ガチ応援でリアルタイム観戦はほぼ負けというジンクスが。今回も2戦で果報を寝て待ち正解。1970年代の宗兄弟や北の湖以来の伝統。最近の男子400mRやスピードスケートしかり。
人んちの宴会に招かれてゲロ吐いたおじさん、「招かれといてゲロ吐くでねえ」と怒ったおじさん、人んちの宴会に招かれてホストに悪態ついたおじさん。全員逝ってしまった。
「アメリカの進んだ環境技術を取り入れたこの製品(洗剤?)、、、」
環境技術(の一分野)に関する1年間の在外研究(ドイツ)から帰国直後の我々一家を訪問してきたのは、かみさんの某友人。こんなセリフが頻繁に。ア■ウ■イなる家庭用品のセールスだ。
「環境が悪ければ住み替えればいい。」
当時(1999年)我々環境研究者は、ヨーロッパ社会とくらべてアメリカ社会の環境意識をこのように表現していたので、その後かみさんは契約しなかったと思われるが、正直こう言ってる時点で我々には胡散臭い。
身近なところにもマルチの脅威。
2002年に某学会のとある公開シンポジウムで、国際レベルのミスコン国内大会入賞者に司会を、実行委員会予算4万円でお願いしたことがあった。本命の女性ジャーナリストと連絡が取れずに困っていたら、実行委員会の同僚のコネでこれが実現。しかし当日、この選択が失敗で、演者の先生方や聴衆に不愉快な思いをさせてしまったほか、件の女性ジャーナリストも来場され、私にやらせてもらえればよかったのに、と。全日本クラスのミスコン入賞者のレベルとはそんなものだった、という話。
駒場の同期(東京の私立出身:学部生なのにオジサン体型だった気がする)が口にしていた「ヘソ天」なる単語を思い出した。
小学生時代から塾通いで、教室の椅子に長時間座らされたままになるので、徐々に座り方が浅くなってヘソが天井を向くほどになることを表現した概念だという。
ブロイラーの飼育みたいな印象を受けてしまったが、1960~70年代の一中生たちにはヘソ天はいなかったのではないか。
Facebookから警告が来たのは2回ありました。
1.北朝鮮国歌(日本国内では著作権保護の対象外)を空撮動画にかぶせてアップした時。
2.ドイツ国歌4番(ナチスの時代には歌われていた)の歌詞を紹介した時。
バンコクでのおすすめはアラブ人街(スクンビットのソイ3~5の北)。このあたりを制覇しない限り、バンコク通認定しません。ビギナー用旅行ガイドの範囲に終始してるうちは。
あと、ピンクラオとスティサンに1人で行けたら中級者認定か。
アメリカの私立大学学費は日本の私立医大に匹敵。一般的な中国の平民子女が留学できる場所ではない。日本の国立大学はその十分の一のコスト。奨学金をもらえる優秀層は問題ないか。
The most troublesome existence.
悪意なき間抜けは最も有害な存在になりうる。「愛されキャラ」とかで済ませてはいけない。特に「戦場」みたいな場面では。ゴルゴ
「ご家族が、、、」
「そうですか。じゃあ煮るなり焼くなりお好きにどうぞ。」
ってなるかも。(ニセ電話への対応)
1998年の丸1年ドイツに行っている間にオフィスの移動があり、帰国したらそれまでの研究資料がテキトーに移動されていて、わけわからなくなってしまい、完全復旧にその後10年以上かかってしまった。
ファミコン相手だったが、ハイテイで国士無双をツモったことがある。卒論書き上げた直後で、失恋の痛手を引きずってた頃。人生において、このくらいの「千載一遇」は何度かあり得る。
職場にあるマイナス60℃の生物試料保管庫に入った(評価委員対応)。メガネは曇って使えないし、携帯のバッテリーも「死亡」するので持っては入れない。3分で死の危険を感じる。アクシデントのリスクもあるので、決して1人では入らないこと。(2012年秋)