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加計学園の獣医学部設置に関する問題~暴走する安倍と取り巻き官僚たち(追記後)

2017年05月21日 07時14分12秒 | 政治って?
森友学園問題に続いて、本件が話題に上っている。安倍総理の問題として取り上げられているが、ネット上で散見される意見には、ずっと以前から提案されていたものなので何ら問題ない、というものがあるようだ。

一見すると、そうかもしれない。
が、それは「今回に限った話ではない」ということの裏返しなのかもしれない(笑)。


まず、今治市の提案は、平成19(2007)年10月の「構造改革特区」第12次提案に遡る。

>http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kouzou2/jyoukyou/2007/12/pdf/21_1/mext2.pdf


これ以後、今治市は毎年のように提案を繰り返してきたようであるが、その努力の甲斐も虚しく採択されずに終わったということである。

理由としては、獣医師の需給、全国的な観点から必要性に乏しい、などといったことである。これは、文科省単独の意見に留まらず、農水省や業界団体である獣医師会のヒアリング等も踏まえたものであり、新たな学部設置の意義は見出せない、ということである。


今治市の大学を誘致したいという気持ちは分からないではないが、慎重な議論が必要であり、一自治体の為にやるべき制度変更なのかどうかは、十分に検討する必要がある。


07年の提案当時は自民党政権下であり、07年9月に安倍総理が電撃辞任した記憶は未だ新しいであろう(個人の感想です、笑)。
そうすると、今治市+加計学園のコンビが07年10~11月の第12次に提案するには、それ以前に準備期間が必要だったはずで、恐らくは安倍総理時代に資料が作成されていたであろう、と推測されるのである。


残念なことに、安倍総理の任期中には間に合わなかったのである。
今治市は提案を諦めていなかったので、その後も継続してはみたものの、福田、麻生の自民党時代はもとより、民主党政権になってからも採択されることはなかったのである。


その理由は比較的単純であろう。
社会全体として、獣医師不足が社会問題化していたりはしない、ということである。現状で特に困っておらず、政策対応が必要と認識されないのであれば、法制度を変更してまで取り組むべき課題であるとは判断されてこなかった、ということである。

獣医学部新設の発端は、恐らく第一次安倍政権時代である

(安倍総理のご威光を当てにしていたか否かは、分からない)


さて、月日は過ぎて、10年後の2017年。加計学園と今治市にとっては、まさしく「失われた10年」だったことだろう。

安倍政権が構造改革特区を廃して、新たに国家戦略特区なるものに衣替えしたわけである。特区の基本的な構想はほぼ同じだが、これと並行して、例の「産業競争力会議」(笑)で日本再興戦略なるものを考えたわけである。三木谷とかが入ってたやつね。

そこに次のような事項が書き込まれたのだ。

>http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/hiroshimaken_imabarishi/imabari/dai1_sankou2.pdf


⑭獣医師養成系大学・学部の新設に関する検討

・現在の提案主体による既存の獣医師養成でない構想が具体化し、ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要が明らかになり、かつ、既存の大学・学部では対応が困難な場合には、近年の獣医師の需要の動向も考慮しつつ、全国的見地から本年度内に検討を行う。



2015年6月30日 閣議決定となったものである。これを根拠として、特区に採択というのが進められたわけである。


>http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/menu.html

この「教育」の項に図がありますが、先の「日本再興戦略2015」に書き込んだ、そして、それを具体化すべく「国家戦略特別区域諮問会議」で一校に限り特例措置を認めたということである。

国家戦略特区における追加の規制改革事項について(平成28年11月9日国家戦略特別区域諮問会議決定)」に従い、獣医師が新たに取り組むべき分野における具体的需要に対応するための獣医学部を、一校に限り特例的に設置認可の対象と出来る。』

これにより、今年1月に告示が出され、元からの提案主体であるところの加計学園が採用されるに至ったわけである。


こうした過程をもって、「手続的には何ら問題ない」「区域諮問会議が決めたんだ、安倍じゃない」、という主張は可能という見方はできよう。


拙ブログでは、本件は問題があると考えているが、その理由について述べる。


ア)過去の政府(行政庁)見解との整合性

幾度も提案してきたにも関わらず採択されなかったのには、相応の理由があったからであり、その理由を覆せる根拠なり新たな論点提示なりが行われない限り、「変更理由」というのは明らかではないわけである。何故、過去には認められてこなかったものを今は認めるのか、ということの説明義務は決定側にある。

安倍政権は、戦争法案の審議の際において、種々の政府見解や解釈を全く無視して、「過去のことはなかったことにする」かのような傾向が顕著だったわけである。憲法解釈でもそうだった、ということ。普通の、常識的な人間であれば、何等かの理由を提示するものと思うが、そういった説明がまるでなされずに、「変更するから、変更するんだ」というような、全く何の意味もないような繰り言を言うかのようである。

今回の特区の採択についても、「総理が望んでおられる」との理由で実施されたわけであるから、「変更するから、変更するんだ」の域を出ないものであろう。総理の「僕がしたいからするんだ」で、行政庁の見解なりがいとも簡単に覆ってしまえば、行政は著しく不安定になるとしか思われない。


イ)一自治体の過疎・少子化対策や産業振興策として大学教育を利用すべきか

今治市の説明資料等を読むと、どうも大学設置の目的がどちらかと言えば「産業政策」的発想なのではないか、という印象を受けるわけである。

また例で申し訳ないが、これが獣医学部設置ではなく、高速道路だったり、レジャーランドだったり、ハコモノだったら、どうなのか?
国の予算が投入されず、自治体独自の事業であって、環境省の同意か承認が必要な事業、のようなものの場合、国が「いいよ」と言えば実施できることにはなる。けれども、その事業の将来性や必要性が乏しいものであれば、「いいよ」と言わない方がよいのでは?

過疎地に「今度、大学を作ってくれ、無理なら専門学校を誘致してくれ」って要望が全国各地から出たら、設置するのか?、という話にもなってこよう。
何故「今治市だけが特別扱いされねばならないのか」が、全くの不明である。


ウ)国家戦略特区の意味とは?

原則として、特区で「お試し」で実施してみて、それで問題がないか、うまくいくか、そういうのを見た結果として、全国的にやっても大丈夫だな、というようなことを目指しているものでは?
終局的には、全国的に実施すること、すなわち法制度の改正ということであろう。全国的な施策として認めるようにすることであるので、一自治体に限っての特例というのは、本来趣旨から逸脱しているのではないか。

全国展開してみて大失敗だったものとして、法科大学院がある。あちこちにできてはみたものの、法学教育の質は果たして向上したのか、法曹を増やした結果はどうなったのか、よく考えてみるとよい。競争原理に任せた方がよいかどうか、検討が必要ではないか。多くの国民がそれを望むなら、まあ実施もやむを得ないかもしれないが。


エ)採択理由は明確にされたのか

少し話を戻すが、2015年6月閣議決定の「日本再興戦略」は獣医学部新設により日本の地方再生に資するという立場なのである。

そこで記述された条件は、

・現在の提案主体
・既存の獣医師養成でない構想
・ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野
・既存の大学・学部では対応が困難

であった。
満たされているのは「現在の提案主体」=加計学園+今治市だけであり、他3点は不明である(現在の提案主体、の記述からすると、他の候補が手を挙げても採用するつもりがない、ということの表明であろう?)。

まず、「既存の獣医師養成ではないこと」と「既存の獣医学部では困難」なことを立論できていなければならない。既存との違いが明確にできるはずでしょう。

獣医師にしかできない「ライフサイエンス分野」で、既存獣医学部とは異なった養成方法というのが一体何なのか知りたい。
そして、卒業生は四国で就業、と?

既存の教育制度を経た獣医師たちと異なり、一般的な獣医師ではない新たな業務(=ライフサイエンス分野)を担う獣医師って、どこで就職(従事)するのだろうか?


口で言うのは容易い。



以上、疑問点等について述べたが、日本再興戦略に書き込まれて以降、「設置ありき」で進められていったものと思える。1月告示で、僅か2週間程度では、「獣医師にしかできないライフサイエンス分野」の構想だのを、実現できる学校なんてそうそう出てくるもんじゃない(笑)。

それほどの新規性の高い教育を、「誰が担えるのか」というのが最も気になる所である。既存の大学では、不可能な教育らしいので。是非、その内容について開示願いたい。


参考までに、加計学園理事長のご子息に、獣医師免許をお持ちの方がおられるやに聞き及んでおりますが、そうすると、もしも獣医学部が設置できれば、専門性を活かせる道ということで「渡りに船」とはこのことかな、と思わないでもない。


安倍政権は、過去との分断を掲げる政府であり、「全部ひっくり返す、なかったことにしたい」という態度・考えがうかがわれ、憲法議論においても、何の断りもなく「これまでの政府見解は覆すことにする」と宣言して終わる、みたいなものである。


そういう点からすると、革命的政権である、ということなのかもしれない。昨日言ったことも覆す、そういうタイプなのである。どこにも、まともな理屈もなけりゃ、説明もない。繰り返すのは、「何ら問題ない」という答弁だけである。
これを暴走政権、それとも独裁的政権と呼んだとしても、不思議でも何でもない。
10年越しの、前回は果たせなかった夢を、今は、安倍独裁の象徴として、実現できるところまで漕ぎ着けたのだ、ということだな。


ちょっと追加です。
国家戦略特区の区域諮問会議の議事を少し読んでみましたよ。
(どうせつまらんものだろうと思って、これまで全然目を通してこなかったんだが、それが失敗だったのかもしれん。マスコミとか政策関連の人たちとかも、全然監視の役に立ってないのかな。どうして人手の多い組織が読まないんだろうか?)

