入学当時、駒場の文系知人界隈(そっち系率高い)はほぼほぼ読んでいた。
今思うとすげえ人たちとキャンパスですれ違う日々だった。
西部さん(故人)、舛添さん、小田島さん(喫茶店が仕事場)、、、。
浅田さん、小田実さんが流行したのもこの時期。
ある意味華やかなりし時代だった。
(当時は理系の著名人の著作にしか関心がなかった小生。)
To be, or not to be. おそらく死ぬつもりなんてなかったわけだから、小田島訳で正しいと思います。「こんなんでええんか。いや、ちゃうんじゃなかろうか?」
ついでに、
1984年6月教養学部自治会委員長選挙の面白い総括
(同時期小生は理学部自治会委員長となった。)
当時の東京大学新聞には、
昭和59年(1984年)7月3日火曜日
養・自治会 正副委員長選 七夕選対圧勝す
16年ぶり 全学連系選対敗れる
と報じられた。
「七夕と勝共が手を組んで」という代々木の総括が、小生の転向離反の背景の1つにもなった。
代々木のライバルが中核ってすごい。マイナー勢力なんかではなかったというわけだ。やってるだけで死亡フラグとか思われていたけれど。マルちゃんは結局やらせの集団だったのか。
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