カンボジアだより シーライツ

国際子ども権利センターのカンボジアプロジェクト・スタッフによるカンボジアの子どもとプロジェクトについてのお便り

AFESIP保育サービス続報<どうしてこのサービスは素晴らしいのか>

2006年07月19日 17時05分10秒 | 人身売買・性的虐待 被害者支援

みなさんこんにちは、平野です。今回も前回に引き続き国際子ども権利センターが支援するAFESIP(アフェシップ)のトムディセンターの「保育サービス」の報告ですが、いきなり手前味噌なタイトルで失礼しました。しかし、大規模ではなくとも、このサービスが質の面で受益者に与えているインパクトは実際素晴らしいものがあると思います。

【必要とされながらあまり行われていないサービス】

先日カンボジアの新聞記事でNGO運営のシェルターが本当に対象としている人たちのニーズに対応しているのか、ということが問題提起され、読者投稿欄も巻き込んで様々な意見が出たことがありました。そこでは具体的な提案はあまり多くなされなかったのですが、元女性省大臣ムー・ソクアさん、そしてセックスワーカーの女性本人が口にしていたのが「子どもの世話も視野に入ったサービスを」ということでした。裏を返すと、こういったサービスはあまり一般的でないことがということがうかがえます。

ムー・ソクアさんについては↓
http://blog.goo.ne.jp/jicrc/e/26d537eee817b85e5026f51cf24d3cce

【喜びを感じるそして罪の意識を感じない】

ではどうして保育サービスが素晴らしいのか。上記にあるように子どもの世話が気がかりでシェルターに入れないでいた人たちも入れる、そして子どもがそばにいる喜びでいっそう職業訓練に打ち込める、こう書いてしまえば当たり前のことですが、こうした「喜びを感じる」という面に加えて「罪の意識を感じないでいられる」ということも女性たちにとってとても大きいということも付け加えたいと思います。

カンボジアでは、女性は家族を助ける重い責任を背負わされおり、それは他のアジア諸国にも見られないほどだといいます。そして「家族の世話をするため遠くに行ってはいけない」ということで学校に通わせてもらえず、その一方で「家族を支えるために」出稼ぎに出され、様々な被害に遭ったりする、ということが発生しています。

こうした考え方が根強い中で、子どもを家族や親戚に預けてセンターに入った女性や少女たちは、不安や心配に加え自分だけがセンターで衣食住を保障されていることからくる罪の意識に苦しむことが少なくありません。子どもを預けた先である実家や親戚も貧しいことが多く、子どもにも親や親戚にも申し訳なく思ってしまうのです。そうした罪の意識が取り除かれることは、彼女たちの訓練に対する取り組みを前向きなものにするのです。

【周囲への影響】

また、この保育サービスは周囲の女性たちにも様々なかたちでよい影響を与えています。彼女たちは、日々の子どもたちの規則正しい生活から子どもの適切なケアを学び、また幼児教育も実際に目にしています。そしてアフェシップによると、自分も幸せな家族生活を築きたい、そのためにがんばろうという動機付けにもなっているということです。

次回は、保育サービスを受けている1人の女性のケーススタディをご紹介して、このサービスの成果を検証したいと思います。

※写真はセンターの子どもたちとアフェシップのスタッフ、スタディーツアー参加者です。

母親たちのがんばりと子どもたちの成長を支えるこのサービスは、みなさんの支援によって成り立っています↓

http://jicrc.org/pc/member/index.html


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2 コメント

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Unknown (西村)
2006-07-19 22:32:54
「罪の意識を取り除く」という視点は、

当事者の声を聴かなければわからないことですね。勉強になりました。
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Unknown (がこ)
2006-07-20 03:18:03
「喜びを感じるそして罪の意識を感じない」という見出しがいいなと思いました



自分で自分を責めてしまう、というのは

<デスエンパワメント>



外的な抑圧や困難よりも、一番苦しいのは

自分で取り込んでしまう内的抑圧のタガ



今回のブログを読むと

子どもをもつ女性たちが、<凛>として

職業訓練を受けておられる姿が浮かんできて

とっても嬉しいです

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