・H28年10月4日

>http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/dai24/sankou2.pdf

ここでは、今治市のプランが出ているが、獣医学部設置の話はない。議事要旨にも、取り上げられた形跡はなかった。

ところが、翌月の会議の席上では唐突に出てくるのだった。


・H28年11月9日

>http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/dai25/shiryou3.pdf

この案で、『現在、広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り獣医学部の新設を可能とするための関係制度の改正を、直ちに行う。』


  同議事要旨

>http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/dai25/gijiyoushi.pdf


ここでは、農水、文科大臣を臨時に呼んで、言質をとることにしたものである。すなわち、両省はどうですか、と総理のご意向につきご下問し、意見があれば言ってみよ、と。

山本農水大臣は、早い話がイエスマンよろしく、農水省としては歓迎します的な発言だけで終わった。
一方、文科省の松野大臣は、若干の抵抗感を滲ませるも、

『文部科学省におきましては、設置認可申請については、大学設置認可にかかわる基準に基づき、適切に審査を行ってまいる考えであります』

と言うのが精一杯で、ノーとは表明できなかったのである。これにより、もう決定事項となった、という形式にされてしまったのである。それが直ちに改正をする、という官邸・内閣府の姿勢が優勢となり、1月告示へと繋がったものであろう。文科省内部では、抵抗があったものと推測され、それは事務次官辞任劇といった「不祥事で粛清」という形で表面化したものと推測される。


つまり、前後の脈絡がない状況で、11月の会議直前に官邸サイドが「強硬にねじ込んできた」議題が、今治市の獣医学部新設に伴う特区だったということだ。

一方、懸念を述べたのは、麻生太郎ただ一人であり、表面上は賛同を示しつつも、法科大学院みたいに失敗したら「誰が責任を取るんだ」と。
(その時点では、内心では「あんたは、総理の座を退いた後だろう?責任取れるんかいな」と思ったに違いない)


麻生大臣は、以前の自民党内の議論も熟知していたし、獣医師会の意向も尊重していたろうから、釘を刺したものと思われた。

これらをすべて跳ね除けて、実現させたのが、安倍総理だったということである。特区を所管する内閣府が手柄を挙げるべくお膳立てをしたのかもしれないし、官邸サイドから「(いつどうなるか分からないから=以前みたいに電撃辞任のような失脚もあるかもしれない、ので、)やれるうちに、全部やっとけ、ドサクサ紛れで今なら何だってできる」ということで、決定されてしまったのかもしれない。


これは、普通の国ではありませんよ。縁故知人の為に優遇措置をするという、独裁国家と何ら変わらない。


※※22日追記:

11月9日の議事要旨には、八田達夫議員(阪大教授)の以下の発言があった。

その一方、過去50年間、獣医学部は新設されなかった。その理由は、先ほど文科大臣のお話にもありましたように、大学設置指針というものがあるのですが、獣医学部は大学設置指針の審査対象から外すと今まで告示でなっていた。それを先ほど文科大臣がおっしゃったように、この件については、今度はちゃんと告示で対象にしようということになったので、改正ができるようになった


松野文科大臣の発言内容は、上に引用した通りのことしか記載されていなかったのだが、これはどういうことなのか?
告示のことも、その改正も何ら表明されていない。
この重要な発言部分が、何かの理由で、削除されたのか?
それとも、八田達夫議員は文科大臣の直接語っていない部分を「告示で対象にしようということになったので改正できる」と自分勝手にまとめを言ったのか?所管大臣でもないのに?

それは、事務方の振り付け要望に従って、そういうまとめを発言したのだろうか?
或は、本当は、文科大臣が告示のことも、これを改正して設置対象とすることも、会議の席上で説明なり発言をしていたものなのか?もしそうなら、どうして大臣の発言内容を正確に議事要旨に反映しないのか?
告示変更の話を、どうして文科大臣も農水大臣も一言も言っていないのだ?


こうした、インチキ臭い手法が、政権への疑惑なり不信感を増幅させているのだよ。



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最低賃金に関する議論~6 大竹文雄阪大教授の空疎な議論

2017年04月25日 20時20分26秒 | 経済関連
上限金利規制の時にも、大竹先生のご意見には、疑問点が尽きなかったわけだが。
最低賃金についても、やはり同様であり、この人は基本的にデータを見て考える、ということがないのだろうか?


>http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/13j014.pdf


中身はお読み下さればと思いますが、海外の実証分析に関する論文については、非常に参考になります。これは素直に、勉強になり、有難うございます。ですが、では、実際に、日本での現象面ではどうなのかな、という点について、何らの有益な考察というものがないわけです。まさに、机上の空論的な、中身のない論が提示されているわけです。


ええ、ええ、分かりますよ、経済学ですよね、経済学。
経済学の基本的な思考パターンを知るにはいいのかもしれませんが、研究をするべき経済学の人があまりに貧弱であり、何も分からないに等しいでしょうね。いつまで、こういう「経済学の屁理屈」を振り回すだけのレベルに甘んじる積りなのでしょう?


多くの国民にとって、求めているのは現実の処方箋であり、それは政策レベルに乗せるものでしょう。こんな現実の議論に耐えられない論を提示して満足しているだけの経済学研究とは、一体何なのでしょう?


何と言うか、バカバカしいと言いたくなる気分です。最低賃金を引き上げると、雇用が失われる、と。その論はどの程度正しいのか、自覚したことがあるのでしょうか?

ならば、実証分析でもやって、もっと有効な政策論を出せばよいのでは?
それすらもできない、というのに、主張している自説の正しささえも、満足に示せてないのでは?


これが、日本の経済学の第一人者とか、経済学の最前線?とかなのでしょうか。


まず、日本の最低賃金は、長期的かつ持続的に引き上げられてきました。ならば、経済学者は「低賃金層の雇用が失われたんだ」と主張するんでしょうかね?それなら、最低賃金付近の労働者数は激減したのではないですか?


>http://www.fukuho-tokyo.jp/bt/updata/bt_20150729151219.pdf

東京都を例に見れば、03年の708円から、うなぎ上りに上がったんじゃありませんか?
最近だと、15年は907円、16年には932円と引き上げられてますが?

932円なら、03年の約31.6%増となりますね。すると、経済学者の弁を借りれば、雇用が失われるんだと。本当ですか?

常識すらないのでしょうか?
所謂、パートやアルバイトなどの非正規雇用者数は、増加の一途だったのではありませんか?(派遣、契約、嘱託も含むが)

正規雇用の人たちは、大抵の場合、最低賃金よりも高い水準のことが多いでしょう。なら、最低賃金が適用されがちなのは、まさしくこれらの非正規雇用者たちなのでは?


>http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11650000-Shokugyouanteikyokuhakenyukiroudoutaisakubu/0000120286.pdf

非正規雇用は、この資料によれば、04年の1564万人から、2016年の2016万人に大幅に増加してますね。年号と同じですね、偶然。憶えやすいかも。
大竹教授は、長期変化を見るのが大事だ、と言っていたわけですが、03年から論説を書いた13年まで見たって同じ傾向であることは、簡単に分かるでしょう。それを確認することも、自分のお説が妥当なのかどうかを検討することさえも、できないのでしょうか。

話を戻しますが、04年から16年では452万人増加しているわけです。パートやアルバイトの比率が年毎には分からないですが、直近の昨年だとパート984万人、アルバイト414万人で合計1398万人で非正規雇用の約7割です。907円から932円と大幅に引き上げられたにも関わらず、前年よりパート、アルバイトは32万人も増加しているわけです。

この長期トレンドはほぼ変わらないでしょう。パートは増えているということですよ。恐らく、最低賃金に影響されがちな層ということです。


だとすると、最低賃金が持続的に引き上げられてきたのに、パートやアルバイトが激減するかと思いきや、全く逆で連続して増加しているではありませんか。これを、どう説明するのです?大竹教授は。


新卒採用でも似てますね。
賃金が増加したからといって、雇用者数が減らされるというわけでもありますまい。


全体調査ではないですが、民間求人の動向がわかります
  >http://www.works-i.com/pdf/160421_kyuujin.pdf


例えば、安倍政権後の求人倍率は回復してますが、初任給は上がってますね。それより、少し前のグラフとかも。

>http://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/16/dl/02.pdf
>http://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/12/01.html


これらデータから窺われることは、大竹教授の主張がどれほど正しいのか、かえって、かなり疑問である、ということです。


日本の経済学というのは、基本的に「よく考えてみる」ということがないのでしょうか?


拙ブログの想定する理由というのは、違ったものですね。

正規雇用が減って、非正規雇用を増やす、というのは、企業行動としては、「経費負担を減らす」と考えれば妥当なものです。人件費は、社会保障負担や退職金・企業年金も含めて考えると、正規雇用というのはかなりの大きな負担となるでしょう。しかも、政策的に、厚生年金の料率引き上げや健康保険も同じく料率(健保組合負担)引き上げが行われたきたわけですから、それをできるだけ回避したいということです。

よって、非正規雇用の増加は、正規雇用者の代替という部分が大きかったものと思います。だからといって、最低賃金が上がるので雇用量を減らす、という動機に必ずしも結び付かないのではないかと思えます。

影響を受けやすいと想定されるのは、、零細でどうにかやっている会社とか個人経営でバイトを少し置いてるような店とかではないかと思いますが、その程度の賃金増加に耐えられないなら、退出するのもやむを得ないのではないかと。倒産理由で、人件費増加を挙げている例はそう多くはなかったと思います。勿論、経費増加のうち人件費は小さくはないですが、基本的には売上減少(=市場の需要不足)、みたいなものが多かったのではないかと。売上が大幅に落ち込むから、人件費が払えなくなり、その他費用も払えず廃業に至る、ということで、人件費高騰のせいで、同じだけ売上があったのに経営が立ちゆかなくなる、というケースは割と少ないのでは。


最低賃金の引き上げはあったものの、社会全体で見れば、失われた「企業負担」(例えば支給する賃金と社会保障負担分)はずっと大きく、引き上げ効果よりも、喪失の影響度の方が大きかったかもしれない、ということです。生涯賃金の差、とか言われてたと思いますが、そういう違い、ということであり、それは最低賃金引き上げくらいでは、到底埋め合わせることができない程の開き、という意味です。


これで、最低賃金の引き上げさえなかったら、弱い立場の労働者がかなり不利に追い込まれていたはずで、経済学者の言う「机上の経済学理論」での損失云々のレベルではないと思いますね。


参考までに、日本の物価水準を理解する上で、役に立つかも。ビッグマック指数。
>http://ecodb.net/ranking/bigmac_index.html


為替水準云々ではなく、日本が、韓国やタイよりも下位に位置しているんだ、ということは、とても参考になる、という意味です。


日本の経済学がダメな理由、それは、満足に検討もできず、自力で自分の主張が妥当かどうかさえ考える能力を欠いているから、ではないでしょうか?


