じものにする方法は、やはり憲法改正しかないということになる。

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日本国憲法と第9条に関する論点整理〜6

2016年05月22日 18時02分47秒 | 法関係
憲法の条文を解釈する前に、文言の意味合いについて、整理してみたい。
あくまで拙ブログでの理解であり、定義であるので、注意されたい(英語を充てているが、これは当方の考えであり、正確かどうかは不明です)。


1 文言の定義 

 1)国際紛争 international disputes

日本国憲法にもあるが、その他条約等にもよく見られる。国際法の世界での定義付けは必ずしも一定ではないようで、論者により若干の相違がある。

拙ブログでの見解としては、多くは国家間の争いであり、国家以外の主体でも国境を越えて争われるが、国境内で生じて(例えば内戦、動乱など)いても、その影響が国境外へ波及するような争いというものである。戦闘行為は必ずしも伴わない。
国際紛争は大別して、軍事的紛争と非軍事的紛争に分けるものとする。非軍事的紛争には、法的紛争の他、金融制裁や経済制裁、資源争奪、貿易や関税の争い、捕鯨、水産資源問題、生物捕獲・採取など、種々のものを含む。


  国際紛争 
    軍事的紛争  military disputes
     (戦争、武力紛争など)

    非軍事的紛争 nonmilitary disputes
     (法的紛争、経済制裁、制裁関税、資源争奪等)


非軍事的紛争はここでは重要ではないので、次項では軍事的紛争について分類する。


 2)軍事的紛争 military disputes

原則として、違法なものである。国連憲章の下では、正当化されない。ただし、違法性が国連総会や安保理で否定されるものか、憲章に基づく軍事行動は認められよう。拙ブログでは、3つに分類した。


ア)戦争 war

戦争とは、「従来より存在してきた、多くは政策的に行われる複数国家間の組織的、継続的な軍隊による闘争状態」とする。侵略や条約を課す目的で行われていたものである。
開戦法規や交戦法規などの国際法が適用される。


イ)武力衝突 armed conflict

武力紛争などとも呼ばれるが、ここでは用語を統一的に使う為、「武力衝突」という日本語を充てている。
領土防衛、復仇等の報復攻撃、内戦(自決権に基づくもの、認定外のものを含む)などがこれにあたる。フォークランド紛争(or戦争)は、当ブログの分類上は武力衝突に該当する。
ジュネーブ諸条約の第3条にある単一領域内のarmed conflictもここに分類される。


ウ)破壊活動を伴う敵対状態 

適当な英語は思い浮かばないので、とりあえず保留。
破壊活動とは、「主に自国領域外において、人的・物的損傷を与える目的で行われる軍事的或いは準軍事的活動及び非合法活動」とする。
具体的には、イスラム国のような活動、米国等の無人機による爆撃、特殊(部隊による)作戦行動、航空機撃墜、軍事目標(核施設等)への空爆・ミサイル攻撃での破壊やコンピューターウイルスによる攻撃、等である。
テロ行為に似ているが、テロ行為は基本的には紛争ではなく犯罪である。以前には、あまり想定されてこなかった紛争形態である。

無人機の爆撃は、軍事的活動であるか、CIAが実行すれば準軍事的活動であり、国際法上は違法である。ビンラディン殺害作戦のようなものもここに含まれる。敵対する紛争当事国或いは紛争当事者の代表者・指導者・要人等を殺害する暗殺(無人機攻撃や空軍の空爆などの攻撃も含む)は、国際法上の戦争や武力衝突ではなく、あくまで非合法活動である。大統領暗殺も同様。
殺害方法の違いがあるだけであり、ピストルで至近距離から銃撃するのも、長距離から狙撃するのも、ビルごと爆破するのも、投下爆弾で爆殺するのも、毒薬を服用させるのも、ナイフで刺すのも同じということ(一般に殺人という犯罪である)。


 3)武力の行使 the use of (armed) force

日本国憲法でも国連憲章でも原則として認められていない。
国連憲章2条4項において、『すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。』とされており、例外を除いては違法と考えられる。

武力による威嚇についての解釈は多くの場合問題とはなっていないので、ここでは武力の行使について検討する。

「武力の行使」というのは、前記「国際紛争」の考え方とは別の系統の語である。
国際紛争は当事国(者)の関係性とそれらが置かれた状態(状況)をいうものであり、「武力の行使」は行為に重点がある。

喩えて言えば、「人質をとって立て籠もり」(事件)は、そのような状況(置かれた状態)をさすが、「強行突入」は行為を言うものである。前者が「国際紛争」に関する語であり、後者が「武力の行使」に該当するものということである。

国際紛争とは、軍事的紛争と非軍事的紛争に大別されると述べた。これと同じように、「武力の行使」についても、次の2つに分類される。


  武力の行使
   ア)武力攻撃    armed attack
   イ)ア以外のもの  others

参考までに、「武力攻撃」の政府(答弁書)見解は、一般に「一国に対する組織的計画的な武力の行使」としており、循環論法的になるので、拙ブログにおいては次のようなものとする。

「武力の行使」とは、
仝饗Г箸靴董嵜略の定義に関する決議」で規定される侵略
軍事的紛争において国際法上軍隊の活動とされるもの又は中立国の権利義務を逸脱するもの
※国際人道法、開戦ニ関スル条約、不戦条約、ハーグ陸戦規則、陸戦ノ場合ニ於ケル中立国及中立人ノ権利義務ニ関スル条約、海戦ノ場合ニ於ケル中立国ノ権利義務ニ関スル条約、空戦ニ関スル規則(未批准・未発効)などで規律される
I靂蝋況皸奮阿了抉隋蔑磴┐丱縫ラグア事件でのICJ判決)で該当性のあるもの


武力の行使が違法とされない場合とは、国連総会や安全保障理事会において、その行使が認められたもの、となろう。
「武力攻撃」は、「武力の行使」のうち重大性を有するものであり、自衛権の発動要件としても知られてきた。例えば、兵站や武器供与は「武力の行使」に該当するが、武力攻撃ではない。


 4)陸海空軍その他の戦力 
land, sea, and air forces, as well as other war potential


この9条文言の意味に関しては、過去から紛糾してきた面があり、学者の解釈も諸説あったものである。
普通に読めば、一般的な軍備に該当するものは「戦力」であるように思うかもしれないが、政府見解は異なってきた。


具体例として、前述の「空戦ニ関スル規則」案 61条では、次のように定義された。

Art. 61. In the presents rules, the term "military" must be understood as referring to all elements of the armed forces, i.e. land, naval and air forces.

戦力か否かが、あまりよく分からない。軍隊というのが、陸海空軍全部種類をいうものだ、という程度である。


最近のものでは、「爆弾テロ防止条約」での定義として、次のものがある。

"Military forces of a State" means the armed forces of a state which are organized,trained and equipped under its internal law for the primary purpose of national defence or security,and persons acting in support of those armed forces who are under their formal comand,control and responsibility.

「国の軍隊」とは、国の防衛又は安全保障を主たる目的としてその国内法に基づいて組織され、訓練され及び装備された国の軍隊並びにその正式な指揮、管理及び責任の下で当該軍隊を支援する為に行動する者をいう。


これを読めば自衛隊は、外形的には国際法上の「軍隊」として評価を受けるだろう。ただ、これが憲法により禁止される「戦力」かどうか、が問題となる。

そこで、拙ブログにおいては、「陸海空軍その他戦力」を次のように定義する。

以下の条件,梁勝↓∨瑤廊を満たすものを「戦力」という
’弾テロ防止条約4条にいう『Military forces of a State』に該当するもの
軍事的紛争の解決乃至介入手段として意図した、或いはそれらを目的とした組織
自衛力self-defense force(s)の限度を超越するもの


,老蛎發箸靴討陵彖任悩任睇現狹かつ基本的なものである。△浪燭鯡榲としている組織なのか、ということであり、戦争や武力衝突の際に出動・用いることを(積極的に)意図しているものについては、「戦力」と見做さざるを得ないということである。は、以前からある「極東」とか「周辺事態」のような解釈で取り沙汰されてきたものであり、地理的空間的限度が想定されよう。それとも、害敵手段の効果の大きさが過大なものは、正当性が認められないだろう、というものである。


これは正当防衛の場合を考えてみると分かるだろう。
自分の家の敷地内に殺人犯が襲ってきたら、自ら拳銃や猟銃で反撃することは想定できよう。しかし、いかに相手が凶悪犯だからとて、対戦車ヘリで爆撃してもいいのか、というようなことである。また、隣家に殺人犯が押し入ったのを助けに行く程度ではなしに、隣町の友人宅敷地に出かけて行ってまで機関銃を撃ちに行くというのは、正当防衛の範囲を超えているのではないですか、ということである。
つまり、拙ブログにおける戦力の考え方は、+△+が成立していれば、戦力に該当する、というものである。害敵の効果があまりに巨大であれば(例えば核兵器)、これは自衛力の範囲を超越していますね、と判断することになろう、ということである。


自衛力とは、広義にはarmed forcesであって軍隊としての性質を持つものであるが、国際法上の全ての権能を備えたものではないことは、これまでの政府見解でも明らかである。自衛力は、憲法にいう「戦力」には該当しない(否定されない権利)というべきである。


砂川事件での最高裁判決では、9条にいう戦力として、在日米軍は,陵弖鏗催性から外れていることが示されたものである(国内法根拠の組織でないことは明らか、日本の指揮権と管理権の範囲外であること)と言える。自衛隊の合憲性には触れていないものの、『わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る”戦力”』の保持について許されないとしている(強調は筆者による)。
従って、「戦力」とは何か、という定義問題に帰着すると考えられる。


 5)国の交戦権 The right of belligerency of the state

過去の政府(答弁)見解は、「交戦国が国際法上有する種々の権利の総称」を意味するとしている。一般的には、国際法上の交戦法規に規定されてきた権利をさすものと思われるが、憲法制定当時の日本では、軍備が全く想定されていなかったので、軍備がないのだから(国際法上あるとしても)どうせ使えない、という発想だった。ただし戦争は放棄するけれども、自衛は可能であるとの認識の下、国際法上の権利の全てが失われるとは考えていなかった。


従って、そのような制定趣旨を考慮して、拙ブログでは次のように定義してみた。

「国の交戦権」とは、,鯔たすもの、但し以下を除く、とする
々餾殍‐紊旅餡箸有する諸権利で、一般にjus in belloの下規律されたもの
(具体的には「武力の行使」の項△納┐靴申条約、その他戦時法規など)
◆嵜略の定義に関する決議」第7条の自決権の行使に関するもの
自衛力の行使に伴うもので、国連憲章に反しないもの


例えば、加害国か不法武装集団が日本に上陸して国民を殺害したり奴隷化したりするなら、これを防御すべき義務が国にはある、ということである。その際、いかに「交戦権を認めない」とする憲法文言があるとて、「国の交戦権」が自衛力の行使たる「武力の行使」までも否定するものとは考えられない、ということである。まさしく急迫不正の侵害に対してこれを排除する為、自衛権の発動は許される。自衛力を行使する国の機関が警察組織であろうと、海上保安庁であろうと、これは法的に許容され得る。

コメント
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日本国憲法と第9条に関する論点整理〜5

2016年05月16日 17時42分38秒 | 法関係
帝国議会の議論が引用部が非常に長くて、読み難いと思いますが、どうか全部お読みいただければ、と思います。
ここまでで、当時の政府答弁から、制定意図がかなり見えてきたのではないかと思います。

法学の重箱の隅を突くような話ではなくて、当時の議員も世論も9条の意味合いというものを、かなりよく検討し議論した結果であることが分かります。また、「芦田修正」として一身に責任を負わされる立場になったかのような芦田均委員長(当時、自由党議員だった)ですが、これも議事録から面白いことが分かりました。


4 9条の文言の変更は「芦田均」の主導ではなかった 

当時の政府提出案は、制定されたものとは違うわけですが、衆議院の「帝国憲法改正案委員会」での審議を経た段階でもなお、文言の変更はなかったのです。その後に、「憲法改正案委員会小委員会」の懇談会で議論が重ねられた結果、制定条文の形が出きてきたのです。



1946年8月1日 衆院 帝国憲法改正案委員小委員会


○芦田委員長 それでは速記をやつて宜しうございます──第二章に參りまして、宣言すると云ふ言葉に付て色々議論をしたのでありますが、若し宣言すると云ふ字を取つて、此の間の修正案の通りで、多數の委員諸君の異議がなければ、是は臨時に私が斯う云ふ案を作つて見たと云ふ程度のことですから、最後の宣言すると云ふ文字を削つて、それで一應の修正とすることに御異議がないでせうか、第二章の九條です

○鈴木(義)委員 讀まなくても分りますが、非常に私は心配するのです、どうも交戰權を先に持つて來て、陸海空軍の戰力を保持せずと云ふのでは、原案の方が宜いやうに思ふのです、其の點に付て十分御考慮下さつたでせうか

