いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

平昌五輪に見るアベ外交の無惨

2018年02月14日 20時24分30秒 | 外交問題
安倍総理は、どういう意図を持っていたか不明であるが、謎の冬季五輪開会式への出席を決め、ペンス副大統領の隣に陣取るという映像を獲得したようだった。しかし、国際社会は、その意味を知ることはないし、日本の総理大臣の参加そのものすら知られることは殆どないだろう。誰も安倍総理に関心など抱いていないから、である。


日本の総理官邸や外務省は、自己満足の為だけに「政治ごっこ」を継続しているかのようだ。
少なくとも、安倍総理自身がその事実に気付いている様子はない。日本の総理が「裸の王様」的ポジションであると自覚しているならまだましだが、日本国内向けのパフォーマンスに終始するしかないのなら、幼稚な「政治ごっこ」に付き合ってくれる海外勢は稀であることを知るべきである。


・アベの日韓会談?日米会談?は何らの効果も得られなかった

まず、日本の総理が五輪開会式に出席していたことを殆ど知らない。何故、アベが出席に至ったのか、ということも海外勢の殆どが知らない。それはそうだろう。アベの政治力など無力に等しいのだから。そのことを知らない日本は滑稽ではある。国内メディアがそれらしい理由づけ等を流してくれるので、日本人の大多数は国際政治の雰囲気を知ることなどないまま過ぎてしまうだろう。


アベが開会式に出席した所で国際政治の上では、何らの意味も得られなかった。
日本は国際政治の舞台では、主要なプレイヤーとは認識されていない。日本の歴史上の人物、例えば関ヶ原に参加した武将で言うなら、朽木元綱のような役回りがアベということである。


要するに、よく知らない、ということだ。そして大勢の帰趨に影響を与えるような人物ではない、ということ。にも関わらず、アベ以下、官邸や外務省が必死に「大物ぶり」をアピールしているのが痛々しいのである。まずは現実を直視すべきではないのか。国際政治が注目している先は、日本やアベではない。朝鮮半島なのである。


アベの開会式出席の報よりも、日本代表選手のドーピング事件の方が海外では大きな扱いであったろう。それとも、今日「スマイルジャパン」が五輪初勝利を収めた女子アイスホッケーの方がずっと国際的に注目されていたであろう。チームKoreaが果たして初ゴールを挙げることができるか、ということの方が、アベの日韓会談云々や北朝鮮問題に関する日本の立場といったことよりも関心が高かったということである。日本の外交力とは、その程度のものでしかないということだ。


プレイヤーの注目度で考えても、韓国大統領は置いておくとして、アベの訪韓以上に注目を浴びたのが金正恩の兄妹という金与正の五輪訪問であった。アベの存在など、誰も取り上げてはいなかった。米朝対話の可能性とか南北融和といったことの政治的意義は議論されるが、アベが韓国や北朝鮮との関係性について何らかの役割や成果を期待されているといった論調は皆無に等しいだろう。日本は国際政治の舞台では、脇役でさえない、池の水草か立木程度の存在感―ほぼ意識されないという程度の立場であると知るべきである。日本のメディアはそういうことと無縁である。


ネット上の海外メディアにおいても、アベの五輪開会式出席や日韓・日朝関係の論評はほぼ目にすることがない。
稀な記事の例はこちらだが、日本人著者が書いたものであるので参考にはなり難い。

>https://www.nytimes.com/2018/02/09/opinion/japan-south-korea-friendly.html


海外主要メディアでは、アベの訪韓の成果についての記事はほぼ見かけない。その程度の位置づけであることを日本人は自覚すべきである。日本のメディアやアベ界隈の宣伝効果は、国際社会ではほぼ無意味であるということも知るべきだろう。国内向けのものであって、世界の政治には効力を持たないということである。


世界は、日本を見ていない。アベの五輪開会式出席など、考慮にも値しない。
しかし、朝鮮半島を見ているのである。



番外編:

日本の女子アイスホッケーは、初勝利おめでとうございます。
統一コリアチームに比し、力の差は歴然でしたが、ゴールを献上してしまいました。しょうがないでしょう。けれど、強豪相手に善戦もありましたので、今後の一歩一歩と思って、頑張って下さい。


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続・無能エリート気取りが支配する国、日本

2018年02月04日 17時32分04秒 | 経済関連
偶然どんぶらこと流れてたのを見かけたので。

>http://twilog.org/hongokucho/date-180204


アベ万歳派には手痛い分析等があるようで(笑)。どこまでも無能を続けるアベ万歳派の経済愚策と、それを後押しする経団連をはじめとする財界連中の不見識といったところか。日本経済が沈下する理由が分かるというものかも。


昨年にも書いたが、新たな意見も出てたようなので、追加的に。

17年7月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/d3827e982e448b41e782caa3c0a52238


拙ブログでは、05年当時に指摘したものだが、その後の推移を見れば当時の財界だの産業政策だのの検討や立案をやっていた「有識者」連中の思考力の乏しさや無能さが明らかになったのでは?


05年10月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/4ee2e6f5d86220bd0f7addd473a342c7

(再掲)


構造的問題もありますし、一部には労働集約型の産業に人員を多くとるのは労働生産性が落ちるのでよろしくない、というご意見もあるようです。確かにそういう業種に多くの人員を充てるというのは、日本全体で見ればよくない面もあるかもしれませんね。しかしながら、日本人全員が高い労働生産性だけの業種に従事しているかというと全く違いますし、能力が全員同じであればそりゃカッコイイ「カタカナ職業」とか、多額の金を右から左へと動かすような大きな取引などだけの職業に全員が就けばよいのです。やれるもんならやってみろ、と言いたいですけれども。はっきり言えば、半分以上の国民は、そんな大きな仕事はやっていないし、生産性が高い職種などに就けるほど求人需要もないだろうと思いますよ。もっと限定して、就業人口の半分以上はそんな職業になんて従事していない、ということを言っているんですよ。もっと切実な問題で、固定給がもらえるかどうかの瀬戸際の人々は沢山いるかもしれませんけれども。


労働集約型産業に雇用を増やしてそこに多くの人員が就業するのはよくない、と言った人は誰か発表して欲しいですね。どこのドイツが言ったのか、教えて欲しいものです。それならば、「お前が高い労働生産性の基幹産業を作れ。就業の需要を満たせるような環境を作ってみろ」って直接言ってあげますよ。多くの人々は、それはキレイな服を着て、手も汚れず、高い給料を貰えるクリエイティブなカッコイイ仕事に就きたいと願っていることでしょう。普通にそう思いますよ。ですがね、世の中そんなに甘くはないでしょうよ。何処にそんな仕事が余っていて、求人不足の業種がありますか?是非教えて欲しいですよ。今後、そういう仕事がごっそり余り、例えば今までフリーターやニートだった人とか結婚・出産後の女性や定年退職後の人達も生産性の高い仕事に就けるなら、そりゃもう大喜びですよ。労働集約型産業以外に、生産性の高い就業先をキッチリ用意してくれるでしょうから、そういう優秀な人には是非とも厚生労働大臣になってもらい、雇用・労働問題を解決して欲しいですね。絶対応援してあげますから。ですので、是非教えて欲しいということですね。




この記事に書いた当時の予想通り、その後も順調に医療介護分野の求人は増加し、アベやアベ万歳派が「アベノミクスの成果だ」と喧伝する有効求人倍率の増加のかなりの部分を占めている、ということですわな。


要するに、無能ボンクラ頭の「有識者」たちを頭数だけ並べて考えたって、所詮は役立たずってことでしょうかね?拙ブログみたいな、経済ド素人の常識以下でしか「思考できない」ってことでしょうか?