そうではない、というなら、経済学の理屈の上で、答えを出すよう努力すべきですね。何の為の学問なのでしょう?


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若田部昌澄早大教授のご著書の題名『Japan's Great Stagnation 』を知る

2017年04月18日 12時47分33秒 | 俺のそれ
さっき、偶然発見したわ。


若田部教授に対しては、過去に批判的に書いたことがあるよ。

2012年10月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/07c12c522a2112dd3ba6d68496533039


それとは関係ないけど、偶然知ったのが、こちら。

>https://www.amazon.co.jp/gp/product/B01FYBM0OI?ie=UTF8&camp=1207&creative=8411&creativeASIN=B01FYBM0OI&linkCode=shr&tag=shinchangwebl-22&

タイトルが、『Japan's Great Stagnation and Abenomics: Lessons for the World』だそうで。


過去に、大恐慌の「Great Depression」とか、リーマンショック後の「Great Resession」と言われてたのは、知っていたが、今回のは初めて見た。


「Great Stagnation」って、どういう用いられ方をしていたのか知らず、ちょっとググってみたら、出てたわ。

>https://en.wikipedia.org/wiki/The_Great_Stagnation


タイラー・コーエンさんの2011年の著書だそうです。知らんかった。



で、その日本版って意味合いで若田部教授がタイトルに『Japan's Great Stagnation』を充てたものと思う(推測です)。


んー、でもね、拙ブログでは、もっと以前から、それに似た記述を採用していたんですよ(自慢)。09年だから。当時、そういう言い方は殆ど一般的ではなかったと思うよ。拙い英語で、素人考えでもって、適当に考えてつけただけなので(笑)。


09年12月(その1と2があるよ)

>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/5efb0880e5dbaf7018175d129fffb11b

>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/f7113755a30d7bce8fd3613d5c762211



拙ブログでは、「Japan's Stagnation Loop」と呼んでいたものです。だから何、というものでもないんですが。Japan's Stagnationと書いたのは、拙ブログの方が早かったですよ。いえーい



けど、今、もっとググってみたら、全然別方向の著書が出てきたわ。残念。
凡人が思いつく案というのは、やはり既に誰かに発見・発明されているもの、というのが普通なんだね…


>https://mitpress.mit.edu/books/japans-great-stagnation

Michael M. Hutchison さんと、 Frank Westermann さんの本ですと。



ぬか喜びだったわ。オレごとき素人が考えそうなことは、先行されていても当然なんだな。


ところで、若田部教授の本とタイトルが被ってるが、副題が違えばいいってことなのかな?パクリ疑惑を抱かれたりしないの?


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上限金利規制に大反対していた飯田泰之が銀行カードローン破産問題でテレビ出演?

2017年04月17日 21時04分29秒 | 俺のそれ
古い話なので、まあ、大した話ではない(笑)。

経済学教授というだけで、そいつのお説を有難がる社会の悲しさ。

>http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3959/index.html


『ところが現在、問題となっているようなタイプの銀行カードローンというのは、リスクは信用保証会社に、審査も保証会社にということですので、事実上、看板貸しに近いような業態になっている銀行というのも少なくないんですね。
これは、もともとの金融業の仕事ではなくなっています。
その意味で、もう一度リスクを取って、そのリスクを適切に審査するという金融業というのを考え直し、その結果として消費者金融、消費者への融資が中心になるならばそれもよし。
そうでないならば、そうでない貸出先というのを見つけていく必要があると思います。』


人間というのは、実態がバレなければ、過去のことなど、どうでもいいというのはよくあるんですわ。転向でもしたのかと思ったが、よく分からんな。テレビ界で都合よく生き延びるのには、便利な方が得なのさ。それは、経済学の理屈が正しいとか、学問的な見地から正当な意見を言うといったこととは違うんだよ。




06年当時、貸金業の規制問題というのがあった。金融庁側は、上限金利規制案を打ち出していたのだが、これに猛烈に反対していた連中がおったわけだよ。

参考>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/b884a9e86da4545920fc176c5dde59a6


しかも、金融庁の会議に参加していた宇都宮弁護士のことを、経済音痴のバカ呼ばわりしていたのは、リフレ派諸君だったではないか。何だい、もう忘れたのか?


有難い、経済学理論によれば、金利規制は必要なく、青天井でいいんだ、高金利なのは「それでも借りたい人がいるから、何ら問題ないんだ、審査結果が高金利になるだけで、問題ない」みたいに言ってたろ?


で、破産は、失業率ときっちり相関しているんだ、だから、貸出側の問題ではない、「失業率が高い、という経済政策、すなわち金融緩和が足りないせいで破産するんだ、リフレで解決できる」みたいな、ホラも吹いてなかったか?

忘れたのかな?


06年12月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/a968aa2b48347b515242f3104dc5d1c7
(赤字部分は、飯田准教授のコメントである)

ちょっと話題は変わりますが、上記本にも登場していたsvnseedsさんのブログですが、そこでのコメントには「卒論」の話題というのが出ておりました。

svnseeds’ ghoti


脇道な話題ですが,いま4年生で上限金利規制問題で卒論を書いているコがいるんですが,bewaadさんとsvnseedsさんからの引用ばかりです.……そしてそれが適切だから文句も言えない(本や新聞から引用したらそれこそ㌧でもになりかねないですしw).


卒論というのは、論文の一種なのでしょうか?私は一度も書いた経験などないのでよく知らないのですが、「経済学分野」ではブログからの引用もよくて、それを referenceに入れておける、ということなんですか。もしもそうであれば、「へえ~」です。今の指導教官というのは、まず「ググれ」とか(笑)教えるのでしょうか。そういう時代に来たんですかね、遂に。日本の大学教育の、しかも卒論を書く時の引用文献が「ブログ」というのも驚きました。指導教官が「文句も言えない」程、『ダメな議論メソッド』?で有用なものという認定を受けているとは、さぞ正確なのでしょう。


卒論とは「論文」の仲間ではないのかもしれません。単なる卒業文集のようなもので、論文の体裁を持たせる必要性はないのかもしれないですね。であれば、何から引用してもOKだし、そういうレベルのものですか、とは思います。これって初めて知ったので新鮮です。

<寄り道:論文にグラントを書くのが当たり前なんじゃなかろうか、とか、そういうことにさえ頭の回らない経済学信奉者たちが見られた(私だけの特異な経験に過ぎないかもしれませんが)というのも、何となく理解できました。指導教官が指導しないから、ということなのではないかと思えてきました。これも『ダメな議論』の典型で申し訳ないんですけど(笑)。文献を読むことの教育がなされていない為に、トンデモが量産されているんじゃなかろうか、と。指導者が悪けりゃ、教わる学生も推して知るべし、ということですかね。>


で、問題のsvnseedsさんの以前書いておられた上限金利に関する記事について、いくつか疑問点もあるのですが、飯田先生は指導教官としては「文句も言えない」ほどに「妥当である」と考えているということなのでしょう。



======


おいおい、経済学の常識とやらは、どこに行った?
銀行は、まさしくリフレ派連中が主張していたように、金利規制も受けず総量規制対象外だし、君達が望んでいた通りの貸金じゃないか。破産するのは、失業率であって、貸し手側要因ではないと主張していたではないか。


なぜ、今は、経済学の論文なり失業率との相関関係図なりを根拠として、同じ主張をするのを止めたのだね?

何だ、経済学の放棄かね?
それとも、主張そのものが敗北したの?


教授、准教授クラスですら、このザマですが、そのご高説を有難く拝聴させてもらえるとは、何ともまあ気楽な世の中ですわな。卑怯者の方が、圧倒的有利なんですよ、やっぱり(笑)。




18日追記:


ええ、ええ、早大のクレジットサービス研究所と名を変えた後に出ていた堂下先生の論文は、勿論拝読いたしました。
記事にも書きました。ヤミ金被害についての検討も読んだ上で、統計的な見解を述べていますよ。


2012年12月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/8a30dbf0fe59d2a7034e51f93f30360a


「りふれは」にも、反対していた経済学者連中にも共通しているのが、まず基本的な「統計値、数字」をあまり確認しない、ということですわな。しかも、見てるのは自分にとって「都合のよい部分のみ」という傾向があるわけです。簡単に言えば、「結論ありき」のデータしか見ようとはしていないのではないか、ということですわ。

そりゃあ、楽ちんだよね。だって、検討不要で結論だけ決め付けて発言できるから。調べる手間暇を何らかけずに、さも結論が学術的に断言できる、みたいな「学問ごっこ」をやってるわけだから。

ある意味、無能の思考力に乏しい学者連中にとっては、圧倒的多数派になれるから、有利だわな(笑)。だって、データを見て、考えたり、気付けたりする人間が、全然いなくても平気なんだし。専門家として、恥ということすら、持ち合わせていないわけで。


結局は、バカが勝つようにできているんですわ。経済学の大勝利、なんですよ。
バカの利用価値は高い、ということです。マスコミだろうと、行政だろうと、同じ。


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続・福島県の小児甲状腺癌~UNSCEAR2016年白書に関して

2017年04月16日 19時38分49秒 | 社会全般
どうも韓国での甲状腺癌の罹患率が上昇したことを喧伝していたような連中が、例の岡山大の津田et al.(2016)の論文*に対して、「フルボッコで瞬殺」などと貶しているようだ。

>http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1101123


*:Tsuda T, Tokinobu A, Yamamoto E, Suzuki E.. Thyroid cancer detection by ultrasound among residents age 18 year and younger. Epidemiology. 2016;27:316–322


話はそう簡単ではないように思えるが。拙ブログでも、UNSCEAR2016年白書は取り上げたが、あれの内容が何かの伝家の宝刀みたいに、そんなに権威のある記述なり主張が、相応の根拠をもってなされたとは見做せないわけだが。

2017年1月
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/564990d61e1aa351e9d34b383f635b3d


UNSCEAR2016年の日本語版
>http://www.unscear.org/docs/publications/2016/UNSCEAR_WP_2016_JAPANESE.pdf

(このp25のナンバー111の所が、津田論文への批判です)


反論の一つが、タカムラという著者の意見(T6)であった。

>http://journals.lww.com/epidem/Fulltext/2016/05000/Re___Thyroid_Cancer_Among_Young_People_in.31.aspx


We recently conducted thyroid ultrasound screening, using the same procedures as the Fukushima Health Management Survey, in 4,365 children aged 3–18 years from three Japanese prefectures, and confirmed one patient with papillary thyroid cancer (prevalence, 230 per million).2 Furthermore, we recently reviewed findings of thyroid ultrasound screening conducted in Japan.3 In one survey, 9,988 students underwent thyroid screening and four students (including one foreign student) were subsequently diagnosed with thyroid cancer (prevalence, 300 per million). In another study at Okayama University that examined 2,307 students, three patients with thyroid cancer were found (prevalence, 1,300 per million), while at Keio High School, of 2,868 female students examined, one was found to have thyroid cancer (prevalence, 350 per million).