○芦田委員長 私は之を保持してはならないと云ふ書き方が……

○鈴木(義)委員 いや其の書き方を變へるのは贊成しますが、順序を變へることです

○芦田委員長 順序を變へるのは其の人の趣味で、例へば演説をする時に、一番大事なことを一番初めに言ふ人もあれば、一番大事なことは最後に言ふ人もある、是は其の人其の人の趣味であつて、偶偶私の趣味が一體交戰權は之を認めないと言ふから、戰爭を抛棄すると云ふ結果が出て來るのだ、戰爭を先づ抛棄すると言つた其の後で、交戰權は之を認めないと言ふことは、どうも順序を得てない、それだから初めに交戰權は認めないと言つて置いて、國際紛爭を解決する爲の戰爭は之を抛棄する、斯う云ふことが原則から出て來る結果なんだから、それで後に書いた方が宜い、斯う云ふ風に私は感じたのです

○鈴木(義)委員 或る國際法學者も、交戰權を前に持つて來る方が、自衞權と云ふものを捨てないと云ふことになるので宜いのだと云ふことを説明して居りました、だから色々利害はあるのですけれども、何か先達て金森國務大臣は、戰爭の方は永久に之を抛棄する……

○芦田委員長 金森君と私の意見は、其の點に於て違ふのです

○鈴木(義)委員 それも分ります、十分御考慮下さつた後で、それで宜いと云ふことであれば私は強ひて反對しませぬ

○犬養委員 是は一寸法制局に伺ひますが、第九條の第一項は今一寸鈴木君が觸れられましたが、是は永久不動、第二項は多少の變動があると云ふ、何か含みがあるやうに、一寸此の間國務大臣の御發言があつたのですが、さう云ふ含みがありますか

○佐藤(達)政府委員 正面からさう云ふ含みがあると云ふことを申上げることは出來ないと思ひますが、唯氣持を分り易く諒解して戴けるやうに、金森國務大臣はああ云ふ言葉を御使ひになつたのだらうと思ひます

○犬養委員 隨て此の順序は無意味でなくて、相當意味がある……

○佐藤(達)政府委員 意味があると云ふことを申したい爲にああ云ふ表現を使はれたと思ひます

○犬養委員 是は一應論議の對象になる

○鈴木(義)委員 それから是は別なことですが、念の爲に此の條文に付て一寸申上げて置きたいのです、「國の主權」と云ふのを「國權」と直しましたね、併し國權を英語に譯すときに變な譯し方をされると却て迷惑する、英語の方では「シュターツゲワルト」に相當する言葉は、無理に使へば「パワー・オブ・ステート」と云ふ言葉もありますけれども、それは適當でない、英語では主權も國權も共に「ソヴァレンティ」です、だから此の通りで宜いと云ふことを御諒承願ひたいと思ひます

○大島(多)委員 あの宣言は取つてしまふと云ふ

○芦田委員長 それを今御相談します、今第一項と第二項とどうしようかと云ふ議論に入つて居つて、其の文句のことをまだ決めて居ないのですが、若しそれを取れば、第一項の一番終ひが「その他の戰力を保持せず」、此處で一寸「又」と云ふ字を入れた方が、何だか日本語としては宜いやうな氣がするのですが「又國の交戰權を否認する」……

○鈴木(義)委員 「保持せず」と云ふ言葉は口語體として一寸どうですか

○芦田委員長 「保持しない」とすると、此處で切らなくてはならぬですね、それで此の前、原委員から、やはり「保持せず」とした方が力強く且つ筒潔に出るのではないかと云ふ御意見が出たのですがね

○鈴木(義)委員 それはさう思ひますが、唯全體が口語になつて居るものですから……

○芦田委員長 「せず」と云ふのは口語ぢやないのですかね

○鈴木(義)委員 口語にも使はれませうね、唯感じがさう出て來ないやうな氣がする

○犬養委員 江藤さん、順序はどうですか

○江藤委員 順序はどうも原文の方が宜いやうな氣がするのですがね

○吉田(安)委員 昨日でしたか、金森國務大臣が一寸言うて居られた永久と云ふこと、第一項と第二項の何ですが、今又法制局の佐藤さんからの御話、さう云つたことを考へますと、大分是は強さに於て第一項と第二項──勿論第二項は何ですが、含みがあるやうに考へられるのですが、さうすれば是はどうでせうか、やはり原文のやうにして置いたら如何でせうか

○芦田委員長 それでは私もう一つ説明しなかつた理由を申上げます、原文の儘に第二項に置いて、さうして文句を變へると、關係筋で誤解を招くのではないか、獨立の條項として置く限りは「これを保持してはならない」、「これを認めない」と云ふ風にしないと、どうも却て修正することが薮蛇になるのだから、そこでどうしても日本は國際平和と云ふことを誠實に今望んで居るのだ、それだから陸海軍は持たないのだ、國の交戰權も認めないのだ、斯う云ふ形容詞を附けて「戰力を保持せず」と言ふことの方が、其の方面の交渉の時には説明がし易いのではないか、此の儘に置いて此の第二項の英文を書換へると云ふことは相當困難ぢやないか、斯う云ふ理由もあつて、それで之を一定の平和機構を熱望すると云ふ機構の中で之を解決して行く、斯う云ふ風に實は考へたのです

○犬養委員 今言はれた國際平和を誠實に希求すると云ふ前文は、順序を變へても入れてはいけないのですか

○芦田委員長 それは併し紛爭解決の手段として永久に之を抛棄すると云ふことも、やはりさうなんですね、それなら初めと……

○犬養委員 私の言ふのは、九條前文が、事態斯くの如くになつては萬已むを得ないと云ふやうな、讀んだ後味があるので、積極的に何か入れたいと云ふのが抑々の私の發言なんです、其の趣旨を御贊同願つて段々文章が變つて來たやうですが、最初に委員長が言はれた文章は非常に良い文章だ、それを第一項に入れて順序は原文通りにしたら、何處か差支へのある所が起りさうでせうか

○芦田委員長 結局私の考へは、第二項をどう云ふ風にして書換へるかと云ふことが一つと、それから日本が國際平和を望むと云ふことを入れたいと云ふことも一つで、其の爲には斯う云ふ風にして原文を第一項と第二項とを變へて、そして戰力の問題、交戰權の問題を形容詞の下に包含させるならば、是はやつて見なければ分らないが、其の方がどうも説明が樂に行くやうに思ふ

○吉田(安)委員 私は委員長の修正案文は最初から非常に贊成です、鈴木委員の御説もありますが、委員長の仰しやることに贊成します、併し金森さんの仰しやつたことに一寸引掛りがありますが、何か將來第二項の方はもう少しどうにかなりはしないかと云ふ氣がするのです

○芦田委員長 併しそれは憲法の書き方で決まるのではなくて、今後の日本の民主化の程度、國際情勢で決まるのだから、私は此處に「永久」とあるから、何かあると云ふやうなことは、形の上の問題としては非常に重要だが、實際問題としてはさう大した變りはないと思ふ

○原(夫)委員 私は草案の原文を非常に尊重し、又委員長の修正案に付ても非常な御苦心だつたことを思つて、一字一句忽せにしないで讀んで大體會得致して居るのですが、色々な本日の御議論の跡を考へて見まして、いつそ是は第九條の冒頭に「國の主權の發動たる戰爭」とある上に、少し文字が欲しいぢやないかと云ふ今犬養君の言はれた趣意から是は出發して居るのですが、そこへ歸つて一應考へて見る所に依りますと、委員長の修正案の「日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠實に希求し」そこまで取つて、さうして前文に續ける、それ位の所ではどうでせうか

○鈴木(義)委員 贊成です

○原(夫)委員 委員長の勞苦を感謝して、贊成はして居つたのですが……

○芦田委員長 さうすると原案通りになるのですね

○鈴木(義)委員 原案の前に「日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠實に希求し」、それから「國の主權の發動たる戰爭」、斯う云ふ風に續けて、やはり一項、二項と云ふことを原案の儘に殘して置いて宜い

○芦田委員長 さうすると二項は變へないと云ふことですか

○鈴木(義)委員 さうです

○芦田委員長 是は人の趣味の問題だが、之を讀んで、陸海空の戰力は之を保持してはならないと云ふと、何だか日本國民全體が他力で押へ付けられるやうな感じを受けるのですね、自分で……

○大島(多)委員 そこの第二項の所を斯う云ふ風に修正したらどうでせうか、「陸海空軍その他の戰力の保持及び國の交戰權はこれを認めない」……

○芦田委員長 だからそれだけを獨立して、さう云ふ風に直すことが果して關係方面と簡單に旨く行くかどうか

○大島(多)委員 いや、そこの所は私が言つたやうにする方が英文に忠實ですよ、そこの所は「ワン・センテンス」になつて居ないのです、私も之を考へまして、是は一文にした方がましだと思ふのですが──是は二つの文章になつて居りますが、それは一文にしても、ちつとも意味が變らないと私は考へます

○芦田委員長 併し欲せずと云ふことは、「ウィル・ネヴァ・ビー・オーソライズド」と云ふ言葉の飜譯としては、是は英文は變りませぬとは言へないんぢやないですか、相當強い言葉ですよ、決して許可はしない、斯う書いてある

○鈴木(義)委員 元來戰爭の問題だから、何か委員長のやうな感じを私共も最初は持つたんですが、考へて見ると、憲法は國家機關に對する命令を規定して居ることが非常に多い、何々を保障する、何々をしてはならない、思想及び良心の自由を侵してはならないと云ふのであつて、國家機關が、將來の政府は陸海空軍を設置してはならないと云ふことを命令して居るんですから、差支へないと思ひます

○芦田委員長 だから初め申上げたやうに、是は趣味の問題だが、我々の趣味では、其の他の戰力は之を保持してはならないと云ふやうな言葉を讀まされることが何だか……

○吉田(安)委員 それは分る、辛い

○芦田委員長 保持せずと云ふならば自分の決心だが、「オーソライズド」と云ふ字を使つた所は外にないでせう、此處に限つて「ネヴァ・ビー・オーソライズド」と斯う書いてある、それが何となく我々には辛いので、そこで保持してはならないと云ふやうな、一種の受動的な形でなく、自發的に之を保持せずと……

○鈴木(義)委員 保持せずとした時は、どう御譯しになるんですか

○芦田委員長 是は餘り良い飜譯でもありませぬけれども、「ナット・メーンテン・ザ・ランド・シー・エンド・エア・フォーシズ」──「ネヴァ・ビー・オーソライズド」と云ふやうなことは書かないで、斯う云ふ風にでもしたら……

○鈴木(義)委員 さう神經過敏に考へなくても宜いと思ふ、「オーソライズド」と云ふことは、要するに……

○芦田委員長 それは法理的にはあなたの仰せられる通りだと思ふ、唯讀んだ時に、此の文句が氣になる人は、私ばかりではなく、相當多いと思ふ

○鈴木(義)委員 私共もさう云ふ感じから、此の修正案を考へて提案した譯ですが、偖て段々思案して行つて手を着けて見ると、又元へ戻つて來て、是しかないと云ふやうな感じがしたものですから……

○芦田委員長 多數が原案で宜いと云ふことなら、是でも宜い

○原(夫)委員 原案の第一項に冠りを付ける、斯う云ふ……

○芦田委員長 唯簡單に之を保持せずと云ふ風に修正する爲には、何か一應の理窟を述べなくてはならない、なぜ斯う變へるか、それにはやはり前文のやうな形容詞を付けて、「日本國民は誠實に平和を希求するが故に戰力を保持せず、交戰權を否認する」斯う云ふことがあつた方が、修正の場合に幾分か樂に行くんではないか

○原(夫)委員 それは總て總合して、成べくさう云ふ風にしたいのは山々なんですが、私などもやはり最初から一項、二項を區別して、交戰權の問題と軍備の問題、此の關係が中々難かしいので、其の精神を探求するのに、同文章の出來上りに非常に苦心したんですが、併しながらそこまで草案で區別がしてあるんですから、戰爭抛棄と云ふことから、やはり第二項も來て居る譯ですから、そこで結局此の兩方を總括した何か文句があれば結構ですけれども、そこまでなくても、第一項の戰爭抛棄の頭に今言つた如く「國際平和を誠實に希求し、國の主權の發動たる」と言へば、國際平和を希念した國民が正義と秩序を基としたのだと言ふことだけでも、ここに冠が掛かると非常に文章の工合も宜し、觀念上からも非常に宜いのぢやないかと思ふ

○吉田(安)委員 私は個人としましては今原さんの仰しやつたことも能く分りますけれども、どうも第二項を見ますと、是が此の儘で憲法として殘ります以上は、將來之を讀む度毎に、國民の誰もが如何にも他力的に情なさを感ずるやうな氣がします、隨て委員長の仰しやる通り、是は積極的に之を保持せず、之を否認すると言つた方が宜いのぢやないかと私は考へます、是は許されない、保持してはならないと云ふことは一種の情なさを感ずる、隨て個人としては私は委員長の修正案に贊成を致します