こういうバカが大勢いるせいで、12年もの時間を無駄にしたってわけですね。
いや、奴らの狙い通りに日本が勝手に潰れてくれた、ということかもしれん。



話はちょっと変わるが、最近のデトロイトの記事に遭遇した。

>https://wired.jp/2018/02/03/detroit-shinola/


破綻自治体の代名詞となってしまったデトロイトだったが、その後、徐々に再生の道を歩みだしている、ということのようだ。まだまだ道のりは長いが、諦めずに頑張って欲しい。日本では、夕張が再生できるような環境にはなってないので、困難なことだというのも分かる。


これも、08年リーマンショック後の話になるが、もう10年も経ってしまうんだな。

08年12月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/0591b00a8dbec2b5e0b24ad74dcd0f78


救うべきでない、という全米の批判の嵐の中、拙ブログでは「いや、むしろ救うべきではないか」と書いたわけである。が、それも虚しく13年にはデトロイトは財政破綻に至ってしまった、ということだ。


(再掲)

家族の死は、勿論悲しい。おじいちゃんだって、お父さんだって、どっちも悲しむことには違いない。けれども、一家の生計とか収入状況を考えると、父親に死なれたら、それは大きな打撃を受けるだろうということは誰しも判るであろう。今の「ビッグ3」の死というのは、まさにそういう突然死に匹敵するものなのである。


かつて日本では、悪しき官業の代表格のように言われていた「国鉄」という国営事業があった。この鉄道事業を民営化しようということになり、当時の中曽根総理が民営化実行に踏み切ったのだった。約27万人以上いたといわれる国鉄職員は、約20万人程度まで減らされ、民営化会社に採用されない人々が外へ出された。この他にも、JRに採用されず他の業種に転職もせずに、ずっと残った人たちもいたのだった。彼らの労働問題は、今世紀に入ってもなお闘争が続けられていた。国鉄時代の労組で有名だった「国労」「動労」などの内部的ゴタゴタや、労働運動や組合活動そのものの衰退といったこともあったが、要するに、規模のかなり大きな産業の「ドラスティックな変化」というのを実行しようとすると、社会問題がかなり発生してくるということを言いたいのだ。民営化移行期には、国鉄職員の自殺などが数百人にものぼり、数千人規模の人々が労働・雇用などの長期紛争に巻き込まれていくことになった。米国であると労働者の流動性はかなり高いので、大量の失業者を生むような産業死があっても大丈夫なのかもしれないが、日本の労働市場がかなり硬直的ということを割り引いたとしても、労働者たちには大きな負荷を強いることになるだろう。

 (中略)

死にゆく過程が、ある程度長い経過を辿り、時間的に余裕があってでさえ、その対策に必要な社会的コストは小さいものではなかったろう。これが昨日まで現役バリバリの「アメリカ自動車産業」ということになると、それが死ぬことによって発生する必要コストは、現在検討されている支援額レベルでは到底済まないと思われる。このことは、GMの会長が公聴会で述べた通りで、その主張は支持できる。米国人ならば、日本人労働者のように自殺する人たちが多数出るとは思わないが、失業に伴う社会的援助の増加や消費減少のマイナス影響は無視できるようなレベルではないだろう。ましてや、今の経済環境下で起こってしまうのは、産業死を超えて全産業にダメージを与えるだろう。

アメリカでも、かつて町が死んだ経験を持つだろう。例えばゴールド・ラッシュ時代の、田舎町のようなものだ。あるいは、石油事業で潤った町でもいい。デトロイトをどうしても廃墟にしたいのなら別だが、雇用の受け皿や代替産業が育たずに一大産業が突然死を迎えたら、地域社会は壊滅的ダメージを受けることになるだろう。残されるのは、移動できない貧しい人たちや体の弱い高齢者たちなどだ。多くの米国国民がそれを望んでいるなら、それも仕方のないことだろう。私にはどうすることもできないが、正しさというものは時として人々を不幸にする、ということを考えてから、慎重に選択して欲しいと思う。


=======


米国の自動車産業は瀕死となり、実際にデトロイトは廃墟が拡大したようだ。そして、市の財政破綻。
今は、その復活途上であり、まだまだ産業構造の転換は時間がかかるだろう。そうした痛みもあって、大統領選ではトランプが勝つに至ったわけでしょう?

人が戻れば、段々と復活してゆく部分はあるだろう。
都市の再生って、米国での例は全く知らないんだが、古いものも価値があると見做されるようになるかもしれないし、何とか頑張って欲しい。いずれは、「ロボコップ」を雇えるようになるまで復活するやもしれぬ。その日まで、応援しているよ。


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米国はシリアに対する侵略を停止せよ

2018年02月01日 01時44分11秒 | 外交問題
未だ混迷の状況であるが、シリア領内のイスラム国勢力は弱体化したようだ。アサド政権へのロシアによる軍事支援が奏功したとも言えるが、米国や有志連合の攻撃とその支援を受けた反政府ゲリラとの戦闘は終わりそうにない。


米軍は、重大な国際法違反と戦争犯罪を隠蔽するべく、最近でもまた化学兵器を使用しアサド政府軍に罪をなすりつけるという使い古された手口を用いているようだ。その為の宣伝活動にも余念がない。


先日のロイター記事で確認してみよう。
>https://www.reuters.com/article/us-syria-crisis-chemicalweapons-exclusiv/exclusive-tests-link-syrian-government-stockpile-to-largest-sarin-attack-sources-idUSKBN1FJ0MG

過去に用いられた化学兵器のサンプルが全て一致した、ということのようだ。それが「アサド政権軍の攻撃である証拠」と言うことらしい。
だが、これが決定的な証拠となるかと言えば疑問である。何故なら、元から「アサド政権の犯罪行為」という濡れ衣を着せるべく工作活動をやっていた連中ならば、この程度の情報操作など朝飯前だから、である。

そもそもシリアに対し米軍が攻撃する口実を求めていたのであり、それは有志連合による軍事作戦の正当化でも同じだった。いずれも国際法違反の軍事介入を、「アサド政府による戦争犯罪」の大義名分の下に正当化しようとするものだった。

参考:
13年9月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/dd3c160cfc9a245c383c731fd6ccb663
15年10月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/63962ca183f51763db945386e1e4f669
16年9月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/8f27899bc5b980bf11a330c627388fee


濡れ衣を着せるべく、事前にアサド政府軍の化学兵器を盗み出しておくことは可能であるし、国連査察受け入れ後の廃棄処分過程においても盗むか横流しさせておくことは可能であろう。そのような工作員部隊は「まだ使用せずに残っていた化学兵器」の在庫を最近になって持ち出してきて、流用していたとしても不思議ではないということだ。


類似の例は過去にもあった。

マレーシア機撃墜事件の謎
14年7月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/30e796c18ac0cf8fd6929173121aa98f

・親露派(反政府勢力)がウクライナ軍から地対空ミサイル(ブク)を盗んで撃墜


今回に当てはめるなら
・反政府ゲリラがアサド政府軍から化学兵器を盗んで攻撃


高度な専門知識を要求される長距離ミサイルシステムを反政府テロ勢力が盗み出して、マレーシア機を撃墜したと主張したのは、米国だったのだが?
ならば、もっと難易度の低い化学兵器弾頭など反政府ゲリラが盗んで使用したとしても、「あり得る」としか思えないわけである。しかも米軍がバックに付いているとなれば、もっと簡単に実行できることだろう。


マレーシア機撃墜の場合には、射程300~400kmという高度なミサイルシステムを盗んで利用した、という到底考えられないような筋書きを主張していたのだが、その信憑性は乏しいものだった。シリアの化学兵器の場合だと、これとは逆の主張を米国はしているが、アサド政府軍が使用したという根拠は2013年当時から乏しかった。

 
次に化学兵器の成分が一致した、という主張であるが、先に述べた通り濡れ衣を着せようとする工作側ならば、いくらでも実行可能である。これも似た例があったわけだが、それは韓国の天安艦沈没事件であった。

北朝鮮の魚雷の火薬成分と一致した、という「証拠」を出してきたのも米韓だったでしょう?

10年5月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/04766a64e7ff68d93f7c9129d079d23a

7年前に回収した北朝鮮訓練用魚雷の火薬と、「天安」船体や海底から回収した火薬の成分が同じであることがわかったと明らかにした。
 沈没海域ともなった黄海沿岸で以前回収された北朝鮮訓練用魚雷は、弾頭はないもののスクリューを動かす際に用いる火薬が残っていた。一方、「天安」の煙突や海底の砂からは、魚雷の弾頭に用いる火薬成分「RDX(ヘキソーゲン)」が検出された。


しかし、成分一致と情報操作をしたものの、その後に米軍やNATO軍の魚雷といった可能性が取り沙汰されるようになった。北朝鮮で用いる中国(orロシア)製魚雷にはない成分だったことが事後の検証過程で判明したはずなのだ。また、北朝鮮の潜水艦は欧州国の製造した魚雷を撃てるものが存在していなかった。つまり「成分が一致」したという報道は、情報操作をする側が都合よく用いる手である可能性がある、ということだ。


更に、アサド政権が極悪の、本物の悪魔のような政府であって、自国民を大量に虐殺しまくることをやってきたのだ、というような主張について考えてみよう。

アサド政権が政府に対し批判的な非武装の自国民を、何らの理由もなく殺害してきたのだろうか?
少なくとも、2011年以前には、そうしたことが世界に報じられることはなかっただろう。バアス党の一党独裁により、シリア国内の虐殺等不都合な事実は、完全秘匿され隠蔽されていたので、世界の誰もそうした犯罪行為を知ることができなかったのだろうか?