一つは3県(長崎、青森、山梨)検診結果について、である。他に、千葉、岡山大の例、そして、慶応女子高の例、ということらしい。

前にも取り上げたと思うが、ランセットにも同内容の記述が。
・Misrepresented risk of thyroid cancer in Fukushima – Authors' reply
>http://www.thelancet.com/journals/landia/article/PIIS2213-8587(16)30318-7/fulltext



で、元論文となる長崎大学のNagataki, Shigenobuと Takamura, Noboruの論文に千葉、岡山、ケイオウの記載がある。
>http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/35869/1/COEDO21_384.pdf


岡山大の学生の検診結果から3名の甲状腺癌が検出された、ということらしいが、これは津田岡山大教授のお膝元なので、学内で確認してもらいたい。それが記載されたペーパーが発見できなかった(ところで、岡山大の教授を首にするしない騒動ってのがあったやに記憶しているが、そういうのと何か関係が?)。


また、千葉大と慶応女子?高の検診云々は、この論文に記載があった。

>http://www.hcc.keio.ac.jp/japanese/healthcenter/research/bulletin/boh2004/22-19-22.pdf#search='%E6%80%9D%E6%98%A5%E6%9C%9F+%E7%94%B2%E7%8A%B6%E8%85%BA


まず、慶応女子高は当然ながら学生は女子だけであり、男性が含まれない集団である。福島県の例と比較するには注意が必要。また、千葉大の4名のガン患者検出というのも、男女各2名とも20歳以上だった、ということが問題点となる。

なぜなら、第一に甲状腺癌は男女差がかなりはっきりしており、女性に多いこと、また、10代後半から20代前半くらいから甲状腺癌発見例が散発的に見られること、がある。けれども、15歳未満であると、かなり検出例が乏しくなる。

なので、福島県との比較には、年齢階層や性差に注意する必要がある。そういう断りなしに、結論だけを都合よく記載しているUNSCEARの白書というのも、レベルとしてどうなのか、という疑問を生じる。
通常のまともなreviewerなら、参照すべき論文はもっと広範に挙げるであろうし、議論の対象となっている集団が大きく異なるならば、その注意を与えるのが一般的であろう。現に、白書において『彼らの結論は、FHMS の集団検診を受けた人の甲状腺がん発見率と、小児の甲状腺検診結果がほとんど含まれていない日本の他の地域での発見率との比較に基づいていた』と、対象集団が異なることを批判の理由に挙げているのであるから、男性が一人も含まれない女子高の検診結果を「発生率」の比較対象として利用することなど、あってはならないはずの議論だろう(爆)。

仮にそういう特殊な集団であっても比較できるというのは、性差が全くないというような疾病の特徴を備えているというような、条件を有している場合だろう。それならば、男女を問わず、単純な「人数」として見れば済むという話である。

また、韓国の検診で罹患率が増加したことを挙げているわけだが、これも福島県の集団と比較するには不適切であり、韓国の甲状腺ガン検診の主要な対象者が20歳未満といった条件でもあるなら別だが、そうではないにも関わらず、当該論文を挙げている時点でレヴューする論文を間違えたのではないかと思ったのだが。若年層の一般的な罹患率と比較する方が、「主として乳がん検診対象者を多く含む集団の罹患率」と比較するより、はるかによいのでは、としか思えないわけである。


津田論文が挙げた対象を批判する為に、全くもって不適切な論文を根拠として提示している時点で、落第に匹敵しよう。
このUNSCEAR2016年白書を書いた人たちは、恣意的な意図をもって否定の為の否定をしたようにしか見えない、ということである。とても残念だが。


検診をするので甲状腺癌が発見される数が増えるんだ、という理屈は、分からないではない。けれども、その要因だけで説明がつくものとは思わない。

検診結果ではなく、通常の罹患率の標準的な数値をここで確認したい。
国立がんセンターの登録患者に関する数字である。


◎出典:
高精度地域実測値(山形・福井・長崎各県の地域がん登録)
Katanoda K, Sobue T, Tanaka H, Miyashiro I (eds.). 2016. JACR Monograph Supplement No. 2. Tokyo: Japanese Association of Cancer Registries.


1985~2010年(事故発生前までを参照した)の26年間における、甲状腺ガンの男女別、年齢階層別の罹患率の年平均は次のようになっていた(人口10万人対)。


年齢     男性   女性

~10     0.03   0.04
10~14    0.26   0.41
15~19    0.36   1.16
20~24    0.91   3.96
25~29    1.24   5.13



まず、男女差はかなり出ていることが分かるだろう。また、女性の場合であっても、年齢により罹患率が上昇してゆくことが分かるだろう。
女性の場合、高齢になってもこの何倍も罹患率が上昇するということではなく、むしろ高齢で下がる傾向がある。甲状腺疾患(例えばバセドウ病や橋本病等)の好発年齢と似た傾向がある。


ここで重要なのは、男女比である。
15~19歳では、女性の罹患率は男性の約3.2倍である。20~24歳だと更に広がり、約4.4倍である。
仮に、検診を一律に行ったせいで、今後何年か10年後かに検出されるであろうガンを発見してしまったとして、例えば10歳時点で「20歳時に判明するであろうガン」が発見されたとて、年齢階層が上の罹患率とほぼ似た数字しか出てこないのではないか?


需要の先食い、みたいなものに似ていて、トータルの罹患数は大きく変わらないが、検出が早い時期になってしまうかも、ということである。そういった影響が出ないとも言えないので、20歳以上の階層も数字を挙げてみたのだ。検診したことによって発見が10倍に増加したとしても、それでもなお福島県の小児甲状腺癌患者は多いと言わざるを得ない。


他にもある。そういう影響があったとしても、男女比の謎は説明が困難なのだ。福島県の甲状腺検診の対象者の男女と年齢の数は、詳細が不明なのだが、一部調べた結果が分かった。古い数字で恐縮なのだが、15年9月末時点で、

 男性54名(うち15歳以上31名)、女性98名(同54名)、

であった。
それぞれ、男女別の正確な人数が分からなかったのだが、約30万人だったので、男女それぞれ15万人とした場合の、ガン患者数は、

男性 54/15万人 ⇒  36.0/10万人
女性 98/15万人 ⇒  65.3/10万人

となる。この男女比は、通常の罹患率の比率からは説明ができないだろう。

また、15~19歳の階層別の倍率と比較しても、通常罹患率の場合の3.2倍に対して、福島県では1.74倍とかなり低い。上の年齢階層の患者が掘り起こされたとしても、3~4倍くらいは男女比の差が、本来は観察できるはずであろう。


これまでの小児甲状腺癌の論文では、放射線性のガンである場合には、男女比が低下することが知られており、福島県の例はそれに一致しているように思う。スクリーニング効果や過剰診断というのは、男女を見わけたり、区別したりできるのだろうか?もし、それがあったとしても、男性にだけそれが多く発生する理由、といったことを果たして説明できるのだろうか?


また、津田論文の被曝線量依存性のガン発生率が見られていないことが批判されているが、差が見え難くなったのは、福島県内で区分けをしたことが理由の一つであろう。何故なら、推定の吸収線量といった数値は市町村別で一部データ公開があったものの、その信憑性とか正確性は何とも評価が難しい面があるだろう。
ならば、対照を福島県にせずに、北海道とか九州とかにできるのであれば、そこで比較すると線量依存性が見出せるかもしれない。


いずれにせよ、UNSCEAR2016年の白書の記述があるからとて、それがどの程度の説明・説得力のあるものなのか、というのは、吟味が必要である。

それをいとも簡単に「フルボッコで瞬殺」などと揶揄するのは、いかがなものか。
少なくとも、件の白書が依拠している論拠というのは、「津田論文よりもはるかに」脆弱であり、挙げられた論文の質と内容の検討レベルから見て、到底権威ある国際機関が記述するに相応しいものとは思えない。
前のブログ記事にも書いたが、白書の作成に関して、数人の日本人執筆陣が特別に入っていたようだが、その意義について、かなり疑念を生じている、というのが拙ブログの見解である。


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続・経済学分野は、なぜ周回遅れの無駄な議論が多いのか

2017年04月10日 19時22分16秒 | 経済関連
ツイッター界隈で、経済学が役立たず?といった疑念が出たりしてたの?
まあ、気持ちは分からないではない。当方にも、「日本の経済学の世界はあんまりだ」と思った経験が昔にあったので(笑)。