○林(平)委員 どうも其の日其の日の氣持で色々に變ると思ふのですが、今の第九條は先日滿場一致で修正され、唯宣言と云ふ文字を殘すか殘さないかと云ふことだけが問題となつて殘つて居つた、又引繰返してしまふと……

○犬養委員 此の條文は私が居ない爲に保留されたんです

○芦田委員長 さう云ふことはありませぬ、委員が一人缺席したからと云つて……

○林(平)委員 それで宣言と云ふことだけが殘されたと私は承知して居ります、それから斯う云ふ風に修正しようと云ふ重點は何處にあるかと云ふと、保持してはならないと言へば非常な刺戟を與へる、此の點に重點があつたので、私は委員長案に贊成した譯でありますが、今日もやはり其の心持は變らないので、委員長案に贊成致します、又其の宣言を除くと云ふことにも贊成致します

○原(夫)委員 此の前、宣言と云ふことに主に議論が集中を致したのであつて、法律文章としては惡いのぢやないかと云ふことで、之に重點が置いてあつたけれども、是は宣言だけのことが問題になつた譯ではないんです、文章は全部の釣合等もあるものですから、そこで私は其の時に──今日は犬養委員も出席ではないし、大體私も贊成は致したが、其の次にまで延ばさうと云ふので、實は確定的な贊成意見も私は述べては居ない、出來るだけ二度も三度も發言をしたくないから、其の點詳しいことは申しませぬでした、そこはどつちにした所が、ものを良く作らうと云ふ重大な案件ですから、さう理窟なく……

○芦田委員長 御趣意は能く分りました、それではまだ進歩黨の方でも黨としての一定の意見がおありにならぬやうでありますから、是は後に廻しませう、やはり黨の意見を纏めて述べた方が……

○鈴木(義)委員 後にすると云つても、切りがないことですから、最後の結論が出て來るやうに、此處で一應は決めて置きたいですね、それで私も外の條文ならば蒸返しは決して致しませぬ、是は非常に心配して始終考へて居りまして、佐藤君も御存じだが、議場外に於ても、どうもあれは心配だから能く國務大臣の意見も聞いて呉れ、順序を變へることもどうかと色々話をした位で、此の條文は恐らく關係方面との關係に於ても一番大事な條文になると思ふから、他の事は決して蒸返ししないが、是だけは除外例として蒸返しても宜いと思ふ

○芦田委員長 御説の通り再檢討することにして、今一寸拜見すると必ずしも一つの黨でもまだ意見が一致してないから、やはり黨の意見を纏めて御話を願はないと纏めやうがないと思ふから、後廻しにして……

○鈴木(義)委員 大體論點は此處にある、此の論點を決めて返事することに御願ひしたい

○原(夫)委員 私も鈴木君と同意見だが、此處で英文の話から委員長の含みなど色々考へさせられる、ですから非常に研究になつて喜んで居るのですから、もう此の位な所で一應片付けて戴きたい

○芦田委員長 私も一刻も早く終りたいのですけれども、纏まりますか

○犬養委員 委員長の仰しやつた前掲の目的を達する爲めと云ふことを入れて、一項、二項の仕組は其の儘にして、原委員の言はれたやうに冒頭に日本國民は正義云々と云ふ字を入れたらどうかとも思ふのですが、それで何か差障りが起りますか

○芦田委員長 前項のと云ふのは、實は双方ともに國際平和と云ふことを念願して居ると云ふことを書きたいけれども、重複するやうな嫌ひがあるから、前項の目的を達する爲めと書いたので、詰り兩方共に日本國民の平和的希求の念慮から出て居るのだ、斯う云ふ風に持つて行くに過ぎなかつた

○吉田(安)委員 そこで、正義と秩序を基調とする國際平和を希求して、此の希求の目的を達成する爲め、陸海空軍其の他の戰力は之を保持してはならない、「これを保持せず」、斯うしたら「保持せず」と直しても目的が謳つてあるから、委員長の御苦心が生きる、委員長と意見の違ふ所は、一項と二項は原文の儘で、自發的な精神を生かして……

○廿日出委員 委員長の御心配になつて居る二項の所謂他動的な文句、何だか屬國ででもあるやうに國民に映る卑窟な氣持、之を完全に除きさへすれば、私は此の第九條は解決すべき問題ぢやないかと思ふ、實は新聞に載つた時の文は、是より違つて、「戰力保持は許されない。國の交戰權は認められない」、斯うなつて居ります、そこで誰も皆氣を腐らした、それが今度此の文に現れた時には、「これを保持してはならない。」「これを認めない。」と云ふ程度になつて居る、是は變つて居ると思つた、それを今度「保持せず」又は「保持しない」と、ぴしやつとやつて置けば、非常に心がすつとするのではないかと思ふ、それと同時に今前文のことを氣にして居りましたけれども、本當にあの前文があれだけの内容を含めた前文、さうして最後に「誓ふ」と云うた、あれが宣言だ、其の宣言の後に此の九條が直ぐ來ると見て私は何等差支へないと思つて居ります、長い間私は是で苦しんで居る、皆からも責められた、此の點だけでも直さなければならぬと隨分言はれた、そこでどうか第二項の所は何も加へずに、さつとやつて下されば一番解決するのではないかと思ひます

○芦田委員長 さうすると、今進歩黨の案は「日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠實に希求し、國權の發動たる戰爭と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛爭を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」、それから第二項に於て「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戰力は、これを保持しない。國の交戰權は、これを認めない」

○廿日出委員 それで宜しうございます、私は異論はありませぬ

○鈴木(義)委員 それなら大贊成です

○大島(多)委員 そこの所を英文に直す時にどうでせうか

○鈴木(義)委員 其の程度の飜譯は許されると思ひます

○笠井委員 此の九條の「抛棄」は否認に變へることに決定致したのですか

○芦田委員長 いや、「抛棄」に還つたのです、唯「抛」の字を放すと云ふ字にしようと云ふのです

○笠井委員 此の憲法に付ては、隨分「マッカーサー」の方でも力を入れて居るらしいですから、成べく此の原案に餘程力のある文章を作つて戴きたいと思ふ、認めないとか何とか簡單でなく──左樣に御願ひします

○江藤委員 私も大體今の笠井さんの御意見と同じです、成たけ斯う云ふことは原案を忠實に作るやうにと云ふことで宜いのぢやないかと思ふ、さつきの鈴木さんの御話にもありましたやうに、私等はさう抑へ付けられたと云ふやうな感じを殊更持たないのですけれども……

○芦田委員長 そこは非常に意見がある所でありまして、感情と言ふか、趣味の問題で、勿論是で何でもない人も澤山あるに違ひない、又之を見る度に始終口惜しい氣持のする人もあるのだから、是はもう百人百樣の印象を受けるので、決して其の感情を強ひようと云ふ趣意ではないのですが、併し相當に神經を起す人があるとすれば、神經の起らないやうなものに直すことが出來ないかと云ふ問題に過ぎぬのです

○鈴木(義)委員 どうです、皆さん、折角纏まりかけて來たのだから「保持しない」「認めない」と云ふことで原案通り御贊成願ひたい

○廿日出委員 皆さん贊成でしたら、私は異論はありませぬ

○芦田委員長 さうすると保持しないと直すのですか

○鈴木(義)委員 さうです

○芦田委員長 それではもう一遍讀んで見ませうか、「日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠實に希求し、國權の發動たる戰爭と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛爭を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戰力は、これを保持しない。國の交戰權は、これを認めない。」、斯う云ふことでしたね
 それでは第三章に參ります、第三章は最も修正案が多い所であるのですが、社會黨の修正案の各條を通じての精神は、生活權と云ひますか、生存權と云ひますか、それを國家が保障する條項をはつきりしたい、出來れば之を具體的に擧げたい、斯う云ふ御精神が一つだと思ふのです、そこで一應の私の個人的の意見でありますが、此の詳細な規定を、殊に勤勞者に對する詳細な規定を竝べる代りに、第十二條の「すべて國民は、個人として尊重される」と云ふ所へ、個人として尊重をされ、其の生活權は保障される、と云ふ一句を入れる、それからそれと對應して、第二十三條の「社會の福祉、生活の保障」と云ふ所で、生活の保障と云ふのは社會保障と云ふ方が私は正しいと思ひますから、さう云ふ風に直して、此の十二條乃至二十三條、どちらから見ても生活權の保障を憲法に於て約束して居る、斯う云ふことにして、さうして休息の權利があると云ふやうな條項は、二十五條あたりでも第何項かにして入れて、さう云ふ程度で何とか御考へ願へないか、是は非常に雜駁な意見ですから、尚ほ詳細に檢討して行けば、外に加へる問題も出て來るかも知れませぬが、是は一應の私の考へた點です





ここでの議論は、非常に興味深い。
前日までの議論の過程において、芦田委員長は、9条の1項と2項の位置を変更してみた方が、説明がつきやすいのではないか、ということを考えて、芦田委員長私案としての、修正案を提示していたものである。

これが、いよいよまとまりかけていたのだが、この回で再び戻ることになったのである。


論点としては、金森大臣答弁の2項の将来的な含み、という点が浮上した為であった。政府委員として呼ばれていた内閣法制局の佐藤達夫も、金森答弁を否定してはいない。

これは、憲法制定当初から、2項については未来時点の政府なり国民なりが、国際情勢等により考え方(解釈)の余地を敢えて残すものとして想定されていた、ということである。この小委員会での議論でも、そのことが取り上げられたわけである。


この時、決まりかけていた、芦田委員長提示案は、主に進歩党の面々によりひっくり返されたものと見てよい。
芦田委員長は、自分の提案が通らない様子なので、この回の議論を打ち切りにして、とりあえず後日に回そうと、途中で提案をしている(党に持ち帰って。しかし、犬養委員の発言に端を発して、鈴木(義)や原(夫)らが決めてほしい旨を主張するわけである。


芦田委員長に食い下がったのは、鈴木(義)、犬養、廿日出らであり、最終的な憲法9条文言を導き出したのは、彼らだったわけだ。

芦田委員長は、若干ふてくされた感じで、彼らの言う修正の提案に応じていったことが分かる。時に、芦田は「個人的趣味の問題」であるかのような物言いをしたりもしているのが面白い。で、彼らの提案を拒否したい気分を、どうもね、辛いねという感じになっているわけだ。


吉田(安)は芦田の肩を持つタイプの人で、委員長に賛成を連発している。
多分、GHQの太鼓持ちっぽいのが、最後の方で発言している笠井と江藤で、英文の原案通りでいいんじゃないか、何でこんなに拘るんだ変える必要があるんだ、という感じだった。


芦田修正、と謳われてはいるが、実際には、芦田委員長は苦虫を噛み潰したかのような、仕方なしに受け入れたものとなっていたのだ。その他の委員(特に、進歩党の議員)さんたちが中心的な役割を果たしていたのである。文言の提案の一部は、芦田委員長からなされたものはあったわけだが、自分の案(1項と2項を入れ替える、というもの)が否定されてしまったので、当初政府案に近い形に戻ったことが非常に不満だったのだ。

金森君とは違う、とまで言ってしまったわけで。


※要点:

※4  「芦田修正」は、実際には芦田均委員長が主導したわけではなく、他の委員の意見を不承不承受け入れた結果だった。2項には、将来的に政府答弁の含みが残されていることを、制定意図として知った上で、1項、2項の順序を維持した。


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日本国憲法と第9条に関する論点整理〜4

2016年05月16日 15時47分15秒 | 法関係
 2)自衛権放棄は9条1項から導けないというのが政府答弁


21年9月5日貴族院 憲法改正案特別委員会

○南原繁君 昨日吉田外務大臣が御出席がございませぬでしたが爲に、保留して置きました問題、即ち戰爭抛棄に關聯致しまして、御尋ね申上げたいと存じます、一つは我が國が將來國際聯合加入の場合に、今囘成立すべき新憲法の更に改正を豫想するものでありますかどうかと云ふことを吉田外務大臣に御尋ね申上げたいのが第一點でございます、其の點は本會議に於ても私が申上げましたやうに、國際聯合の憲章に依りますと、其の加入國家の自衞權が一面に於て認められて居ります、其の外に重要なことは、兵力を提供する義務が課せられて居りますことは御存じの通りであります、然るに今囘の我が憲法の改正草案に於きましては、自衞權の抛棄は勿論のことでありますけれども、一切の兵力を持ちませぬが爲に、國際聯合へ加入の場合の國家としての義務と云ふものを、そこで實行することが出來ないと云ふ状態となつて居るのではないかと云ふ問題があるのではないかと存じます、處で一昨日でございましたか、本委員會に於きまして、吉田首相の御説明の中に此の憲法草案は國際聯合の場合を必ずしも直接に考へて起草して居ないと云ふやうな意味の御答辯があつたやうに私ちよつと承つたのでございます、それと併せて考へまする時に於て、將來愈愈現實的に國際聯合に加入すると云ふ場合が起つて來た場合に、さう云つた點に付て憲法の更に改正、詰り第九條を繞りまして、更に改正を豫想せらるるやうな意味でありますかどうかと云ふことを先づ吉田外務大臣に御尋ね申上げたいのであります