そうした可能性は低いと考える。ネット環境が整ってきていたし、シリア国民がSNSによる発信が出来てない状況だったとは思われない。シリアが内戦状態になり、数百万人もの難民が出る程に状況が悪化したのに、ツイッターやFB等による民間人からのSOS発信は世界中に知られていた。
経済政策上でも、90年代に比べて自由化は推進されていたようであり、独裁政権による強烈な弾圧状態に置かれていたということでもなかったはずだ。出入国は困難ではなかったし、観光客数も増えてきていた。


日本の外交上の対応でも、2011年以前には極悪国家に対するものとは思われない。

前安倍政権時代の例:
2007年 安倍政権下における外務副大臣シリア訪問

>http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/h19/6/1174184_806.html

24日からシリアを訪問中の浅野勝人外務副大臣は、25日現地時間午前10時過ぎより約1時間、バッシャール・シリア大統領と会談を行ったところ、概要以下の通り。

浅野外務副大臣は、安倍総理大臣からの二国間関係及び中東情勢に関する親書をバッシャール大統領に手交するとともに、同大統領とレバノン問題、イラク問題及び中東和平問題等の中東情勢について率直な意見交換を行い、今後、日本とシリアの二国間関係を可能な範囲で進展させていくことで意見の一致をみた。
浅野外務副大臣からバッシャール大統領に対し、シリアとレバノン並びにイラクとの国境管理、及びパレスチナ内部の混乱の収拾に向けてハマスに対してシリアが影響力を行使することの重要性を指摘しつつ、これらの中東地域における諸問題に対しシリアが一層国際的に責任のある行動を示すべきことを伝えた。
これに対し、バッシャール大統領からは、いずれの問題についてもシリア政府の基本的な考え方が述べられた。

【参考】
浅野副大臣は、24日から26日までシリアを訪問、25日にバッシャール大統領と会談した他、ミクダード外務副大臣と会談した。浅野副大臣は、26日、アトラシュ自治環境大臣と無償資金協力「地方都市廃棄物処理機材整備計画(第2期)」にかかる交換公文に署名する予定。



今世紀に入り、2010年までは毎年のように政府援助が実施されていたわけで、犯罪国家相手ならば、そうしたことは行われないのが通例では。

イスラエルのやったガザ支援船(トルコの民間船舶)の襲撃・虐殺事件のような場合だと、世界中に知られるわけだが、それに類するアサド政権の虐殺事件というのは、「アラブの春」以前には情報が全くなかった。テロ鎮圧という名の、国内弾圧といった事件もほぼ見られていない。
主要な国内テロは、
・04年4月、ダマスカス銃撃戦(4人死亡)
・08年9月、ダマスカス自動車爆弾2件(17人死亡、数百人負傷) 
が報道で確認できたが、エジプトより酷い政府であるといった評価は困難である。


11年以降には、国内デモの激化や爆弾テロが相次ぐようになったが、アサド政権の軍事力が維持されているうちは、数百万人もの難民が出るような混乱には至っていなかった。化学兵器の査察受け入れ頃には、視察団が目にする生活の様子は、まだ穏当なものだったろう。

また、アサド政権は反政府運動の高まりを受けて、内閣改造や憲法改正などの対応が取られたが、これも一党独裁の真に強権国家ならば、そんなことは実行されないだろう。中国がいかにデモが頻発しようとも、政権幹部の入れ替えや憲法改正などは実現できないだろう。「力で抑え込む」というのが普通の対応であり、アサド政権が「自国民虐殺を平気で行う悪魔」というのなら尚更、一党独裁の現状維持を強行するのが当たり前だろう。憲法改正や新政権の選挙など、形式的であろうとも実施しないのが普通、ということ。しかし、アサド政権は反政府運動に対して、譲歩したということだ。


事態が悪化したのは、米軍と有志国連合の軍事攻撃、米軍が送り込んだテロ集団の攻撃、そして米国その他から支援を受けた反政府ゲリラの攻撃、これらが発生したからである。「イスラム国(IS)」はその隠れ蓑に使われたのだ。


つい最近まで、米軍の軍事拠点がシリア国内に存在していたようだ。
>https://jp.sputniknews.com/middle_east/201712274425942/

参謀総長は「コムソモリスカヤ・プラヴダ」紙のインタビューで「アル・タンフでは周囲55キロに及ぶ全領域が封鎖された。最も重要なのは、我々が数ヶ月間にわたりその地区から戦闘員が移動するのを目撃していることだ」と述べた。
管理体制が弱かった頃は、アル・タンフ地区からは約350人もの戦闘員が出て行ったという。


=========

グーグルマップで見てみると、イラク側のAl Waleedは確認できるが、Al Tanf付近の地名等は全く表示されず分からない。しかし、国境からシリア領内に入った所に軍事基地か空港設備のある場所が存在するようである。

イスラム国の「支配地域」と報道していた地域ならば、どうして米軍がその地点に補給なり、勢力圏を維持できていたのか、疑問が生じるだろう。


最低限、米国がシリア領内で勝手に活動するというのは、ヤクザの不法占拠同様に、明白な国際法違反であり、主権無視の暴挙と言えよう。シリアへの侵略行為に他ならない、ということだ。米国の正体は、テロを養成しテロにより気に入らない政府を転覆させようという、テロ国家なのだということである。米軍は、シリアから撤退させるべきだ。反政府ゲリラを支援する空爆もやめるべきなのだ。


アサド政権が本物の極悪だと仮定して、アメリカの行ってきた中東での軍事介入や違法な戦争の方が、より一層極悪であることに疑問の余地はない。米軍が行った違法なイラク戦争により、戦後処理について出された「安保理決議1483」は14か国の賛成で決議されたが、15か国中で1票だけ棄権したのが当時の非常任理事国のシリアだった(日本は非常任理事国のアジア枠を投票で争い、アサド政権のシリアに敗れたのであるw)。


2003年当時、理性を備えていた唯一の安保理国が、シリアだったと言っても過言ではないかもしれない。皆、米国の主張を受け入れる中で、同意せずの意志を示したのだから。

犯罪国家なのは、米国であり、シリアではない。国際法を無視する米軍こそが、真の悪なのだ。

意図的にもたらされた破壊と混乱であり、アサド政権はその汚名を着せられたのだ。

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あけましておめでとうございます 2018

2018年01月02日 09時45分16秒 | 俺のそれ
今年も宜しくお願い致します。

世界が平穏無事でありますように。


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公害電波の送りつけ商法、NHKを打倒せよ!

2017年12月07日 17時34分35秒 | 法関係
全国民を震撼させた、NHKを勝たせんが為の最高裁判決が出てしまい、合憲が確定してしまった。誠に残念である。

裁判所がNHKとネンゴロの関係にあるのは致し方なく、驚愕の合憲判決によりまたしてもNHKが増長することになるだろう。唯一の対抗手段は、法律を変えさせること、これだけである。国会議員たちに何としても働きかけて、立法措置で対抗するしかない、ということである。


その為の国民運動が必要となったのである。ここはひとつ、政治信条等は抜きにして、ただただ「NHKの暴虐を許すまじ」の一点のみで勢力を糾合すべきであろう。


だいたい、ニュースの報じられ方からして偏りがある。最高裁が上告棄却したのは、被告の男性だけではない。NHKも全く同様に「上告棄却」だったのだが、何故かNHK側の圧倒的大勝利のような報じられ方である。


>http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201712/CK2017120702000132.html

判決ではNHK側の主張を全面的に認め、これまでの全国の地裁や高裁で出された同様の訴訟の判決とほぼ同じ。被告の男性側は「放送法の規定は強制力のない努力義務。強制を認めているとすれば憲法の保障する『契約の自由』を侵害する」と主張したが、退けられた。
 一方、大法廷は、契約を拒む受信者との間に契約を成立させるには、NHKが契約を求める訴訟を起こし、勝訴判決の確定が必要との初判断も示した。裁判官十五人のうち十四人の多数意見。木内道祥(みちよし)裁判官は「確定判決で契約は成立しない」とする反対意見を述べ、合憲性には触れなかった。
 訴訟は、NHKが二〇一一年、受信契約を拒む東京都内の男性に契約の締結を求めて提訴。一、二審判決は契約と、テレビを設置した〇六年以降の受信料約二十万円の支払いを男性に命じた。最高裁は男性の上告を棄却し、二審判決が確定した。



