今月号の内容は、「新城社~タロコの悲劇を物語る瘞骨(えいこつ)碑」と「深堀神社~東西横断線に臨んだ深堀安一郎」の2本です。
当時の花蓮港で発生した「ウィリー事件」や「チカソワン事件」については一般に知られていますが、これらの事件の引き金となった「新城事件」については余り詳しい記述がありません。今回は、往時の新城社の場所に残る「殉難將士瘞骨碑」とは一体何であるかを調べた結果、「新城事件」にたどり着きました。紙面の関係で十分書ききれていませんが、ご一読ください。
また、一方の深堀神社。日本統治時代初期の明治29年に、東西を結ぶ鉄道路線の施設調査が行われています。南投の埔里から中央山脈を越えて花蓮港に至る路線です。必死の覚悟で臨んだ深堀大尉率いる一行14人ではありましたが、途中の山奥で消息を絶ち、全員殺害されたと言われています。深堀大尉を祀る小さな祠が初音に作られました。現在の、西寧寺の場所です。現在、このお寺では不動明王が祀られています。深堀大将が見守りとしていつも肌に着けていたお守りも不動尊のお守りでした。これら2つに何らかの関係があると思っています。
今年も一年、「台湾に渡った日本の神々」にお付き合いいただき、大変ありがとうございました。来年も神社を通して往時の台湾を見てみたいと思います。
また、別途お知らせしますが、来年3月29日(土)に神奈川大学非文字資料研究センターが主催する開研究会が横浜で開催されます。この研究会では台湾から講師をお招きし、台湾の造営された神社について色々な角度から考察する研究会となる予定です。是非、ご参加ください。