○國務大臣(吉田茂君) 御答へ致します、國際聯合に加入するかどうか、是は私の意味合は成るべく早く國際團體に復歸することは日本の利益であり、又日本國としても希望する所であり、又經濟的利害の上から申しましても、政治的の關係から申しましても、國際團體に早く復歸すると云ふことが政府と致しましても、努力もし、又希望も致して居る所であります、扨、然らば國際聯合に加入するかどうか、是は加入することは無論の希望せざる所ではありませぬが、併しながら加入には御話の通り色々な條件がありまして、其の條件を滿し得ると言ひますか、滿すだけの資格が滿し得ない場合には或は加入を許さないと云ふこともありませうが、然らば如何なる條件で、如何なる事態に於て加入するかと云ふことは、今日の場合に豫想出來ない所でありまして、今日我々の考へて居ります所は、國際團體に復歸する、其の前に講和會議と言ひますか、講和條約を結ぶ、此の時期を成るべく早めると云ふことに專心努力して居るのでありまして、さうして講和條約の出來た、講和條約の締結前後の國際情勢、或は日本内部の情勢等を考へて、さうして國際聯合に入ることが善いか惡いかと云ふことも考へなければならぬ、現に又加入して居らない國もございますことは御承知の通りでございます、講和條約締結後のことを今日に於て直ちに斯う云ふ條件であるとか、或は憲法を改正することを豫想するかと云ふことに付ては御答へしにくいのであります、其の時の講和條約締結後の國際情勢、國内情勢に依つて判斷すべきもの、斯う私は考へます




同9月13日

○高柳賢三君 九條の一項、二項に付きまして、第一項の字句を讀みまして所謂「ケロッグ・ブリアン」條約を思ひ出すのであります、尤も其所では國策の手段としてと云ふ文字が使つてあるのに對して、此處では國際紛爭を解決する手段と云ふ風に變つて居ります、又不戰條約では戰爭のみが抛棄されることになつて居りますが、此所では不戰條約の解釋に付て學者の間に非常な爭ひがあつた、武力に依る威嚇、武力の行使、是が所謂平和的手段、「パシィフィック・メヂャー」と云ふことが言へるかどうかと云ふことは國際法學者の間に非常に議論が分れて居つたのが、此處では其の一派の意見に從つて、それが廢棄の對象として此所に入つて居る、さう云ふことか之を讀んで感ずるのであります、此の不戰條約の後に出來ました千九百三十一年の「スペイン」の憲法には矢張り戰爭の廢棄が謳つてあり、更に「ラテン・アメリカ」の祖國の憲法の中にも同樣な規定があり、更にずつと古く遡つて言へば「フランス」革命後の千七百九十一年の憲法の中にも、戰爭を廢棄すると云ふ條項が見出だされる、それ等の意味で必ずしも戰爭を廢棄すると云ふ憲法の條項は珍らしいものではないと思ふのでありますが、併しそれ等の總ての過去に於ける憲法の戰爭抛棄に關する條項と云ふものは自衞權と云ふものが留保され、不戰條約に於ても自衞權と云ふものが留保され、而も其の自衞權と云ふものは國内法に於ける正當防衞權と違ふのでありまして、國内法に於きましては、正當なりや否やを決定すべき第三者たる裁判所と云ふものが最高の決定權を持つて居る、然るに國際社會に於てはさう云ふ第三者に自衞權の行使の判定と云ふものを委せることを、從來孰れの國と雖も承諾しなかつた、從つて不戰條約に於て戰爭は棄てられましたけれども、自衞戰爭と云ふものは棄てられない、而も自衞なりや否やは、各國の自衞權を行使する國の判斷と云ふものが最終的なものである、是は國際法の一般的に了解された國際法規でありますから、不戰條約と云ふものは大した意味はないのだと云ふのが當時の國際法學者の通説であつたのであります、唯昔は正當な戰爭と正しからざる、戰爭との區別であつたのが、侵略戰爭と防衞戰爭との區別に言葉が變つただけだ、斯う云ふことが言はれたのであります、のみならず戰爭は廢棄しましたけれども、戰力を廢棄すると云ふことは何處の國でもやらない、斯う云ふ譯でどうも不戰條約と云ふやうな條約が出來て之を基礎にした憲法が出來ても大した實際上の意味と云ふものが出て來ないと云ふことが國際關係と云ふものを研究して居る人達の十分に熟知、認識して居つた所であると考へます、然るに私共第二項を讀みますると、從來のそれ等の戰爭抛棄とは非常に違ふので、第一は戰力を抛棄する、是は何處の國でもやらなかつたことである、第二は國の交戰權を抛棄する、是で恐らくは自衞權も抛棄する、斯う云ふ意味合が出て來るのであります、さう云ふやうな意味で此の九條の第一項と第二項と云ふものを併せて讀みますると、從來の條約或は憲法の條項に於て見出される戰爭抛棄とは本質的に違つた條項であると云ふことを感ずるのでございます、さう云ふやうな意味で私は此の條項は非常に劃期的なものである、併しながら現代に於ては戰爭の分野に於て陸軍や海軍、從來のやうな意味の陸軍や海軍が何處迄役に立つかと云ふことが段段怪しくなつて來た「アトミック・ボーム」原子爆彈と云ふものの發見以來、武力の問題に付ても從來の考へ方と云ふものに革命が起つて來て居る、之に依つて從來武裝された主權國家と云ふものが殆ど「ナンセンス」になつて來たのではないか、寧ろ世界と云ふものが聯邦となつて、そこに警察力と云ふものが、何處の國にも屬しない警察力と云ふものが世界の平和を確保する、さう云ふ時代に向ふべきものではないか、さう云ふやうな意味と照合致しまして初めて此の條項と云ふものが活きて來るのである、さう云ふ世界と云ふものが來れば是は孰れの國家も此の條文のやうな條項を採用しなければならない、丁度「アメリカ」の各州と云ふものが武力を持たないと同じやうに、各國と云ふものは武力を持たないと云ふことが原則になると云ふことが世界平和確保に對して必要なことであると云ふ風になる、さう云ふ一つの將來の世界と云ふものに照して此の條項の意味があるのだらうと云ふことを總會で簡單に申上げました、さうでありますので此の規定は非常に重大だと思はれますが、併し一般の國民は此の條項の意味と云ふものを十分に恐らくは理解しないのではないか、少くも法律家でも是はどう云ふ意味合があるのであるかと云ふことを十分に理解すると云ふことはなかなか困難だと思ひます、併しそれはどう云ふ事態が來るのかと云ふことをはつきり我々の意識に上ぼせて置くと云ふことが必要なことではないかと思ふのであります、そこで數箇の點に付きまして、政府の見解を御尋ねしたいと思ふのであります、極めて具體的な點から申上げます、日本が或國から侵略を受けた場合でも、改正案を原則と云ふものは之に對して武力抗爭をしないと云ふこと、即ち少くも一時は侵略に委せると云ふことになると思ふが、其の點はどうですか

○國務大臣(金森徳次郎君) ちよつと聽き落しましたが、多分戰爭を仕掛けられた時に、こちらに防衞力はないのであるからして、一時其の戰爭の禍を我が國が受けると云ふことになるのではないかと云ふこと、それは場合に依りましてさう云ふことになることは避け得られぬと云ふことに考へて居ります、武力なくして防衞することは自ら限定されて居りますからして、自然さうなります

○高柳賢三君 即ち謂はば「ガンヂー」の無抵抗主義に依つて、侵略に委せる、併し後は世界の正義公平と云ふものに信頼してさう云ふことが是正されて行く、斯う云ふことを信じて、一時は武力に對して武を以て抗爭すると云ふことはしない、斯う云ふことが即ち此の第九條の精神であると云ふ風に理解して宜しうございますか

○國務大臣(金森徳次郎君) 實際の場合の想定がないと云ふと、之に對してはつきり御答は出來ないのでありまするが、第二項は、武力は持つことを禁止して居りますけれども、武力以外の方法に依つて或程度防衞して損害の限度を少くすると云ふ餘地は殘つて居ると思ひます、でありますから、今御尋になりました所は事の情勢に依つて考へなければならぬのでありまして、どうせ戰爭は是は出來ませぬ、第一項に於きましては自衞戰爭を必ずしも禁止して居りませぬ、が今御示になりましたやうに第二項になつて自衞戰爭を行ふべき力を全然奪はれて居りますからして、其の形は出來ませぬ、併し各人が自己を保全すると云ふことは固より可能なことと思ひますから、戰爭以外の方法でのみ防衞する、其の他は御説の通りです

○高柳賢三君 此の憲法に依りまして自衞戰爭と云ふものを抛棄致しましても、それだけでは右の場合に日本は國際法上の自衞權を喪失せざるものと思ひますが、此の點はどうでありますか、即ち侵略者に對して武力抗爭をすればそれは憲法違反にはなるけれども、國際法違反にはならないものと解釋致しますが、此の點はどうですか

○國務大臣(金森徳次郎君) 法律學的に申しますれば御説の通りと考へて居ります、元來さう云ふ徹底したる自衞權抛棄の方が正當なことかとも思ひますけれども、是は憲法でありまするが故に、其の能ふ限りに於てのみ效果を持つことになるのであります

○高柳賢三君 交戰國の權利義務に關する色々な條約、それから俘虜の待遇に關する日本の國際法上の權利義務、それ等は此の憲法の規定に拘らず、其の儘日本に存續するものと云ふ風に私は理解しまするけれども此の點は如何ですか

○國務大臣(金森徳次郎君) 國際法的には存續するものと考へて居ります

○高柳賢三君 外國の軍隊に依つて侵略を受けた場合に、所謂國際法で知られて居る群民蜂起と申しますか、「ルヴェー・アン・マス」正式に國際法の要件を備へた群民蜂起の場合には防衞の爲に群民蜂起が起る、さう云ふやうな場合に、其の國際法上及び國内法上の地位はどうか、私は國際法的には是は適法であつて、交戰者は戰鬪員として矢張り取扱はれ、又俘虜になれば俘虜たる待遇を受けると云ふことになると思ひますが、國内法では國の交戰權を否認した憲法上の規定に反することになると云ふことになると思ひますが、其の點はどうでありますか

○國務大臣(金森徳次郎君) 左樣の場合はどう云ふことになりますか、新らしき事態に伴ふ種々なる法律上の研究を要すると思ひますが、緊急必要な正當防衞の原理が當嵌つて、解釋の根據となるものかと考へて居ります

○高柳賢三君 今の御答は國際法的に…

○國務大臣(金森徳次郎君) 國内法的に…

○高柳賢三君 此の憲法の條項に依つて所謂攻守同盟條約、又所謂侵略國に對する共同制裁を目的とする國際的な取決め、國際條約と云ふものを締結することは、憲法違反になると思ひますが、其の點はどうですか

○國務大臣(金森徳次郎君) 當然に第九條第一項第二項に違反するやうな形に於ける趣旨の條約でありますれば、固より憲法違反になると存じます、併し場合に依りましては、或は第一條第二項のやうなことをしなくても濟むやうな條約が結べるとすれば、其の場合には又別に考へなければならぬと思ひます

○高柳賢三君 自衞權を抛棄したと云ふ言葉は、是は自衞の名の下に所謂國策の手段としての戰爭が行はれる國際間の通弊に照して爲されたものと云ふ御説明がありましたが、其の通りでございませうか

○國務大臣(金森徳次郎君) 全く其の通りでありまして、從つて第一項で正式に自衞權に依る戰爭は抛棄して居りませぬ、併し第二項に依つて實質上抛棄して居る、斯う云ふ形になります

○高柳賢三君 共同制裁を目的とした戰爭への加入と云ふものを封じて居ると云ふことは、共同制裁と云ふものを目的とする、戰爭も矢張り國策の手段として行はれると云ふ弊害に照してなされたものと見て宜いか、即ち自衞權或は共同制裁と云ふやうな名目の下に戰爭が行はれるのであるけれども、それは名目であつて戰爭其のものがいけないのである、戰爭其のものが人類の福祉に反すると云ふ根本思想に此の規定は基くのではないか、其の點を御説明願ひたい

○國務大臣(金森徳次郎君) 是も實際の具體的な形を想定しないと正確には御答へ申し兼ねるのでありますけれども、普通の形を豫想しますれば御説の通りと考へます

○高柳賢三君 國際聯合の憲章と云ふものは、是は自衞戰爭、それから共同制裁としての戰爭と云ふものを認めて居るのでありますが、此の改正案は其の孰れを斷乎拜撃せむとするのである、從つて國際聯合憲章の世界平和思想と、改正案の世界平和思想とは、根本的に其の哲學を異にするものであると云ふ風に思ひますが、其の點はどうでありませうか