少なくともNHKの主張は全面的には認められていない。それが証拠に棄却だったではないか。なのに、全面勝訴の印象操作みたいな真似をしているのはどういうことなのか。NHKの主張した点、例えば裁判を経ず(確定判決を得ず)とも契約成立だというのは完全否定され、木っ端微塵に粉砕されたではないか。報道なら、もっと慎重かつ事実に則して報じるべきだ。最低限、判決文を全文読んで、解説・解釈を顧問弁護士に確認するとか、そういう基本的なことをやってから、記事を出すべきではないのか。


で、残念判決はこちら。

>http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/281/087281_hanrei.pdf


公共放送なのだから、全国民が平等に受信契約をさせられ、受信料を払わねばならない、ってのが、最高裁のおふれってことらしい。災害時の放送などがあるから、とか、そういう屁理屈がつけられているが、バカバカしい。

Jアラートだって、メールやネット経由でいくらでも情報が流されるし、民放各社も災害情報等は緊急速報を出しているではないか。これがNHKでなければ、国民に周知できない・情報提供ができない、などという理由は存在しないだろう。まあいつもの、単なる「思いつきレベル」のこじつけである。最高裁の裁判官が「これは合理的だ」と宣言してしまえば、その説明や根拠に大した意味も説得力もなくとも、バカでも「合理的」と決めることができる絶対的権限を持っているから、というだけの理由だ。


どうして全国民から蛇蝎の如く忌み嫌われるのか、というと、そもそもNHKの集金人とか受信契約を強引に結ばせようとするロクでもない連中が、我が物顔で跋扈しており、奴らが何らの権限も持ってないくせに、何故か検察官と裁判官の兼任者のように「法律で決まっている、これは強制だ」みたいに大上段から契約を無理強いしていることにある。

何故、アベ政権の代弁者みたいになっている、新華社的ポジションにあるNHKの為に、全国民が犠牲を強いられねばならんのか。そこが根本問題なのだ。反吐が出そうになりながら、押し売りかヤミ金取り立て人のような連中の嫌がらせに多くの人々が音を上げて、やむなく契約を結ばされているのだ。そのカネで、NHKの幹部連中は信じられないような高給と湯水のように無駄経費を使う贅沢を許されているのである。なお一層、怒りの火に油を注ぐことになるのは、言うまでもない。


基本的に、NHKの電波商法というのは、送りつけ詐欺商法とウリ二つである。
参考>https://matome.naver.jp/odai/2136720736411935101


送りつけ詐欺は

・勝手に商品を送りつける
・商品を受け取れる(郵便や宅配システムがあるから)
・使っても使わなくても費用請求してくる
・いらないからといくら断っても脅してカネを徴収する
・何度もしつこい


NHKは

・勝手に電波(電気信号)を送りつける
・電波を受け取れる設備、装置がある
・みなくてもカネを取られる
・いくら断っても法律で決まってると強制的に契約を結ばせる
・異常に何度もしつこく訪問してくる、家にあがる
・世帯主以外にでも無理矢理サインをさせる


こんな組織、制度が、現代の先進国で「合法、合憲だ」と宣言されるわけだから、悲劇としか言いようがない。


日本国民よ、これ以上、NHKの横暴を赦すな。権力に加担する裁判所とメディア支配層に負けてはならない。
公害電波を撒き散らす、NHKという組織に、法律で対抗すべきである。

スクランブル化を実現できるよう、全国民の大運動が必要である。


それから、

未契約世帯が今後どうなるか、ということであるが、注意点として

ア)消滅時効は契約成立後から
イ)NHKの債権は「テレビ設置した日」以降の受信料
ウ)NHKは損害賠償請求はできない
エ)契約承諾がない場合には、裁判所の確定判決が必要

ということがある。


過去の何年~何十年かに渡り支払い拒否をしてきた場合には、テレビ設置後の受信料を請求できる権利がNHKに与えられたわけだが、契約承諾は原則として裁判の判決が必要、ということである。いくつかパターンで考えてみる。


◆パターン1:とことん戦う

NHKが訴えてきたら、裁判の判決が出るまで戦い続ける。これは勇気が必要。また裁判費用等が必要になる場合がある。が、心情的にNHKをどうしても赦し難いという人の場合には、判決出るまで戦ってみるのも一法ではある。NHKは受信設備を設置していた日を特定する必要があるので、どの程度まで過去に遡って請求できるかは、場合によりけりかと。

確か2012年頃に放送法改正になり、それまでは電波の「受信」だったものを、ケーブルテレビ等も含めて徴収できるよう「電気信号」に変えたはずなので、それ以前については「法の不遡及」原則により、ケーブルテレビ設置者の場合だと、それ以前に遡って請求は恐らくできないものと思われます(当方の素人見解なので、鵜呑みにせず、弁護士等専門家に確認するように!)。

裁判を起こされてから払ったとしても、普通に払ったとしても、同額請求になる可能性が高いなら、払わないままで過ぎるのも一つの対抗手段かもしれないです。


◆パターン2:裁判を起こすぞと言われたら承諾する

NHKはまず受信契約のお願いしかできません。最初から訴訟提起は難しいはずです。なので、最終段階に進むまで我慢する、とか。
過去に承諾する、しない等で揉めてて、次の段階が裁判だ、というような方々の場合には、テレビ設置の日がある程度特定されている可能性があるでしょう。その場合、過去の設置日に遡って請求を食らう可能性が高いわけですが、裁判で勝てる見込みはまずないので、とりあえず承諾をします。受信契約が発生した時点から、消滅時効がスタートするので、お金がない、等の理由により、支払拒否だけは継続してみるのです。


そうすると、例えば1年支払わないと1年分の消滅時効がカウントダウンされていくので、トコトン粘れば5年以上前の受信料は支払わずに済む可能性が出てきます。が、NHKも本気出して、給料や財産差押えの裁判所命令を持ってくるかもしれませんが、そうしたら、5年分とかを払えばよく、10年前からの分とかは回避できるかもしれません。

契約の承諾はしても、「いつまでに払う」とか「今度○○円払う」などと決して言わないようにすべきです。支払意思がある、という事実が明瞭になってしまうと、後々別の問題点が発生する可能性があるかもしれないので。

受信契約の「承認はしましょう」ということで、受諾の意思表示を明確にしておくと、消滅時効のカウントダウンは必ずスタートすると最高裁が言ったんですから。けど、払うのを極限まで我慢しておけば、最高でも5年分しか請求できない、ということになるかな、と。



◆パターン3:契約しろと強硬に言ってきたら、テレビを破棄(ヨソに移す)する

集金人は「受信設備が設置された日」を特定し、これを立証しないと設置日以降の受信料を請求できないはずです。スカパーやケーブルテレビ等の契約日が特定できる場合には、情報収集してきて請求してくるかもしれませんが、そういう特定日を示す証拠がない、NHK側の証拠提示が難しい場合というのは、過去に遡及して受信料請求は難しいはず、ということです。

なので、家を見せろとか上がり込もうとするなど、強硬な態度の人間の場合には、いったん親類や友人宅にテレビを「疎開w」させる、等の措置を実施し、家の内部を見せる日を指定して集金人にテレビが存在しないことを示せばよいかも。

けれども、今後、NHKはスマホやパソコンや自動車ナビでも集金するなどという暴挙を言っているようなので、つまりそれはテレビの存在に無関係に全員から徴収する(世帯単位とかは関係ねーってなるかも)ということを目論むということで、これを阻止できるのはやはり立法措置しかないでしょう。

何としても放送法を改正して、NHKの「徴税権」の如き強権を剥奪するよりないでしょう。

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「安倍普三小学校」の呼称はアベ自身が知っていた

2017年11月23日 16時06分39秒 | 政治って?
嘘つきというのは、事後的にいくらでも嘘を吐けるものである。
事実を書き換えることも厭わない。

当初言っていたことと、後になってから違うことを言って、記憶を誤魔化そうというのはよくある手口なのだ。



さて、御用新聞が如き、アベ応援団の最右翼w産経新聞の面白記事を発見した。

>http://www.sankei.com/politics/news/171122/plt1711220042-n1.html


大阪市の学校法人「森友学園」が開校を目指した小学校の「設置趣意書」に、民進党や朝日新聞が可能性を指摘していた「安倍晋三記念小学校」の記載がなかったことが分かった。自民党の和田政宗参院議員が22日、財務省から資料を入手し、自身のツイッターで公開した。

 趣意書に関しては、5月8日の衆院予算委員会で当時民進党の福島伸享前衆院議員(10月の衆院選で落選))が、財務省が開示した資料の一部が黒塗りだったことを挙げ、こう追及した。

 「籠池泰典前理事長(詐欺などの罪で起訴)の記憶では、安倍晋三記念小学院の設置趣意書だった。その名前だったからこそ、忖度(そんたく)がなされ、特例措置が講じられることになった」

