台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

台湾の神社跡を訪ねて 第四回 学校の神社  東港神社

2011-02-11 20:23:25 | 台湾の神社跡を訪ねて

今回は、2月7日発行の神社新報に掲載された「台湾の神社跡を訪ねて 第四回 学校の神社 」です。なお、次回は「学校の神社 豊原神社」です。

東港神社


 高雄州東港郡下には、東港神社が鎮座する以前に台湾製糖株式会社東港製糖所内の構内神社があったやうであるが、東港郡としての神社はなかった。そこで、国民精神作興に関する詔書の渙発から十周年であった昭和八年、神社造営に向けての具体的な活動が進んだ。竣功まで二年間かかった東港神社は昭和十年十月十八日に鎮座祭を執りおこなった。時局の進展に伴ひ戦勝および国威宣揚武運長久の祈願が多くなり、一般郡民の参拝が急増した。そして昭和十七年十月三十一日、郷社に列格した。
 当時の記録から、神社には正殿、幣殿、拝殿のほか社務所、三基の鳥居、神橋、一対の狛犬、六対の石灯籠、一対の常夜灯、手水舎および記念碑があった。


 本殿の跡に建つ孔子祠


 現在この地には海濱国小(小学校)が建ってをり、その沿革によると一九六二年に神社の敷地に小学校が建設されてゐる。そしてちゃうど日本が中国と正式に国交を樹立する頃、一九七三から一九七四年にかけて徐々に拝殿や鳥居などが排除された。さらに一九七五年、本殿のあったところに孔子祠が建てられた。
 参道の入口であったと思はれる所には、小さな神橋の一部を見ることができる。バスケットボールコートのそばにはさらに四基の石灯籠が残ってをり「昭和十一年十二月」の文字が読める。近くの木の下には「一金壹千圓也 台湾製糖株式会社」「一金貳千三百圓也 蔡朝取 蔡糞」「一金壹千圓也 李開山」などの字が刻まれた記念碑があり、神社造営にあたっては、これらの企業や豪富からの寄附が多かったやうである。
 孔子祠の周りにも六基の石灯籠が残ってゐる。孔子祠と石灯籠とに違和感はなく、むしろ一体感を感じさせる。

旧景(出典・高雄州要覧)


孔子祠となった神社本殿

東港神社▼鎮座日=昭和十年十月十八日▼祭神=天照皇大神、大國魂命、大己貴命、少彦名命、能久親王▼例祭日=十一月十日▼沿革=昭和十七年十月三十一日郷社列格▼鎮座地=東港郡東港街東港▼現住所=屏東県東港鎮豊漁里豊漁街三十四之二号

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