○國務大臣(金森徳次郎君) 國際聯合の趣旨と此の條とが如何なる點に於て違つて居るか、同じであるかと云ふことに付きましては、必ずしも一括して之を解決することは出來ないと思つて居ります、此の案は國際聯合の規定して居りまする個々の趣旨を必ずしも批判することなくして、日本自身が適當と認むる所に於て限界を定めて規定をした譯であります、衆議院に於きましても、其の關係に於きまして御質疑があつて、國際聯合に入る場合に於て、何處かに破綻を生ずるのではないかと云ふやうな御尋がありました、政府の只今の考へ方は、自分達の見て正しいと思ふ所に規定を置きましたから、それより起る國際聯合との關係は別途將來の問題として必要があれば研究すべき餘地があると思ひます


○高柳賢三君 次に第三國の間に戰爭が勃發した場合に、日本の中立の問題が起りますが、中立國と云ふものは中立國としての義務がある、例へば一方の交戰國の飛行場を日本に作らせると云ふやうなことをしてはいかぬ、或は海軍根據地を提供してはいかぬと云ふやうな義務を中立國として當然負ふことになると思ひますが、日本は武力を全然抛棄した場合に於きましては、此の中立國の義務は、實質上に於て履行すると云ふことは出來なくなり、從つて他の交戰國は一方の交戰國に對してさう云ふことを許したと云ふので、同樣なる行爲を報復的にやると云ふやうな状態になつて、其處で日本が戰場化すると云ふやうな危險が相當濃厚ではないか、其の點を一應御説明を御願ひ致します

○國務大臣(男爵幣原喜重郎君) 一言私の意見だけを申上げます、是から世界の將來を考へて見ますると、どうしても世界の輿論と云ふものを、日本に有利な方に導入するより外仕方がない、是が即ち日本の安全を守る唯一の良い方法であらうと思ひます、日本が袋叩きになつて、世界の輿論が侵略國である、惡い國であると云ふやうな感じを持つて居ります以上は、日本が如何に武力を持つて居つたつて、實は役に立たないと思ひます、我等の進んで行く途が正しければ「徳孤ならず必ず隣りあり」で、日本の進んで行く途は必ずそれから拓けて行くものだと私は考へて居るのであります、只今の御質問の點も私は同樣に考へて居るのぢあります、日本は如何にも武力は持つて居りませぬ、それ故に若し現實の問題として、日本が國際聯合に加入すると云ふ問題が起つて參りました時は、我々はどうしても憲法と云ふものの適用、第九條の適用と云ふことを申して、之を留保しなければならぬと思ひます、是でも宜しいかと云ふことでありますれば、國際聯合の趣旨目的と云ふものは實は我々の共鳴する所が少くないのである、大體の目的はそれで宜しいのでありますから、我々は協力するけれども、併し我々の憲法の第九條がある以上は、此の適用に付ては我々は留保しなければならない、即ち我々の中立を破つて、さうして何處かの國に制裁を加へると云ふのに、協力をしなければならぬと云ふやうな命令と云ふか、さう云ふ註文を日本にして來る場合がありますれば、それは到底出來ぬ、留保に依つてそれは出來ないと云ふやうな方針を執つて行くのが一番宜からう、我々は其の方針を以て進んで行きますならば、世界の輿論は翕然として日本に集つて來るだらうと思ひます、兵隊のない、武力のない、交戰權のないと云ふことは、別に意とするに足りない、それが一番日本の權利、自由を守るのに良い方法である、私等はさう云ふ信念から出發致して居るのでございますから、ちよつと一言附加へて置きます

○高柳賢三君 能く分りました、最後に此の條項は國に關する規定でありますが、國民に付ても此の同じ精神で、例へば他國間に戰爭がある場合に於て其の一方の國の軍隊と云ふものに入つて戰爭をやると云ふやうなことは之を禁止する、丁度「イギリス」の「フォーレン・エンリストメント・アクト」と云ふのが千八百七十年でしたかの法律でありますが、それと同種類のやうな法律と云ふものを拵へて、日本人が外國の軍隊に入つて外國の武器を使つて戰爭をすると云ふやうなことをもしないやうにすること迄國内法的に徹底させると云ふことが此の憲法の精神の上から必要であると思ふのが、其の點に付てどうでせうか

○國務大臣(金森徳次郎君) 今御示のありました處は全く同感でありまして、必要に應じて機宜の措置を法律的に設けることは心掛けて居る處でございます





○佐々木惣一君 私の戰爭抛棄と云ふ午前に御伺ひしましたことは實は時間上非當に端折つてやつたのですが、併し只今高柳さんからの質問及び之に對する御答辯で實は私が言はなくても宜かつたと云ふことをはつきりしましたが、唯此の戰爭抛棄の問題は一面外國、詰り國際的と、それから一面國内的と兩面に亙りますから非常に複雜な問題が起るのであります、それで實は今私が午前に御尋ね致しましたのは、詰り目下國際聯合と云ふやうなこととの關聯に於て日本が何かそれに對して働き掛ける、意思表示をすると云ふやうなことがないかと云ふ風に申上げたのは、結局入つても入れないことになる、入つても役に立たないですから、共同制裁の戰力に加入すると云ふことが出來ないことになりますから、それは併し今幣原國務大臣の御答辯でさう云ふ事情を言うて、と云ふことになりまして、それは非常に宜いですけれども、其の事情を言ふと云ふことが、併しながら前以て言ふのですか、國際聯合に入るとか入らぬとか云ふことが具體的に問題になつた時に至つて言ふのであるか、さう云ふやうなことはまだ問題として殘つて居ります、それは例へば今の、詰り外交關係に日本が認められるやうになつてから言ふのであるか、それ前に今でも言ふのであるかと云ふやうなことがまだ殘つて居りますけれども、それはまあ御尋ね致しませぬ、それよりも一つもう一點御尋ね致したいのは、詰り外國から不當に戰爭でも日本に挑んで來ました時に、それでも今の不戰條約に依ると云ふと、さう云ふ即ち「セルフ・デフェンス」の手段としての戰爭抛棄は是は決して許されぬのではない、牢固として殘つて居るんだと云ふ意味であるやうであります、さう云ふ許された客觀的に誰が見ても許されるやうな「セルフ・デフェンス」と考へられるやうな時でも、日本は國内的にはどうも今の憲法の規定があつて戰爭することが出來ないと云ふ状態に今置かれて居る、私は其の時に、今度國際關係でなしに國内の國民がさう云ふ場合にどう云ふ感じを持つであらうかと云ふやうなことも懸念をして晝前御尋ねしたのでありますが、其處迄言ふ時間がなかつた、そこで誰が見ても客觀的に日本が攻められることが不當である、日本を攻めることが不都合だ、許されることではない、從つて日本から言へば「パーミシブル」に許された「セルフ・デフェンス」と云ふ時でも、尚憲法の規定に依つてじつとして居らなければならぬと云ふ、さう云ふ場合が出て來ると云ふことは考へられるのですが、國民はどう云ふ感じを持つだらう、斯う云ふことをちよつと御尋ね致したいのであります、晝迄の問題に關係するから金森國務大臣に…さう云ふ時に果して國民はそれで納得するだらうかと云ふやうなことですが

○國務大臣(金森徳次郎君) 此の第二章の規定は實は大乘的にと云ふことを繰返して言ひましたし、本當に捨身になつて國際平和の爲に貢獻すると云ふことでありますから、それより起る普通の眼で見た若干の故障は豫め覺悟の前と云ふ形になつて居る譯であります、從つて今御示になりましたやうな場合に於て自衞權は法律上は國内法的に行使して、自衞戰爭は其の場合に行ふことは國内法的に禁止されて居りませぬけれども、武力も何にもない譯でありますから、事實防衞は出來ない、國民が相當の變つた状況に置かれるやうになると云ふことは、是は已むを得ぬと思ふ譯であります、併し其時に國民が何とか考へるであらうと云ふことは、今から架空に豫想することは困難でありますが、國民亦斯くの如き大きな世界平和に進む其の道程に於て若干の不愉快なことが起つて來ることは覺悟して、之を何等か適切な方法で通り拔けようとする努力をするものと考へて居ります






○子爵織田信恒君 私は實は先程牧野委員の御質疑の關聯質問として御尋ね致したいと思ひますが、議事の進行を御妨げしてはいけないと思ひまして、御遠慮して最後に廻して戴いたのであります、それは牧野委員がさつき御述になりまして、其の後他の委員からも質問が出たのでありますが、戰力と云ふ言葉の内容であります、大體武力と同じやうに使つて居ると云ふ話でありまするが、戰力と云ふのはどう云ふ意味を持つて居りませうか、纒めて私の方から御尋ねして御答辯の便利を圖りたいと思ひますが、或一つの兵器、科學的兵器と云ふものと、それに伴ふ戰爭を目的とした組織體、それを合せたものが戰力と言ふのでありませうか、それが一つ、それから次には戰力と云ふものが今假定しましたやうなことにして、武器の内容と云ふものが特に科學文明の或一定の文化を中心にして、それを兵器と申しますのですか、例へばさつき牧野委員の御話に竹槍を持つて行つてやるのも武力だと云ふやうな御話がありましたが、そこ迄廣く廣範圍に見るのですか、近代科學文化を目標にして或一つの兵器と云ふものから考へるものでありますか、是は矢張り將來の取締に影響すると思ふのでありますが、如何でありますか、先づ其の二點を伺つて置きます

○國務大臣(金森徳次郎君) 此の戰力と申しますのは、戰爭又は之に類似する行爲に於て、之を使用することに依つて目的を達成し得る一切の人的及び物的力と云ふことにならうと考へて居ります、從つて御尋になつて居りまする或戰爭目的に用ひることを本質とする科學的な或力の元、及び之を作成するに必要なる設備と云ふものは戰力と云ふことにならうと思つて居るのであります、又次に竹槍の類が問題になりましたが、斯樣な戰力と云ふものは、其の國其の時代の文化を標準として判斷をしなければならぬのでありますから、臨時に拵へた竹槍と云ふものは戰力にはならぬものと實は思つて居ります

(中略)

○國務大臣(金森徳次郎君) 仰せになりました所は、大體のと言ひますか、事柄としては其の通りであります、唯私の方の説明が第一項では自衞戰爭は出來ることになつて居ります、第二項では出來なくなる、斯う云ふ風に申しました、第九條の第一項では自衞戰爭が出來ないと云ふ規定を含んで居りませぬ、處が第二項へ行きまして自衞戰爭たると何たるとを問はず、戰力は之を持つていけない、又何か事を仕出かしても交戰權は之を認めない、さうすると自衞の目的を以て始めましても交戰權は認められないのですから、本當の戰爭にはなりませぬ、だから結果から言ふと、今一項には入らないが、二項の結果として自衞戰爭はやれないと云ふことになります

○子爵大河内輝耕君 能く意味は分りましたが、私の伺ふ所は國際的に考へても日本は自衞戰爭はやれない、戰爭は一切やるべきものでないと云ふやうな風に國際の形勢の動き方からさう云ふ風に見るのが穩當ぢやないかと斯う云ふ意味なんです

○國務大臣(金森徳次郎君) 其の點は今ちよつと私から右と申しても左と申しても結果が恐しいものですから御答へ出來ませぬ、常識として此の憲法が認めるやうな趣旨だらうと思つて居ります




何か、法学者が後付けで都合のよい解釈論を引っ張り出してきたかのような、無益な批判が多いわけであるが、制定前の当時の議論において、ほぼ論点は出尽くされている感があり、それは、当時の人々の見識が今よりも優れていたからであろう、という印象を受けるわけである。


政府答弁、大臣の政府見解が、こうなっているものなのであるから、最初から「戦争放棄=自衛権が放棄された」という解釈論を意図して制定していたものではないことは、明らかなのである。


自衛権と国際法上の論点というのも、当然に議論されており、当時の人々は不戦条約を批准するかどうか、に伴う国際法上の解釈論に詳しかったものと見える。当然、軍隊の運用を念頭に置くならば、国際法に精通しているべき義務があったから、とも言えよう。現代の日本では、そのような素養は欠片も感じられない。

軍隊の運用も、原発の運用も、大差なのものなのだ。危険なものを管理するべく能力が、日本人には決定的に欠如している。



※要点:

※3  9条1項は、自衛権を放棄していない、自己防衛の為戦うことも否定していない、というのが制定趣旨であることを、政府も帝国議会でも十分認識した上で、憲法改正を行った



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日本国憲法と第9条に関する論点整理〜3

2016年05月16日 14時50分55秒 | 法関係
今の日本の国会議員たちのレベルがいかに低いものであるか、ということが如実に顕われているだろう。国会議員だけじゃなく、一般の有識者というレベルにおいても、はるかに賢かったのではないかとさえ思う。


3 自衛権の論点は、制定前から分かっていた

前項の記事で、衆議院での審議が始まる前の世論調査において、一般人からの回答で自衛権の論点が出されていたのであるから、憲法制定後になってから自衛隊の違憲問題を処理する為に生み出された論法ではない、ということは確実である。

つまり、最初は自衛権も全部なかったものとして制定したのに、自衛隊を持つことになったものだから、憲法解釈を捻じ曲げて都合よく解釈変更したんだ、というような批判は、全くの出鱈目である、ということだ。