 また、朝日新聞も籠池被告の証言をもとに5月9日付で「開設予定の校名として『安倍晋三記念小学校』と記載したことを朝日新聞の取材に認めた」との記事を載せた。

しかし、和田氏が公開した趣意書は「開成小学校」と書かれ、首相名はなかった。和田氏はツイッターで「籠池氏が『安倍晋三記念小学校』と記載したと話してきたが、全くの嘘だと判明」と指摘した。その上で、予算委で追及した福島氏について「全く嘘の情報を信じ込み、さも本当に書かれているかのように質問した。当時の民進党執行部の責任は問われないだろうか」と記した。

 設置趣意書に記載がなかった「安倍晋三記念小学校」は、森友学園側が寄付金を募る際に一時期、安倍首相の承諾を得ないまま使用していたことが判明している。森友学園が今春の開校を目指していたのは「瑞穂の國記念小學院」だった。


========

産経新聞記者というのは、簡単に何でも忘れる体質らしい。ほとぼりが冷めるのを待って、指摘していた福島議員や民進党や朝日新聞に「デマの責任」があるかのような書きぶりとなっている。

まあ歴史修正主義が大好きな連中というのは、何につけても似た傾向なのかもしれないが。


そもそもは、アベの国会答弁が当初とまるで違うことを言うようになった、というのを忘れたようだな。


東京新聞 2月28日

>http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201702/CK2017022802000129.html

記事中から引用すると、

アベ答弁 2月17日 
『妻からは、学園の先生の熱意は素晴らしいと聞いている』『私の考え方に非常に共鳴した人』

と好意的に述べていた。


小学校にアベの名前を冠することについては、アベは今年の国会質疑に出る以前から、自分で知っていたと答弁しているでしょうに。


衆院予算委員会 2月26日

>http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001819320170224015.htm


民進党の福島伸享議員の質疑から、以下に一部引用する。


福島

テレビ東京の番組は私自身も幼稚園の保護者の方から聞いた話でありますが、平成二十七年九月に森友学園の幼稚園で安倍昭恵安倍総理夫人が講演をいたしまして、籠池理事長からその場で瑞穂の国記念小学校の名誉校長への就任を依頼されて、理事長が拍手をしてくださいと言うのに促されて保護者の皆さんが拍手して、その場で受諾した、そうした光景がテレビに映されております。ところが、きのうの午後、瑞穂の国記念小学校のホームページにあった、この、名誉校長安倍昭恵先生、安倍晋三内閣総理大臣夫人の挨拶が消えております。


17日の質疑後でもなお、名誉校長の事実は取り消していなかったでしょうに。テレビ報道が出てようやく「まずい」ってなったので、慌てて削除したんでしょう?


アベ

『また、私の、安倍晋三小学校ということについては、再三お断りしているにもかかわらずああした形で名前を使われたことは極めて遺憾だということを伝え、そしてその後、事務所の方から正式に先方に連絡をいたしまして、妻としては、自分が、こうした経緯があるとはいえ、名誉校長を引き受けていることによってそこに通う子供たちや御両親にかえって御迷惑をかけ続けることになるので、辞任をさせていただくということを先方に申し入れたところであります。

 改めて事務所の方から、安倍晋三小学校ということについてはお断りをすると、実はお断りをしたわけでありますが、その後、何回も何回も事務所の方に依頼が、一回断ったんですが、ずっと来続けて、それは秘書が対応しておりましたが、秘書は連続してお断りをし続けた。ですから、秘書の方から、何回も何回もお断りしているではないですか、であるにもかかわらず寄附金集めにこうした名前を使われたことは本当に遺憾であるということで、抗議をしたところであります。』


家内は会って、非常に情熱のある方だということを言っていたということでございますが、今般、あの安倍晋三小学校という寄附を募る紙を見まして、私も非常に驚愕いたしました。』


福島議員は設置趣意書に書いてある、などとは言ってないし、そのように総理を追及してもいない。アベ自身が「寄付を募る紙」と答弁しているように、保護者等に対して小学校の名称に用いているということであり、アベはその紙の存在を否定していない。むしろ事実として肯定しているではないか。これが産経新聞記者の手にかかれば、耄碌爺さん以下の記憶力程度でしかないので、デマ認定に早変わりと?wしかも、ニュースソースが、自民議員のツイッター程度だからこそ、相当に頭がアレだな、と。揃いも揃って、アレな連中というのは…


更に続きを。


福島

平成二十五年九月に森友学園が初めて教育庁に学校設立の相談に来たときに、安倍晋三記念小学校という名前をつけたいのでどうだという話をして、それに大阪府の職員の方はびっくりして、さすがにその名前はまずいんじゃないですかと言ったということなんですね。募金の依頼が出回ったのは平成二十六年三月であります。

 先ほどの、テレビに出た記念講演での総理の発言でも、先生からは、これは籠池理事長ですね、安倍晋三記念小学校にしたいと当初は言っていただいたんですが、もし名前をつけていただけるのであれば、総理大臣をやめてからにしてくださいというふうにおっしゃっているんですよ。



大阪府の方に募金以前から小学校名でどうだという打診があったわけですよ。これは大阪府側の証言。更には、アベ自身が「総理を辞めてから」という、恐らくジョークを交えた挨拶ということかと思われるが、学校名に自身の名前という認識は総理自身にこそあったわけである。福島議員がデマに基づいて批判しているものではないことは、明々白々だ。


アベ

そもそも、安倍晋三小学校という名前をつけたい、冠をつけたいという依頼は私が総理大臣になる前の話でありまして、一議員のときでありましたが、その前の段階で私は既にお断りを、これは妻を通じてでございますが、妻に依頼がございまして、妻は、うちの主人はそんなことを受けないと思いますよと答えたんですが、この方は非常にこだわるというか、そう簡単に引き下がらない方でございまして、それは先ほどの、うちの事務所と何回もやりとりがあったということで御理解をいただけるのではないかと思いますが、うちの妻にも何回も言ってきたわけでありますが、私はそういう気持ちはないと。

 そもそも、たとえ私が自費で学校をつくったとしても、安倍晋三小学校なんかにはしないですよ。普通、これは常識で考えて当たり前じゃないですか。私はそんなタイプの人間ではないんですよ。

 であるから、私は、もしそういう名前をつけられるのであれば、例えば私の地元の偉人である吉田松陰小学校とかいうことがいいのではないですかと。私も完全な人間ではないので、私の身に何があるかわかりませんから、これは絶対にやめてもらいたいということを実は再三申し上げているわけであります。



アベが言っているように、ヒラの無役議員の頃にアベの名を冠した小学校という依頼があった、とアベ自身しか知らぬエピソードを語っているではないか。産経新聞あたりだと、報道する前の裏取りなんかは無用なのかもな。大爆笑。

ネットで簡単に無駄記事が量産できる、という、お手軽なお仕事ですってことですかね。
頭の悪い連中の溜飲を下げるのには役立つとか、軽く洗脳するのには丁度よいってことかもしれんが。


まあ、和田議員レベルには通用する、ってことなんでしょう。



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狂人支配国家~ニッポン

2017年11月17日 14時11分41秒 | 政治って?
日本という国は、本当にどうしようもないくらいに低落してしまった。

それはひとえに、国民自身が愚かである、ということである。惰性と諦めと現状維持にしがみつくくらいしかないのかもしれない。国民の多数派がそれを望んでおり、自ら選択しているなら、それも仕方がないことであろう。


わが国の状況は、危機的である。
狂気の度合いは、上に行けば行く程いや増しており、政治でも経済でもトップ周辺が揃って低劣な人間が支配するという構図となっている。およそ組織と名のつくものは、概ね似た傾向のように思われる。


一言で言うなら、「バカのロイヤルストレートフラッシュ」達成、みたいなものだ(笑)。
政界、財界、官界、司法界、マスコミ、どれもが強固なバカの支配体制が確立されてしまったのである。こんな手ができること自体、ダブル役満級に稀なのだが、それが達成されているのであるから、なす術なしということである。


私自身は、社会全体に対する興味や関心がかなり薄れてしまった。早い話が、どうでもいい、という心境である。投げやりの極致である。
平凡な手札では、到底太刀打ちできる状況ではないのである。


せいぜいできることと言えば、待つことくらいである。
良い手が入る可能性を、じっと待つしかない。それとも、相手が自らミスをしてくれる失着を待つ、といったことだ。


日本は衰退から逃れられないのだろう。

軸がどこにも見当たらない。特に、上の方の腐り具合がハンパじゃない。そのことを反省したり恥じるどころか、「一体どこが悪いのか」と開き直るようになっており、それを支持する愚か者がかえって増えていることからして、狂人と奴隷が大好きな連中がこれほど多いのかと驚くばかりである。


