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台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物
日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也
高雄州(潮州郡潮州街) 潮州神社
2009-10-17 02:06:12
|
高雄州
神社はちょうど椰子の木の奥の幼稚園辺りにあった
当時の神社の旧景(出典:高雄州要覧)
神社遺跡が全くないのが不思議なくらいである。台湾の国家文化資料庫の老照片データベースの中に神前結婚式の写真があり、拝殿前の鳥居横に神馬を見ることができる。終戦後、この神馬はどこに行ったのであろうか。
神社は潮州中山公園奥の幼稚園辺りにあった。
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内文社-2
(
西豊穣
)
2012-06-23 21:03:12
金子様;
原住民族旧社関連はブログ掲載のものがすべてです。平地の神社遺構の写真は若干ありますが、恐らく金子さんは既に訪問済みと思います。それに台湾人の方で台湾の歴史に興味を寄せる人々は増えており、日本時代の神社に対する関心も高まっていると思います。例えば、隔月刊誌『台湾山岳』に神社特集が毎号組まれ出したのもその現われかと思います。古道も同じ様相を呈しています。
私の活動範囲の関係でパイワン族旧社を訪ねる機会が多いのですが、台湾のサイトを閲覧していても、これら旧社の神社遺構の紹介はまず皆無です。一つには、神社そのものの構造が余り判っていないということと、遺構そのものが既に崩壊しているからだと思います。内文社の場合、関係するパイワン族以外にはその旧社の在り処すら知られていません。
金子さんが仰る通り、内文社に神社が有り、内獅頭社には神社が無かったというのは多分有り得ません。嘗ては王国と呼ばれるくらいに栄えていたことがあっても、日本時代は明らかに内獅頭社の方が大きかったと思います。というのは、内文社には教育所しかありませんでしたが、内獅頭社には公学校が置かれましたから。
内獅頭社の神社の位置特定を難しくしているのは、公学校の上部にもが形成されていたからです。通常は、駐在所+学校(教育所)がの最高所で、更にその上に神社があるという位置関係が当時の原住民に於ける典型だったようですから。
又何かご質問がありましたらご遠慮なくお願い致します。(了)
返信する
Unknown
(
金子展也
)
2012-06-23 11:11:20
西様
大変興味深い情報有難うございました。ブログで掲載されていない他の「神社」写真があれば拝見したいのでが…
ブログの中で、「阮理事長の岳父が、本社には神社は無かった」とあるのが、多少気になりますが、これだけの規模のに「祠」がなかったということはないとも思われます。
また、大亀文王国と言う内容についても大変興味をそそられました。何とか、今年中にでもこの目で見たいと思っております。また、別途連絡させてください。
返信する
内文祠
(
西豊穣
)
2012-06-22 20:56:20
金子様;
弊「台湾古道」ブログで「大亀文王国」の最後の記事として内文祠跡をアップ致しましたので、下記アドレスからご閲覧お願い致します。
http://taiwan-kodou.seesaa.net/article/276692433.html
この内文祠、大袈裟な言い方をすれば世界遺産級です。規模広大、保存状態が奇跡的、尤も誰も保存活動はしていませんが。台湾政府が中国政府の管理下にある、つまり台湾は中国の一部分ということを認めない限りユネスコの管轄下にある世界遺産への申請・登録は夢物語です。その意味で、このほぼ完全な神社遺跡、近く崩壊してしまいます。ブログ掲載の写真で判るように、今まで持ちこたえてきたのが驚き。
歩行二時間で辿り着けますが、現地の案内人が必要です。金子さんがご興味があれば私のブログ中にある阮理事長を紹介出来ます。楊南郡氏の言葉、「山に入れば台湾が見えてくる」、を地で行く驚嘆すべき神社遺構です。
尚、内文社は当時高雄州潮州郡に属していましたので、このブログ記事を借りました。(了)
返信する
Unknown
(
inamiyaphotos
)
2009-10-21 21:44:44
こんにちは突然ですが稲宮と申します。個人で写真を撮っております。私は今、日本の植民地にあった神社跡地を撮影して回っています。といっても全部を独りでカバーするのは無理そうなので官幣社・国弊社といった地域を代表する大きな神社だけですが(広く浅くです)。今年から海外の撮影を始め、台湾・韓国・サハリンに行きました。
前回行った台湾では日本で下調べして場所が判った、台湾神宮・台湾護国神社、台中、嘉義に行きました。
さて、一つ図々しいお願いがあるのですが、新竹神社の跡地についてどうも場所がよく判らないのですが、教えて頂けないでしょうか?
突然のコメントでしかも、お願いをするというのは失礼ではありますが、何卒宜しくお願い致します。
下記アドレスかリンクしましたブログの自己紹介欄から連絡いただけますと助かります。
photo_inamiyaあっとまーくyahoo.co.jp
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金子さんが仰る通り、内文社に神社が有り、内獅頭社には神社が無かったというのは多分有り得ません。嘗ては王国と呼ばれるくらいに栄えていたことがあっても、日本時代は明らかに内獅頭社の方が大きかったと思います。というのは、内文社には教育所しかありませんでしたが、内獅頭社には公学校が置かれましたから。
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歩行二時間で辿り着けますが、現地の案内人が必要です。金子さんがご興味があれば私のブログ中にある阮理事長を紹介出来ます。楊南郡氏の言葉、「山に入れば台湾が見えてくる」、を地で行く驚嘆すべき神社遺構です。
尚、内文社は当時高雄州潮州郡に属していましたので、このブログ記事を借りました。(了)
前回行った台湾では日本で下調べして場所が判った、台湾神宮・台湾護国神社、台中、嘉義に行きました。
さて、一つ図々しいお願いがあるのですが、新竹神社の跡地についてどうも場所がよく判らないのですが、教えて頂けないでしょうか?
突然のコメントでしかも、お願いをするというのは失礼ではありますが、何卒宜しくお願い致します。
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