何を今更言い出すのかと思えば、こんな学生みたいなことを言うんですね。

>http://www.rieti.go.jp/jp/publications/nts/17p008.html

第1に、政策実務者の調査・分析スキルの向上というインフラ整備が重要である。そのための小さな第一歩は、政策文書において参照文献の引用を適切に行うことである。第2に、学者・研究者の政策現場への理解増進が必要であり、少なくとも専門分野に関連する白書や報告書に目を通し、フィードバックすることを期待したい。第3に、政策実務者と学者の交流拡大である。第4に、EBPにとっては良質なデータが不可欠であり、企業や個人レベルのパネルデータの整備、政府統計を含む各種データと政策情報のリンクが重要である。


もうね、苦笑いしかないですわ。今まで何をどう考え、実践してきたの?要するに、インチキ祈祷師みたいな連中が、あることないこと言い立てて、それを後生大事にしてきた世界ってことでしょう?言った者勝ち、という世界。



典型的なのは、「りふれは」連中と対立勢ですよね。彼らのネット上での行動などを見るようになって、経済学の世界に対する疑念は一層深まりましたしね。

政治中枢に近い政策担当者たちでさえ、大きな違いが見出せないという点で、日本の経済運営の失敗が分かるような気がしました。ああ、これではダメだな、と。喩えて言えば、リファレンスをきちんと書けない、提供を受けてる資金や利害関係についても書けない、といったようなことですわな。卒論でも、論文の書き方に則っているとは思えないような指導しかしてないようでは、身に付くわけもなく。

「良質なデータ」以前に、まず普通に公開されている、調べれば素人でも分かる公的データですら、満足に確かめていない連中(学者や研究者を名乗っているようある)が大勢いるわけで、議論以前の問題。いくら良質なデータを用意できるインフラだけあっても、分析できないんじゃ何の意味もない(笑)。まずは、データを確認するという基本を身につけないと。


ところで元大臣の大田さんは公共政策大学院大学の学長だったか教授でしたよね?その大学院大学とやらは、院生の過半が官僚さんか役人の人が来てたんじゃなかったでしたか?それに、霞が関エリート官僚さんたちは、海外留学を経験してるでしょう?
なら、基本的な学問の手法とかお作法について、トレーニングを積んでるのではありませんか?文献の読み方が分からないとか、引用ができないってことはないのでは?それができてないなら、公共政策大学院大学の存在意義が問われることになるんじゃないですかねえ。何の為の教育なんですか、と。


また、官僚の大多数がうまくできてない、ということなら、大学生時代の受けた教育そのものに問題があった、ということでは?それは、経済学の大学教員の問題であるということだ。


なので、日本での経済学分野に関連する人たちの議論というのは、曖昧とか意味不明とか事実に反するとか、何でもアリな感じになっていることが多々ある。最低限、データを見てから言えよ、というようなことでさえ、きちんと守られてないんじゃないかと思うことは少なくない。
「~である」と豪語する連中は多いが、「~」の部分を立論できる根拠があるかといえば、それは殆どの場合、そんな大きなことは言えないかも、という程度なのだ。にも関わらず、事実関係を確かめたりしたわけでもなく、明確な根拠を提示できないのに、結論だけはいとも簡単に断定している学者風の人たちはいるでしょうな。例えば「倒産件数が増えた」という時、データを調べようね、ということと、一部データの都合のよい切り取りはアウトだね、というのは、最低限の確認事項でしょう。


せめて大学教授とかの肩書で語るなら、具体的な論文を書くべきだと言ったりしてきたが、「りふれは」勢はただの一本のペーパーも出せないみたい。10年以上経っているのに、だ。
けど、本だけは出すんだって。本というのは、論文と同等のものなの?それは、自分が言いたいこと、書きたいことだけ書いた結果を集めたものではないのですか?

査読論文を出せば、「りふれは」の理論がいかに正しく、一般のザコ経済学理論が間違っているのか、一目瞭然にできるのではありませんか?
なのに、何故、誰も「りふれは」の根幹をなす理論について、日本語論文(英語でもいいけど)さえ出せないのだね?専門家同士の批判を浴びて、洗練されれば、他の経済学の学者だの研究者たちだのを、十分納得させ、社会(政治家・政策担当者・一般国民)をも説得できる、強力な武器になるのではありませんか?


でも、これといった代表的論文を、誰も書けない、と。
どういうことなんだろうね。5ページくらいであろうと、まずは出せばいいのに。長いのがいいと限ってるわけじゃないんだし。それは学術的議論には耐えられない、ということの裏返しですかね?違うなら、結果を出すべきだよね。


日本の経済学分野では、学術誌はどこかにあるんだろうけれども、それは実務とは遠い世界のものかもしれず、現実の政策決定の場面ではあまり利用されてないという可能性があります。
著書に、好きなことを書いて、多くのことを言おうとする気持ちは分からないではありませんが、いっぺんに沢山のことを言うのではなく、小さい事実を積み重ねることも必要ではないかと思いますね。その方が、大勢の研究者の手を借りられるので、研究が進みやすいかもしれないし。


法学の人たちにも共通するように思うが、きちんと学会なりで基本的な用語の定義を決めるべきと思います。議論の土台となるべき「専門用語」が、論者により意味が違って用いられていると、それでは学術研究になっていないのでは?

それは、どの経済学者に尋ねても、基本的に同一の答えが返ってくる、ということをもたらします。経済学者間の共通理解さえないのであれば、いつまで経っても体系的な研究推進なり、研究成果なりが得られないのでは?

経済学の学会が中心となって、学会の基本的部分や、共通部分の土台を構築するのは、一般的なのでは。日本の経済学には、「標準」に該当する基礎部分が欠落しているように思われる。


あと、日銀やesriのペーパーは論文体裁としては、割とそれなりになっていることが多いと思うので、政策担当者たちは勉強する機会を設けてみては?
毎週○曜日の朝は、メンバーが順番に論文を紹介し、概要等を解説・質疑も担当者が受けて答える、というような。偉くなった人たちは忙しくて参加できないなら、比較的年次の低い若手中心でやるとか。始業前の、任意の勉強会だけどな(笑)。

例えば「FTPLに関する論文A」を選んだとして、内容を解説するのと、参加者たちから質問が出るので、それに返答しなくてはならない。返答する為には、自分自身がよく理解しておく必要があるし、周辺論文を調べたり読んでおくとか、最近の議論のテーマはどういうものがあるか知っておく必要があるとか、勉強になることは多いと思うわけですよ。


大体、研究者と標榜していたって、ろくに文献や白書やらを読んでもいないという人たちは多いわけで、そんなんでは学術面での水準が向上するということなど到底期待できんでしょうな。まずは、教授クラスをどうにかした方がよいのでは?


あーだこうだ、と議論になったら、「Xというペーパーをお読みください」と提示すれば、ある程度時間の浪費を回避できるものを、そういう蓄積が乏しく、共通の土台とか理解が存在してないので、延々と同じ質問なり議論が蒸し返されることになるのである。


そういうことを、誰もおかしいと感じてこなかったのか?
日本の経済学の「学界」というものは。
それが、あまりに謎過ぎるのである。


ああ、専門家でも何でもないド素人に、あれこれ言われたくないわ、それはお前が経済学を全然知らないからだ、といった批判はあるかも。確かにそうです。けど、素人から見ても、余りに酷い状態になっているとしか思えないですね。



参考:

EBPM(Evidence based policy making)という観点から、経済財政諮問会議を批判した記事がこれだ。拙ブログは、経済素人であるが、普通に考えるでしょうに。素人ですら、一回りも前に気付ける程度のことを、12年も経った今になって「EBPが…でんでんw」って言いだす経産研の気が知れんわ。

05年9月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/c45eedda9a203837477c5a8278db2f19


一方、経済学者等、専門家たちは、自らの経済学的分析結果について、その後、誰か検証したりしましたか?

例えば>http://www5.cao.go.jp/j-j/kozo/2005-12/point.pdf

岩本康志東大教授は、自らの分析結果については、どういった評価をされているのか?経済学者自身が、PDCAサイクルなんぞ回してはいないという見本なのでは?

屁理屈で分析をやった、政策決定に大きな影響力を誇った、で、その結末はどうだったの?
政策は、妥当性が高かったのか?それとも不十分だったのか?こうした事前分析は何がどう役立ち、どこが不備だったのか?無駄だったのか?


経済学の連中は、そういう具体的な方策を自ら検証したりはできんのだよ。言いっ放し、やりっ放し、評価も反省もなし、そういうことでは実践では使えんね、ってことになりがちでは?だって、過去の知見を「次に活かす」という、基本姿勢が欠落しているから。だから、同じような失敗を積み重ねるだけなんだよ。同じ種類の毒キノコ食って、まんまと中毒になってるようなもんだ。
学問も、知識も、データも役に立ってないのさ。だって、自分たち自身が、活用しようとしないから。だから、いつまで経っても、蓄積の効果がないんだわ。

福島原発事故と同じだな。態度と、思考の根本において。
それで学問と言えるのかね?