当時の人々は、既に現代の人間が言い出すようなことは、とっくの昔に知っていたんだ、ということである。


 1)帝国議会での議論ではどうだったのか

世論調査でも出された論点であるから、議会でも議論の俎上に上らないはずがなかった。国連憲章の文言も、51条は勿論、その他の条章も相応に理解されていたということである。


以下、かなり長文ですが、ご容赦を。当時の息吹と言いますか、議員の見識とか困難な課題を目の前にした議会の努力が伝わってきます。



7月9日衆議院 帝国憲法改正案委員会

○藤田委員 それでは行政組織の問題に付きましては是は後廻しに致します、戰爭抛棄の問題に關しまして實は總理からも御説明があつたのでありまするが、若干御質問したい點がありますので、總理がおいでにならなければ、關係の大臣から御話を戴きたいと思ひます、憲法草案第二章の戰爭抛棄が制裁としての戰爭、自衞としての戰爭を含むのかと云ふ點に關する質問であります、詰り第二項の交戰權の否認と云ふことは、是等制裁の戰爭或は自衞の戰爭をなす場合にも、之を含んで居るのかと云ふ解釋上の問題であります、或る國家が他の國家に對して違法に戰爭に訴へて、第三國が此の後者を援助して前者に對抗して戰爭を行ふ場合には此の第三國に取つて其の戰爭は制裁の戰爭として認められるのであります、制裁の戰爭は適法な戰爭でありまして、それは特定の國家の利益を増進する爲の手段としての戰爭でもなければ、又粉爭解決の手段としての戰爭でもないのでありまして、隨てそれは不戰條約に依つて禁止された戰爭ではないのであり、此のことは國際法上一般に諒解されて居るのであります、然らば斯樣な制裁としての戰爭をも否認すると云ふのは如何なる理由に基くものであるか、是が一點、又一般に自衞行爲は適法な行爲であつて、自衞の戰爭もそれが自衞行爲である限りに於ては當然に適法であります、不戰條約に依つても、國家の政策の手段としての戰爭、紛爭解決の手段としての戰爭が禁止されて居るのみでありまして、自衞の爲の戰爭は特定の國家の利益を増進する爲の戰爭でもなければ、又紛爭解決の手段としての戰爭でもないのであつて、斯樣な戰爭が一般に國際法上適法であることは諒解されて居る所であります、然るに政府は此の自衞の戰爭を否認する理由として、七月四日の此の委員會の席上で、吉田首相は、自衞權に依る戰爭を認めると云ふことは、其の前提として侵略に依る戰爭がある、詰り違法の戰爭と私は解釋するのでありますが、侵略に依る戰爭が存在することになる、而も若し侵略に依る戰爭が將來起つたならばそれは國際平和團體に對する冒犯であり、謀叛であつて、世界の平和愛好國が擧げて之を壓伏するのであるから、其の意味よりすれば交戰權に、侵略に依る戰爭、自衞の戰爭を擧げる必要はない、又自衞の戰爭を認めると云ふことは從來兎角侵略戰爭を惹起する原因となつたのであるから、自衞に依る戰爭と云ふものも否定したのだと云ふ御説明があつたのでありまするが、私は他國との粉爭の解決の手段としての戰爭を永久に抛棄すると云ふ此の第九條第一項は洵に結構であると考へるのでありまするが、第二項の交戰權の否認がなぜ制裁としての戰爭或は自衞の戰爭をも含まなければならぬか解釋に苦しむのであります、勿論戰爭は兵力に依る鬪爭でありまして隨てそれは双方的の行爲であり一方的の行爲は戰爭を構成せず、一方の兵力が他方の領域に侵入しても、他方が之に抵抗しないか、或は戰爭宣言をしない限りは戰爭は生じないのでありまするが、一方戰爭宣言があれば鬪爭がなくても戰爭状態に入り得るのであります、なぜならば戰爭は鬪爭其のものではなく、鬪爭を中心とした状態であることは、國際法上一般に認められて居る所でありまして、隨て日本が事實上陸海空の戰力を保持しないと云ふことは、斯樣な制裁の戰爭なり或は自衞の戰爭、詰り交戰權を直ちに否認しなければならぬ理由とはならぬと考へるのであります、若し交戰權の否認が制裁としての戰爭をも含む、詰り違法な戰爭當事國に對して其の違法な戰爭當事國に對する制裁の戰爭に參加出來ないと云ふことになるならば、日本は違法な戰爭當事國に對する戰爭裁判を請求する權利を留保しなければならぬ、同時に日本國は第三國間に於ける如何なる戰爭にも事實上參加しないし又參加させられないと云ふ保障を確保しなければならぬと考へるのであります、又自衞の爲の戰爭をも一切禁止する理由として、先程引用しましたやうに、國際平和團體に對する冒犯に對しては、世界の平和愛好國が擧げて之を壓伏する、隨て自衞の戰爭は要らないと云ふのでありまするが、將來平和愛好國として發足した日本に對する假に違法な戰爭が仕掛けられた場合には、世界の平和愛好國が此の違法な戰爭挑發者に對して之を壓伏すると云ふことは、日本に對して如何樣な形で實現されるか換言すれば我が國の獨立と安全は他の諸國家に依つて保障されなければならぬのでありますが、交戰權否認に付ての憲法の規定は、如何にして國際法上の安全保障と直結するかと云ふ問題であります、草案に付て見れば、草案の前文に「我らの安全と生存をあげて、平和を愛する世界の諸國民の公正と信義に委ねようと決意した。」とあるのでありまするが斯樣な日本國憲法に於ける決意だけでは、何等國際法上の權威たり得るものではないのでありまして、國際法團體に依る安全保障制度の全貌、其の中に占める日本國の地位に付て、政府は如何なる具體的な努力をして居られるか、或は國際聯合に參加すると言ひ、或は國際安全保障の憲章に依つて日本は安全保障を受けるのだと言ひますが、如何なる具體的な努力をして居られるか、若し第二項の交戰權の否認が制裁としての戰爭、自衞としての戰爭も抛棄するならば、如何にして我々の生存と安全とを保障するか、國際法上の單なる國内事項に過ぎない所の日本の憲法に依り、それを否認したからと云つて國際法上當然我々の安全が保全されたとは言へないのであります、如何なる努力をされて居るか、斯樣な畫期的な規定を挿入されるからには相當具體的な根拠と自信があられなければならぬと考へるのでありまして其の點に付ての御考へを承りたいのであります

○金森國務大臣 憲法第九條の前段の第一項の言葉の意味する所は固より自衞的戰爭を否定すると云ふ明文を備へて居りませぬ、併し第二項に於きましては、其の原因が何であるとに拘らず、陸海空軍を保持することなく、交戰權を主張することなし云ふ風に定まつて居る譯であります、是は豫ね豫ね色々な機會に意見が述べられました通り日本が捨身になつて、世界の平和的秩序を實現するの方向に土臺石を作つて行かうと云ふ大決心に基くものである譯であります御説の如く此の規定を設けました限り、將來世界の大いなる舞臺に對して日本が十分平和貢獻の役割を、國際法の各規定を十分利用しつつ進むべきことは、我々の理想とする所である譯であります、併し現在日本の置かれて居りまする立場は、それを高らかに主張するだけの時期に入つて居ないと思ふのであります、隨て心の中には左樣な理想を烈しく抱いては居りますけれども、規定の上には第九條の如き定めを設けた次第でございます

○藤田委員 是は私の希望でありまして、由來國際法上の條約にしましても、是は必要の前には常に蹂躪されて參つたのでありまして況んや日本國の憲法に於て國際法上の國内事項に過ぎない日本國の憲法に於て、交戰權を否認して、捨身になつて世界の平和愛好諸國の中に入らうと云ふのでありまするから、將來、而も制裁としての戰爭、自衞としての戰爭も交戰權否認の名に於て捨てて掛らうと云ふのでありますから、將來違法なる戰爭當事國が生じた場合には、其の違法な戰爭當事國に對する戰爭裁判を請求するの權利、又戰力の國際管理に對する日本國の參加又日本國が將來第三國間に於ける戰爭に對しては事實上參加しないし、又參加させられないと云ふ保障を、政府は此の際是非憲法が實施されるまでには國民の前に公表して戴いて、眞に國民をして納得せしむるだけの措置を講ぜられんことを希望するのであります
 次に解釋の問題に付きまして、更に草案第九條第二項の交戰權の否認は、交戰團體に對する場合も適用されるかと云ふ問題であります、交戰團體は國際法上の交戰者としての資格を認められた叛徒の團體でありまして、一つの國家に於て政府を顛覆したり或は本國から分離する目的を以て叛徒が一定の地方を占め、自ら一つの政府を組織する場合に、斯樣な叛徒の團體に對して國際法上第三國が之を交戰團體として承認する場合があります、叛徒と政府の間の鬪爭は戰爭ではなくて内亂でありまするが、叛徒が第三國より交戰團體としての承認を受けた場合は、其の叛徒團體と政府の間は國際法上の戰爭關係になる、例へば斯樣な交戰團體が第三國に依つて日本國内に承認された場合に、政府は左樣な場合でも交戰權の否認を以て之に對處されるかと云ふ點に付て、解釋の問題として承りたいのであります

○金森國務大臣 第九條第二項の規定は、其の中の交戰權の問題は普通國際法上に認められて居ります交戰權を指して言つて居るのでありまして、隨て國内に成立することあるべき交戰團體に對しても此の規定は當嵌つて來るものと考へて居ります


(中略)

○芦田委員長 更に問題を具體的に考へまして、改正案第九條を檢討致しますと、ここに三つの問題があると思ひます
 第一は、法案第九條の規定に依れば、我が國は自衞權をも抛棄する結果となるかどうか、此の點は本委員會に於て多數の議員諸君より繰返し論議せられた點であります
 第二には、其の結果日本は何だか國際的保障でも取付けない限り、自己防衞をも全うすることが出來ないのか、延いて他國間の戰爭に容易に戰場となる虞はないかと云ふ點であります
 第三は、一切の戰爭を抛棄した結果、日本は國際聯合の加盟國として武裝兵力を提供する義務を果すことが出來ないから、國際聯合への參加を拒否せられる虞はないかと云ふ諸點であります
 以上の三點に付て國際聯合憲章の規定と照し合せて考へる場合、私は次の如き結論が正しいのではないかと思ひます、不幸にして自衞權の問題に付ての政府の答辨は、稍明瞭を缺いて居ります、自衞權は國際聯合憲章に於ても第五十一條に於て明白に之を認めて居ります、唯自衞權の濫用を防止する爲に、其の自衞權の行使に付ては安全保障理事會の監督の下に置くやうに仕組まれて居るのであります、憲法改正案第九條が成立しても、日本が國際聯合に加入を認められる場合には、憲章第五十一條の制限の下に自衞權の行使は當然に認められるのであります、唯其の場合に於ても、武力なくして自衞權の行使は有名無實に歸するではないかと云ふ論がありませう併しながら國際聯合の憲章より言へば、日本に對する侵略が世界の平和を脅威して行はれる如き場合には、安全保障理事會は、其の使用し得る武裝軍隊を以て日本を防衞する義務を負ふのであります、又我が國に對しましても自衞の爲に適宜の措置を執ることを許すものと考へて多く誤りはないと思ひます、此の點に付て政府の今日までの御答辨は、稍明瞭を缺くやに考へられますから、此の場合明白に其の態度を表明せられんことを希望致します(拍手)

○金森國務大臣 將來國際聯合に日本が加入すると云ふことを念頭に置きまする場合に、現在の憲法の定めて居りまする所と、國際聯合の具體的なる規定が要請して居りまする所との間に、若干の連繋上不十分なる部分があることは、是は認めなければならぬと思ひます、併しながら其の時に何等かの方法を以て此の連絡を十分ならしるむ措置は考慮し得るものと考へて居りまして、必要なる措置を其の場合に講ずると云ふ豫想を持つて居ります