昔であれば、バツが悪いので慌てて隠す、といったような恥じらいみたいなものはあっただろう。体裁を取り繕う、くらいのことはバカでも考えついたであろう。


ところが、現代日本においては、それすらも消滅したのだ。
日本の総理大臣が自ら、「どうして体裁を取り繕わねばならんのか」と完全に開き直ってしまい、体裁が良いとか悪いということすら自覚できず判断基準がなくなっており、取り繕わねばならない「体裁」そのものさえも消滅してしまっているのだよ。


要するに、どうだっていい、ということである。
それを貫いているのだ。これを許すのが、政治権力に対抗できる、ありとあらゆる権力機構なのだから。抑制作用というものが、存在しないのである。


最高裁判所を見よ。
乗っ取られてしまったのだよ、彼らのような連中に。


辺野古埋立問題について、翁長沖縄県知事がいつまで経っても撤回しないという謎現象が継続しているのも、裏ではニギっているのだろうかと疑念を抱かせるものだ。まるで戦いを避けており、敢えて負けに行っているかのような行動が目につくわけである。知事当人の問題なのか、それとも周辺の入れ知恵する幹部たちの問題なのか不明だが、これでは戦にならない。


戦うフリだけする、というのは、よくある手口だ。政府に協力し、暗に工事を進めさせていることになる。
沖縄県民に諦めさせる時間を稼いでいるだけなのでは、とも取れる。希望を抱かせておきながら、これを断つ、ということなのだろうか。


私は、自分がどうしたいのか、どうすればいいのか、何だかよく分からない。

色々な面で迷っている、ということである。


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自衛隊は電力事業に参入せよ~ミサイル防衛の将来

2017年09月16日 16時47分38秒 | 防衛問題
北朝鮮のミサイル騒動は、マスコミを賑わす恒例のお祭りと化したようだ。日本政府も悪乗りしすぎで、ここぞとばかりに便乗商法に精を出すという商魂逞しさと意地汚さを露呈した。

ここで大騒ぎしてみてもはじまらないのに、無駄に国民の不安を煽って、米国軍需産業の売上高貢献の為に、軍事費拡大を急ごうという魂胆が丸見えである。


日本政府は陸上型イージスの導入を公言したらしいが、今年の北朝鮮のミサイル迎撃には何一つも役に立たないということを証明しただけである。言葉は悪いが、型落ちのガラクタを大金で買わせようという、あさましい中古品屋の店主のような根性みたいなものだ。


そんなものに投資するくらいなら、未来に賭けた方がまだマシである。数千億円もの無用のガラクタを買おうというのは、狂った基地利権の固守の為であろう。それならば、研究開発費に同額を投ずるべき。


どうせ無駄金に終わるとしても国内防衛費として使った方がよく、ミサイル防衛として大きく2つの分野が有望と考える。一つは、「レールガン」である。もう一つは、「レーザー兵器」である。いずれも米軍の開発が進行しているようであり、非現実的なものとは思わない。
日本でも、リニア鉄道や粒子加速器が開発できているので、素地はあるのではないかと思うがどうだろうか。


まずレールガンについてだが、弾道ミサイル等のブースト段階での撃破を狙う方が有効なのではないかと考え、その破壊手段として挙げたわけである。ICBMは再突入後の速度が速いので迎撃が難しいとされるが、上昇途中であれば困難性は低下するであろう。

第一段ロケットの燃焼時間が1分と仮定し、3000m/s程度の速度であれば高度180kmまでの上昇となる。この段階での破壊を想定する。レールガンで高度20~180kmの間にあるミサイルの撃墜を目指す、ということになる。効果の高い弾体の研究とか、射出装置の開発とか、日本でも可能性はあると思う。初速は、早いにこしたことはないし、マッハ7級で撃てるならそれが望ましいだろうが、ブースト段階のミサイルは無防備かつ割と遅いし捕捉もそう困難ではないはずで、少々遅くなった(例えばマッハ5)としても効果が期待できるし、直撃弾とは限らず至近をかすめる程度であっても効果があるのでは。衝撃波でミサイル姿勢異常で落下するとかロケット切り離し失敗等の異常発生でも役割を果たせる、という意味です。
また、弾数はそこそこ数を撃てるはずで、イージスシステムよりはマシと思う。


実施の問題点として、射程とエネルギー供給というのがある。
300kmくらいの射程であると、発射後1分以内で捉えられる範囲に、かなり接近する必要がある。そこで、射出装置はタンカーのような大型船に設置する「ガンシップ」型のようなものが必要となろう。


大型船である理由は、大量の電力供給システムが必要だからである。弾数に応じて、発電機なり蓄電設備なりを装備しておく必要があり、原子力船を作るのも難しいなら、タンカーみたいな船でも用意するしかない。


とりあえず大型船を含む艦隊を「ミサイル防衛ユニット」とでも名付けることにしよう。
ガンシップ1隻に対し、護衛艦2隻を組み合わせて、発射地点を射程内に捉えられるよう、日々移動を繰り返す必要があるだろう。ガンシップはレールガンを装備してはいるが通常戦闘には不向きで、航空機からのミサイル攻撃などには脆弱であるかもしれず、護衛艦がまさしく「護衛」役として求められるだろう。


ガンシップ自体は、必ずしも通常戦闘を想定しなくてもよければ、コストはあまり高額とはならないだろう。ミサイル防衛を有効に機能させるには、このユニットを何セットか作る必要がある。
それから、ブースト段階で撃ち漏らしたとしても、再突入後の弾頭に対して、再度迎撃機会はあるかもしれない。予備ユニットも使える。


次に、レーザー兵器であるが、こちらは陸上設置を想定。
高出力レーザーはかなり研究が進んでおり、日本においてもいくつかの研究グループがあり、その一つのチームは世界最高水準の出力を報告していたはず。


迎撃は、より宇宙に近い高高度を想定しており、弾道頂点付近では速度がかなり低くなることから、破壊チャンスがあると考える。
こちらも電力供給が問題点となり、高エネルギー供給システムの構築をどうするか研究が必要である。また、レーザーの屈折で狙った標的にヒットできるかどうか、というのも問題視されよう。


そこで、映画の『シンゴジラ』で見せたゴジラの防御法を参考にしたい。簡単に言うと、レーザー光が一条であるとミサイルにヒットするのが難しいかもしれないが、適当に一斉照射すると当たるかもよ、ということである。竹箒の先、のようなものを想像して欲しい。一条のレーザー光ではなく、箒のようにドバっと何条かのビームを一斉に放出するのである。
普通のレーザーポインターの場合だと、狙いをピタリと一点に当てねばならないが、円形グリッド風に多数の光条を照射すれば、そのうちのどれかはヒットできるのではないか、というものである。ペン型のポインターを20本くらい束ねて円形状にして照射すると、ある広さの範囲に散らばるのでそれを少し振動させると何れかのレーザーが当たるだろう、ということ。


これであれば、レーザーが屈曲して目標とズレが生じたとしても、ミサイルが通過するであろう空間に向かって「面」照射のような感じで撃てば、ヒット率が上がるのでは。ミリ秒オーダーでヒットできれば、ミサイルの故障や一部破壊が生じて正常に機能しなくできるだろう。


ただ、一条にエネルギーを集中するのではなくなるので、いっぺんに多数照射を可能とする「レーザー出力」の確保が難しいということになろう。なので、陸上施設として大型供電設備を確保し、高度が200kmよりも高い領域での撃墜を想定する。
誤差が50メートル内程度まで縮小できれば、竹箒式面照射でヒット可能かと思うがどうだろうか。


このように、ミサイル防衛の将来性を見据えた開発をする場合、どちらにも欠かすことのできないのが、エネルギー供給能力、殊に一時的な大電力供給である。そこで、自衛隊が自国防衛の最優先手段として、発電・給電設備をある程度自前調達するのはどうか、という話である。


例えば、「レールガン」のガンシップの場合、平時であると電力は必要ではないので、持って移動しているだけである。が、常時保持する必要があり、これを数ユニット分用意しなければならない。殆どが洋上での警備警戒行動となるので、できれば「洋上発電基地」のようなものがあると便利である。そこで蓄電も可能、ということにもできる。海洋油田のリグのようなもの、でもいい。発電できて、レールガンの射出に使わないなら、余った電力を民間に供給(売電)して、防衛予算の足しにしてもいい。


陸上のレーザー施設においても同様で、大量電力が一時的に必要になる非常時には民間の電力をも遮断してレーザー施設に電力を集約し、平時には民間に売電できるように余剰分の電力を融通するといったことを検討すべきでは。


