高校同期の地元企業家による信濃毎日新聞への投稿を契機にいろいろ考察してみた。
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いい意味でも悪い意味でもショービジネスの側面ばかりが重視されるのは、競技に懸けているアスリートの立場からは不愉快なことと思います。かつてイチローがWBCだけを選んだことをリスペクトしています。川口(プロランナー)が予選にでない選択をしたことも。
メダルを増やすために実施競技を変えるのはナンセンス。2008年北京のあと、価値あるメダルとして、世界的に尊敬される400mリレーよりも、日本人くらいしか関心がないソフトボールを持ち上げて大騒ぎしたのには、メディアおよび日本人の劣化を痛感せざるをえませんでした。
国による練習環境の差は常時あるし、それを覆すためにスポンサーをつけて先進国へ練習環境を移すトップアスリートは普通にいます(日本人もしかり)。オリンピックはもうアマチュアの世界ではないので、ミュンヘン・モントリオールのころとくらべてもしょうがないと思います。箱根の直前にインフルになって出られなかった後輩もいました。オリンピックに限りません。そこへ税金を使うなという議論はまた別のものです。
1948年ロンドンオリンピックでは、日本は戦う以前に敗者となりました。今回もコロナ戦に負けていたら、勝者にはなれないでしょう。観客がいないと力を出せないということはないです。私も自己記録は試合中とかではなかったし。勝ったアスリート本人は、試合の条件込みで勝ちの価値を最も理解しているので、観衆がぬか喜びしても、それを否定するでしょう。1980年モスクワのケースもそうでした。これらはあくまで記録を競う個人競技者の感覚です。ソフトボールみたいなのは知りませんが。
有権者の1%に満たない署名で政治が動くほど、国家は情弱ではない。もちろん、従来通りの商業イベントとしてのそれしか想定できない段階で、アスリートにも失礼だし、頭を使おうという気すらないと思えて情けない。世界的イベントにはお決まりだった、コロナビール片手のフーリガンみたいな輩が入国する可能性もなくなったのはよいこと。「外国人に道を教えるために」と英語をにわかかじりしてきた皆さんは、この機会にボランティアへ登録してみるとよいかも。