それから、データをどう用いるか、という批判等。

06年11月
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/94b7bbd3d914ebf85129940256f53ebc


その他諸々:

10年8月
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/e8394844963d7edcde10376abb8b3196

12年10月
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/df7d3aa0138ab4ad8af5571420140704
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/801cbb53e39bf3cfb73f3ba326833dc7


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続・森友学園の土地売却問題に関する無責任なコメント

2017年04月03日 20時10分56秒 | 社会全般
高橋洋一元財務官僚の言い分は、かなり偏りがあるものと思う。端的に言えば「安倍総理は悪くない」に終始している。件の三浦某の意見にも共通する。忖度が犯罪ではなく、安倍総理の関与が犯罪ではないなら、何ら悪くない、といった風ではないかな?
そうした思考が全く理解できない。賛同できない、というのもあるが、思考の道筋のようなものが、全然分からないということである。


仮に財務省が何かヘマをやらかして、それを隠しだてしたいということから、(高橋氏曰く)学園に「弱味を握られ」てしまい、不当に安値をつけてしまったとか、財務省が総理夫人等を忖度して勝手に不当な土地売買をやった、ということがあるとして、これを安倍総理自身が庇いだてする理由はないだろう。


安倍総理が「(財務省の)忖度はなかった」と国会答弁していることから見ても、分かる。

このこと自体が、安倍総理と財務省は共犯関係(話題の共謀罪チックな「共謀共同正犯」のような関係性?)を窺わせるものであろう。


恐らく拙ブログの考え方が理解できないであろう両名の為に、もっと簡単な例で示そう。


自動車燃費データの偽装事件というのがあったので、それを例題としよう。

ある自動車会社が燃費データについて、おかしいのではないかという外部の指摘を受けた。
CEOは言った。「私は何ら関与していない」
すると、マスコミは「開発部門と営業部門の人たちにデータを改竄した疑いがかかっている」と追及。
CEOは「会社ぐるみの偽装ではない、私は一切関知してない」と強弁。じゃあ取締役社長はどうなんだ、と追及しても、社長も同じく「私は指示してないし、忖度もしていません」と。
で、マスコミは「燃費計測の方法を開示せよ、データ作成の基になった資料を出せ」と追及するも、「データは残ってない、全て捨てた」の一点張り。開発部の責任者が出てきては「計測方法は違法ではなかった」と言うだけで、どのような計測方法を用いたか答えよ、と求められても、「方法を教えることはできません、企業秘密ですので」と。
全マスコミはお手上げ(笑)。


今の森友学園は、こういった状態のようなものです。社会の常識からすると、ちょっと異常ではないのかな、と思えるわけですが、普通の社会であると、このような自動車会社は不買などの制裁を受け、倒産したりすることになるでしょう。つまりは、「信頼、支持を失う」というしっぺ返しがあるわけです。

けれども、報道される支持率というのは、大きな変化がないと言われているようですが、果たしてそうなのでしょうか?(笑)
こんなインチキくさい企業を支持していいですよ、と言ってくれる奇特な人はかなりの少数派ではないかと思うわけですが。


で、普通のCEOの取るべき対応とは何でしょう?
ごく当たり前に、開発部門と営業部門に「データの偽装について、精査するよう命令する」ということですね。
CEOがデータ偽装に関与してなかったら、何ら責任がない、何も悪くない、などと主張するのは、あまりに幼稚でしょう。どこにそんな会社がありますか?こんな無責任なCEOが株主総会などで問題視されないとでも?


開発部門の担当は社長であれば、社長に「開発部門の内部資料を全部出せ、詳しく調べろ」と指示するのが、CEOの役割でしょう?
最終的に全責任を負うのも、CEOの役割なんじゃありませんか?
しかも「CEOは悪くない、一切関与してない」の一点張りを主張しているのが、誰あろう社長と開発部門の責任者なんですよ?
誰がどう見たって、おかしいでしょう?


けれども、日本の政治家も、識者ぶってる多くの連中も、これを「正しい」って言うわけですわ。もうね、何を言ってるんだろうか、と思いますね。

CEO=安倍総理
社長=財務大臣
開発部門=財務省
営業部門=国交省

と見れば、容易に理解できるでしょう?
安倍総理に責任がない、なんてお説が出されるということ自体、本当に理解の限度を超越した意見なのですわ。


行政庁に何らかの疑義が発覚したら、それを監督する責任者が責任を負うわけですよ。なので、安倍総理が自らの「何ら問題がない」ということを示すには、少なくとも財務大臣に対し「財務省内の徹底調査をすべし」と厳命するのが筋であって、これをやらない時点で、CEOと開発部門は「ああ結託してるな、組織ぐるみだな」ってバレバレでしょう?


ましてや、開発部門(財務省)が資料を滅失と隠蔽をしていることが疑われているのであるから、社長に厳しく命令するのが最高責任者の使命でしょうに。
総理も、財務大臣も、局長級も揃って「調査を命じる気はない」と頑強に拒否しているだけですわ。それは、会社ぐるみの偽装工作がバレるから、に他ならないのでは?

少なくとも総理の関与がない、という潔白を証明したいと思っており、財務省とは経済政策面で犬猿の仲で、財務省が安倍総理降ろしを狙って情報をリークしたのではないか説を言うのであれば、安倍総理が財務省に対し厳しい姿勢で臨むのが当たり前なのだわ。だって、社会常識だもの。

それが一切ない、という時点で、安倍と財務省ぐるみの共犯関係というのは、かなり推定されるわけですよ。CEOが潔白なら、開発部門か営業部門のいずれかの仕業だな、ってことで、真相解明して、再発防止策を打ち出して謝罪した方が、CEOのクビが繋がる可能性が高いもの(けど、不祥事で引責辞任に追い込まれるのも通例ではあるよね)。


どこまでも知らぬ存ぜぬを貫き通せるのは、自動車会社がその1社しかなく独占企業であると、他の自動車会社の選択の余地がないので、不買という報復をあまり受けない、ということになるかな。自民党内でさえ、安倍降ろしが出来ない状況、そういう独裁的体制こそが、元凶なのであるということである。党内野党が存在しないことにより、国会と政府の緊張関係が皆無となっている、ということでもある。


まさしく統治の重大問題なのに、安倍は悪くない、って、愚かな思考パターンしか出てこない識者気取りには困ったものである。
今のマスメディアの言論の多くは、そういう連中が跋扈する程度に低水準なのだということであろうか。



ああ、追加ですが。

高橋洋一の「地中ゴミ」の話って、あまりに胡散臭いよね。
大阪航空局が調査した結果で、埋設物アリというのは工事前から発覚していたし。音大との売買交渉過程でも、大学側が見積もった撤去工事費用が約2.5億円程度だったわけだ。これは、妥当性のある数字と考えられよう。森友学園が1期工事で中道組が施工した際、土壌汚染対策工事を含めやった時の交渉経過で、約2億円という数字が出されていたはず。

なので、当該土地の地中埋設物及び土壌汚染の対策工事費用というのは、2~2.5億円というのが「相場」であろう。


杭打ち工事の際に、地下9.9m地点でゴミが大量に見つかった、という説ね。これをもって8億円値引きという話になったとされるが、これはどの程度信憑性があるのか?


1)「池沼」という登記情報

少なくとも、ここには大型建築物は存在してこなかった。池沼だったらしいので。
その後に、バラックみたいな長屋が存在していたようであるが、それは小型建築物なので、深い基礎工事は必要ない。故に、大型ビルの解体工事現場みたいに、地中深くに残るコンクリート等の構築物は考え難い。水深の点から見ても、池の底が10m程度の場合だと、かなり大型になるはず。どちらかと言えば、湖に近くなる、ということである。農業の灌漑用池程度のものは、水深が5mとかを超えることはまずないだろう。ため池でも同様。なので、池の底にばら撒かれていたゴミが残っていた、という説明は、採用し難い。
(因みに、不忍池は、水深が比較的浅いようで、1mもないくらい、らしいです)

「動物死骸やゴミが大量に捨ててあったんだから埋設ゴミは不思議じゃない」論を唱える、アベ擁護派は多くいるが、現実を知らないか地形条件を無視しているか、ということではないかな、と。


2)杭基礎という工事

杭打ちをやっていたら、ゴミが約10mの深さから発見された、と。
この建物の基礎は、杭基礎であり、その深さがゴミの発見された深さということになろう。すると、支持地盤が約10mで、その直上に「大量のゴミ」が存在、という話らしい。

さて、支持地盤というのは、日常的に露出している面なのだろうか?地盤のすぐ上にゴミが置いてある、って?
なら、それは、本当に支持地盤なのか、という別の問題が生じるだろう。常識的には、あり得ない話では?
「支持地盤とほぼ同じ深さに、ゴミが大量に置いてある(=埋まっていた)土地」って、実例で示せる?どんな地形・地層なの?どんな条件?
出鱈目なり、嘘というのは、言うのはタダだからな(笑)。


恐らく、客観的に見て、杭基礎工事の際に、支持地盤と同等レベルの深さに大量のゴミが存在、ってのは、ほぼ不可能だろうね。



もう一つ。

安倍と官邸は、検察捜査を大喜びで望んでいる、って話があるらしいが、色々とあるかもな。

利点としては、「マスコミから籠池を隠す」という、完全遮断効果が期待できることである。その場合、「籠池の自供」とか「でっち上げ捜査情報」とか「ありもしない証拠の捏造」とかが、法務・検察を顎で使う連中にとっては非常に便利だ、ということがあるだろう。
具体的には、清原や飛鳥の逮捕事件みたいなものだな。


しかし、欠点もある。
それは裁判が行われてしまう、という点である。
できれば、インチキ略式起訴とか、嫌疑不十分で不起訴とか、検察の胸算用一つでいかようにもコントロールできる方法を選びたいだろうが、社会の関心が高まっているせいで、そう簡単に終わらせられるかどうか、という危惧もあるかも、と。

開廷されると、傍聴人がせっせと情報を拡散するかもしれず、良からぬ波紋が生じる危険性とか、そういうのもある、と。
不起訴なら不起訴でいいが、マスコミが食いついているから、理由を示さねばならず、やや面倒かも、と。なので、只今、鋭意検討中、ってところでしょうかね。


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森友学園の土地売却問題に関する無責任なコメント

2017年04月03日 19時22分53秒 | 法関係
世の中には、口喧嘩が強いとそれが正論であると錯覚する人々が大勢いるらしい。識者風の連中が、さも正しそうな解説なりコメントを繰り出すと、それが正論であると誤信させるには効果的なのだということ。

例えば、橋下徹などがその代表格であろう。
事実ではないことであろうと、テレビで堂々と発言すれば、それが「事実」とされてしまうとか、いかにも法律上で正しいかのような雰囲気を作り上げるということである。必ずしもそうではない。


典型例に遭遇したので、取り上げたい。

>http://b.hatena.ne.jp/entry/hosyusokuhou.jp/archives/48789494.html

実際の番組内容は不明だが、三浦瑠麗という女性論者が『忖度は犯罪ではない』と発言したようである。国際政治学者とかいう肩書らしいが、まずは普通の法律を勉強してから、解説するようにすべきであろう。定かではないことを、何故そんなに自信満々で断言できるのか、謎である。自分の考えを口にするなとは言わないが、「出鱈目を言うのは慎む」くらいの配慮があってしかるべきかと。