○芦田委員長 法第九條に關する第三の點、即ち日本が一切の戰力を廢止する結果、國際聯合國としての義務を果し得なくなるから、聯合加盟を許されないかも知れないと云ふ論、餘りに形式論理的であります、日本が眞に平和愛好國たる事實を認められる場合には、斯かる事態はあり得ないと考へて間違ひはないと思ふのであります何れに致しましても本改正案の目標は、我が國が國際聯合に加盟することに依つて初めて完全に貫徹し得るものであることは明かであらうと思ひます、けれども問題はそればかりで終るのではありませぬ、日本が平和國家、文化國家として内外に認められるに至るには、我が國民の間斷なき努力を必要とするもとと信じます、私は最近文化國家と云ふ文字が、餘りに手輕に易々と叫ばれることに不安の念を抱くものであります、一つの民族の實力、世界に於ける地位民族生存の意義、人類に對する責任、總て是等が文化にあると云ふことは、心ある者の皆知る所であります、然るに日本の今日に立至つたのは、現代に住む我々日本人が歴史最大の過ちを犯したと云ふのは、全く日本の文化の程度が低く、其の内容が貧弱であり、又文化の精神と本質とが國民に十分理解せられて居なかつたことに基くものであると信じます(拍手)此の憲法改正案を提案された吉田内閣は、單に紙に書いた案文を議會に呑込ませることを以て責任が終るのではありませぬ此の憲法の目指す方向を國民に理解させ、憲法改正の裏付けとなるべき國民文化の向上に渾身の努力を致さるべきであると思ひます(拍手)それのみが戰爭の勃發を防止する方法であるとさへ信ずるのであります、吉田内閣は此の畫期的な時期に國民指導の大責任を負うて政府に立たれました、此の機會にこそ閣僚諸公は奮起して國民の自覺を呼び起し、世界に呼び掛けて國際平和の實現に挺身せらるべきであると思ひます、然るに憲法改正案の審議に於てさへ、閣僚諸公の熱意は甚だ上らざるが如くに見えまするが故に、此のことは決して國民を安堵せしむる所以ではないと思ひます、幸ひ吉田内閣には多年憲政の爲に盡瘁せられた多くの政治家を持つて居られる是等の政治家が眞に其の熱意と其の氣魄とを以て國民の指導に當られることは、我我の日夜念願致して居る所であります、之に付て政府より答辨を得ることは期待致して居りませぬ、併しながら若し何等か此の際其の所信を御表明下さるならば、喜んで拜聽致したいと思ひます(拍手)

○金森國務大臣 總理大臣から御答辨を願はうと思つて居りましたが、私が此の問題に付きまして、當面の責任の地位に立つて居りまするが故に、一言御答へする御許しを願ひたいと存じます、此の憲法は御覽の如く、又御承認を多分は載いて居るかの如く、何千年の歴史を經過致しました日本に於て、未だ曾て考へられたこともない大いなる變革を齎すものであります、我々は單に變革を齎すことを目的として居るものではない、眞に此の變革の現實の效果を世界の舞臺に於て、又日本國民の爲に完全に遂行して、有終の美を遂げたいと思ふのでありまして、此の憲法の草案は、是は確かに「インク」を以て書かれて居るものでありますけれども、私共の立場から申しますれば、全精神を以て之を文字に表はしたものと信じて居るのでありまして、今委員長から御話になりました點は、今までの私共の態度が惡かつたかも知れぬ、或は努力が足りなかつたかも知れませぬが、内心は決してさうではない、十分此の憲法を實現し、同時に日本全局の文化國家建設の一路に、唯私一人の立場をここに挟んで申しますれば、捨石の捨石となつても宜しいと云ふ信念の下に臨んで居る次第であります(拍手)



ここでも「文化国家」なる文言が出るわけですが、日本が戦後に目指したのは、軍事国家や覇権国家などではなく、平和と安全を大事にする文化国家だったのだ、ということです。包丁もそうすると、「文化包丁」ということになるくらいの、安全を求める国、国民に生まれ変わりましょう、とそういうことだったのです。ふざけすぎました。

ただ、自衛権は放棄してないんだ、と。けれども、裸一貫なんだから、戦力はないので、現実問題として軍もないわけだし、軍備もないから行使できない「見えない権利」みたいなものであり、交戦権もない、と。そういうことにならざるを得ないんだ、と。
こんな話は、制定前の最初っから分かっていたことだったのです。



1946年8月25日 衆議院本会議

○芦田均君 本日いとも嚴肅なる本會議の議場に於て、憲法改正案委員會の議事の經過竝に結果を御報告し得ることは深く私の光榮とする所であります
 本委員會は六月二十九日より改正案の審議に入りまして、前後二十一囘の會合を開きました、七月二十三日質疑を終了して懇談會に入り、小委員會を開くこと十三囘、案文の條正案を得て、八月二十一日之を委員會に報告し、委員會は多數を以て之を可決致しました、其の間に於ける質疑應答の概要竝に修正案文に付て説明致します
(中略)

「第二章戰爭の抛棄」に付て説明致します、改正案第二章に於て戰爭の否認を聲明したことは、我が國家再建の門出に於て、我が國民が平和に對する熱望を大膽率直に表明したものでありまして、憲法改正の御詔勅は、此の點に付て日本國民が正義の自覺に依り平和の生活を享有することを希求し、進んで戰爭を抛棄して誼を萬邦に修むる決意である旨を宣明せられて居ります、憲法草案は戰爭否認の具體的な裏付けとして、陸海軍其の他の戰力の保持を許さず、國の交戰權は認めないと規定して居ります、尤も侵略戰爭を否認する思想を憲法に法制化した前例は絶無ではありませぬ、例へば一七九一年の「フランス」憲法、一八九一年の「ブラジル」憲法の如きであります、併し我が新憲法の如く全面的に軍備を撤去し、總ての戰爭を否認することを規定した憲法は、恐らく世界に於て之を嚆矢とするでありませう(拍手)近代科學が原子爆彈を生んだ結果、將來萬一にも大國の間に戰爭が開かれる場合には、人類の受ける慘禍は測り知るべからざるものがあることは何人も一致する所でありませう、我等が進んで戰爭の否認を提唱するのは、單り過去の戰禍に依つて戰爭の忌むべきことを痛感したと云ふ理由ばかりではなく、世界を文明の壞滅から救はんとする理想に發足することは言ふまでもありませぬ(拍手)
 委員會に於ては此の問題を繞つて最も熱心な論議が展開せられました、委員會の關心の中心點は、第九條の規定に依り我が國は自衞權をも抛棄する結果となるかどうか、自衞權は抛棄しないとしても、軍備を持たない日本國は、何か國際的保障でも取付けなければ、自己防衞の方法を有しないではないかと云ふ問題、竝に我が國としては單に日本が戰爭を否認すると云ふ一方的行爲のみでなく、進んで世界に呼び掛けて、永久平和の樹立に努力すべきであるとの點でありました、政府の見解は、第九條の一項が自衞の爲の戰爭を否認するものではないけれども、第二項に依つて其の場合の交戰權も否定せられて居ると言ふのであります、之に對し委員の一人は、國際聯合憲章第五十一條には、明かに自衞權を認めて居り、且つ日本が國際聯合に加入する場合を想像するならば、國際聯合憲章には、世界の平和を脅威する如き侵略の行はれる時には、安全保障理事會は其の兵力を以て被侵略國を防衞する義務を負ふのであるから、今後に於ける我が國の防衞は、國際聯合に參加することに依つて全うせられるのではないかとの質問がありました、政府は之に對して大體同見である旨の囘答を與へました、更に第九條に依つて我が國が戰爭の否認を宣言しても、他國が之に贊同しない限り、其の實效は保障されぬではないかとの質問に對して、政府は次の如き所見を明かに致しました、即ち第九條の規定は我が國が好戰國であるとの世界の疑惑を除く消極的效果と、國際聯合自身も理想として掲げて居る所の、戰爭は國際平和團體に對する犯罪であるとの精神を、我が國が率先して實現すると云ふ積極的效果があり、現在の我が國は未だ十分な發言權を持つて、此の後の理想を主張し得る段階には達して居ないけれども、必ずや何時の日にか世界の支持を受けるであらうと云ふ答辨でありました、委員會に於ては更に一歩を進めて、單に我が國が戰爭を否認すると云ふ一方的行爲のみを以ては、地球表面より戰爭を絶滅することが出來ない、今日成立して居る國際聯合でさへも、其の組織は戰勝國の平和維持に偏重した機構であつて、今尚ほ敵味方の觀念に支配されて居る状況であるから、我が國としては、更に進んで四海同胞の思想に依る普遍的國際聯合の建設に邁進すべきであるとの意見が表示せられ、此の點に關する政府の努力に付て注意を喚起したのでありました。



後日、法学の世界において「芦田修正」と言われる、9条の文言変更が話し合われたとされるのが、憲法改正委員会と小委員会だったが、その概要が説明されているものである。



同年9月3日 貴族院本会議

松本学

次に御伺したいことは、戰爭抛棄のことであります、戰爭抛棄と世界平和との關係のことに付て本會議の質疑應答の中で、疑を持つたのであります、本會議での質問に對しての御答辯は將來國際聯合に加入するのだと云ふことが一つと、それから幣原國務相からは戰爭は廢めるけれども、文化國家としての國内文化から強化して行く、又林伯爵の御質問に御答になつて、鬪爭の本能と云ふものもそれに依つて滿足させるやうにするのだ、斯う云ふやうな御答であつた、私は是だけではどうも滿足がいかない、國際聯合加入と云ふことになりますと、是は無論將來のことでありまして、是には自衞權と武備と云ふものが條件として加はるのではないかと思ひますが、此の點は私は詳しくは存じませぬので、其の加入すると云ふ時に當つて、全然自衞の武備を持たない國家として容易く入り得るかどうかと云ふことに疑問を持ちます、それから國内宣言として國内に向つて戰爭の抛棄をした、さうして文化國家として起つたのだから國民も其の積りでやれと云ふことだけでは、どうも何だか戰爭抛棄の大きな理想は十分でないと思ふ、苟くも戰爭抛棄と云ふやうな劃期的な世界を驚かすやうな宣言を爲さる、是は憲法の第九條と云ふ一條項でありますけれども、是は世界に向つての宣言だと思ふ、日本國の名譽に懸けての大宣言であります、此の大宣言を爲さる以上は國際聯合に加入して貰ふのだ位では濟まぬ、適當な時が來たならば國際聯合に入れて貰ふ前提にやつたと云ふことだけでは濟まぬと思ふ、又國内の文化力を強化すると云ふことだけでも片附かぬことである、世間では之を「アメリカ」なんかでも「ユートピア」と批評して居る、成る程さうでありませう、「アメリカ」人から見れば斯んなに慘敗をして立つことも出來ぬやうな國情になり、全部の武備は剥ぎ取られてしまつて居る、無防備な、武備なき日本國民が戰爭抛棄なんと云ふことは是は負惜しみを言つて居るのだ曳かれ者の小唄のやうなものだ、自分で實力を持つて居つて、其の實力を持つて居りながら戰爭を抛棄するぞと言ふのならば成る程と言ひませうけれども、實力のない四等國、五等國になつた最も弱い此の日本國家が斯う云ふ理想を言つた所で、誰も納得する者はなくして、「ユートピア」と言ふのは是は無理もありませぬ、私は恐らく是だけの世界に向つての大宣言を爲さつた以上は政府に於て必ずや世界平和への何かの具體案を持つておいでになるのだらうと思ふ、具體案なくして俺は戰爭を廢めたと言つたのでは世界の物嗤ひになる、私は繰返して申しますが、第九條は決して一日本國憲法の一條項ではありませぬ、世界に向つての大宣言であります、世界人類の幸福の爲に日本國民が本當の眞心から出た叫び聲であらうと思ふ、さうであるならば何か具體案を持つて居るに違ひない、文化國日本として世界人類、文化の爲に貢獻するに付て戰爭と云ふやうなものは廢める、そして斯くの如き具體案に依つて世界に呼び掛けるぞ、君方贊成するかせぬか、斯う云ふ何か腹案を持つて居るのだらうと私は思ふ、それがなくして唯空念佛のやうなことを仰しやつて居るのではないか、數年前確か昭和十三年だつたと思ひますが「ローズヴェルト」夫人「ミセス・ローズヴェルト」が、「ザ・トラブルド・ウァールド」と云ふ小さい「パンフレット」を著はしました、是は例の第二次世界大戰が將に始らむとして居るあの不安な世界情勢の中で此の著書を出したのでありますが、其の中い書いてありますことは、世界の平和と云ふものは人間性の根本的改革が起らなければいかぬのだ、さうして「ブラザーフッドラヴ」兄弟愛と云ふものを基本に置いて世界人類が結んで、茲に初めて國際平和と云ふものが出來るのであつて、其の具體的な方法として紛爭等が起つた場合の解決策としては國際結合を強化しなければならぬと云ふやうな意味の小さい「パンフレット」であります、斯う書いて居られるのであります、斯う云ふやうな一つの考へ方が或は國際聯合の因を成して居るのではないか、即ち「ミスター・ローズヴェルト」があの當時頻りに國政の上に表はして居つたことが「ミセス・ローズヴェルト」の此の著書にも反映して居るやうに私は觀た、是も一つの案で、具體案のない嘲りを受けるよりも同じ「ユートピア」と片附けられるにしても、斯く我は信ずると云ふ具體案を持つて「ユートピア」と嗤はれるならば其の方が宜い、此の「ローズヴェルト」大人の説などは觀樣に依つては「ユートピア」夢かも知れない、併しながら私は夢を説くことが必要だと思ふ、殊に今日の此の世界情勢に處して、此の日本の難局を切り拔けて行かうとする時の政治家は夢を持たなければなりませぬ、其の日其の日の出來事を唯片附けて行くとかと云ふことだけでは政治家の本當の素質ではない、夢を説き、「ユートピア」を説き、哲學を持たなければいかぬのであります、斯んな諺があります、「スティツマン・イズ・ザ・ウォーキング・フィロソフイア」政治家は歩いて居る所の哲學者である、是が私は必要だと思ふ、歩いて居る、活動する哲學者である、さうして夢を説かなければならぬ、夢を考へることが今日最も要求せられたる政治家ではないでありませうか、今から何百年かの前に、丁度「オランダ」が「イギリス」に段々と蠶食されて、「イギリス」の勢力が強くなつて「オランダ」が段々下火になつて行つた時に、「オープン・シー」に於て「イギリス」の權力が非常に盛んになつて、「オランダ」が壓迫された、其の當時國際法學者の「グローチウス」が公海の自由と云ふことを唱へたのであります、其の當時は物笑になりました、實力を持つて居る「イギリス」なんかからも一笑に附せられて居るのであります