そうすると、電力(施設整備含む)事業を自衛隊が自らある規模で実施した方がよい、ということになり、効率的な給電や蓄電方式についての研究は欠かせない、ということになろう。発電による収益が自衛隊自身の費用をカバーするのにも役立つので、自力開発を進めるべきである。


最初はどれほど不格好であろうとも、まずは独自開発・生産ができない限り、何も始まらない。日本製の自動車やオートバイだって、最初は笑われていたじゃないか。技術は磨くしかないのである。


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ロシアW杯 最終予選~豪州戦

2017年09月01日 10時16分41秒 | いいことないかな
まずは、出場決定、おめでとうございます。

選手、監督、コーチ陣をはじめ、協会幹部等の方々、また全国サッカーファンやサポーターの方々には感謝とお祝いを述べたいです。ありがとうございます。


出場権を得られなければ、何も始まらない、ということで、大変厳しい状況の中をよく勝ち抜いてくれたと思います。


これまでの予選は全試合を見てきましたが、今回の試合がベストゲームと思います。この大事な大一番で、最も良い仕事を成し遂げてもらったことに、驚きと感謝しかありません。


勝因はいくつかあると思いますが、最大はやはり事前準備、これに尽きるかと思います。
ハリルホジッチ監督やコーチ陣のチームスタッフの総力が現れていたと思います。


豪州の良さを出させないよう、チーム戦術を徹底していたこと、これが勝利を招きました。
相手にボールを持たせてもよい(ボール奪取・キープ力では個々で見れば豪州は手強いのでボールを支配されるのは仕方ない)ので、高い位置からプレスをかけ続けること、最終ラインを高く保つこと、というのが、まずまずうまく機能したと思います。


ただ、これは前線の選手の走力が必要で、攻撃陣には負担が重くなります。
局所的に見れば、1対1だと相手に突破されることが予想され、どうしても数で対抗しなければならないという面があるので、前線の選手が中盤のサポートに駆け付けることが求められます。それはかなりの運動量を要求されることになります。


で、孤立してもボールキープ力の高い大迫をトップに置き、これがうまく機能しました。
次列には、小兵ながら運動量と守備的しぶとさや走力のある浅野、乾、そして意表をつく采配の井手口が起用されました。積極的に動き回る彼らのお陰で、守備陣はかなり助けられました。数的優位を局所的に生み出せることで、相手の突破をかなり封じ込め、中盤の比較的高い位置でのボール奪取からの攻撃転換を早くでき、相手DF陣に楽をさせず苦労を強いることに成功しました。


相手にとって、守備に忙しくなると、中々攻撃参加は難しくなりますし、慎重にバックでパスを回さざるを得ないというシーンは増えます。


こうして、パスは回ってるが、シュートが遠い、という豪州の苦戦を演出することができました。
ゼロ封ができたのは、こうした戦術面でのチーム内の意思統一ができていたからではないかな、と思います。あと、エリア内では無駄に慌てて突っ掛けない、といった落ち着いて行動するよう努めていたと思います。


とは言うものの、結構危ない場面はあったし、拙攻に助けられたという面もあったんですが。酒井が相手選手ともつれて倒れた決定的場面で、マヤだったかが高いボールにケーヒルと競った時、あれは過去の日本だったらゴールに叩き込まれていたかもしれないが、今回は幸運の女神が味方してくれたようです。


それと、マヤと言えば、ゴールポストに跳ね返った、あのボールも、内側にこぼれていたらアウトだった。
マヤの「伝説の左足」によって、シュートコースが絶妙に変わるという「オウンゴール・アゲイン」になっていたら、豪州先制点となってどんな展開になっていたことか。背筋が凍ったよ(笑)。あれが入ってたら、どうなっていたことか……


浅野の先制の場面、長友がいつもなら左足で上げるところ、リズムをずらして右足でセンタリング!
豪州DFは、ラインを上げた直後で長友の方を一斉に見ていた瞬間で、まさに「虚」をつく一撃となった。

しかも、浅野は一度守備ラインより手前に戻って、「きっと来る」という呼吸でタメていたのでオフサイドギリギリで飛び込むことができた。

なので、完璧に「逆を衝かれる」形となった豪州DFは、誰一人動けなかった。ラインを上げる動作がなく止まっていたなら、まだ浅野の飛び出しについて行けたかもしれないが、前に動いたその瞬間だったので、完全フリーとなってしまったんだ。

ホント、攻撃の瞬間とか、人間の動作の瞬間って、全員が呼吸が一致するみたいな、動作が揃うとか、そういう「虚を衝く」ってことがあるもんなんだな、と感心したよ。


後半の追加点は、前線のプレスをやめずに継続していたので、原口がボール奪取に絡んでこぼれたところを、同じく後方でカバーしてた井手口が拾ってドリブル。
これまでなら深く入って折り返しを狙っていたことが多かった(乾の動きは主にそうだった)のだが、相手DFが3人待っているセンター方向に進んで、シュートというのが、これまたキーパーの予想に反していたので、手がわずかに届かなかった(当ててはいたが)。


恐らく、キーパーからはシュート動作が味方DFの陰に隠れてて見えなかったものと思う。まさにスクリーンシュート風に蹴られたのだろう。井手口のシュート動作は無駄がなく、小さく蹴り出していたので、大柄なDFが3人も固まっていたので見えなくとも仕方がない。

何より、走りつつの井手口のシュートコースが、ズバリのボールコントロールだったので、キーパーは手にかするのが精一杯で弾くことができなかった(もしもシュート動作が見えていたなら、弾くことができたかもしれない)。

兎に角、3人に阻まれた(別の一人は並走)状況で、冷静にあの瞬間・コースにシュートを選択できたという判断力を褒めるしかない。見事なゴールだった。


他の試合も含めて、チームの総合力で勝ってきたのは間違いなく、この試合の勝ち点3は他の試合でも同じ重みではあったから。
それぞれが持ち味を発揮して、考えたり理解をしながら戦うというのが大事なのだな、と思ったよ。


この試合を録画しておけばよかった。

正直に言うと、多分「よくて引き分けかな」とか思ってたので(イラク戦の引き分けがあまりに残念な試合だったので、笑)、まさかのベストゲームが来るとは思ってなくて、すまんかった。


こんな素晴らしい試合運びを見せてくれて、本当にありがとうございました。


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『シン・ゴジラ』私的鑑賞概説~2

2017年08月26日 09時17分53秒 | 俺のそれ
(昨日の続きです)


ゴジラが鎌倉から上陸後、多摩川でこれを阻止する作戦―「タバ作戦」が決行されたわけだが、これは福島原発でいえば12日の「1号機のベント」作戦(+電源車到着後の電源繋ぎ込み)だろう。


総理の「命令」があり実行したので、同じである。『シン・ゴジラ』においても作戦失敗となったように、1号機は水素爆発してしまい「1号機のベント」作戦は失敗に終わったのだ。作業員(自衛隊員)たちの現地から退避を余儀なくされたのも同じ。


ゴジラが自衛隊を退け、米軍のB2を落とし、街を破壊したわけだが、多分あれが1号機水素爆発ということであろう。
12日の爆発後、3号機爆発の15日まで少し時間が空いていたのと、ゴジラが一旦活動停止になりしばし小康状態になったのは似ている。
ゴジラの進撃に伴い、電力が切れて街がブラックアウトしてくゆシーンは、輪番(計画)停電における都内の夜景と同じだった。


「ヤシオリ作戦」の実行過程は、2号機・3号機の冷却を継続し、1号機と4号機の使用済み核燃料プールを含めて冷却をするという過程そのものであったろう。

1号機爆発後の高放射線量地域において、作戦遂行に参加するというのは、ゴジラの攻撃による汚染そのもの、ということだ。ホイールローダーで瓦礫排除+ポンプ車で冷却というのも、原発事故の時と同じ。


ゴジラに凝固液投入をするも、第一小隊が全滅したわけだが、あれは3号機爆発の経過ということだろう。福島原発では13日以降であっても少しは冷却を実行できていた(1号機には海水注入が、2・3号機はRCICやHPCIが稼働していた)が、「再びゴジラが暴れ出す」=3号機爆発という状況になった。放射性物質は降り注いだが、ここで諦めるわけにはいかない、ということで、そのまま作業を続行した(現実には、自衛隊のチヌークが水をかけに行き、現地に残った作業員たちと共に陸自やレスキュー隊や機動隊にも放水決死隊の出動が命ぜられた)。