このような事例は、専門的な知識に乏しい人が、あたかも専門家のような振舞いで出鱈目を断言するのに似ている。ニセ医者がまさしくそれである。それともインチキ健康食品の販売営業みたいのも似てるかも。

しかも、こうした「分かり易い結論」に飛びつく、思考力に乏しい連中が大勢いるというのがポイントで、煽動効果は抜群と言えよう。デマの典型的な手口と言えるかもしれない。


拙ブログも例に漏れず、全くの法律素人である。法曹でもサムライ士業でも何でもない。法学部卒でもない。なので、三浦女史と大差ないわけだが、当方の知り得る範囲においては、間違っているものと判断したので、以下に書いておく。


『忖度は犯罪ではない』

これは一見すると、正しいように見えるだろう。文脈を無視すれば、例えば忖度という語の項目の例文として見れば、大した問題はない。しかしながら、森友学園の土地売却を巡る問題としての、各省庁職員等の「忖度」となると、単純に犯罪ではないと断定できない。


具体的に言えば、例えば財務省の事務次官・局長級以下財務省職員が、「総理夫人が深く関与する学校法人なので、小学校設置を何とか実現させたい」といった忖度をしたとする。
忖度だけなら犯罪ではないかもしれないが、それに伴う行為の結果が問題ろなろう。例えば土地売却価格の問題である。それとも補助金交付その他予算執行の問題である。


忖度の結果、実際に行われた行為が「違法な事務」であった場合には、これは犯罪となる可能性がある。

背任罪というのは、犯罪であろう。それに該当しないと言えるか?
財政法、予算決算及び会計令、会計法などに違反していないと確信を持って言えるか?
「予算執行職員等の責任に関する法律」でいう、処分の対象ではないと言えるのか?


そもそも開示された情報だけでは、「違法な事務」かどうかを判断できる根拠足り得ないのだから、「違法でない」「犯罪ではない」と強弁できるわけがないのだ。

例えば、「予算執行職員等の責任に関する法律」によれば、次のように定義される。
>http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO172.html


第2条第2項
この法律において「法令」とは、財政法 (昭和二十二年法律第三十四号)、会計法 その他国の経理に関する事務を処理するための法律及び命令をいう。


「法律及び命令」なので、命令違反は懲戒処分対象である。
命令は「通達」を含むものと解されるはずだから、通達に反する賃借権契約や売買契約の締結は命令違反を構成しうる。命令違反を回避する、特別の根拠なり合理的理由を必要とするだろう。


従って、忖度の存在とか内容といったことが直接的に違法性を意味するとは限らず、忖度によって実際に行った結果が「違法な事務」であるなら、処分対象となるのである。

こうしたことを、ものの30秒か1分以内で説明したり、理解してもらうのは、かなり困難であると当方は思っているが、プロパガンダに踊り易い傾向の人々は単純な言語と説明で満足したいのであろう。



もう一例が高橋洋一元財務官僚の論である。

>http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51362?page=4

(一部引用)

こうした経緯の後、賃借契約が売買契約に変更される。鑑定評価額は9.32億円。例の8億円値引き話は、この経緯から見れば、ある意味で自然だろう。むしろ筆者は、8億円がかなり人為的に作られたものかもしれないと推測している。

つまり、まともにゴミの処理費用を算出すれば、10億を超える可能性もあった。それでは近畿財務局のメンツが丸つぶれである。そこで、近畿財務局も顔が立ち、しかも小学校建設を急ぎたい森友学園としても大幅値引きになる「8億円引き」となった可能性がある。

もっとも、これは8億円の値引きが妥当といっているのではない。本来であれば、近畿財務局は処理費用が10億を超えてもゴミ除去を行って、その後まっさらな土地として入札を行えばいいのだから。その結果、仮にゴミ除去費用をまかなえなくても、国有地の売却としては仕方ない。実際、豊中市への売却でも、実質的な国の手取りはほぼゼロだからだ。

または、近畿財務局はゴミを除去せずにゴミが埋まっていることを明示したうえで入札してもいい。その結果、売却価格が安くなっても仕方がなかったはずだ。

筆者の推測は、近畿財務局がそうした手順をサボった上で、ゴミの事実を隠して随契したので、森友学園に弱みを握られてしまった。だからその後、近畿財務局が森友学園を厚遇せざるをえなくなったである。


========


財務省の元エリート官僚をもってしても、この程度の論説しか吐けないわけです。しかも古巣の財務省のことを、一般人よりもずっと詳しく知っているであろうはずの人間でさえ、このありさまですから。日本がいかに法を無視した行政を執行するようになってしまったのか、ということの証左かもしれません。


財務省の実務では、どういう処理が想定されていたのか?
通達を見てみましょう。


○財務省所管一般会計所属の未利用国有地等の売却促進について

(H21年2月27日 財理第814号、改正 財理第5479号、第1066号、第1190号)

>http://www.mof.go.jp/about_mof/act/kokuji_tsuutatsu/tsuutatsu/TU-20090227-0814-14.pdf



(3)地下埋設物がある財産
イ 現に地下埋設物が確認されている財産(蓋然性が認められるものを含む。)については、以下の方針により処理するものとする。

(イ) 財務局長等は、原則として平成 21 年度中に試掘調査を行い、撤去後の売却見込額(X)及び撤去に必要な費用(Y)をそれぞれ算定する。なお、売却見込額等が既に算定されている場合は、改めて算定する必要はない。
(注)調査の結果、土壌汚染物質が確認された場合には、下記⑷の「土壌汚染がある財産の取扱い」に従い処理する。

(ロ) 算定結果に基づき、次の分類に従い、処理するものとする。

A 撤去後の売却見込額が撤去に必要な費用を上回る場合(X-Y>0)
  原則、撤去工事は行わずに現状有姿で売却を行う。

B 撤去後の売却見込額が撤去に必要な費用を下回る場合(X-Y<0)
(A) 下回り額が小額(撤去後の売却見込額の1割程度)で、かつ、撤去に必要な費用が小額(概ね 500 万円以下)となる財産
  国において撤去工事を行ったうえで、売却を行う。

(B) 上記(A)以外の財産
個別に理財局と相談のうえ、処理方針を決定する。


=======


お役所仕事なんだから、基本的にはこうした通達に従って、定型的な処理を心がけるものなのでは?

(イ)に従い、大阪航空局では地下埋設物の調査を実施したのでしょう?そして土壌汚染も明らかになっているので、形質変更時要届出区域の指定を受けたわけでしょう?

見込額は算定されているはずで、国有財産台帳に価額記載があるはずだし、路線価等も参考に価額算定がされるのが、「普通の事務」では?
少なくとも、大枠で上記通達のX、Yを算定後、AかBのいずれに該当しているかを当該土地において判断していなければおかしいでしょう。


高橋洋一元財務官僚の言うような、ひょっとしたら撤去工事費用が云々なんて思いつきレベルではなしに、行政庁として「現状有姿で売却」というのがどのような場合なのかというのは、ある程度の機械的判断基準が適用されるということでしょう。

そして、撤去工事費用が土地代金を上回る場合の少額以上は「理財局と個別に相談」ということですので、個別な処理が必要であったことの証明は財務省側にしかできないということになる。


こうした命令に違反している処理を行ったものは、違法な事務であろう。何も脱藩官僚の人が新たな通達なり、内部処理方法を発明せんでも、既に作られていたと考えてよさそうなのでは?

元からこうした通達があるのだから、それに則して処理していれば書類は保存されてるはずで、その処理に係る書類等を開示することが、それほど困難であるとは思われない。


長くなったのでとりあえず。
続きは次の記事で



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WBC2017 日本代表の戦い~惜敗だったが進歩も見えた

2017年03月23日 20時52分40秒 | いいことないかな
昨日の午前中は、かなり落ち込んだ。素晴らしい試合だったが、あと一歩及ばなかったから。

今年は6戦全勝で、アメリカに乗り込んで、宿敵米国に勝って、全勝優勝をしたいと心から願っていた。だが、残念な結果だったわけである。


日本代表チームはよく戦ったと思う。強さも見せることができたしね。
予選ラウンドでは、何と言っても、オランダとの延長戦での決着、あれは打撃戦でも負けないぞ、という粘りを見せた試合が凄かった。


米国との準決勝は、厳しい投手戦。

先発菅野は、メンタルが強いね。あの環境で投げたのは立派だった。エラーで失点はしたものの、雨中の決戦でよく耐え抜いていた。試合のリズムを作り、「ああ今日は、やはり投手戦だな」と。けど、「ミスが命とりになるね」という予感もあったわけだが。


千賀も素晴らしい投球だった。4者連続三振までは、真価を発揮していた。そこに、陥穽があったのかもしれんが。
ヒットと、二塁打を打った相手選手を褒めるべきだろう。逃さず打つ、というのは、厳しい集中力がないと難しいからね。米国選手は、マジに真剣勝負に来ていたんだわ。

かつての「日本の野球?あんなのは、ベースボールじゃないぜ、野球だよ」的な、甘く見た姿勢など微塵も感じられなかった。全力で倒しにいかないと勝てない相手、という、必死さが伝わってきたもの。真剣勝負の相手として、認めてもらえていた、ということなんだろう。


多分、千賀は、「超お買い得の掘り出しもの」として、誘いが来るかもしれないな。


日本が敗北した理由、それは、やはり、「メジャーのホームゲーム」に勝てなかった、ということかも。
一つは、雨が降ったこと。芝は濡れており、ボールの回転はいつも以上に難しかった。松田は、エラーする前に、速い打球や難しいゴロを止めて反応しており、ナイスプレーを重ねていたので責められないだろう。


一番の難しさは、「外の球場」だったことだと思う。米国選手は、パワーがあるので、「重い空気」をはね返す打撃力があったんだろう。千賀からの2塁打も、逆らわずにセンター左方向へ速い打球を飛ばしたはず。もし引っ張っていたら、あそこまで飛ばなかったかも。


