大学で学ぶ内容は、体系化そのものが研究テーマだったり。
日本の教育が詰め込み、とか言ってる人。日本の初等中等教育は体系化された状況で提供されている。それがわかっているかいないかで、学習のハードルはまったく違う。無駄なことばかりやってる余裕はないんで、個々の単元の背後にある体系を理解。
幸い浪人せずに大学生活に入ったが、予備校では問題演習ばかりの1年間になるんだろうか。参考書は高3の12月くらいでやり終えてたから、入試直前も演習と若干の弱点補強しかやってない。浪人してから教科書学習はありえないし、参考書終わってなくて受けるとか詰んでねえか。
「恐竜学科できたので行こう」とか言ってる高校生。
恐竜を生業にしたかったら、ちゃんと地質学科や地球科学科に行って基礎から徹底的に学ぶこと。狭い恐竜学だけでは研究者になれません。せいぜいアウトリーチ要員として使われるのがオチです。
気象学科も同じ。地球物理学科や地球科学科に行くこと。文学部卒でもなれてる予報士で終わりたくないだろ?
本物の地球物理学者にはなれなかったというわけ。
二類からではハードル高いです。
しかしアカデミアとして「隣」の畑で飯食い続けているのは奇跡かも。世界の気象学者が800回ほど著作で言及するとかも。
大志もなく「銭とれりゃいい」って姿勢が見え見えだった知人。高卒、工場勤め。その子供たちも中学不登校、万年補欠野球部員、楽な仕事を目指して転職、未婚。。。しかし彼らの外孫たちは立派である。父親や兄弟を反面教師とした娘たちの教育がよかったのか。
辛辣ですが真理。
サビ残は就職1年目(新人官僚時代)にしか経験していない。学者になってからは他人の仕事で居残った経験がないし、よほどのケースでない限り、部下に残れと強要したこともない。定時以降強制的に、副業とか、外でのミッションを入れてしまえば、職場に居残ることにはならないはずだ。そういう業界を選べた人は、時間内に必要なノルマをこなす能力もあるということで、本業自体も十分持続可能だろう。昭和的付き合い残業しないと業務破綻するという時点でおかしい。
1970年代
長野県は当時夏も低湿度で部活の後シャワーもなくそのまま帰宅でした。体育で泥だらけになる経験は東大駒場の関東ローム層サッカー場が初体験。
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