福島原発のとりあえずの冷却体制が実現できたということで収束をみたのと、ゴジラの活動停止は等しく描かれたわけである。
実施されたゴジラを倒すそれぞれの方法は、現時点の人類が可能なことの集大成だった。「現実対虚構」の意味とは、そういう点にもあるだろう。


また、映画中には、字幕で人物名や装備名などがいちいち表示されるわけだが、これは「全てに名がある」ということを示している。


先に挙げた12年7月の記事で書いたが、「名もなき英雄たち」は、現実にはぞれぞれに名があるのは当たり前で、単に国民は誰も彼らのことを殆ど知ることがない、というだけである。東電の吉田所長とか東京都のレスキュー隊長は、記者会見等で名前も存在も知られたが、その他大勢の方々については知られることがなかったわけである。


けれども、福島原発事故に関わった全ての人々には、名前や所属や何らかの属性があった、普通の人々のはずなんだ。一人ひとりの名は、確かにあるんだということ。


事故を収束に向かわせたのは、現場力であり大勢の技術者たちの技術力なんだ、と。

12年12月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/b098d5bb95aae35232fccada6363e61d


また、任務を遂行したのは、死をも覚悟した人々であり、気合いなくしては日本を救うことなどできなかったであろう、と。

14年6月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/6c0aaf17dd49c566ade7f39a6044a797




『シン・ゴジラ』が意識的に「特定の人々」に向けて作られたであろうと思うのは、いわゆる「オタク」向けという印象を受けるからだ。これは、悪い意味ではなく、むしろ敬意を払っているとか、感謝に値するということである。


「オタク」という名称が定着するのは、「タク八郎」のような人が登場するようになって以降かもしれないが(個人の感想です)、存在自体はずっと以前からあったわけである(そして、その存在はどちらかと言えば、薄気味悪く気持悪い変人、的な捉え方だった)。

特に、特撮マニアというジャンルはアニメ時代が来るより古くからあり、ゴジラシリーズのマニア(今ではオタというかもしれない)とか、仮面ライダーシリーズの人とか、ウルトラマン系の人とか、割と細かく区分されていたのではないかな。少年とかの子供なら分かるが、いい歳をした大の大人が「ウルトラマンかよ」的なネガティブな見方が一般的だったように思う。


ビデオのない時代で、再上映とかくらいしか情報入手手段がなく、それでも古い雑誌等文献(笑、と呼ぶのが相応しいか別として)を漁ったり、互いの知識を交換したりして、更なる専門知識を深めるとか、マニア同士しか通じない話が沢山あったものと思う。誰よりも何でも知っている人は、「神」として仲間内で崇められていたことだろう。
(そういうのは、多分映画でも同じで、寅さんシリーズのマニアとかは普通の人が全然知らないことでも色々と知っている、みたいなものです)


オタクが社会で認知されるより以前から存在してきたマニア諸君、そういう人々への敬意が、『シン・ゴジラ』には盛り込まれているということだ。

分野では、
・怪獣ゴジラオタク
・鉄道オタク
・アニメオタク
・エヴァンゲリヲンオタク
・ミリタリーオタク
といった具合である。


鉄オタは、ゴジラにやられてしまう路線・電車とか、ヤシオリ作戦での電車攻撃の大活躍ぶりとか、狂喜乱舞だったのでは?
自衛隊の装備とか攻撃とかも、ミリオタの心を刺戟するものだったのでは。


それに、音楽の使い方が大変上手くできており、エヴァンゲリヲンを彷彿とさせるシーンもそれなりに入れていた(例えば、複合機をズラリと並べる、ラップトップや無線機を並べるといった、斉一性を示すシーン)。ヤシマ作戦になぞらえたかのような「ヤシオリ作戦」。くすぐってくれるじゃないか、と。

初代ゴジラへのリスペクトは、音楽に最大限に表現されていたように思う。お約束の「銀座和光ビルを破壊」もそうか。
何より、映像・表現したいシーンと素晴らしいマッチング(元ネタ映像との対比)で、オタク心に響いたのではなかろうかと。


『巨神兵の「なぎ払え!」』(ゴジラの放射線流攻撃)を見せたのも、オタクへの敬意であろう。80年代のアニメ復活を支えたナウシカ、数年前の庵野監督の特撮「巨神兵」などを見たことがあれば、ああそうだなって思うだろうから。



ネットが発達して、情報や知識入手は昔に比べて簡単になったし、DVDもあるから作品を何度も観返してみることもできるようになったし、作品を理解するのは便利・容易になったと思う。


昔のマニアの人達は、もの凄い努力、苦労、労力を払っていたのだな、と思う。だからこそ、その集中力は、凄かったんだなと思う。上映1回で、かなりの情報収集をしなけりゃならないし、記憶せねばならんので。
そうか、集中し過ぎて興奮気味なので、封切り後の映画館では、鼻息とかが「くふー、ふしゅるー」ってなってて、余計に気味悪い人物にしか見えないものね。独りでブツブツと小声で何か言ってたりとか。
専門分野(自分の好き・得意なマニア領域)について質問されたりすると興奮してしまうので、喋る前の呼吸が深くて荒く、早口になりがち(しかも嬉しさのあまり何処となく勝ち誇った感じ)なので、一層気持ち悪く見えてしまうのかも。


話が逸れたが、昔の「不遇のオタク」時代からすれば、今は随分とオタクへの抵抗感は薄れたし、ネガティブな評価も減ったし、女子にさえ浸透するようになったし、時代は変わったなと思う。
私は、ずっとオタクとは無関係であり、何かのマニアでもなかったので、そういう世界はあまり知りませんが、一部に垣間見ることはあったような気がする。


『シン・ゴジラ』は、過去から連綿と続いてきたオタクたちを肯定する作品として、生み出されたのかもしれない。


それと、ゴジラが破壊するのは東京なのだが、高放射線量地域とされたのが、日本の中枢たるこれぞニッポンという、千代田区界隈(映画中だと国会議事堂、霞が関、銀座、赤坂など)で、そこが焼き尽くされたというのは権威の象徴をぶちのめす描写=神罰というか地獄の業火、みたいなものということです。
政官財の権威中枢に対する異議の暗喩、とでもみるのでしょうか。


ちょっと難点というか、気になった点も書いておこう。
凝固剤の投与だが、あれはまるでカラ井戸にジャアジャアと流し込むように入れるだけで、それが血中(体液中)に吸収されるであろうという決め付けには疑問の余地がある。経口投与というのにどれくらい効果があるか、ということである。

恐らく「核兵器や海洋投棄された放射性物質」の残骸等を「食べた」と思しき形跡から、「経口摂取は可能」という判断だったものと思うが、「何かを食った」というのと「液体をゴクゴク飲む」というのは、違いがあると思う。

ゴジラ転倒後、口に流し込んだとて、それが人間で言う「嚥下」されるかどうかは、判断が難しいのでは?
もっと問題になるのは、第一小隊による投与後に動きが鈍ってから、もっと「凝固させよう」ということなら、嚥下行為そのものが停止されるのでは、と不安に思うのでは?

けれども、口にジャンジャン流し込んだら全量吸収されてしまい、それが体液中に溶け込んでゴジラの冷温停止となる、というのは、こちらにとって都合のよい解釈ではある。人間だって、気絶してて倒れている人に、口から水でも輸液でも流し込んだとしても、零れるばかりで殆ど入っていかないよね。粘膜からの吸収があるとて、流し込み速度と量からすれば比べ物にはならない。もっと違う投与経路か効果発現を考えるべきだったが、福島原発事故での「ポンプ車と注水」という舞台装置(制約・条件)の必要性からこうなった、という事情も分からないではない。



本作は、ゴジラ映画という「壮大な虚構」なのだけれども、まるで本物のように描き切るという挑戦(実験的?)があったわけだ。
ゴジラ退治の手段が「現実(人間の力)」という以外にも、『シン・ゴジラ』という映画(=虚構)と現実世界の本物との比較(リアリティ追求の対決)という面もあるかもしれない。


海外の人からすると、この映画のよい所は、日本人的な面を知るには良い教材になり得る、ということかもしれない。予備知識なしで、この映画を楽しめるかというと外国人には結構難しいかも。ああ、日本人でも子供とかはちょっと良く分からない部分はあっても、気にしなければ普通の娯楽映画として楽しめないわけではないか。


観る人によって、様々な解釈が出てくるというのが本作の魅力だろう。
もっと繰り返し鑑賞してみると、見落としてたり気付いてない部分とか、まだまだ出てくると思うので、『シン・ゴジラ』オタクには話の種が尽きない映画なんだろう。


種々の解説なり評価論が出されるなら、そのこと自体に大きな価値があるという素晴らしい映画なのだ。


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