一方、日本の8回裏の攻撃は、内川の執念のヒット、送って、青木まで回して四球で1、2塁の場面。4番、筒香で、ライトフライに倒れた。あれも、もし東京ドームとかなら、ひょっとすると、もっと長打になってたかもしれない。けれど、外の球場って、伸びがないのだよね。あの日は雨でとりわけフライが伸びにくい状況だった。
菊池のホームランがまさに奇跡的で、センターより流す方向への打球だったから届いたのかも。あれを引っ張りにいっても、まず厳しかったのでは。メジャー投手の球って、そういう感じかと。空気抵抗が大きい、あの日の試合会場だと、素直な打撃が効果的だったのかな、と。それとも、ドライブのかかった打球か。


なので、筒香の8回の打球は、うーん、ちょっと残念と思った。逆らわず、センター方向へ意識してたなら、…とタラレバを言ってみても仕方が無いのだけれどもね。


準決勝までは、打撃陣に大いに助けてもらったので、勝負の運ということで、仕方がないんだよ。


それにしても、今大会の日本代表チームは、いわゆる「真っ向勝負」で勝ち抜いてきた、というのが特徴的だった。打撃力のある相手には、パンチで返す。ホームラン返し、ってことだわな。


準決勝の米国相手では、恐れずストレートで三振、決め球フォークやスライダーで三振、とか。
普通、力勝負は、中々挑めないよ。けど、小細工なし、かわす投球でもなく、普通に力勝負をしての、試合経過だったわけだよ。これには、恐れ入ったんだ。マジ、立派な姿を見せてもらったよ。


今回は、ダルも、田中マー君もいないし、マエケンも岩隈もいなかったけど、それでも全然遜色なく、というかチームとしては、主に日本国内勢でしかりやったので、むしろ良かったのかもしれないし。


打撃陣は、米国入りしてから、移動疲れなんかもあるし、練習試合でも下降線になって、連敗で迎えたというのも、若干は影響したのかもしれない。けど、相手も真剣なのだから、ゲームプランとしては、接戦に持ち込んで、ということで、日本の戦いでもあったから、勝負は時の運ってことなんだな。


あんなに、一流のメジャー選手を揃えてくるようになったのね、米国も。


お疲れさまでした、侍ジャパン。
重圧と言われてきた、野球の日本代表を率いてくれてありがとう、小久保監督。



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「テロ等準備罪」の危険性について

2017年03月23日 20時11分08秒 | 法関係
今日は、籠池証人喚問の話題で持ち切りであろう。全く見てないので、それはおいといて。


政府が密かに提出したという「テロ等準備罪」らしいが、あまり必要性についてきちんと説明されてはいないようだ。
恐らくは、「テロ防止」などという大義名分とは別の狙いがあるものではないかと思われる。
何といっても日本は、「レンタカー代金の割り勘」という罪で何日間も不当に逮捕勾留されてしまうような国であるので、どんな難癖でも理由を付けてしまいさえすれば、逮捕できてしまうわけだ。
しかも、その勾留決定には裁判所が協力的ということで、恐るべき警察権の発揮ができる国となっているわけである。恣意的に警察は好きにできる、ということを意味する。


さて、拙ブログでの注目点について、以下に書いてみたい。

当初の「共謀罪」といったネーミングが報道などで広まっていたこともあり、政府は名前を変えたようである。それが「テロ等準備罪」と手短に表現されるようになったものである。

提出法案の条文で、次のようなものがある。


○組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律

(実行準備行為を伴う組織的犯罪集団による重大犯罪遂行の計画)

第六条の二 
次の各号に掲げる罪に当たる行為で、組織的犯罪集団(団体のうち、その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第三に掲げる罪を実行することにあるものをいう。次項において同じ。)の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画した者は、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。

一 別表第四に掲げる罪のうち、死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役若しくは禁錮の刑が定められているもの 五年以下の懲役または禁錮

二 別表第四に掲げる罪のうち、長期四年以上十年以下の懲役又は禁錮の刑が定められているもの 二年以下の懲役又は禁錮

2 前項各号に掲げる罪に当たる行為で、組織的犯罪集団に不正権益を得させ、又は組織的犯罪集団の不正権益を維持し、若しくは拡大する目的で行われるものの遂行を二人以上で計画した者も、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、同項と同様とする。



当方の理解で書けば、この条文の意味を平たく言うと(2項は類似なのでここでは無視)、

・組織的犯罪集団の定義=「別表3」の実行を共同目的として繋がってる連中
・組織により遂行される行為を2人以上で計画した者、が対象
・その計画者の誰かが資金や物品手配、場所下見等の準備行為をしたらアウト
・犯罪行為は、「別表4」
・10年超の懲役以上の罪の場合―5年以下の懲役か禁錮
・4~10年の懲役以下の罪の場合―2年以下の懲役か禁錮


別表3には、罪の種類が縷々挙げられており、90号まである。別表3と4を分けてあるのは、組織の定義に用いるから、というのもあるかもしれないが、基本的には分かり難くする為(笑)であろう。
「六条の二」にある1項1号の「別表4」は、一部引用すると次のようなものである。


別表第四(第六条の二関係)

一 別表第三に掲げる罪(次に掲げる罪を除く。)

イ 第十一条(犯罪収益等収受)の罪

ロ 刑法第七十七条第一項(内乱)の罪(同項第三号に係る部分を除く。)並びに同法第八十一条(外患誘致)、第八十二条(外患援助)及び第百九十八条(贈賄)の罪


 (以下略)


「別表3」のうち除外規定があるから、ということと、別表3掲載以外の罪が2号以下、6号まで追加されている、という構造になっている。例えば、5号規定は、日米安保に関連する「刑事特別法」第4条の偽証罪(懲役3か月~10年以下)が加えられており、本法改正は公判での所謂「証言拒否」をある程度封じる効果を狙ったものかもしれない。


いずれにせよ、とても分かり難い構造にしている、ということであろう。最も効果が高いとか、狙っている法律が何なのかを隠したい時にこそ、こうした法案を用いるのではないかと思えるからである。


確かに別表3の多くは、犯罪行為が並んでいるわけで、そういうことに関連して計画したり準備行為に該当するというようなことは、一般社会ではまず起こらないだろう。ただし、それは、その人が「政府に従順である」というような条件だから、かもしれない。子羊のように、何でも「黙って受け入れる、いうことを聞く」という人なら、狙われることもないだろうから。


本法案の重要な肝の一つは、多分、知財関連ではないかと思うわけである。どうしてかと言えば、当然「TPPが頓挫したから」である。ここに「攻め手」のとっかかりを何が何でも設けておきたい、ということではないかと。


「別表3」には、例えば

不正競争防止法
特許法
実用新案法
意匠法
商標法
著作権法
種苗法

が入れられており、権利侵害の申立てがあれば、捜査対象となってしまうかもしれない。


具体例で考えてみよう。
標的Xに対し、Xの持つパソコンを捜査したいとしよう。
Xの仲間Yの持つパソコンにある「Word」がXに違法に複製されてインストールされているのではないか、という嫌疑が米国企業から出された、と。ならば、違法ソフトの複製を組織的にやっているとの名目で(かつてオウム関連でパソコンショップが捜査対象となっていたような記憶が)、XとYの「準備行為」として強制捜査に着手と。捜査の一環で家宅捜索して、捜査したいパソコンを押収できることになる。この後に起訴するかどうかは別問題だろう。兎に角、中身を詳しく調べたい、という目的なのだから、起訴できてもできなくてもどちらでもいい、ということになる。ソフトのシリアルナンバーだけの違いということだと、捜査を拒否するというのも割と難しいかも。捜査後に、「捜査した結果、違法ではなかったので返却するね」とか言われても、どうすることもできないし。


イスラム国関連の家宅捜査で、フリー記者のパソコンが押収されたりしてたように思うが、ああいうのがもっと簡単に着手できるようになるかもしれない、ということである。


捜査対象になっている、という嫌疑の目でもって、社会的に評判を落とすといったこともできてしまうかもしれない。
罠サイトを用意しておき、あるウェブページを訪問したら、何かのファイルなりデデータがダウンロードされるように仕組んでおく。
その罠サイトは、実は児童ポルノ販売等の組織的犯罪集団であったことが発覚し、捜査対象となったら、そのウェブページからダウンロードした先である、という言い分で捜査される、とか。技術的にどうなのかは、当方では分からないが、犯罪者たちが詐欺用にニセサイトを作ってたりして、ウイルス感染していることからすると、可能かもしれないなと思えるわけである。


しかも、自分のパソコンには何らかのファイルなりが実際にダウンロードされてしまっているわけで、その罠サイトの連中との「関係性」なり「計画」なりを自分自身で「全く身に覚えがありません、犯罪行為とは無関係です」って言っても、「物証があるぞ、データはお前のパソコンに入っていたぞ、ホレこの通り」とか示されて、否定の根拠を提示することなんて、かなり難しそうだもの。「痴漢で逮捕」でもって有罪無罪に関係なく、社会的に抹殺される例みたいに、ならないとも限らない。


罠サイトに誘導する場合だと、例えば、「基地反対運動」を謳ったウェブページなどを作って、そこに有用な情報が掲載されているかのように、ツイッターやブログなどで情報を拡散する、とか。最初の半年とかを善人のように見せておき、罠の実行のチャンスが来たら、ウェブページにそうしたプログラムを仕込んでおけばよい。そういうページを作成するのが犯罪者集団などではなく、政治的に邪魔な存在の、葬り去りたい連中を罠に陥れる為に、権力側が意図的にやらないとも限らないわけである。
或いは、ウィキリークスのような、権力側にとって忌々しい存在に、協力的な人間たちをあぶり出す為に、罠を利用するかもしれないし。


そこまでやるかは別として、知財関連については、海外企業からの厳しい追及が日本につきつけられ、これまでよりは容易に摘発対象として捜査されるようになるだろう、とは思いますね。


日弁連等が反対していたのもあるし、本当に成立が不可欠な法律であるとは到底思えないわけである。かえって、日本の権力側(警察、検察など)に権力行使の口実を与えるだけで、不当逮捕が相次ぐだけでは。

不当勾留が平気で行われている日本の現状を見れば、危険極まりないということだ。


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