此の公海の自由と云ふ「ユートピア」が二百年ばかりの後には、是が國際公法の原理になつた、今日具體案を御持ちになりますならば、其の具體案を世界に御發表になり、世界に呼掛けて戴くならば、今は「ユートピア」と云ふかも知れないが何百年かの後には恐らく國際公法の原理になるかも知れませぬ、其の意味に於て何か具體案を御持ちになつて居るかどうか、之を總理大臣から承りたい、前に私が御尋したことは金森國務大臣から伺つて結構であります、もうあと一つ二つありますから、あとで質問を御許し願ひたいと思ひます


○國務大臣(吉田茂君) 松本委員に御答へ致しますが、御質問の戰爭抛棄の條項に關して、私の説明が國際聯合に入る爲にあの條項を作つたと云ふやうな意味合のやうにも承りましたが、是は屡屡本會議其の他に於て申して居ります通り、所謂御話の、世界に先立つて戰爭を抛棄することに依つて平和日本の平和精神を徹底せしめる、世界に闡明せしめると云ふのに先づ趣意があるのでありまして、單に國際聯合に入る爲のみに此の條項を設けたのではない、是は松本委員に於ても無論御了承のことと思ひます、又此の條項を憲法に挿入した以上は、何か具體案を持つて居つての話であらうと云ふやうな御尋でありますが、政府と致しましては、現在の國際情勢及び將來の國際情勢を考へまして、斯かる戰爭抛棄の決意をすると云ふことが現在の國際情勢に合ひ、又將來國家として存置する爲にも宜しいと云ふ觀點から挿入致しましたので、偖今日に於て如何なる意味に、如何なる具體案を持つかと云ふ御尋に對しては、政府としては甚だ答辯に苦しむのであります、何となれば、政府と致しましては、政策と致しましては單に夢を見るばかりでなく、其の時其の時の状況に於て考を決めべきものであり、又今日の國際情勢及び將來の國際情勢は可なり複雜を極め、現に微妙を極めて居りますので、今日斯う云ふ案を持つて居る、斯う云ふ考を持つて居ると云ふことを、假にありました所が、發表することが宜いか惡いかと云ふ、國際關係もございますから、其の點に付ては説明を致し兼ねると御了承を願ひたいと思ひます、昨日松本委員から御尋があつたさうでありますが、それは植原、齋藤兩國務大臣から政治的方面、又は法理上乃至は倫理上方面から、各各國體に付ての表現に付て發表がありました、其の發表、表現は、説明の方法、表現の形等に於て色々異つては居りますが、其の間に政府と致しましては、從來金森國務大臣が説明し來つた所と結論に於ては相違ないと、斯う云ふ見解であるのであります、植原國務大臣は現行憲法第一條、第四條は主權の所在を定めて居るのではなく、統治權の所在を定めたものである、統治權の所在は改正案に依つて明瞭に變更されたさうでありますが是は金森國務大臣が繰返して述べて居らる、政體の變更、政體は變更されたと云ふ同一趣意と御承知を願ひたいと思ひます、又齋藤國務大臣が倫理上の意味に於ける國體は改正案に依つても變つて居ないと述べられたさうでありますが是は金森國務大臣の所謂國の根本特色と名付けられるもの、即ち國體と言はれるものであつて、兩大臣の意見、金森、齋藤兩大臣の意見に於ても相違した所はないと、斯う政府は考へるのであります、此の段御了承を願ひたい




これまでにも、ネトウヨ連中の如き人々が用いるのが、「ユートピア」だの「お花畑」だのという批判である。これは、制定前からよくありがちな批判的文言として、嘲る為に使い古された言い回しだということが、よく分かるだろう。


日本国民は、本当に進歩が止まってしまった、というより、不見識が過ぎるようになり、大きく後退しているようである。そして、かつては「有識階級」を構成していたであろう人々が、どんどん劣化してしまったということであろう。


つまりは、上がバカになった、ということであろうか。


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日本国憲法と第9条に関する論点整理〜2

2016年05月16日 13時21分30秒 | 法関係
続きです。

2 憲法改正の過程

 1)主な経過
日本の政治体制を大幅に変更する必要性が認識されていたことは間違いなく、天皇制を継続するか否かという大きな問題点も抱えたままであった。
恐らくはマッカーサー元帥の憲法改正の必要性があるとの認識の下、当時の幣原内閣に対し憲法改正への段取りを開始するよう、水面下での要請があったものと見てよいであろう。軍国主義に染まり切った日本を根底から変革したいという、政治勢力があったであろうことも想像できよう。

【1945年】

10月13日 憲法問題調査委員会の設置決定(幣原内閣)
10月   アチソン大使から12原則の指示が東久邇宮へ
10月27日 同委員会 第一回会合(担当 松本大臣)
11月1日 憲法改正指示を日本政府に実施した旨、総司令部声明
   (以後、東久邇宮、近衛らの憲法改正調査活動は頓挫)

【1946年】

1月7日 SWNCC-228
1月9日 松本大臣により松本私案
2月1日 松本草案 甲案 毎日新聞がスクープ報道
2月3日 マッカーサーノート(3原則)を尊重した草案作成命令
    (ホイットニー民政局長へ)
2月8日 松本大臣が「憲法改正要綱」をGHQに提出
2月10日 民政局作成の素案が完成し、元帥承認を受ける
2月13日 マッカーサー草案が日本政府に手交さる
2月22日 マッカーサー草案の採用を閣議決定
3月6日 「憲法改正草案要綱」を政府公表、GHQも賛意
4月10日 新方式の衆院選
4月17日 憲法改正草案の公表
4月22日 枢密院で憲法審議開始
6月8日 憲法改正草案、枢密院可決
6月25日 衆議院、政府提出案の審議開始
8月24日 衆議院 修正可決
8月26日 貴族院 審議開始
10月6日 貴族院 修正可決
10月7日 衆議院 貴族院修正に同意
10月29日 枢密院 可決
11月3日 公布


 2)手続の正統性と「1週間で」の批判が無効の意味

6月20日に国会召集された帝国議会の衆議院で審議されているので、手続上は法的に問題があるようには思われない。憲法改正は明治憲法73条に従い、実施されたものである。
また、GHQが一週間で作った(決めた)押し付け憲法である、という批判も、数か月に及ぶ帝国議会審議を経たものであるから、当たらないとしか思えない。

何故民政局が「不眠不休」でマッカーサー草案をこれほど急いで出したのか、ということの理由は、定かではない。連合4国の対日占領政策の最高意志決定機関となる極東委員会設置が決まっていたことと、その初回会合は2月26日だったのであり、マッカーサーないし米国の一部政治勢力がこれを知らなかったわけではないのかもしれない。
(後日談としては、マッカーサーも民政局内でも、極東委員会の件は承知していなかった、との証言が得られているが、当時(1950年代)には言う訳にはいかなかった、という事情があっても不思議ではないだろう)

米ソ関係からすると、米国が対日政策上でソ連より先行しておきたい、ということは確実だったわけであり、その為には親米的政治勢力の維持と西側体制に親和的な法体系を構築しておきたかった、という思惑があったとしても不思議ではない。つまり、極東委員会での2月末の会合前までには、日本政府の合意を取り付けておきたかったはず、ということである。


実際、極東委員会においては、中華民国が日本の軍備や政治面での軍人関与について、強い拒否を示していたことからして、日本の憲法制定に介入ないし干渉を極東委員会決定として指令してこないとも限らないわけである。そうした「米国以外の中ソの意向反映リスク」というものを回避しておこうと思えば、兎に角、既成事実としての憲法改正草案を日本政府に決定させておきたかった、ということではないか。


松本甲案の拒否は極東委員会の権限は及ばず、その日からマッカーサー草案を日本政府へ手交するまでたったの5日、マッカーサー草案作成着手から元帥承認まで7日という電光石火の早業は、どうしても26日までには政府決定を事実としておいて欲しかったからではないか、というのが個人的感想である。

毎日新聞のスクープは、旧体制の維持に過ぎない松本甲案など、反吐が出そうだという官僚諸君が存在していたとしても不思議ではなく、早々に断念させる(GHQに叩き切ってもらう)必要があったから、ということが考えられよう。
或いは、決定でも何でもないものなのに、こうなって欲しいという願望を込めて、打ち上げ花火として漏れ出た、ということもあるかもしれない。


いずれにせよ、この報道があったことにより、マッカーサーが「このまま日本人に任せておくと、全然ダメだわ」と確信し、なら自分でやるわということで、民政局の部下に命じて突貫工事で作らせることになったわけである。時間的にはギリギリだったわけで、8日に政府案を受け取ってから民政局で作業開始だと26日には間に合ってたかどうか。

マッカーサー草案がいかに短時間で作成されたにせよ、その後の議会審議時間は長かったわけであり、修正が不可能だったものでもないから、何らの問題も生じないだろう。


 3)自由な議論を封じたり世論の制限はあったのか

例として、9条に関する文言(党の意見)を見てみることにする。


\府提出案

第二章 戰爭の抛棄
第九條 國の主權の發動たる戰爭と、武力による威嚇又は武力の行使は、他國との間の紛爭の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。
  陸海空軍その他の戰力は、これを保持してはならない。國の交戰權は、これを認めない。


⊆由党修正案

 戰爭の「抛棄」を「否認」と改む


社會黨の憲法改正草案修正意見(社會黨憲法改正案特別委員會)

草案第九條の前に一條を設け「日本國は平和を愛好し、國際信義を重んずることを國是とする」趣旨の規定を挿入。第九條と共に之を總則に移すも可。


ざ同民主黨案

第二章 削除する


ツ誑憲法改正案委員會において可決された共同修正案及び附帶決議

第二章 戰爭の抛棄
第九條 國の主權の發動たる戰爭と、武力による威嚇又は武力の行使は、他國との間の紛爭の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。
 ○陸海空軍その他の戰力は、これを保持してはならない。國の交戰權は、これを認めない。



衆議院の委員会審議及び採決を経た時点でも、政府提出案と同じだった。実際の制定された文言とは異なっていたわけである。


帝國憲法改正案(確定案)

第二章 戰爭の放棄
第九條 日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠實に希求し、國權の發動たる戰爭と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛爭を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戰力は、これを保持しない。國の交戰權は、これを認めない。



1項に挿入された前段の文言(「〜希求し、」)は、社会党の修正案に似たものだったことが分かる。協同民主党案などでは、削除せよという修正案も出されていたし、当時の共産党でも「民族自決の権利放棄に繋がるから」として、自衛権(戦争)放棄はできないから反対だ、と主張していた。政府提出案に反対することは、いくらでもできたということであり、修正も可能だった。



別の参考例として、枢密院の審議開始以降の毎日新聞世論調査があった(1946年5月28日付)。

文化水準(当時、「文化」というキーワードがトレンドだった)から2千人の男女の有識階級(当時の呼称、今で言う有識者って人だろう)を選び、戦争放棄の条項について尋ねたものである。

  質問「戦争放棄の条項を必要とするか?」

  回答  必要 1395人
      不要  568人

必要の回答者中、戦争放棄条項の「修正の必要ありや」に修正不要が1117人で、草案そのままに賛成が過半数だった。残りの278人は修正すべし、で、国際連合或いは不戦条約など国際条約で定められている侵略戦争放棄の規定を国内法に取り入れたもので、自衛戦争を含まないとの解釈の下にこの草案を承認しており、自衛権保留規定の挿入すべき、という理由からである。

不要と回答した者のうち101名が侵略戦争は放棄すべきだが自衛権まで捨てる必要がない、という理由だった。他に、一方的宣言は無意味だ、余りにもユートピア的過ぎる、国際条約によるか日本が永世中立国になるかした上でこれを国際連合が保障しない限り、折角の戦争放棄規定も空文に終わる惧れが多いから、というのが72名、とのこと。


これらは、最近でもよく見かけたものであり、進歩なきままでこの何十年かが過ぎてきたということがよく分かるだろう(つまりは、年寄りからの受け売りで、同じ話を蒸し返している無益な論者がいかに多いか、ということか)。


いずれにせよ、議論が封じられていたわけでもなければ、国民に秘密にして改正過程や手続が進められたわけではなかったのである。賛成者が多い、というのが、当時の日本の世論だったようである。


※要点

※2  憲法改正手続は、明治憲法73条に則り正当に行われた。改正内容についての議論の期間も機会も概ね確保されていた。




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