頼子百万里走単騎 "Riding Alone for Millions of Miles"

環境学者・地理学者 Jimmy Laai Jeun Ming(本名:一ノ瀬俊明)のエッセイ

語学のプチエピソードいろいろ

2021-11-16 11:42:08 | 日記
「中国でも漢字を使っているから中国語の勉強は簡単」と、たかをくくった老夫婦が最初の時間にピンインを見せられて後悔。「これって英語と同じじゃない。」
確かに、文法は英語のほうが近い(活用はないが)。カタカナだけで覚えられるとすれば、それは広東語だろう。

中国語の迷惑は、悪い意味ではない。相手を迷い惑わせること。「セクハラは「迷惑」に違いない。」

ホームレスの中国語表記はこれ。露宿者、流浪漢、、、。小生は自称「平成の大陸浪人」、といった場合の「浪人」にも「流浪」の意味はない。

日本語の流ちょうなモンゴル族のCさん(千葉大学)、湖南人のCさん(筑波大学)が、時々小生の中国語の意味が理解できないと言っていたが、日本語がまったくできない上海人のGさん(短期留学中で、専門は小生と同じ)が彼女らに通訳しているのが笑えた。本当に頭のいい人は、何語であれロジックをきちんと追っている。

NYのチャイナタウンで広東語をしゃべる。日本人とすぐバレる。ここでは広東語が圧倒的に優勢。ハリウッド映画の中のチャイナタウンそのものだ。移民一世は英語を話さないし、チャイナタウンから外へは出ない。2007年初夏。

中検2級受かっても、時事の会話にまったくついていけない真面目そうな筑波大の院生。
vs
HSK旧3級に2回落ちてもあっちの大学で普通に専門の講義をしている自然科学者のオッサン。
2012年のつくば市内2つの中国語教室の合同ワークショップ(懇親会)。我々の教室は実践が中心(革新的中文学習)。相手方は座学が中心(伝統的中文学習)。オンライン模試みたいなサイトがいろいろあり、最近では現6級レベルと判定されています。

南西ドイツでの第一外国語は長らくフランス語だったので、かつて街中では中年以上の人に英語が通じなかった。大学の第二外国語が使えるレベルに到達する日本人なんて圧倒的に少数派。しかし毎日使わないと生きていけないというのは大変なことで、慣れてしまうと英語に戻そうとしたときに、簡単な表現すら出てこなくなってしまう。1998年のフライブルク

1998年秋、ブレーメンの寿司屋台にて。日本語が通じなかった韓国人女性店員に渋々ドイツ語で注文後、「日本語できないくせに寿司にぎるんじゃないわよ。」とかみさんがキレていた。

夢の中で大学1年生に戻っている経験。しかし知識や能力はおろか、経歴や年齢までが今のまま(放送大学のスクーリングかいな)。なぜだか出席日数が非常に少なくピンチ。しかしドイツ語の授業ではスラスラ、クラスメートはついてこられない。そりゃ留学したわけだし

中卒で上京就職した人が金の卵と呼ばれた時代もあった。“金色蛋” 蛋は中国では隠語です。なんたる一致。King Timer.

バンコクの屋台名物ソムタムプー。生のサワガニを塩漬けにし、ソムタムにあえた一品。危険極まりない。腹の中の回虫を得ること間違いない。河蟹。中国のことわざに「腹の中の回虫」というのがあるけど、これは腹心の部下(いい意味で)をさす表現。河蟹にいたっては、「和諧」と発音が同じ。ネットのNG用語の代替で使われている。食らうとろくなことがない、と言っているみたいで笑える。

위대한,,,위대한,,,위대한,,,。李在明(이재명)候補の演説は何かに似てる。만세。
「うぃではん(偉大なる)、、、、うぃではん、、、うぃではん、、、 。」
なんか「北の選挙」かよ、って調子の演説だな、与党候補(国に殉じた民族の英雄と同姓同名)。マンセー。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 中国のプチエピソードいろいろ | トップ | 国際学会会長のアカウントが... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事